―今はロンドンのどちらにお住まいなんですか?
吉田:エンジェル(イズリントン区)っていう、かなり中心に近い街ですね。キングズクロスというターミナル駅のすぐ隣で。ロンドンは中心地からゾーン1、2、3って離れていくんですけど、僕の住んでるところはゾーン1です。
―お一人で住まわれている?
吉田:いや、同居してる人が3人います。こっちはフラットシェアが主流なので、僕もこっちに来てからは誰かしらとシェアしてますね。
―吉田さんの音楽遍歴を辿ると、もともとはバンド活動をされていたんですよね?
吉田:そうですね。東京の大学に進んで、学校の友達とバンドを組んでしばらく活動していました。
―当時よく聴いていたのは?
吉田:洋楽を聴きたての頃はニルヴァーナとかスマパンみたいなオルタナ系が好きだったんですけど、そのあと自分がやってたバンドも音楽性が徐々に変わっていって、音楽の趣味も広がっていきました。DJシャドウをきっかけに、エレクトロニック系も少しずつ聴くようになったり。でも、一番大きかったのはレディオヘッドですね。
―そもそもバンドマンだった吉田さんが、ひとりで音楽を作るようになった経緯が知りたいです。
吉田:バンド活動を続けるうち、メンバーが地元に帰ったり仕事が忙しくなったりして、ひとりずつ抜けていったんです。それで、最終的に僕ひとりになってしまった。自分としては音楽をやるならバンド形式にこだわりたかったし、仲間と集まって音楽を作るプロセスも楽しかったので、それが叶わなくなったことが本当にショックだったんですよ。だから、もう一度バンドをやりたい気持ちもあったけど、同じことを経験する羽目になるのではないか……という不安もあって。
―別れをまた経験するくらいなら、ひとりで孤独と向きあいながら作っていくほうがよいのではないか、と。
吉田:正直、苦渋の決断ではありましたけどね。ただ、新しくバンドを立ち上げるにしても、自分と同じモチベーションを保ってやってくれる人が見つかるかは怪しそうな気がして。僕はずっと音楽を続けていきたかったので、ひとりでやっていくのが確かな道かもしれないと考えたんです。
Anchorsongによるパフォーマンス映像
―ライブではMPCとキーボードを使ったり、とにかく生演奏にこだわられている印象です。
吉田:確実にそうですね、その部分は絶対に譲りたくなかった。MPCを選んだ主な理由もそれで、生演奏でエレクトロニックな音楽をやることが、Anchorsongを始めたときの根本的なコンセプトとしてありましたね。楽曲の制作にはコンピューターを使っていますけど、ライブをやるときは今でもラップトップを使わず、MPCとキーボードのみっていうスタイルを貫いています。エレクトロニック・ミュージック系のライヴだと、ラップトップを使ってシーケンスを並び替えるのが一般的な手法なんでしょうけど、僕はそれより自分の指や手を動かして音を鳴らす、その一触即発のスリルこそライブの醍醐味だと思っているので。
―2004年にAnchorsongとして活動を始めた当初は、ヒップホップ系のイベントに出演することが多かったそうですね。
吉田:下北沢のライブハウスでバンドに交じって演奏することもありましたけど、渋谷のFAMILYやROCK WEST(現・R Lounge)で参加したイベントはほぼヒップホップ系でしたね。MPCがヒップホップのイメージが強いというのと、周りにヒップホップをやってる友達が多かったんですよ。しばらく会ってないけど、サイプレス上野くんも昔から知り合いで。彼が横浜の友達とFAMILYでやっていたイベントに毎月遊びに行ってたから、横の繋がりでイベンターに呼ばれるようになって。
―それは意外(笑)。その後、2007年にロンドンへと移住されたそうですが、どんなきっかけがあったのでしょう?
