ここ数年のフロリダでは、コダック・ブラックやリル・パンプ、亡くなったXXXテンタシオンなど新世代のラッパーが次々と台頭している。そのなかで一目置かれてきたのが、1995年生まれでマイアミ出身のデンゼル・カリーだ。
1月に開催された初来日公演の当日、彼にインタビューを実施。南部シーンの系譜や昨年発表の3rdアルバム『Ta13oo』のほか、アニメへの好奇心についても語ってもらった。聞き手を務めたのは、音楽ライターの渡辺志保。

ーまずは、ラップを始めたきっかけから教えて頂けますか?

ラップを始めたのは6年生のとき。もともとは詩が好きで、幼稚園の頃から詩を書いたり読んだりしていたんだ。中学生になると、周りのみんながラップをするようになって、俺の詩への興味もラップの方に移っていった。「それ、どうやってるの!?」みたいに。試しにやってみたんだけど、全然上手にできなくてさ。7年生になると少しうまくなってきて、その時、仲が良かった友達が毎日(ラップ・)バトルをやっていたから、それがいい練習になったんだよな。俺が負けると、ムキになってしつこくバトルを仕掛けたりして。俺の性格をよく知ってる友達には、「あいつはナード(オタク)だから、ラップなんて上手いわけがない」と言われてたんだ。俺の喋り方とか、喋る内容、服装……そういうので判断されていた。
「あいつに期待してもしょうがなくね?」みたいな。だって、ラップは男らしくてサグいヤツがやるものだったから。

ー手応えを感じたタイミングや、ラッパーとして活動するに至った契機はどんなものでしたか?

10年生になる頃には本当に上手くなっていった。俺はアートスクールに通ってたんだけど、10年生でそれも辞めて、音楽にフォーカスしようかなと思うようになった。その頃、両親が別居したこともあって、自分の将来をもっと真剣に考えるようになったタイミングでもあったんだ。結局、俺は父親の元にいることを選んだけど、父親には「学校に通っている間は、(余計なことはせずに)家で宿題をして、静かにしてろ」と言われて。でも、その頃にはネット上でスペースゴーストパープの音楽に出会って、彼の音楽に夢中なっていった。しかも、彼が自分と同じ地元だと分かったから、オンラインでコンタクトを取って、スペースゴーストパープが率いるレイダークランのヤツらとの交流が始まったんだ。それがきっかけで、自分のミックステープもリリースした。そうしたら、すぐに自分のショウをする機会ももらえたんだ。

マイアミのレイダー・クランは、LAのオッド・フューチャーやNYのエイサップ・モブと共に、2010年代初頭を代表するヒップホップ・コレクティブ。その中心人物であるスペースゴーストパープは、2012年に1stアルバム『Mysterious Phonk: Chronicles of SpaceGhostPurrp』を4ADから発表。
現在も精力的に活動している。

最初はとても小さいスタートだったけど、2011年には初めてのソロ・ミックステープを出して、2012年には、音楽活動のことをもっと真剣に考え始めた。自分もメンバーとして活動していたレイダー・クランの仕事も忙しくなってきたし、俺も精力的にいろんなヤツらと曲を作るようになったんだ。例えば、JK・ザ・リーパー、メトロ・ズー、リル・アグリー・メインとか。そして、その頃にマネージャーのマークに色々と相談に乗ってもらって、彼が俺のヴィジョンを気に入ってくれた。それが『Nostalgic 64』(2013年に発表された、デンゼル・カリーの1stアルバム)をリリースするきっかけになったんだ。マークは今もずっと俺のマネージャーをやってくれてるし、俺の初ライブの時も一緒にいた。ほら、今、君の後ろにいる男だよ。とにかく、このアルバムは俺にとってかなりデカい出来事だったんだ。

ーレイダー・クランの活躍は、当時のヒップホップ・シーンにとっても衝撃的なものだったように思います。ユニークなサウンドで、アンダーグラウンドな動きをしながらも、オンライン上を中心に無数のファンベースが出来上がっていましたよね。

うん。
あの頃は、とにかく若いキッズがたくさんいた俺たちもとにかく楽しもうとしていたし、音楽に対してクレイジーなほどにのめり込んでいた。特に、(レイダー・クランの)全盛期はA$APクルーとのビーフも手伝って、話題には事欠かなかったと思う。それに、レイダー・クランたちは全ての新世代ラッパーたちに大きな影響を与えていると思うよ。

