デスコア、メタルコアを基軸にしつつ、ドラムンベースやダブステップ、EDMを食うことで感情の堤防を決壊させていくCrossfaithの音像。デスコアから始まり、メタルコアやオルタナティヴ・メタルも消化しながら、本作ではトラップ以降の現行ポップ・ミュージックにまで接近したブリング・ミー・ザ・ホライズン。歩んできた道は違うものの、2000年代初頭から「ロックが獲得すべき新しい音像」を獲得すべく進んできた点で言えば同線上に立っている2バンドである。その線を改めて辿りながら、『amo|アモ』に関する話だけには留まらず、世界の音楽の中で2019年のロックバンドがどこに座標を置いているのかにまで言及してもらった。
ーCrossfaithは2006年から活動を開始して、ブリング・ミー・ザ・ホライズンとともにツアーも回ったことがある仲ですよね。当初の音楽性も含めてお互いを近く感じられているかと思うんですが、Koieさん自身は、ブリング・ミー・ザ・ホライズンをどういうふうに聴いてこられたんですか。
音楽的な影響はかなり受けてきたと思いますね。俺個人は『SUICIDE SEASON』(2008年)から入ったんですけど、俺ら世代のバンドで影響を受けていないヤツはいないんじゃないかと思ってて。それくらい、作品を出すたびにフォロワーを生んでいくバンドというか。それこそ前作の『ザッツ・ザ・スピリット』の後なんて、みんながこぞって彼らの真似をしてたじゃないですか。Red(米・テネシー州のバンド)の曲なんて、そのまま「Throne」やん!って(笑)。
ー(笑)。
そうそう。その後に続こうとするバンドが本当にたくさん出てきたし、ブリング・ミーもそういうスケールアップをちゃんと意識してたと思うんですよ。そう考えたら、今回の『amo|アモ』はある種突き放したアルバムのようにも感じて。
ー打ち込みが多用されて、ダンス・ミュージックへのアプローチも増えましたよね。アルバム後半のトラックは、トラップ以降の影響も色濃いわけですが。突き放した作品というのは、そういう音楽的な部分の話ですか。
そうですね。もちろんラウドな楽曲も入ってはいますけど、まさにそういう音楽的な変化も含めて、ブリング・ミー側からの音楽業界全体への投げかけや疑問を感じたんです。バンドとしてフォローできるところにはいなくなってしまったとも感じるし、その変化スピードも全部含めて、ロックっていうジャンルの中で最重要と言えることをしてるなと。思い返すとーー2013年かな。
ーメタルコアからの脱却とも言えるような、スクリームやデスヴォイスだけでなく歌へのアプローチが激増した過渡期の作品でしたよね。
そうそう。でもライブを観たら、やっぱり明らかに他のバンドとは違うベクトルを持ってるバンドやなって感じたんですよ。音楽的な進化スピードは、常に自分達の先頭を行ってる。だけど表現としては常に、今のラッパーのように自分の内面を抉って切り売りしている。たとえば3rdアルバムの『There Is a Hell~(Believe Me Ive Seen It. There Is a Heaven, Lets Keep It a Secret.)』も僕は大好きなんですけど、彼ら自身はぶっちゃけそんなに気に入ってないって言ってたんです(笑)。実際、その時期に日本に来た時のライブはよくなかったし、オリヴァー(・サイクス/Vo)も精神的に不安定やった時期で。だけど、それを経て乗り越えたからこそ、音楽的にも自由になってメタルコアの範疇を抜け出していったと思うんです。やっぱりブレイクダウンの入れ方とか音楽的な部分で影響は受けてきましたけど、彼らの変化スピードを見て、「影響を受けてきた」と言う以上に自分達のオリジナルを作るためのことをしようっていう意識にはなりましたね。
ーブリング・ミーって、ブレイクダウンを入れるにしても、いわゆるメタルコアのセオリーとは違うタイミングや音色を用いてきましたよね。
そうなんですよねえ。そういう面白さや驚きが毎回あったから、メタルコア時代からも他とは違う立ち位置を作ってこられたバンドなんやろうなって。そういうアップデートを毎回遂げてきたことを考えると、今作で最早ロックバンドの範疇すら更新して圧倒的な変化を遂げたのもよくわかるんですよ。しかも、これは軽い言い方にはなりますけど、今回はどの部分をとってもやる気が伝わってくるアルバムなんですよね(笑)。
ーははははは。でも、よくわかるお話です。サウンドプロダクションも細かいし、王道のラウドな楽曲でも、実は音の重なりがとても繊細で。
そう、すごくキメ細やかな音作りになってる。きっとお金と時間をかければ、他のメインストリームのバンドも作れる音なのかもしれないんですけど。だけど、エクストリームでラウドな音楽性から始まったブリング・ミー・ザ・ホライズンが作品ごとに変化と進化を果たして今この音を作り上げたからこその感動があるんですよ。
ーでは、彼らが『amo|アモ』で音楽業界への疑問符を投げかけたと感じたのは、どういう部分だと思ってます?