吉田:海外の音楽をずっと聴いて育ってきたので、好奇心が募りに募って海外に出ていった感じで。
2006年にアップされたパフォーマンス映像
―初めて海外でライヴを行ったのは、ギリシャのアテネだったとか。
吉田:そうですね。東京で3年くらい活動していたときは品川区のマンションに住んでたんですけど、契約更新が迫っていたときに「ライブしに来ないか?」ってアテネのイベンターから電話をもらって。 フライト代も出してくれるという話だったし、そのオファー自体は受けることにしました。そのライブがちょうど契約更新の翌々日で、何かの縁かもしれないなと思って、思い切ってマンションを引き払ったんです。で、イギリスに学生として暮らすことにして。向こうにアテがあるわけでもなかったので、長期で住むには学生になるしかなかったんですよ。
―いわゆるインストのエレクトロニック・ミュージックだと、ロンドンやヨーロッパのほうがリスナーも多いし理解もあるから、自分の音楽も受け入れられやすいのではないか、という話をしているのも見かけました。
吉田:それもなくはなかったとは思います。東京での活動も楽しんではいたけど、これで生活していくのは至難の業だろうなって肌で感じていたので。ロンドンに出ていけば、自分が作ってる音楽で生活できるようになるかもしれないという期待はありました。
―そのあたり、実際にロンドンで暮らしてみてどうでしたか?
吉田:音楽が好きな人にとっては、たまらない街だと思います。例えば、ロンドンのハコは東京に比べて設備がお粗末なところも多いんですけど、少なくともライブをするうえでノルマを課せられたことはなかったですね。出演料はゼロでも、タクシー代だけ出してくれたり、好きなだけ食べさせてくれたりする。そういうところも含めて、音楽がよりカジュアルというか、日常生活の一部として根付いているんだなと実感しました。
―それでも最初のうちは、生計を立てていくのも大変だったんじゃないですか。
吉田:そうですね。最初の4年間は学校に通いながら、バイトもやりつつ音楽もやっている三足のわらじ状態でした。でも、バイトしながら英語力を培ったところもありますし、いい面でも悪い面でも勉強になることは多かったですね。経済的には苦しかったけど、そういう苦労も含めて楽しんでいました。
―ロンドンでの生活によって、音楽的な面で変わったと思うことは?
吉田:ロンドンのオーディエンスの特徴のひとつとして、オープンマインドなところがあると思います。とにかく、みんな分け隔てなく音楽を聴いてるんですよ。DJイベントにしても、いろんなジャンルを縦横無尽にミックスする人が多いんですけど、それに対して「これは好き、これは好きじゃない」みたいなリアクションを見せる人はあまりいなくて、選曲の幅広さに対応するだけの器量をオーディエンスが備えている感じがする。
―そのオープンマインドな感じは、僕もロンドンに行ったとき感じました。でも、一方で冷たくもありませんか? フラットに音楽を評価するぶん、ヘタなことでは喜ばないというか。
吉田:たしかに、そういうシビアさもありますね。みんな耳が肥えてるので、あからさまにヤジを飛ばすような人はいないけど、露骨に反応に出るというか。客席が盛り上がってないと、おしゃべりが止まらなかったり。逆に、問答無用にいいライブをしていると、そういう人たちも黙りますし。本当に正直なオーディエンスだと思います。
―話を戻すと、2013年には日本に一度帰国されてますよね。
吉田:事情があって帰国せざるをえなくなってしまったんです。でも、体勢を立て直してもう一度イギリスでやりたいという思いは常に持っていました。レコード会社との契約は残っていたので、アルバムを完成させれば、そういう道がまた拓けてくるだろうと思っていました。
―そこから前作『セレモニアル』の制作に取り掛かったわけですよね。この頃から今回の『コヒージョン』に続く無国籍なサウンド――アフリカやインド音楽を参照しつつ、ご自身のなかにしかない架空の音楽を形成していくようなモードに入っていった印象ですが、日本に帰国したことも制作へのマインドに影響を与えていたのでしょうか?
