2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の中国パビリオンで6日、「湖南ウイーク」特別企画「瀟湘レセブションホール・湖湘文化セッション」が開催された。「瀟湘印象」をテーマに掲げた本セッションでは日中両国の学者が一堂に会し、湖南・永州の「摩崖石刻(まがいせっこく)」と「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」の文化的価値について深く議論し、湖湘文化の豊かな伝統と東アジア文明間の交流の成果を披露した。

本セッションは湖南省社会科学界連合会党組織書記の胡代松氏が司会を務めた。登壇者には張京華氏や冉毅氏ら中国側研究者に加え、道坂昭広氏、小峯和明氏ら日本側の漢学者が名を連ね、活発な意見交換と対話が行われた。

永州摩崖石刻:石に刻まれた歴史

湘南学院教授の張京華氏は「湖南を貫く『石の道』」と題した発表で、永州摩崖石刻の歴史的・文化的意義を紹介した。

永州には現存する摩崖石刻が2100カ所以上あり、うち7カ所は全国重点文物保護単位(中国国家指定重要文化財)に指定されており、その多さは全国でもまれに見るほどだ。祁陽(きよう)にある浯溪(ぶけい)摩崖石刻は永州を代表する遺跡で、唐代の詩人・元結がこの地を特に気に入り、「三吾(浯溪、吾亭、峿台)」文化を創出したことに由来する。特に、元結が文章を執筆し、顔真卿が書を揮毫した「大唐中興頌(だいとうちゅうこうしょう)」は文、字、石のいずれも優れていることから、「摩崖三絶碑」と称され最も有名。それから1200年以上にわたり、黄庭堅、米芾、秦少游、范成大、楊万里、董其昌、解縉、徐霞客、王夫之、顧炎武、袁枚、何紹基、呉大澂などの文人墨客200人以上がまるで「投稿に追刻(レス)する」ように、次々とこの地を訪れ、詩文を刻んできた。現在、浯溪には505カ所の石刻が現存し、楷書、行書、草書、隷書、篆書などあらゆる書体がそろい、中国南部最大の露天摩崖石刻群となっている。

「永州摩崖石刻」と「瀟湘八景」が紡ぐ千年の対話

浯溪の摩崖石刻は、極めて高い芸術的価値、数多くの時代にわたる文化的蓄積、湘江流域における人文的ランドマークとしての独自性により、中国石刻芸術史と文人精神の継承を物語る「屋外の書道博物館」となり、「湘江のほとりに輝く文化財の真珠」と称賛されている。さらに、石刻にはベトナムからの朝貢使節による題刻も残されており、古代における国際文化交流を物語っている。

永州市はデジタル技術を活用して世界初の摩崖石刻デジタル博物館を設立し、文化遺産をデジタル化し、「永遠保存」を実現した。同石刻は「中国世界文化遺産暫定リスト」にも選ばれている。

瀟湘八景:美学の伝播

湖南師範大学の冉毅教授は「世界へ向かう『瀟湘八景』」と題した講演で瀟湘八景の文化的伝播の歴史について解説した。

八景の第一景「瀟湘夜雨(しょうしょうやう)」は永州に位置し、第二景「平沙落雁(へいさらくがん)」をはじめとする残り七景は湖南省各地に点在している。

北宋の画家・宋迪が永州で描いた「瀟湘八景図」とその跋文(ばつぶん)、さらに南宋の衛樵の詩刻が、この文化的シンボルの成立を裏付けている。
「永州摩崖石刻」と「瀟湘八景」が紡ぐ千年の対話

瀟湘八景は13世紀に禅宗の伝来とともに日本へ伝わり、東アジア共通の文化的記憶となった。日本の研究者の小峯和明教授は東アジアの視点から瀟湘八景が琉球や朝鮮などで展開した芸術的変容を分析し、湖湘文化の広範な影響力を示した。京都大学の道坂昭広教授は「元結と湖南」と題して発表し、唐代の文人が永州に残した文化的足跡を明らかにした。

永州:文化保護と活性化の模範

永州市は近年、文化遺産の保護と活用において顕著な成果を挙げている。4000万元余りを投じて摩崖石刻の緊急保護事業を実施し、「石刻研学の旅」という観光ルートを開発し、「千年の聖地巡礼スポット」という文化観光ブランドを打ち出した。21年には永州摩崖石刻の拓本展が中国国家博物館で開催され、大きな反響を呼んだ。同時に永州市は瀟湘八景の国際的な普及にも力を入れており、学術研究と文化観光の融合を通じ、伝統文化に新たな命を吹き込んでいる。

「永州摩崖石刻」と「瀟湘八景」が紡ぐ千年の対話

文明交流の新たな章

胡代松氏は、「瀟湘レセプションホール」は湖湘文化を発信し、文明間の相互理解を促進する重要なプラットフォームだと総括した。永州の摩崖石刻と瀟湘八景が日中文化交流の懸け橋となり、クリエーティブ産業や観光など幅広い分野での連携に新たな可能性を開いたと強調した。

イベントでは最後に学者らが記念撮影し、千年の時を超えた文化的対話に幕を下ろした。今後、永州市は文化を媒介として国際交流を推進し、「瀟湘の声」を世界へと発信し続けていく。

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