サウンド面を時代に適したものにガッツリ変化させつつも、Oli(オリヴァーの愛称)が歌っていることは変わらず、内面の痛みやったり苦しみの部分やったりで変わっていないんですよ。
ーというと?
今のロックって、「世界を救う」みたいな偽善的なものが多いんですよ。音楽的にも、いろんなバンドがイマジン・ドラゴンズ化していくばっかりで(笑)。だけど、もっと俺らにはできることがあるやん!っていうブリング・ミーなりの意思表示やと思ったんです。サウンド面は変化したけど、ブリング・ミーが伝えたいことは変わらない。言ってみれば、彼らのメッセージって知らない人からしたら全然意味のないことなんですよ。オリヴァーは未だにパーソナルな悲しみを綴って、この苦しみをどうにかしてくれと歌ってる。そんなこと歌っても世界は救われないわけですよ。だけど『トレインスポッティング』っていう映画もまさにそうじゃないですか。人の内面のドロッとした部分とユースカルチャーのマッシュアップのような作品で。だけど、言ってみたら「意味がない」と思われるようなものに人生を左右された人もたくさんいる。この『amo|アモ』もまさにそういう作品になってると思ったんですよね。
ー『トレインスポッティング』には、カサブタを剥がさないと気が済まない人達が描かれていると思っていて。だけど、痛みで命を実感するだけじゃなく、そこにある愛にだんだん気づいていく物語だなと思うんです。オリヴァーが今作で歌っているのも、そういう感覚を覚えるものですね。
そうなんですよね。だからこそ、ブリング・ミー・ザ・ホライズンを聴き続けてきた子達ーー悲しくてしょうがない子や、それこそ自傷癖のある子達が、ブリング・ミー・ザ・ホライズンと一緒に大人になっていくストーリーがそこにある。そうやって人とともにストーリーを作っていくことをしたバンドが最近はいなかったと思うんです。どうやったらフェスのトリを取れるんやろうとか、どうやったら売れるんやろうとか、そういうことを考えているバンドが多いですけど……でもブリング・ミーはそうじゃない。自分達のメッセージは変えずに自然と成長していってるんですよね。レイヴカルチャーを感じさせる曲もあるし、「ヘヴィー・メタル」ではラゼールをフィーチャリングしてますけど、その人選も、ただ流行りでラップを取り入れるだけじゃなくて自分達の音楽にしようとしている姿勢が見えて。
ー「ヘヴィー・メタル」という曲は、ブリング・ミーのこれまでとロックそのものを批評する歌にもなっていて、押韻とラップが山盛りになっている。この痛烈さが今作での大変化を象徴してますよね。
ほんまにそうですよね(笑)。
ーそれは、Crossfaithのロック観であり音楽観でもあるんですか。
俺らは、サイバーな世界観を歌ったり鳴らしたりして、それを通して人間へのメッセージを伝えられるかどうかのバンドやと思うんです。ブリング・ミーが『トレインスポッティング』なら、ハリウッド映画をやりたいのが俺らというか(笑)。ただ、ベクトルは違えど、根底にあるロックへの想いは一緒やと思いますね。ロックバンドやってるのに、なんでわざわざ綺麗なことをせなあかんねん!って。
ーブリング・ミー・ザ・ホライズンは、前作の『ザッツ・ザ・スピリット』に至るまで、ビートミュージックをロックとしてどう消化するのかという楽曲も増やしていきましたよね。だけど今作『amo|アモ』では、完全に従来のロックサウンドから逸脱したビートとリズムに重心がある。で、Crossfaithは、ハイパーな要素をあくまでロックとしてどう食えるのかという挑戦と実験をしてきたバンドだと思っているんですね。そういう立場からすると、この『amo|アモ』を聴いた上で今ロックバンドが果たすべきアップデートはどういうものだと思ったんですか。