アンダーグラウンドなラッパーたちはもちろん、今、活躍しているメインストリーム系のラッパーたちにも、少なからず影響を与えている。俺たちにはそれぞれの戦略があったんだよ。地元でスタートして、確実にクルーやファンを増やしていきながら楽曲を量産するやり方とかね。レイダー・クランは2013年には解散してしまったけど、「Water World」がヒットしたクリス・トラヴィスや、ボーンズーー彼らもレイダー・クランの仲間だったけどーー、プーヤたちなんかはレイダー・クランの影響を受けながら、今のアンダーグラウンド・シーンで成功してる。そうそう、プーヤはもともとビデオグラファーでもあって、俺の最初のビデオはプーヤが撮ってくれたものなんだ。あとフェイマス・デックスも(※1)、もともとは俺のチームであるメトロ・ズーのクルーにいたルーベン・スリックがフックアップしていた。スーサイド・ボーイズ(※2)も、いつもわざわざフロリダに来てライブをやっていたんだ。

※1 シカゴ出身で1993年生まれのラッパー。リッチ・ザ・キッドのレーベルから昨年発表したアルバム『Dex Meets Dexter』の収録曲「Japan」がスマッシュヒットを記録。

※2 ニューオーリンズ出身のデュオ。ネット上で多数のリリースを重ねたのち、初のアルバム『I Want To Die In New Orleans』を昨年発表。

プーヤの2018年作『FIVE FIVE』

ー今や、フロリダのシーンは”新たなヒップホップのメッカ”とも言えるほど活発な動きを見せています。それに対してはどう思っていますか?

そうした変化に関しては、いいことだと思う。だって、ヒップホップ史においてフロリダは、そんなに注目を浴びる場所じゃなかったからね。今や、SoundCloudシーンがメインストリームになってるけど、それも、スペースゴーストパープや俺たちがやってきたことと繋がってると思うんだ。俺たちがSoundCloud上でファンを集めたことが起爆剤になった。俺も、「Threatz」や「Ultimate」がヒットしたのはSoundCloudのおかげだったからさ。それがきっかけで、XXXテンタシオンやスキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッド、スモークパープたちが活躍するようになっただろ。あとはリル・パンプにコダック・ブラック。だから、フロリダ、特にサウス・フロリダがシーンの中心地になって本当に嬉しく思ってるよ。2013年にレイダー・クランが解散するまで、本当に多くのキッズが「レイダー・クランは一体どうなってるんだ!?」って俺たちの地元までやって来てたからね。
あの時の青写真が、今はこうした形になっているのは嬉しいね。

それにもともと、フロリダではトリック・ダディ(※)が確立した王道スタイルがあった。黒いバンダナを頭に巻いて、同じようにベルトにもバンダナを通して、口の中にはゴールド・ティースを敷き詰めていただろ? あと、クレイジーなヘアスタイルもそうだな。俺たちもそういった地元のOGのヴァイブスを受け継いでいるし、それが周りにも派生しているんだと思ってる。あと、アニメTシャツ! 今じゃみんな普通に着ているけど、ラップ・ゲームにアニメを持ち込んだのも俺たちが最初だと思う。当時はみんな「何それ?」って感じだったけど、ロブ・バンクスや(レイダー・クランの)ザビエル・ウルフや俺なんかが、アニメ・ネタを積極的に取り入れていったんだ。

※サグ(Thug)と呼ばれるギャングスタ・スタイルを代表する、マイアミ出身のベテランラッパー(1974年生まれ)。

ー先ほど名前をあげてくださったリル・パンプら、地元の次世代ラッパーたちへの責任感や、自分がシーンを率いていかねばならないというプレッシャーはありますか?

ノー。そういった責任感は全く感じていない。とにかく、自分が正しいと思ったことをやるまでだ。音楽においても、自分が自分をどう描いて表現していくか、ということに尽きると思う。俺は誰にも干渉しない主義だし、気にならないからね。


ーフロリダ出身のラッパーには、特に生き急ぐ感じや、厭世観を強く感じることが多いように思います。あなたの歌詞にも「its a Miami no Moonlight(これがマイアミ、『ムーンライト』は当たらない)」というラインがありますよね。ご自身の故郷をどのように捉えていますか?