吉田:少なからず関係していると思いますね。例えば、僕がロンドンに来たときはダブステップが盛り上がっていましたけど、外国人である僕自身としては、イギリス的な音楽を作りたいって考えたことがないんですよ。とはいえ、住んでいれば気になってしまうのも事実だし、そういう流行を追いかけはしないものの、無意識に影響を受けてる部分はあったはずで。そのなかで、日本へ帰る直前くらいでアフリカの音楽に興味を持ち始めたんですけど、とても新鮮なものに感じられたんですよ。そういう要素を表に出そうと思ったのは、イギリスを離れたことも関係していたのかもしれない。結果論かもしれないですけど。
2016年に発表されたAnchorsongの2作目『セレモニアル』
―日本にいるけどロンドンに戻りたいという思いが、今の自分がいる場所とは別の「どこか」を夢想することにも繋がったのかな、とも思ったんですが。吉田さんの音楽は旅人のように、具体的な場所ではなく、どこか遠くを憧れ続けているような感じがするんですよね。
吉田:そういう気持ちはたぶん、洋楽と出会った頃からずっと続いてるんだと思います。自分の知らない街や文化に対して、すごく興味があるので。それこそ、ロンドンみたいな街だったら、優れたアフリカのドラム奏者とか、インドのシタール奏者は探せば見つかると思うんですよ。ロンドンにいながら、そういう人達と一緒に音楽を作ることはできたはずだし、現地のミュージシャンとレコーディングする方法だってあります。このご時世、そういったアプローチをとるミュージシャンは少なくない。でも、僕はそういうアプローチを敢えて避けているんです。
―それはなぜ?
吉田:アフリカにしてもインドにしても、実際に行ったことがあるわけではないんです。だからこそ、そういう地域の音楽を異国のものとして捉えつつ、自分の音楽として表現してみたいんですよね。僕自身とそういった音楽の間にある距離感を保ったうえで、自分なりの解釈やもともと持ってるサウンドを落とし込みながら、オリジナルな作品に仕上げていくというか。
―その発想は、1950~60年代に流行したエキゾチカやモンドミュージックのアプローチとも近そうな感じがしますね。マーティン・デニーやレス・バクスターみたいな、欧米人のオリエンタリズムに対する憧れとも共振するものがあるというか。
吉田:そうですね。自分が知らないものを知りたいっていう欲求が募って、それが作品に表れているという意味で、メンタリティー的にはすごく近いと思います。
―ただともすれば、それらの国々の音楽を剽窃していることになってしまう危険性もあるわけですよね。インドやアフリカ風の音階/リズムを取り入れるだけなら、音楽をある程度作ってきた方なら容易にできてしまうはずで。
吉田:僕自身、そこはかなり意識してるつもりです。そういう音楽に対して敬意が感じられないものにはしたくなかったので。オーセンティックであることが、必ずしも敬意を払っていることになるわけでもないと思うんですよ。僕がどれほどインドの音楽に夢中になってオーセンティックなものをめざしたとしても、本当にオーセンティックなものは絶対に作れないだろうし、自分のルーツを踏まえても、そういうものを目指すことが正解ではないと思うんですよね。むしろ、リスペクトを示したいのであれば、自分自身の解釈を示していくべきじゃないのかなって。
―それは日本で生まれ育ったこととは、あまり関係なさそうな気がするんですけど。
吉田:そうですかね? 日本のポップスにしたって、欧米の音楽に影響を受けながら発展してきたわけで。そういう間接的なものも含めて、日本人はみんな欧米のカルチャーと触れ合いながら育ってきたと思うんですよ。僕はアメリカの音楽もイギリスの音楽も「海外の音楽」として捉えているし、そういう意味ではインドやアフリカの音楽も変わりはない。そういうスタンスは、日本という島国で育ったからこそ培われた気がします。
―なるほど。今回の『コヒージョン』では、ボリウッドのホラー映画のサウンドトラックを参照されたそうですけど、ボリウッドだって元を辿れば、欧米の映画から影響を受けてきたわけですしね。
吉田:そうそう。インドの音楽にしても、最初は僕もラヴィ・シャンカールとかトラディショナルなものを聴いてたんですけど、いろいろ掘り下げていくうちに行き当たったのがボリウッドの映画音楽でした。それがピンときたのは、欧米の音楽に影響を受けた音楽だからだと思うんですよね。70年代のボリウッド音楽って、サイケ・ロックがすごく多いんですよ。でも、欧米のものにはないタブラのビートとかが入っていて、そこに折衷したエキゾチックさを感じたんです。
『コヒージョン』に影響を与えた楽曲を集めた自作プレイリスト
―その感覚って、山下達郎が今のヒップホップ世代にウケてるみたいな、いわゆるレアグルーヴ的なものとも近そうですね。
吉田:そうかもしれない。いまや「グローバル化」っていう言い回しすら時代遅れになっている感じもしますけど、それが当たり前になったからこそ、日本の古い音楽が海外の人たちに発見されているんでしょうし。僕がやってることも、結局そういうことだと思うんですよね。実際、僕が聴いているインドの音楽は、discogsで探しても出品されてないようなレコードばかりで。僕はそういう音楽を、SpotifyやYouTubeを通じて掘っているので。
―そういう意味では、今の時代ではないと作れない音楽だといえるのかなと。
吉田:ノスタルジックなものにはしたくないんですよ。過去の音楽からの影響を受けつつ、あくまでモダンなものを作りたい。そうじゃないとつまらないと思うので。ストリーミング全盛の時代だからこそ可能なアプローチ、そこから生まれたレコードだという点は自負しています。
―2015年にロンドンに戻ったあと、何か変化を感じたりはしましたか?