ああ……まさにそれは俺も考えましたね。「ロックというフォーマットであり続ける必要はない」ってオフィシャル・インタビューでオリヴァーも語ってましたけど、俺もほんまにそう思ったんです。それに、ロックをやっている人達の中にも実は「ロックっていうフォーマット自体がもう限界なんじゃない?」って思ってる人は多いと思う。たとえばブリング・ミーはデスコアから始まり、メタルコアになり、メインストリームなスタジアムロックになり、そこからまた投げ捨てて作り上げていった姿勢がある。アウターの部分というよりも、その姿勢が何より大事だと思わされたんですよ。そんな自分達がより一層激しいサウンドになるのか、もっとダンスミュージックに接近していくのかはわからないんですけどーーだけど、そうやって作って壊してきたからブリング・ミーは最重要なバンドになったと思うし、何もかも投げ売って新しいものを作ればいいんだよって世界中に言ってくれているバンドな気がしますね。それこそブリング・ミーもダンス・ミュージックに接近した曲が増えてるし、実はどんどん自由になってプリミティヴな衝動に還っていってるっていう見方もできる気がしてて。
ー原始的な衝動を解放するという点ではラウド・ミュージックとダンス・ミュージックはそもそも接続しやすいものでもありますし。
ダンス・ミュージックもラウド・ミュージックも、基本的には若者のための音楽じゃないですか。ダンス・ミュージックもラウドも、言葉にできないような感覚を外に出して分を破壊することで正直になるための音楽としてリンクしていると思うんですよね。で、ここ10年っていうのは、ロックバンドがアウターの部分だけにこだわり過ぎていたと思うんですよ。そこから新しいサウンドを見つけようとした時に、俺らのようにダブステップを取り入れてみたり。だけどそれをやってみても、伝えたい中身がないならそもそもバンドである必要がないんですよ。カッコいいだけの曲ならクリエイターが作っていればいいわけやから。だけど、それを誰がプレイするのが重要なのか?っていうふうになっていくのがこの『amo|アモ』以降やと思うんです。中身を伝えるためにアウターを変えていくことが重要なのに、アウターだけを作り込むことで時代に寄り添おうとするだけになってしまったから、今の時代のロックバンドから魅力がなくなっていったんじゃないかと思ってて。それによって、実際今は「ロックは死んでる」って言われてしまっているわけじゃないですか。オリヴァーも、インタビューで「ロックとしてのアイコンはもう生まれてきていない。もはや新たなパンクはヒップホップになっている」ってハッキリ言ってましたけど、それはつまり、結局自分の身を削って表現したものじゃないと誰も共感してくれなくなったっていうことやと思ってて。
ー今のラップ・ミュージックは音楽的な部分だけでなく、身を削った表現としても非常にリアリティを持っていると。
