ジェイムス・ブレイクの最新作『Assume Form』の日本盤が2月27日にリリースされた。海外では先月発表された同作には、トラヴィス・スコットやロザリア、モーゼス・サムニーなど豪華なゲストが参加。
今夏のフジロック出演とともに国内でも話題を集めている。『Jazz The New Chapter』シリーズで知られるジャズ評論家の柳樂光隆が、独自の切り口からニューアルバムの魅力に迫った。

ジェイムス・ブレイクの新作『Assume Form』を聴いたら、素晴らしくて虜になってしまい、しばらく繰り返し聴いていた。彼のアルバムをこんなに何度も聴き返すなんて久しぶりだ。実のところ、ここ最近の僕はそこまで熱心に彼の音楽を聴いていなかった。

2011年のデビュー作『James Blake』が出たときは驚いたし、得体のしれないサウンドに憑りつかれたのを覚えている。
しかし、その後に発表された2013年の『Overgrown』、2016年の『The Colour in Anything』に関しては、デビュー作ほど夢中になることはなかった。

『James Blake』ではものすごく少ない音数と、それが生み出す空間の大きさや奥行きの深さ、特徴的なベースサウンドを含めた音のレンジの広さなど、明らかに異質でエクスペリメンタル寄りな、ポップの枠には収まりそうにないサウンドが鳴っていた。それなのに、彼のヴォーカルと声の加工、胸を締め付けるメロディー、悲しさや寂しさが突き刺さってくるようなエモーションが組み合わさることで、特異かつ常識離れしたサウンドも「歌もの」として聴けてしまう。それはもはや、マジカルとしか言いようがないものだった。

出自を辿ればポスト・ダブステップ系のプロデューサーである彼が、ビートを組むような感覚はそのままに、あんなサウンドを生み出してしまったのは驚異的ですらあったと思う。(彼の音楽の特徴でもある)重低音が聴きとれない程度の、大して音質のよくないイヤフォンで聴いたとしても、心がざわざわして落ち着かなくなるほどだ。
いまさら僕が言う必要もないのだろうが、名盤であることは揺るぎないと思う。

その作風も『Overgrown』から『The Colour in Anything』にかけて、少し変わったように思う。ソングライティングはより洗練され、歌とサウンドの整合性も取れたものになり、「歌もの」としてバランスの良い作品にはなっているのだが、サウンドのユニークさという点では後退しているようにも感じられた。その都度のトレンドを取り入れ、気の利いたゲストを招くなど、時代の寵児となったジェイムス・ブレイクだからこその二作ではあったと思うが、あのマジカルな体験に震えた身としてはいささか物足りなかったのかもしれない。

ただその一方で、アルバムを重ねるごとに歌やメロディーは研ぎ澄まされ、ジェイムス・ブレイクの作家性がどんどん色濃く宿るようになったのも事実だ。デビュー作にあった変質的なビートへのこだわりが薄らいだ反面、メロディーメイカーとして、もしくはシンガーとしての成長ぶりもしっかり感じられた。
2016年辺りを境に、ビヨンセやフランク・オーシャンの作品に携わるなど活動の幅を広げていくジェイムス・ブレイクだが、いち表現者としての彼は、ビートメイカー/プロデューサーから、シンガー・ソングライターのほうに少しずつ比重を移していったようにも映る。

そして、今回のニューアルバム『Assume Form』は、前作からかなりの変化を遂げたアルバムとなった。これまでの作品と比べて、サウンドには人間らしい温もりや生命力が感じられる。音楽の作り方がそもそも変わったのかな、とさえ思う。

もともとジェイムス・ブレイクの音楽は、どこか静的なものだった。具体的に言うなら、感情を喚起させるし空間性もあるが、景色や映像だったりを動的に描くようなものではなかったような気がする。
ビートは刻まれるし、歌はある。ただ、それはそこに留まっているような、”動かない”音楽だった。それは”動かなさ”であったり、”動けなさ”であったり、そのどちらでもあったりするのだろうが、その動かないサウンドがもたらす独特の質感や世界観が、ある種の悲痛さにも繋がっていたのだと思う。

しかし、『Assume Form』のサウンドは、冒頭のタイトル曲から動的だ。印象的なピアノのフレーズが繰り返され、それに導かれるように音が重なっていく。音がひとつずつ滑らかに連なりながら躍動する、いわば音楽のモーションみたいなものが聴こえてくる。
ビートとピアノとストリングスが有機的に重なりながら、物語を先へ先へと進めるような音楽が鳴っている。そういった音の連なりはどこか映像的で、これまでのブレイクのイメージとは全く異なるものだ。