マイアミってそういうところなんだよ。サウス・フロリダは特にね。18、19、20歳の頃に友達を亡くすことも珍しくない。25歳まで生きられたら本望、っていうことも多い。俺はポジティブな人たちにーー特に俺の両親ーーに育てられた。俺がこうして生きている理由は、自分の母親と父親のためっていう感覚もあるね。

そうそう、俺の地元は、ドキュメンタリー番組の舞台になりそうなところだよ。ビーチもあるし、景観はとっても美しい。シティに行けば独特のカルチャーを感じることができる。フロリダは島だから(※正確には半島)、リッチな白人も多いし、ツアーにくる人たちも多いんだ。住んでいる白人のうち、大半はユダヤ系。そして、キューバからの移民もたくさんいる。俺が生まれた南東部は、特にキューバやハイチからの移民が多い場所。その代わり、色んなコントラストやリアリティがある。

上述の歌詞は、『Ta13oo』収録曲「Switch It Up」のもの。

ー今はLAに拠点を移していますよね?生活はどのように変わりましたか?

毎日スタジオにいる。ていうか、わざわざ外に出なくてもすむように、自分の家の中にスタジオを作ったんだ。朝、彼女が仕事に行くと俺はスタジオ部屋に移動して作業を開始する。LAに引っ越して、生活はよりベターになったかな。さっきも言ったけど、俺は誰かに干渉するタイプじゃないから。誰とも話さず、自分のことに集中するだけ。

ー昨年リリースしたアルバム『Ta13oo』についても聞かせてください。全部で3部構成になっていますが、このアイディアはどこから?

最初は特に目標も定めずに作り始めていって、とりあえずテーマは「ダーク」にしようと思っていた。それで、実際に制作をスタートさせて行ったんだけど、自分の人生における幸せな瞬間とダークな瞬間のコントラストを描きたいと思い始めた。それで出来上がったのが「グレイ」なんだ。アルバムの中で「グレイ」の部分がもっともリアリティを反映した内容になってると思う。そして、誰もがハッピーだと感じるような曲を「ライト」にまとめた。同時に、「ライト」では自分は何者か、ということや、自分が満足に思っている状況なんかを描写した。もともと、「ダーク」「グレイ」「ライト」の順番で構築しようと思ったんだけど、じっくりと作品を作り上げていくうちに、順番を逆にしたいと思ったんだ。

ー「ライト」からスタートして「ダーク」で終わるコントラストが見事だと思いました。

基本的に、みんな「グレイ」を気に入るんだよね。もちろん、みんなリアリティ(現実)世界を生きてるんだからそれは納得できるだけど。でも、「ダーク」パートはそうじゃない。アルバムを作り終えた時、とても満足だったけど、でも、アルバムの”終わり方”も自分の他のアルバム作品とは違うタイプにしようと思ったんだ。それで、最後の最後に曲の順番を入れ替えて、とても暗くて恐ろしいトーン、つまり「ダーク」の世界観でアルバムを終えることに決めたんだ。そして、マネージャーやプロデューサーと「これはこの日に出そう」って話し合いながらアルバムの三つのパートを分割してリリースしたんだ。チームとしての努力の賜物って感じだったよ。とにかく、アルバムのアイディアに関してはプロットを熱心に練っていった。全体的に、制作にはいつもより長い時間を掛けた。曲を作り終わった後も、エディットやマスタリングにもじっくり向き合って作ったアルバムだよ。

デンゼル・カリーが明かす、レイダー・クランからXXXテンタシオンへ連なるシーンの歩み

Photo by Ryota Mori

ー本作では、自身の痛みや感情、成長などが描かれています。特に「Clout Cobain」は現代社会における強烈な風刺としての性質を持つ一方、若いリスナーにとっては共感できるアンセムにも感じます。あなたの楽曲を、まるでセラピーのように享受している若者も多いのではないかと思いますが、ファンのリアクションはどうでしたか?

確かに、その点に関してはたくさんのDMをもらうよ。大半が若い男性のリスナーだね。『Ta13oo』に関しては、ファンの反応も一曲ごとに異なるんだ。まず、前作のEP『13』とも全く異なる仕上がりだし、『13』のようなテイストが好きなリスナーは新しい方向性を受け止められなくて、『13』の世界観に留まってしまっているような感じ。逆に、『Ta13oo』を気に入ってくれるリスナーは「デンゼルが歌ってる!」「ラップの速度も速すぎなくて聴き取れる!」「前ほど叫んでないな!」とか、俺がアーティストとして成長していることを喜んでくれいて、バッチリハマってると思う。俺は、自分のメンタリティをアルバムに落とし込んでるんだ。もちろん、全員が俺のことを理解してくれるわけじゃないし、俺だってそれを強制するつもりもない。だから、気にいるかどうかはみんなの好きにすればいいよ。

ー『Ta13oo』の1曲目は、同タイトルの表題曲からスタートしますが、これは幼い頃に性的虐待を受けていた女性をテーマにした曲ですよね。この曲でアルバムがスタートするという点においては、特別な意図がありましたか?