そもそも黒人の文化だったヒップホップに対して、白人のラップ・ミュージックがカウンターカルチャーとして盛り上がったのもそういうことやと思うんです。白人のラッパー達が内省的な表現をしていくことに救われた人達が確実にいたわけですよね。黒人文化の中で生まれたヒップホップにおいて、そもそも白人の人達は不利だったわけじゃないですか。そういう逆境の中で歌うのが半径5メートルのことばかりなわけですけど、結局、共感と感動を生むのはそういう肉薄した表現で。日本でも既にヒップホップが「流行り」の域を超えている状況があるわけですけど、やっぱり自分の人生を切り売りする覚悟がどれだけあるか、そのメッセージを届けるために音楽があるっていう考え方が今だからこそ大事だと思うんです。で、そういうカルチャーが盛り上がれば盛り上がるほど、アンダーグラウンドには「なんであんなダサいもんが売れてんねん」って言うヤツらも増えてきて、それもシーンの活性化になっていくわけですよね。
ーロック、ひいては音楽自体がカウンターによって転がってきたところは間違いなくありますからね。
そうそう。で、俺達が音楽を始めた時にもそういう感覚があったんです。メインストリームにあるものなんて全部クソじゃ!みたいな。で、そういう地下でこそ精神性の伴ったものが燃え滾ってるんじゃないかと俺は思うんですよ。そういう意味で言うと、ロックに限らず音楽そのものにどれだけ精神性が宿っているかが問われてる時代な気はしていて。で、逆説的ですけど、このブリング・ミー・ザ・ホライズンのアルバムはロックの範疇を抜け出しているからこそ「ロックとはなんぞや?」っていうことを改めて考えさせられるんですよね。まあ……ブリング・ミーって歌の内容を聞いてたらイタいんですけどね。言ってみたら大メンヘラですよ(笑)。
ーははははははは。そうですね。
だけど、そんなこと普段は言えないっていうことを叫ぶために俺らはロックをやってると思うから。……これはブリング・ミー・ザ・ホライズンと一緒に2013年のワープド・ツアーを一緒に回ってた時のことを思い返していて気づいたんですけど、オリヴァーがより内面的な方向に行ったのは当時のワープド・ツアーが大きかったんじゃないかと思うんですよ。
ーそれはどうしてですか。
アメリカのワープド・ツアーって、当時から似たバンドばっかりやったんですよ。♪ズズズズン、ドゥンドゥドゥン!っていうバンドしかいなかった(笑)。でもその中で、オリヴァーは駐車場で一人だけ寝転がって「興味ない」みたいな感じで本を読んでたんです。で、全部一緒と思ってしまうバンド達と2カ月くらいツアーをしていく過程で、「俺は何してんやろ?」と思って自分の内側に向かって行ったんじゃないかなと。……それに、日本のフェスを観ていても、同じようなメンツが多くてまさに画一的じゃないですか。意志がないままのフェスやイベントが増えていくと、どうしても一緒みたいなバンドばかりになってしまう。俺はそれがキモいと思うんです。まあ、こういうことを言うと怒られてしまいそうやけど(笑)。でも、好きなものと嫌いなものをハッキリと表明するのが俺達にとって大事なことじゃないですか。
ーそうですね。それに、言ったら怒られるかな?と思うことでもハッキリと言えるからロックバンドをやられているわけですよね。
そうなんですよ。普段言われへんことを言うためにやってる。それなのに、みんな何故イイ子ちゃんをしてるんやろ?って思うんです。こうしてロックバンドをやっている立場としても、ヒップホップを聴いてる人が「ロックバンドなんてダサい」って言うのがわかるんですよ。みんな同じカッコで同じような動きして、同じようなディッキーズを穿いてーーやっぱりそれは気持ち悪いですもん。逆に言えば、日本独自の文化なのかもしれないですけどね? でも、ロックがあまりにクリーンになり過ぎてしまった気がするんですよ。
ーロックがクリーンになり過ぎてしまったのは何故だと考えられてます?
