陝西省考古研究院は今年5月から10月にかけて、西安市灞橋区にある張家坡墓地の考古学的発掘調査を行いました。発掘された古代遺跡は計566カ所で、戦国時代(紀元前475年―前221年)の墓が309カ所、車馬坑が1カ所、唐代(618年―907年)の墓214基で、このほかに少数の漢代(紀元前202年―220年)、隋代(581年—618年)、宋代(960年—1279年)、清代(1616年あるいは1644年—1911年)の墓と灰坑(古代の生活や生産活動に伴ってできた灰や廃棄物を捨てるための穴や窪地)も含まれています。
戦国墓は東西方向の竪穴式土坑墓が主で、全体の95%以上を占めています。副葬品は主に陶製の鬲、缶、鉢などでした。墓の形、埋葬様式、副葬品の組み合わせから見ると、墓主の多くは秦の人ではないかとみられます。年代的には戦国中期が主で、一部の墓の年代は戦国初期までさかのぼるとされます。特に注目すべきは、墓地内に25基の積石塚が分布していることです。これらは墓の方向、埋葬様式、副葬品は他の墓と違いはありませんが、二層になった未熟土(土壌の形成が十分に進んでいない若い土壌)の台上や墓の底に大量の丸石が置かれています。(提供/CRI)
唐代の墓は南北方向の斜面墓道を持つ洞室墓が主で、全体の98%以上を占めています。このうち、M144は東西方向の斜面墓道を持つ磚室墓(れんがで作られた墓室を持つ墓)です。基壇からは唐代の「開元三大士」の1人である不空法師の訳本「仏頂尊勝陀羅尼」が刻まれた石碑が出土しました。これは西安地区では初めての発見です。建設過程、墓の構造、塔基の寸法および出土した経文が刻まれた石碑などから見ると、M144は唐代の塔墓(仏塔形式の墓)であろうと判断されます。
張家坡墓地は墓が密集して分布しており、時代の幅も広いため、西安東郊外地区の戦国時代から清代までの社会生活を研究する上で重要な考古学資料です。これまでの考古学調査では、戦国時代の積石墓は散発的にしか発見されておらず、張家坡墓地のように集中的に発見されたのは初めてです。(提供/CRI)











