2025年11月18日、中国のポータルサイト・捜狐に、中国のドラマ・映画口コミサイトの豆瓣(douban)で10点満点中8.7点を記録した劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来の評価の妥当性を論じた記事が掲載された。

記事は、「11月3日、衝撃的なニュースが主要SNSを席巻した。

劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来の中国公開が発表され、 さらに驚くべきことに、アクションが多用され、戦闘中の流血描写を含む同作が一切のカットされることなく上映されることが明らかになったのだ。多くのファンと同様、筆者も早くから興奮を抑えきれず、今すぐ劇場に駆け込み、この待ち望んでいた視覚の饗宴を全身で味わいたい衝動に駆られた。アニメファンにとって、『鬼滅の刃』という名はすでに雷鳴のごとくとどろいて久しい。そして同作こそが、完結へと向かう最終決戦の序章なのである」と述べた。

そして、「同作はシリーズ作品ではあるものの、原作をほとんど知らない観客も問題なく理解可能である。確かに登場人物の過去を知らない場合、一部の細かな心情理解に影響はあるが、あらすじを把握してしまえば、誰でも理解できる構造になっている。上映時間が155分に及ぶ同作は、実質的には三つの大規模戦闘と、各登場人物の回想によって構成されている。この3本の並行する戦闘軸は、それぞれが憎しみと絆に絡め取られ、濃厚な宿命感に満ちており、視聴者に息つく暇を与えない」と言及した。

記事は、「最初の対決は、胡蝶(こちょう)しのぶと上弦の弐・童磨(どうま)との復讐戦である。童磨はかつてしのぶの姉を惨殺しており、仇敵との再会は必然的に死闘となる。登場時には人間の死体をむさぼり食う描写があり、その残忍さは強烈な印象を残す。圧倒的な実力差を前にしても、しのぶの覚悟は揺るがない。

一方無限城の別の場所では、臆病で泣き虫だった我妻善逸(あがつまぜんいつ)が、師を裏切った兄弟子・獪岳(かいがく)との戦いを迎える。この戦いの見どころは、善逸が雷の呼吸・壱ノ型しか使えないのに対し、獪岳は壱ノ型だけを使えず、それ以外の型はすべて使いこなすという真逆の構図になっている点だ。戦いの結末は語らないが、善逸はこの戦いで明確な成長を遂げる」と説明した。

また、「同作の最大の見どころは、竈門炭治郎(かまどたんじろう)と水柱・冨岡義勇(とみおかぎゆう)が上弦の参・猗窩座(あかざ)と対峙する場面だ。無限列車編にて、炎柱・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)が猗窩座と死闘の末に壮絶な最期を遂げており、炭治郎と義勇には明確な復讐の動機がある。この戦いは本編の大部分を占めているが、意外にも戦闘描写と並行して、猗窩座の過去に多くの時間が割かれている。彼もまた、かつては哀れな人間であった。幼少期の不幸な体験により世界に絶望し、後に善意ある人に拾われ、武術を教え込まれた。しかし最終的に無惨の手によって鬼へと堕とされる。これらの回想により、冷酷無比に見えた敵役の裏側にある崩れた心と救われぬ魂が浮き彫りになる。同作の涙腺崩壊ポイントが、観客から憎まれていた敵役によってもたらされるとは、誰も想像しなかったであろう」とした。

その上で、「劇場で鑑賞した筆者は、同作を非常に高く評価している。

戦闘描写は極めて完成度が高く、斬新で華麗なアクション、熱量の高い音楽、そして没入感のある演出により、観客は戦場の只中にいるかのような臨場感を味わえる。特に炭治郎と猗窩座の戦いは、無限城という変化し続ける空間演出によって、視覚的にも躍動感に満ちた名場面となっている。一方で、戦闘中に多く挿入される回想シーンについては評価が分かれる。回想そのものは物語的に意味があり、猗窩座の内面を深く理解させる重要な要素であるが、戦闘の最高潮に挿入される構成は緊張感を削ぎ、テンポを断ち切ってしまう側面があるため、テレビシリーズを編集したような印象を与えてしまう」と評した。

そして、「『鬼滅の刃』ファンにとって同作は長年共に歩んできた登場人物たちと最終章へと向かうための『儀式的』な作品であり、一般観客にとっては幻想的な作品世界への入り口となる役割を果たしている。華麗な戦闘の背後にあるのは、単なる鬼退治ではなく、『鬼』と呼ばれる恐ろしい存在の奥に残された人間の魂と救済の物語だ。最後に筆者は、同作をすべての熱血アクション映画愛好家、そして『鬼滅の刃』ファンに強く薦めたい。同作は、絶対に見逃すべきではない一作だ」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)

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