女性を取り巻く環境においては、たくさんの出来事が起こってるだろ。例えば#MeTooの運動とか、まだ子供の年齢なのに、それをいいように利用されて性的虐待を受けてしまう事例とか……。

ー最近だと、ドキュメンタリー番組の「Survivng R.Kelly」も話題になりました…。

そうなんだけど、R・ケリーの騒ぎの前から、こうしたことは個人的にも身近な問題だったんだ。でも、俺はそうした経験も、自分の言葉で(人とは)違うやり方で表現することを知った(※デンゼルは、幼い頃に成人男性によって性的虐待を受けていたとラジオ番組で告白したことがある)。だから、今の俺があるんだ。でも、こうやってシリアスな話題を歌っているけど大半のリスナーには、ただこのアルバムを楽しんでほしいと思ってる。どのみち、俺は自分のメッセージを発し続けるということには変わらないんだから。その伝え方が、前よりも多様的になってるけどね。

ー今年も始まったばかりですが、今後の予定は?

2019年はとにかく楽しむつもり。シリアスになる瞬間もたくさんあるだろうけど、実際の生活においては、もっと遊んでいたいって感じかな。『Ta13oo』の中には、本当にリアルな社会問題や真剣に考えてほしいトピックを詰め込んだ。だから、今は俺も楽しむ方に切り替えていきたいね。でも、すでに新作の制作には取り掛かっているよ。俺はノンストップだから! 実際にレコーディングしていない時でも、常に次の曲のことを考えて、リリックを書き進めてるからね。

ー先ほどもアニメの話題が出ましたが、リリックからも、日本のアニメに大きな影響を受けていますよね。アメリカのカルチャーと日本のカルチャーが融合している感じがして、個人的にもとても嬉しいなと思っています。

俺自身、日本のアニメ・カルチャーにどれだけ影響を受けたかわからないし、日本のアニメはアメリカのユース・カルチャー自体にも大きな影響を与えていると思うよ。アメリカの子供は、みんな日本のアニメに夢中だから。あと、俺の父親はもともと海軍にいて、横須賀に住んでいた時期もあったんだ。その時、まだ俺は日本に行ったことはなかったんだけど、そうした事実もあって、俺は日本のアニメが好きなったのかもしれない。今は『ワンパンマン』にとにかく夢中。主人公は、とにかく”すべてのアニメ・ヒーローがこうあるべき”って姿を具現化したようなキャラなんだ。超強くて、どんな重いものでも持ち上げられる。そして、倒せないヤツはいない。俺みたいだろ(笑)? 俺は全員をワン・パンチで打ちのめす(笑)! ストーリーも、”チャレンジ”を軸に進行していくんだ。それが一番好きなところかな。しかもコメディ・タッチで、マジで笑っちゃうんだよ。

俺はいまだにマンガ・ブックを集めたりしてるし、自分でイラストを描くこともある。「TOONAMI」(アメリカのアニメ専門チャンネル)を観まくってるし、「ドラゴンボールZ」のフィギュアも集めてるし、俺がいかにアニメ好きかを話すと止まらないよ。

『Ta13oo』収録の「Super Saiyan Superman | Zuper Za1yan Zuperman」では、曲名通り『ドラゴンボール』の超サイヤ人に言及している。

ー「SUMO(相撲)」というシングルをリリースした時にはびっくりしました(笑)。しかも、”リキシ(力士)”というフレーズも入っていて。

実はWWFを観て、「Rikishi(リキシ)」って名前のレスラーがいると知って閃いたんだ(笑)。もちろん、「SUMO」は今夜の東京公演で披露するよ。

ー最後に、ラッパーを目指している日本の若者に向けてメッセージをお願いします。

とにかく集中すること。自分のしたいことを見極めて、計画を練って実行に移す。それに尽きるよ。

デンゼル・カリーが明かす、レイダー・クランからXXXテンタシオンへ連なるシーンの歩み

デンゼル・カリー
『Ta13oo』
Concord / Loma Vista / ホステス・エンタテインメント
発売中
詳細:http://hostess.co.jp/releases/2018/10/HSU-10228.html
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