もちろん、トラヴィス・スコットとメトロ・ブーミンという、現代のシーンを象徴するラッパーとプロデューサーを迎え、トラップとアンビエントR&Bを融合させた「Mile High」も本作のトピックだろう。ここ数年のあいだにジェイ・Zやケンドリック・ラマーなどの作品に携わってきたブレイクの面目躍如ともいうべき楽曲だ。

だけど、もっと根本的な意味で『Assume Form』の変化を象徴するゲストは、スペイン人女性シンガーのロザリアなのではないかと僕は思っている。彼女はフラメンコのなかにトラップやR&Bのトレンドを織り込み、同時代的なサウンドに昇華させることで高い評価を得ているシンガーだ。


ロザリアの2018年作『El Mal Querer』はあまりにも異質な作品で、ほとんどリズムとコーラス、ストリングスだけで成り立っている曲も多い。そんな音数の少なさをうまく活かしながら、動的な旋律と歌メロを効果的に配置することで、フラメンコならではの濃厚なエモーションはそのままに、サウンド全体を軽やかに響かせている。音数の少なさという共通項はあるものの、ロザリアの動的な歌声は、これまでのブレイクの音楽性にはおそらくフィットしなかっただろう。そんな彼女の歌が、ここでは完璧にハマっている。

ロザリアを迎えた「Barefoot in the Park」では、フラメンコ特有のリズムパターンを、異なる音色を組み合わせた複雑なリズムの中に織り込んでいるようにも聴こえる。打ち鳴らされるビートからフラメンコの音像がうっすらと浮かび上がり、そのリズムがループするうわものと絶妙に組み合わさる。こんなふうに、大量の音数で空間を埋め尽くし、そのなかに聴かせたいモチーフを忍ばせるような手法も、徹底的に引き算的に音楽を作ってきたこれまでのブレイクからは考えられないものだ。

ロザリア『El Mal Querer』収録曲「Malamente (Cap.1: Augurio) 」

ロザリアとの共演曲も含めて、『Assume Form』はどの曲もメロディアスで、印象的なフレーズやうわものをループさせていて、歌メロ以外にも常に旋律(のようなもの)が鳴っているのも特徴的だ。冒頭のタイトル曲でのピアノに象徴されるように、どの曲でもキャッチーな旋律やリズムが繰り返されており、ひとつのループを軸に、アンサンブルを組み立てているような作曲法に変わってきたような印象も受ける。「Into The Red」のような曲は、その最たる例かもしれない。

また、これまでの作品ではシンプルなピアノの弾き語りを軸にした曲が目立ったが、本作では自身の歌の伴奏としてピアノを演奏するようなフォーマットの曲は見当たらず、ピアノが鳴っていても基本は旋律のループで、歌に対して従属してはいない。そんなふうに、全てのサウンドが等価に使われているのも象徴的だ。

そして、いくつかのループされたシンプルで美しい旋律が、時にビートメイカー的なそっけなさを伴う非機能的な響きで重なりあいながら歌メロを彩り、独特の情感を生みだしている。この辺りは、様々な楽器や自身の声をその場で吹き込みループさせ、即興的にトラックを組み立て、その上に歌を乗せるパフォーマンスを先の来日公演でも見せてくれたモーゼス・サムニーの音楽性とも通じるものがあるだろう。

元を辿れば、モーゼスが脚光を浴びるきっかけになったのはブレイクのカバーがきっかけだった。そんな彼が『Assume Form』の収録曲「Tell Them」で起用されたのは、かつてブレイクがジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)と共作した時と同じように、自分が今やりたい音楽に近いことをやっているモーゼスへの共感ゆえでもあるのだろう。そう思わずにいられないくらい、『Assume Form』では「音の重なり」が重要なテーマになっているように映る。

モーゼス・サムニー「Rank & File」の多重録音ライブ映像

これまでのブレイクは、隙間を活かした引き算的なスタイルで、音数の少なさがそれぞれの音の研ぎ澄まされたディテールを際立たせていた。彼は少ない音をパズルのように組み合わせ、それらの音色や音域のコントラストを際立たせることで特異な音楽を生み出していたように思う。

ところが、『Assume Form』では、過去のアルバムにあったような空間や隙間を作っていない。これまでの彼に比べるとかなり多くの音数と音色のバリエーションが用いられており、それらの音の重なりによる流れるような動きのある音楽はブレイクのパブリックイメージとかなりかけ離れたものといっていいだろう。ただ、多彩な色のパレットを絶妙に混ぜ合わせ、緻密に編み込むように楽曲を書く姿は、(例えば、オーケストラのために譜面を書くような)古典的な意味での「作曲」なども視野に入れているようにも見える。こういった『Assume Form』での変貌ぶりは、前作までのビートメイカー/プロデューサーから(シンガー・)ソングライターへの変化を経て、コンポーザーとしての大きな飛躍ぶりを示しているとも言えそうだ。

