祝20周年。
ルイジアナで生まれ育ったごく普通の10代の少女の初レコーディング作品としては、なかなかの出来。大ヒットとなるタイトルトラックの作曲およびプロデュースを手掛けたのはマックス・マーティンだが、彼女があれほど悩ましげに「ウゥー、ベイビー、ベイビー」と歌わなかったら、これほど大ごとにはならなかっただろう。2000年にブリトニー本人から直接聞いたところによると、レコーディングの前の晩、彼女はSoft Cellの「Tainted Love (”what a sexy song”)」を聴いて過ごし、あの曲の雰囲気のお手本にしたそうだ。「自分の声をハスキーな感じにしたかったの」とブリトニー。「あの曲では声にグルーヴ感を出したかった。それで、前日かなり遅くまで夜更かししたもんだから、スタジオ入りした時には全然寝てなくて、その状態で歌ったら、すごく低い、艶っぽい声だったの、いい意味でね。わかるでしょ、低音をきかせるというか、すごくセクシーな感じ。
ブリトニーが「Tainted Love」のような雰囲気を狙ったのももっともだ。モータウン風ディーバを気取ったUKのアートかぶれが、吐息交じりに歌うニューウェイブ・デカダンス。彼女は官能的なキャバレー風のサウンドに、独特の南部風のうなり声を加え、まったく新しい方向性へと開花させた。「毎晩祈っていたわ」と本人。「『神様、お願いだから、家で聴いてるラジオ局で私の曲をかけてください』って。そしたら、ラジオから流れてきたの。そしたら急にニューヨーク中の主要ラジオ局でかかるようになった。あっという間にいろんなことが起きて、私はただ『ワオ』って感じだったわ。わかるでしょ?」
この曲は誰もが知る名作なので、1998年のクリスマスにMTVで最初に流れた当時、この曲がいかに奇妙で、波紋を呼んだかについては見過ごされがちだ。けばけばしいほど人工的で、メントス並みに非人間的。あれは何だ? スウェーデン人?スイス人?アイスランド人?はたまた地球外生命体?英語をよく知らない人間が書いたような歌詞だし――タイトルに、訳の分からない「...」がついている(個人的には「…」はできるだけ無視することにしている。ブリトニー風に言うなら、それが自分の特権だから)。
アルバムは全編にわたってヒット曲満載。「bop」や「banger」というスラングは当時まだ出回っていなかったが(訳注:どちらも”イケてるもの”というような意味)、個人的には「ソーダ・ポップ」がbopの元祖だと思う――シュガー・レイのように心地よい、不思議なレゲエ感。「E-メール・マイ・ハート」はアルバムの中で一番残念な曲だが(正直に認めよう)、ダイアルアップ時代最後の壮大なラブソングではある。AngelfireやGeocitiesの時代に生まれた、デスクトップのロマンスを歌ったバラードの中で、ブリトニーは意中の相手が自分に気があるかどうか知りたくて、何度も何度も更新ボタンをクリックする――いま我々がいつもやっていることと、そう変わりないだろう?ここでもまた、彼女は未来予想をやってのけた。
「(ユー・ドライヴ・ミー)クレイジー」はあからさまに、バックストリート・ボーイズの「ラージャー・ザン・ライフ」のバックトラックをそっくりそのままパクっている――マックス・マーティンよ、君にプライドはないのか?――だがそれが功を奏したのか、どちらの曲にも惹かれてしまう(ボーイズバンドが女性ファンたちに捧げた讃歌『ラージャー・ザン・ライフ』は完全なフェミニストソング。彼らのミューズ、ブリトニーと共通したテーマだ)。「クレイジー」は、メリッサ・ジョアン・ハートとエイドリアン・グルニエ出演のラブコメ映画『ニコルに夢中』の主題歌として使われ、MTVのミュージックビデオにもなった。
だが、知られざる名曲は「サムタイムス」だろう。この曲は、彼女にとって最も重要なセカンドヒットだった(1999年は一発屋があふれた1年だったので、最初のヒットを飛ばしてから2枚目をヒットさせるのは、ゼロからヒット曲を生み出すよりも難しかった)。どういうわけか、「サムタイムス」は今日忘れ去られた存在となっているが、のちに世間に知れ渡り、愛されるようになるブリトニーの人柄を「ベイビー・ワン・モア・タイム」以上によく表している。彼女はこの曲を、ごく普通のアメリカ人少女の声で淡々と歌う――最初のヒット曲では極力見せないようにしていた一面だ。ビデオでも、彼女はビーチをさまよいながら、キュートな男性を見つめてため息をつく(観光用の双眼鏡で、彼をそっと盗み見する)。桟橋でハート型に彼女を取り巻くダンサーたち以外は、誰もそのことを知らない。「サムタイムス」は彼女をメインストリームに押し上げ、一発屋で終わりかねなかったものを、ラスベガスの看板をしょって立つ大ブランドにまでもっていった。ブリンク182も、出世作「オール・ザ・スモール・シングス」では彼女をパロって有名になったのだ。この曲はまた、カメラに向かって目をぱちくりさせるブリトニー独特の動きが初めて世に出た作品でもある。
ブリトニーはアルバムのラス曲をソニー&シェールの「ザ・ビート・ゴーズ・オン」のカバーで締めくくり、ポップの偉大な歴史に名乗りを上げた。ブリトニーとシェールには深いつながりがある――ブリトニーがまだ幼いころ、地元のお祭りで熱唱したのが「イフ・アイ・クッド・ターン・バック・タイム」だった。ストーンズの「サティスファクション」(セカンドアルバムに収録。「シャツがこんなに真っ白になった」という歌詞を「シャツがこんなにキツくなっちゃった」に変更)に始まり、ジョアン・ジェットの「アイ・ラブ・ロックン・ロール」に至る、ブリトニーのかなり際どいカバー曲の伝統はここから始まった。「ザ・ビート・ゴーズ・オン」にはブリトニーがアルバムで試みたすべてが凝縮されている――自分自身を(そして観客をも)、ポップミュージックという物語に滑り込ませたのだ。歌詞にある通り、「歴史の新しい1ページがめくられた」。ラディダディディ、ラディダディダ。ビートは続くよ、どこまでも。
CDの最後に「ザ・ビート・ゴーズ・オン」がフェイドアウトすると、ブリトニー本人の声で感謝の言葉が流れる。「私が心から楽しんで歌ったのと同じくらい、みんなも私の曲を楽しんで聞いてくれたらうれしいわ!」そのあと、同じレーベルに所属するバックストリート・ボーイズの次回作を紹介する。「みんな、聞いてね!」ようするに、彼女のデビューアルバムは宣伝で幕を閉じるわけだ。
「この曲にはすごく思い入れがあるの」2000年、ブリトニーは初ヒットとなった曲のデモを初めて聞いた当時を振り返ってこう言った。「すごく嬉しかったの。だって世の中にいい曲はたくさんあるけど、自分自身の歌、それも自分の名前で出す歌で、自分らしさを表現できるなんてめったにないことだもの」それこそまさに、彼女がデビュー作で成し遂げたこと。その後も彼女はアルバムを発表し続け、いくつものヒット曲を叩き出し、それ以上にスキャンダルも数々振りまいてきた。だが『ベイビー・ワン・モア・タイム』で彼女は、この先も自分の居場所はここだと世にアピールした。