吉田:戻ったら、好きなライブハウスがいくつかなくなってたんですよ。街の至るところで再開発が進んだことで、ファンに愛されてきたヴェニューが営業を続けられなくなった。それに対して反発してる人も大勢います。
―ジェントリフィケーション問題は深刻らしいですね。ホームレスは住めなくなったし、生きづらい街になってきているという話はよく聞きます。
吉田:それによって、ロンドンのシーンがダメになりつつあるっていう人は少なくないですね。ただ外国人の視点からすると、なんだかんだ今でも面白いなって思いますけどね。
―「サウスロンドンが熱い」と、ここ最近よく言われていますけど。
吉田:南ロンドンのジャズシーンは、実際にかなり盛り上がっているみたいですね。僕自身は北と東が好きなので、あまり行ってないんですけど。北と東はシーンが面白いというより、単純に暮らしやすいんですよ。あと、ダルストンっていう街の周辺では、今も面白いイベントがたくさん開催されていて。Cafe Otoっていうエクスペリメンタルな音楽を専門で扱っているヴェニューがあるんですけど、そこはミュージシャンもたくさん集まってるし、「ここに行けば面白い音楽をやっている」とみんな知ってるから、内容よくを知らずにチケットを買うような人も多いんですよね。そういう場所が東ロンドンには少なくないと思います。
―今回のジャパンツアーでは、弦楽カルテットと共演する日もありますね。
吉田:日本でやるのは久しぶりですけど、弦楽四重奏とのコラボは定期的に続けてきたんですよ。僕が曲作りするときは、弦のアレンジを施せるような余地を常に残してるつもりで。弦のアレンジも自分でやっているんですけど、そのプロセスから学ぶことがすごく多いんですよね。自分がライブをやるときは、音源よりもアップリフティングな感じにしたいんですけど、それがうまくいかない場合もある。だから元々アッパーな曲をあえてメロウにしてみたり、展開を加えたり、弦楽器のアレンジをもっと派手にしたり……そういうことを試していくうちに、それまで気づかなかった曲の魅力が見えてきたりするんですよ。
―いいライブが見れそうですね。
吉田:原曲が識別できないほどドラマチックに変えるのではなく、あくまで原曲を弦楽器で華やかにするようなイメージで、楽曲の世界観をよりはっきりと表現できたらと思っています。
―最後に、ロンドンで音楽活動するうえでの心構えを教えてもらえますか。
吉田:まずは、共同生活に慣れることが大前提ですね。こっちで暮らすなら、よっぽど経済的に余裕がない限りフラットシェアは避けられないし、そこでいい加減な人と住んじゃったりすると、思いがけない問題も多く発生するので。あとは音楽が盛んで活動する場も多いですけど、ミュージシャンの母数も多いので、レベルも競争率も高いから、そのなかで存在感を示していくには相当の努力が必要になってくると思います。
<イベント情報>

Anchorsong Japan Tour 2019
2019年1月17日(木) 東京・新宿Marz(String Quartet Set)
2019年1月18日(金) 浜松・Planet Cafe
2019年1月19日(土) 名古屋・Club Mago
2019年1月20日(日) 大阪・Circus
<リリース情報>

Anchorsong
『Cohesion』
発売中
レーベル:Beat Records / Tru Thoughs
品番:BRC-582
価格:¥2,400+税
=収録曲=
1. Eve
2. Expo
3. Mother
4. Oriental Suite
5. Kajo
6. Monsoon
7. Butterflies
8. Rendezvous
9. Last Feast
10. Outro
11. Ceremony
12. Wolves *Japan CD Only
13. Diver *Japan CD Only