中国で女性清掃スタッフ(中国語で阿姨/アーイー)が撮影したレクサスの動画が500万回再生を突破し、企業の公式プロモーションを超える反響を呼んだ。過剰な広告に疲れた消費者が飾らない言葉と生活者目線に癒しと信頼を見出す現象はマーケティングの新たな転換点を示している。

黒竜江省ハルビン市でレクサス販売店の清掃スタッフが撮影した動画が大きな話題となった。プロの営業担当者でもインフルエンサーでもない。普段は店内の清掃を担当する女性スタッフが、作業用エプロン姿のまま方言混じりで率直に車の感想を語っただけの動画だ。

「このライト、派手すぎないか?」「トランクにはバケツが二つ入る」――洗練された広告文句とは程遠い生活者目線の言葉。この動画は500万回以上再生され、関連話題の閲覧数は公式プロモーション動画を大きく上回った。

なぜプロが作った広告ではなく、素人の飾らない言葉が人々の心を捉えたのか。この現象は単なる一過性の話題ではない。過剰な広告や情報に疲弊した消費者が、「作られていない、ありのままの声」に癒しと信頼を見出す、現代中国の消費者心理を象徴的に映し出している。

清掃スタッフはなぜこれほど「見ていて心地よい」のか

レクサス販売店の清掃スタッフは、特別な演出もなく、方言混じりで車について語っただけだ。それにもかかわらず、再生回数が500万回を超え、関連話題の閲覧数は過去の公式動画を大きく上回った。きっかけは「顧客と同じ目線」の一言だ。

「このライト、派手すぎないか?」

「トランクにはバケツが二つ入る」

高級感を演出するために練り上げられたコピーとは異なり、そこにあるのは生活者の実感だ。スペックではなく、「掃除する人にとって本当に便利かどうか」という視点だ。

視聴者はその語り口に、どこか「肩の力の抜けた安心感」を見出す。

営業担当者でもインフルエンサーでもなく、作業用エプロンとしわの刻まれた手。カメラを十分に意識できていない、やや不慣れな動き。こうした「過度に作り込まれていない感覚」が、情報に疲弊したタイムラインの中で、一つの「休憩空間」として機能したのだ。

高級ホテルにも広がる「スタッフ共演」の潮流

素人を起用したマーケティングの波は自動車業界にとどまらない。広州天河ヒルトンホテルの公式アカウントのドイツ人総支配人と清掃スタッフが共に登場するショート動画が話題となった。

ロビーの片隅でエプロン姿のスタッフが床を磨き、その横でスーツ姿の支配人が中国語であいさつする。豪華なロビーを背景にしながらも、どこかほほ笑ましく、親近感の湧く構図だ。

五つ星ホテルといえば、従来は「完璧さ」が売りだった。スタッフの動きは統制され、裏方の存在は極力見せない方針が徹底されていた。ところが現在、あえて清掃スタッフを前面に押し出し、支配人と並列させるホテルが出現している。

その背景には、衛生やサービスへの不信感がある。過去にはホテル清掃の実態を告発する動画が話題となり、「見えない場所で何が行われているのか」という疑念が一気に顕在化した。

それに対し、清掃スタッフを堂々と画面中央に配置する演出は、「当ホテルは誠実だ」というメッセージでもある。

さらに、外国人支配人と現地スタッフの共演はグローバルブランドと地域コミュニティーの距離を縮める役割も果たしている。海外企業で働く中国人スタッフにとっても、「自分たちの文化や言語が適切に尊重されている」と実感できる場面なのだ。

日本の「癒し系」ブームとの共通点

この「清掃スタッフ現象」には、日本の「癒し系」ブームと共通する文脈が存在する。バブル崩壊後の不況や雇用不安の中で、日本では1990年代以降、「漠然と疲弊している」「癒やされたい」と感じる人が増加した。

猫カフェやアロマグッズ、ゆるキャラ、パワースポット巡りなど、癒しを求める消費行動が拡大し、「癒し」はやがて商品・サービスの基本要素となっていった。現在では「癒やされること」は特別なぜいたくではなく、「最低限備わっているべき前提条件」に近い位置付けとなっている。

現在の中国もまた、情報過多と将来不安が重層化する時代にある。SNSを開けば、景気や就職難、住宅問題から国際情勢まで、不安を喚起するニュースが絶え間なく流れる。そのタイムラインの片隅で、清掃スタッフがゆっくりと車を拭きながら率直な感想を語る動画は、ささやかな「現実逃避」であると同時に、生活感のある「安心できる現実」でもある。

日本の癒し系ブームが最終的に生活文化のインフラとなったように、中国においても「本音で語る素人の存在」が今後のサービス設計における前提条件となっていく可能性がある。

企業が設計すべき「癒しマーケティング」の要点

では、この潮流を一過性の流行に終わらせず、企業はどのように活用すべきなのか。重要なのは「素人を起用すること」自体ではなく、「どのような関係性を提示するか」を設計することだ。

第一に、裏方の仕事を主役に据えることだ。

清掃スタッフや工場ラインの作業者など、これまで広告の主役となることが少なかった人々の視点を堂々と表舞台に提示する。彼らの仕事における専門性や工夫をそのままの言葉で見せることがブランドへの信頼蓄積につながる。

第二に、些細な「不満」を許容することだ。完璧な称賛コメントのみならず、「ここは腰に負担がかかる」「このライトは眩しすぎる」といった弱点を一部認める方が、かえって安心感が生まれる。「課題があるが、このように改善した」というプロセスを開示することで、ユーザーは企業の誠実さを感じ取る。日本の癒し系コンテンツも、完璧さではなく「ゆるさ」に価値が置かれた。同様のことがブランドコミュニケーションにも生じている。

第三に、動画の外側の体験を適切に設計することだ。どれほど動画が話題になろうとも、来店時の接客や清掃品質、バックヤードの労働環境が伴わなければ、一過性のブームで終息してしまう。動画で語られた「使い勝手」が実際の商品改良やサービス改善に反映されているかどうかが問われる。

癒しは「ぜいたく品」から「インフラ」へ

清掃スタッフを主役にした動画は、外見上は素朴なバラエティーコンテンツだ。しかしその背後には、情報に疲弊し、不信に敏感になった社会の空気が存在する。

豪華なセットや著名人ではなく、しわの刻まれた手で黙々と仕事をする人物の姿に、私たちは「この人の言葉なら信じてもいいかもしれない」と感じる。

企業に求められているのは、清掃スタッフを探し出すことではなく、「誰のどのような等身大の姿を提示すれば、人々の心が少し軽くなるのか」を真摯に考えることだ。癒しが生活文化のインフラとなった時代において、マーケティングもまた「心のインフラ」構築の一部として再設計されるべき段階に到達しているのだ。(提供/邦人NAVI-WeChat公式アカウント・編集/耕雲)

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