コンポーザーとしての変化といえば、『Assume Form』を聴いて、僕が最初に連想したのはバッハの音楽だった。そんなふうに思ったのは、コラール(讃美歌)のようなノスタルジックで無垢な旋律や、複数の旋律がそれぞれに独立して鳴りながら重なるポリフォニーが理由にある。

それからもう一つ。先に触れたタイトル曲での音のモーションの連なりは、坂本龍一の2018年作『async』で表現されたサウンドとも重ねられそうな気もする。僕が以前、坂本にインタビューした時(iD Japanに掲載)、彼はこんなふうに語っていた。

「タルコフスキーがすごいなって思うのは、本人も自覚的で、著書にもはっきり書いてあるんですけど、音楽を作るように映画を作っているし、撮っている。すごく音楽的だなと思うんです、いろんなことが。例えば、向こうから男の人が歩いてくる、サーっと風が吹いて、草がなびいて、近くの木の枝がばさばさばさと鳴る。それは音のつながりが音楽的というのではなく、映像の運動というんですかね、ある時間の中の運動の重なりというか、そのポリフォニーがとても音楽的だなと思います。僕はタルコフスキーはバッハから、音楽から学んでいると思うんです」

上述のタイトル曲に象徴的だが、『Assume Form』での動的なサウンドは、まさしく坂本が言う「映像の運動」のような音楽だと僕は思った。そして、DAZEDによる最近のインタビューによると、ジェイムス・ブレイクは以前から映画監督のアンドレイ・タルコフスキーに関心を抱いていたのだという。

坂本龍一のドキュメンタリー映画『Coda』には、タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』が映されるシーンがある。そこでは、様々な物の動きが連なり、ひとつの大きな流れが生まれるような映像とともにバッハのコラール『主イエス・キリストよ、私は汝の名前を呼ぶ』(BWV639)が聴こえてくる。この運動の連なりのような映像と音楽に刺激された坂本は、『async』に収録された「solari」でオリジナルのコラールを書いている。

もしかしたら、ブレイクも同じように、ずっと早い段階からタルコフスキー的な音楽を構想していて、今回のアルバムでようやく形にすることができたのかもしれない。トラップなど現行のトレンドも視野に入れつつ、もっと広い音楽観に基づき、コンポーザーとしての進化によってたどり着いた境地が『Assume Form』なのだとしたら、彼が手掛けたかったのはバッハから坂本龍一の音楽にまで通じる、もっと長く連綿と続いてきた潮流とも関わりのある作品なのかもしれない。

これは余談だが、ジャズ・ピアニストのブラッド・メルドーは、2018年に『After Bach』という作品をリリースしている。バッハの音楽をメルドーなりに解釈し、即興演奏で表現したアルバムだ。そこに収められた「After Bach:Rondo」という曲では、メルドーがバッハの楽曲をモチーフに演奏を展開させていくなかで、ニック・ドレイクやジョン・ブライオン、エリオット・スミスやレディオヘッドのような旋律やフィーリングが浮かび上がってくる瞬間がある。

それと同じように、『Assume Form』にもバッハとニック・ドレイク、レディオヘッドが同居しているような瞬間が何度か訪れる。例えば「Dont Miss It」では、トム・ヨークにも通じる旋律が聴こえてくる。そこにはコラール的な旋律やポリフォニーからバッハを感じる瞬間も入り混じっているし、もっと言えばブラッド・メルドーが奏でるピアノにも通じる響きも聴き取れるだろう。

先に触れた、モーゼス・サムニーの作品にもそんな瞬間を感じるときがある。モーゼスはもともと教会でヘンデルのようなバロック音楽に親しみ、レディオヘッドをカバーしてきた音楽家だ。バロック音楽のような旋律をフォーキーに奏でるモーゼスの音楽は、改めて聴き直すと、実に『Assume Form』的なサウンドのようにも聴こえてくる。

『Assume Form』は極めてシンプルなメロディーがベースとなっていて、それらは本作の動的な楽曲と密接に結びつき、その考え抜かれたシンプルさゆえに普遍性をもたらしている。このアルバムは、サウンドの革新性が取り沙汰されがちだったジェイムズ・ブレイクが、もっと長い音楽の歴史に目を向けて、普遍的なディテールにこだわった作品としても聴かれるべきだと思う。彼の音楽は間違いなく深化している。



ジェイムス・ブレイクが新作『Assume Form』で到達した、動的で生命力に溢れたサウンドの正体


ジェイムス・ブレイク
『Assume Form』
発売中
https://www.universal-music.co.jp/james-blake/products/uicp-1192/

FUJI ROCK FESTIVAL19
期間:2019年7月26日(金)27日(土)28日(日)
会場:新潟県 湯沢町 苗場スキー場
http://www.fujirockfestival.com