日本って、全体としてはそこまで貧しい国ではないじゃないですか。で、音楽っていうのは「ちゃんとした生活」があってこそ成り立つものやと思うんですね。だけど、その生活の部分だけで満たされてしまっている人達が多い国なんやと思うし、だからただクリーンなだけのものが好まれやすいのかなって。
ーCrossfaithで言うと、直近のシングルや『EX-MACHINA』で2020年の東京、近未来をテーマにして、よりハイパーな音像と人間の凶暴性を融合させる音楽へと向かったと感じていて。そういう視野を持ったKoieさんからすると、汚いものや歪なものが廃絶されて単にクリーンなだけの世界になっていく向きにはどういう気持ちがあるんですか。
ああー、そうですねえ。でも、綺麗にならされていくものが多くなるからこそ反発しようとする動きも強まっていくと思っていて。そういう意味では、より一層二極化していくと思うんですよ。規制と抑制は音楽に限らずいろんなところで既に進んでいるじゃないですか。たとえばYouTubeで言っても、何かの陰謀論を扱った動画が「おすすめ」の欄に上がってこないようにされているとか。でも、表向き綺麗な世界にしようとしたって、結局は人の心が崩壊して、一気に爆発するタイミングはどこかで必ず来るんちゃうかなと個人的には思ってます。
ーKoieさんが最初にヘヴィな音楽に惹かれたきっかけも、何かしらに心が縛られていると感じたり、外的な何かへの反発だったりしたんですか。
そうやと思いますね。どうしても自分自身に満足できてなくて、コンプレックスも強かったんです。それが中学2年生くらいの時で、スリップノットの『アイオワ』を聴いたのが最初やったんですよ。「People=Shit」って歌ってるヤバいヤツおるぞ!って思って(笑)。
ーこんなこと言ってもいいんだ?っていう。
そうそう。「俺はこんなはずじゃないねん」っていう自分の気持ちがあった時に、激しい音楽で好き放題ボロクソ言ってるヤツがむちゃくちゃカッコよく見えた。そういうニヒリズムを強烈に持ってたし、心が落ち着いている時には、なかなか激しい音楽は聴かないじゃないですか。だから、激しい音楽に心惹かれたのも当時の自分がかなりイラついてたってことやと思うんですね。中学生の時はイジめられたこともあって、俺は今でもヤンキーはファックやと思ってるんですけど……あの当時の激しくてラウドなロックは、俺にとって「頭の中であいつらを殺す方法」やったんです。
ーよくわかる表現です。
自分の唯一の味方が音楽やったんですよね。なんなら、同級生やったTeru(Program, Vision)に心配されましたもん。「こいちゃん、”People=Shit”なんてヤバいの聴いて大丈夫!?」って。なんなら、Teruは彼の親に相談したって言ってましたからね、「こいちゃんがヤバい音楽聴いてる!」って(笑)。
ーははははははは!
