中国の文豪、魯迅の恩師の墓が、魯迅のふるさとである浙江省紹興市の裘家嶺で確認された。中国メディアの上観新聞が16日付で伝えた。

記事によると、紹興市文物考古研究所が現地でサンプルを採取し、復旦大学分子考古実験室がDNA鑑定を行ったところ、墓の主は魯迅の恩師の寿鏡吾(1849~1930年)だということが分かった。

魯迅研究家の楊曄城(ヤン・イエチョン)氏によると、同氏は「魯迅親友尋訪録」などの史料や寿家の子孫の証言を基に、寿鏡吾の墓は現在の裘家嶺にあると見込んでいた。現地調査の結果、穴が二つある古い墓を発見し、寿鏡吾夫妻の墓だと推定したという。

昨年11月27日、紹興市文物考古研究所の王仁芳(ワン・レンファン)副所長と寿家の子孫、楊氏らが現地を訪れ、「寿界」と刻まれた墓地の境界碑などが見つかった。また、高齢の地元住民への聞き取りから、この場所が寿家の祖先の墓地であることが確認された。

魯迅に影響与えた恩師・寿鏡吾の墓を確認―浙江省紹興市

魯迅に影響与えた恩師・寿鏡吾の墓を確認―浙江省紹興市

記事は、「寿鏡吾の墓の発見は紹興における魯迅研究の一大成果だ」という王副所長の指摘を伝えるとともに、「寿鏡吾の名前だけでは分からないかもしれないが、三味書屋なら多くの人が聞きなれているだろう」と言及。魯迅の著書「百草園から三味書屋へ」に登場する「先生」がこの寿鏡吾だとし、「20歳の時に科挙の『秀才』に合格した寿鏡吾は社会の暗さを見抜き、一生官職に就かずに教師として生きることを誓った。自宅の三味書屋で開いた私塾は当時の紹興府城内で名高い私塾となり、魯迅はここで6年余り学んだ。同塾が毎年受け入れる生徒はわずか8人、保護者も品行方正であることが求められた」などと説明した。

魯迅に影響与えた恩師・寿鏡吾の墓を確認―浙江省紹興市

三味書屋で学ぶ間、寿鏡吾は人柄や学問への姿勢、さらには作文などの面でも魯迅に大きな影響を与えた。また、1898年に魯迅が三味書屋を離れて江南水師学堂に入学した後も、毎年春節(旧正月)のあいさつの手紙を送るなどしていたという。(翻訳・編集/野谷)

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