2025年11月23日、中国メディアの観察者網に、いわゆる「南京事件」への日本の謝罪に関する米CNNの報道に対して疑問を呈する文章が掲載された。

文章の筆者は、CNNが21日の報道の中で「日本は戦時の残虐行為について、繰り返し謝罪と反省を表明してきた」と記述したことに対し、中国の立場から懸念を示した上で反論を行っている。

特に、「繰り返し」「謝罪」「反省」という言い回しについて「日本の謝罪は十分かつ誠実」という印象を読者に与えることに危惧を感じたようだ。

筆者は、ニュース報道のルールに沿えば、事実を記述する際には正確さや客観性を確保するための「ファクトチェック」が必要だと主張。日本の中国に対する「謝罪」や「反省」が十分かどうかを確かめる基準として、12年に米紙ニューヨーク・タイムズ中国語版に掲載された「日本政府は中国に謝罪したのか」、英BBC中国語版サイトが19年に発表した「一国が歴史上の罪過に対して謝ることがどれほど難しいか」という二つの記事を挙げた。

ニューヨーク・タイムズの記事では、1972年に当時の田中角栄首相が周恩来(ジョウ・エンライ)氏に招かれて北京を訪れた際、過去の戦争について「迷惑」という言葉を用いたことに言及。中国側が「心からの謝罪の言葉として不適切」と不満を示し、田中氏が「迷惑」には日本語で「万感の思いを込めた謝罪」という意味もあると釈明したのに対して、毛沢東(マオ・ズードン)氏が「迷惑」という単語が記載された「楚辞集注」を贈り、日本語と中国語における「迷惑」という言葉の意味の違いを示唆したとされるエピソードが紹介されていた。

BBCの記事では、2001年に当時の小泉純一郎首相が訪中し、中国人民抗日戦争記念館を参観した際に「心からの陳謝と哀悼の意」を表明し、謝罪の対象を中国に言及した一方で、明文化されなかったことに注目。小泉氏が再三靖国神社を参拝していたこともあり、口頭にとどまった謝罪表明に対する評価は高くならなかったと指摘している。また、小泉氏以降の歴代内閣はこれ以上の「踏み込んだ表明」は行っていないとも報じていた。

筆者はまた、二つの記事が共通して1995年の「村山談話」にも言及し、被害国を「アジア国家」と総称して中国に特定しなかったこと、謝罪が正式な文書とならなかったことを「事実」として伝えたことも指摘している。これらの報道が「日本がかつて中国を納得させるような誠意ある謝罪を行っていない」ことを裏付けるものとして示した形だ。

筆者はさらに、日本が現在まで降伏の日を「終戦記念日」と称していることにも触れ、「このごまかしや曖昧さは、どう考えてもCNNの『再三謝罪と反省を表明した』という表現の重みに耐えうるものではない」と主張。最後に当時のニューヨーク・タイムズが「中国人から見て、日本政府は中国に謝罪したのか。

日本の謝罪の仕方は受け入れられるものだったか。このような謝罪は本当に重要な意味を持つのか」と疑問を投げ掛けていたことに触れ、文章を結んでいる。(編集・翻訳/川尻)

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