(笑)やっぱり、その曲を聴いてる間だけは自分が最強やって思える感覚は、ロックでしか味わえないものなんですよ。そういう尖り方はいつまでもロックにあってほしいし、さっき言ったように人の心が軋んだり崩壊したりするタイミングがどこかで必ず来る。そういう時に必要とされるのが本当のロックやと思うんです。その役割は今ヒップホップが担っているのかもしれないですけどーーそれも、ロックがただ”みんなのもの”になってしまって、フェスを象徴に商業的なものになった結果やと思うんですよ。でもブリング・ミーの『amo|アモ』は、メインストリームでやっていけるだけのポテンシャルを持った楽曲と、今も変わらず根底に痛みがある歌の両面を持っているアルバムやと思うんです。ただ、この作品だけを切り取るというよりも、ブリング・ミー・ザ・ホライズンっていうバンドの歴史自体がその相反する面を両立しようとしてきた道程やと思うんです。まあ、やっぱりどの音楽も「みんなのもの」になり過ぎた瞬間に、誰に伝えようとしているのかが薄まることは確実にあって。ロックは今そういう時期にあるのかなっていうのは思いますね。
ーそれに、「みんな」という言葉の意味するところが変化したのも大きいと思うんです。いろんなツールによってお互いに顔の見えないコミュニケーションが増えた今、「みんな」という概念がさらに漠然として巨大なものになり過ぎてしまった気がするんですね。その結果、音楽に限らず誰に何を伝えたいのかが薄まってしまうことが増えたり、ただマウントの取り合いにしかなっていなかったり。
自分が何を歌いたいのか以上に外的なことばかりに気を取られてしまいやすくなったと思うし、自分が伝えたいことを貫いた結果として、それが誰かの代弁になっていくものやと思うんですよ。で、イタくても心の内側の悲しみや苦しみを歌い続けてきたブリング・ミーは若者の代弁者になってきたわけで。その中で、ともに成長していける人が増えていくんですよね。それで言うと、Crossfaithの曲はブッ飛び過ぎていて感情移入しにくいんかな?っていう気がするんですよ(笑)。
ー失礼な言い方かもしれないですが、そういうシビアな自己認識があるのは結構意外でした。
ありますねえ。俺はやっぱり、俺みたいなヤツに対して歌っていたいんですよ。俺はこんなんちゃうねん!って思って悶々としているヤツが、その気持ちを超えていけるように歌いたい。だからこそ、俺個人もちょうど自分の歌の表現を模索してるのが今なんです。オリヴァーも最初はピッチスクリームだけやったのが、元々持っていた繊細な声を上手く活かしていて。それを聴いて、より一層自分の歌を見つめ直しましたね。たとえばバンド関係なく俺がソロで作品を作ったら、結構暗いラップばっかりになると思うんですよ。だけどCrossfaithっていうバンドがやるべきことはそこじゃないって思ってるし、そこで歌う人間としての歌を追求していきたい。だけどいつでも忘れていないのは、自分みたいなヤツに歌うからこそ説得力が生まれるってことで。自分みたいなヤツに向けて歌うからこそ人に響くんやって……俺は今も信じてるんです。
「ONE MAN TOUR 2019 – EX_MACHINA CLIMAX -」
3月17日(日) Zepp Osaka Bayside
3月19日(火)Zepp Nagoya
4月7日 (日)Zepp Fukuoka
4月12日(金)、13日(土)Zepp Tokyo
http://crossfaith.jp/top

New Album『amo|アモ』
ブリング・ミー・ザ・ホライズン
ソニーミュージック・インターナショナル
発売中
収録曲
01. i apologise if you feel something | アイ・アポロジャイズ・イフ・ユー・フィール・サムシング
02. MANTRA | マントラ
03. nihilist blues feat. Grimes | ニヒリスト・ブルース feat. グライムス04. in the dark | イン・ザ・ダーク
05. wonderful life feat. Dani Filth | ワンダフル・ライフ feat. ダニ・フィルス
06. ouch | アウチ
07. medicine | メディスン
08. sugar honey ice & tea | シュガー・ハニー・アイス&ティー
09. why you gotta kick me when im dow? | ホワイ・ユー・ガッタ・キック・ミー・ホエン・アイム・ダウン?
10. fresh bruises |フレッシュ・ブルーゼズ
11. mother tongue | マザー・タング
12. heavy metal feat. Rahzel | ヘヴィー・メタル feat. ラゼール
13. i dont know what to say | アイ・ドント・ノウ・ホワット・トゥ・セイ
●アルバム購入リンク
https://SonyMusicJapan.lnk.to/BMTH_amo_jpRo
●海外オフィシャル・サイト:
http://www.bmthofficial.com
●日本オフィシャル・サイト:
http://www.sonymusic.co.jp/artist/bringmethehorizon
Summer Sonic 2019
ブリング・ミー・ザ・ホライズン出演日程
8月16日(金)大阪
8月17日(土)東京
http://www.summersonic.com/2019/