2026年1月9日、台湾のポータルサイト・vocusに「『僕のヒーローアカデミア』:分断が視界を覆う時、理解はそれでも選択し得る」と題したコラムが掲載された。

コラムは、「『僕のヒーローアカデミア』の最終シーズンが放送を終え、この作品に別れを告げる時がやってきた。

わが家は家族そろって同作のファンである。決して早くからのファンではなかったが、この作品を心から愛してきた。そして物語が進むにつれ、作者が物語の奥に込めた問いが、より強く伝わるようになった。それは、立場が引き裂かれ、互いに引き返そうとしなくなった時、それでも『理解』は選択肢になり得るのか、という問いだ」と述べた。

そして、「スーパーヒーローがあふれかえり、同時にどこか食傷気味にも感じられるこの時代において、同作はヒーロー物語で本当に難しいのは『誰を倒すか』ではなく、人がなぜ今の場所に立っているのかを見つめ、その上で『世界には一つの生き方しかないわけではない』と認めることだと思い出させてくれる。同作の世界で『個性』は、具象化された才能であり、超能力であると同時に、一種のレッテルのようなものでもある。生まれ持った『個性』は、ある子どもをプロヒーローへの道へ導くこともあれば、別の誰かを深淵(しんえん)へと突き落とし、犯罪者へと変えてしまうこともある」と説明した。

その上で、「最初は、自然を操る力、動物を模倣する力、身体を硬化させる力、精神に作用する力など、多彩な能力設定がただ面白いと感じていただけだった。しかし物語が進むにつれ、『個性』は単なる能力の見せ場ではなく、その人がどう見られるかを変え、ひいては人生の軌道そのものを書き換えてしまう存在なのだと、強く意識するようになった」とした。

さらに、「物語が終盤に差しかかり、各キャラクターが直面する選択と試練を見ている時、社会が世界を理解するために、人を素早く分類し、レッテルを貼り、線を引くという最も単純な方法を選んだ時、一体誰が犠牲になっているのだろうかと考えさせられる。そして、分断が取り返しのつかないところまで広がった時、暴力は本来聞き届けられることのなかった痛みを、本当に解決できるのだろうか」と問い掛けた。

そして、「『僕のヒーローアカデミア』は、安易な答えを提示しない。

登場人物たちは何度もつまずき、理解はしばしば手遅れになってから訪れる。しかし、だからこそ同作が最後に残すのは、勝利の快感ではなく、かたくなとも言える信念なのだ。すべての人を救えなくても理解しようとすることは、理解を拒むよりも確かに価値がある。恐らく本当のヒーローとは、常に正しい側に立ち続ける存在ではなく、分断が最も深まり、感情が最も混乱したその瞬間に、それでも相手を『人』として見ようとする一瞬を選び取れる存在なのだろう」と論じた。(翻訳・編集/岩田)

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