2025年11月4日、中国のポータルサイト・捜狐に「『新世紀エヴァンゲリオン』が時代を超えて描き続けるものとは何か」と題した記事が掲載された。

記事は、「日本アニメの名作『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、EVA)シリーズの完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が10月31日に中国で公開された。

1995年のテレビシリーズ、97年の旧劇場版、2007年からの新劇場版3部作、そして25年の中国公開と、EVAシリーズは30年の歳月を経てもなお、その熱狂が衰えることはない。EVAの登場人物たちは極めて個性的で、独自の語り口と重厚な世界観は、今なお多くのファンを引きつけ続けている。さらに、その深く重苦しい物語の影響はアニメ界を超え、日本社会全体にも及んだ」と言及した。

そして、「今日に至ってもEVAは圧倒的な存在感を放ち、平成の日本アニメ文化を象徴する『到達点』の一つとして語られ続けている。ただし、EVAを初めて見る観客の多くは、その複雑な設定や専門用語、断片的な伏線に圧倒され『結局何の話なのか分からない』と感じるだろう。そこで本記事では、新劇場版完結という節目の今、改めて新旧2つのEVAを『家庭』という視点から読み解き直してみたい」と述べた。

記事は、「EVAは一見、少年が巨大ロボットで戦う王道アニメのようだが、核心は『人間』、とりわけ『家族』にある。未知の敵の襲来や父が遺した機体という設定は『機動戦士ガンダム』を想起させるが、碇(いかり)シンジの敵は外側ではなく、内側にある父や他者との断絶そのものだ。EVAに登場する人々は、皆どこかで『家族』を演じている」とし、「母の魂を宿す初号機、母のクローンである綾波(あやなみ)レイ、擬似母となる葛城(かつらぎ)ミサト、父と関係を持つ赤城(あかぎ)リツコ。EVAの世界の人間関係は、すべて擬似的な『家族』の網によって構成されている。この構造の中では『社会』という中間項が欠落しており、家庭の崩壊はそのまま世界の崩壊に直結する」と説明した。

また、「EVAは、平成初期日本の家庭関係を象徴的に描いた作品だ。

シンジ父・ゲンドウの冷徹な父権の陰で、もう一つの支配『母性』が存在している。EVAという名称自体が聖書の『イヴ』を示すように、EVAは人類の母の象徴であり、その母性は『慈愛』であると同時に『暴力』でもある。初号機はシンジを守るために暴走し敵を粉砕するが、同時に彼を胎内に取り込み同化しようとする。それは『愛』という名の支配であり、いわば『ファシズム的母性』の具現なのだ」と述べた。

さらに、「日本の女性史研究者・加納実紀代氏は、母性が愛と献身の象徴であると同時に、他者排除と支配の原理を内包すると指摘した。戦後日本では父権が衰退する一方、母性が免罪され、愛と平和の象徴として称揚された結果、息子たちは母にあらがえなくなったのだ。旧EVAのEVAユニットは、まさにその暴力的母性の具現である。また同時に、EVAは男性視点から語られる『母性への恐怖』の物語でもある。父性が失墜した時代、シンジのような息子たちは母に救いを求めつつも、その支配を恐れ、最後には虚無と自滅へ向かう」とした。

記事は、「新劇場版を読み解く鍵は、06年と11年という2つの年である」と指摘。「06年、『DEATH NOTE』の夜神月(やがみらいと)や『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュ・ランペルージが登場し、『反体制型主人公』が支持を集めた。虚無に沈むシンジとは対照的に、時代は『逃避』よりも『能動的破壊』を求め始めたのだ。

そして11年、東日本大震災が発生。現実の圧倒的な暴力を前に、社会全体が『人間とは何か』『世界とは何か』を再び問うことになり、EVAの監督を務めた庵野秀明氏を含む多くのクリエイターの世界観を変えた」と言及した。

また、「新劇場版が『序』『破』『Q』と進むにつれ、旧作で支配的だった『家族の再生』や『母への回帰』というテーマは後退し、『個としての成長』が中心となる。レイは父との関係修復を試み、ミサトは依存的な恋愛を超え、アスカは母の呪縛を脱して自立を果たす。新たに登場した真希波(まきなみ)・マリ・イラストリアスはその関係性を撹乱し、新しい外の世界を導く存在として描かれる。この変化は、庵野氏自身と日本社会の変化を反映している。『家族』や『国家』といった共同体への依存が崩れ個として生きることが避けられない時代となった」と論じた。

そして、「『破』でミサトがシンジに叫ぶ『誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!』はその象徴である。しかし『Q』では、シンジの純粋な願いが世界を再び崩壊へと導く。理想を追い求めた結果、彼は孤独と責任を背負わされるが、それは『自立』の代償であり、『現実』への帰還でもあるのだ。それでも、物語は最終的に希望へと向かう。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では、彼らが『擬似家族』を離れ、初めて『社会』へと踏み出す姿が描かれる。

これは、かつて父と母のはざまで立ちすくんでいた子どもたちが、ようやく大人になるまでの30年の物語なのだ」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)

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