モトリー・クルーを描いた映画のファクトチェックをするなど、どう考えても馬鹿げたことだ。そもそも、実話に「基づいた」作品だと最初から断っているのだから。それに、この映画はバンドとファンの間にあった”第四の壁”を取り壊して、事実とは異なる演出で面白おかしくバンドの歴史を語っている。加えて、この映画の原作となっている書籍(『the dirt:モトリー・クルー自伝』)は、ニッキー・シックスがレイプに近いかたちで女性と性交したとされる記述に対して、最近「(内容を)かなり盛ったか、でっち上げられた可能性が高い」として当事者のニッキーが反論しているところだ。シックスは、(著者の)ニール・ストラウスのインタビューを受けた頃の自分はドラッグでハイになっていて、当時のことはほとんど覚えていないとすら主張している。
そうなると、次のような疑問が湧いてくる。80年代の10年間、モトリー・クルーの4人が泥酔もしくはドラッグでハイな状態でずっと過ごしていたとしたら、当時の記憶ははっきりしないのではないか? 書籍にも映画にも登場する、「オジーがモトリーのメンバーの前で一列のアリを(コカインのように)鼻から吸引した」という有名な話などは、張本人のオズボーンが覚えていないと主張している。しかし、そう主張しているオズボーン自身も、当時はアルコールで意識が飛んでいた。そんな状態で起きた出来事について、信用のおける話をしている人がいるのだろうか? それとも、これらの有名な話は、どうしようもないほどの機能不全に陥った彼らの海馬が作り出した産物なのだろうか?
そんな疑問はとりあえず忘れて作品を見ると、(米国現地時間3月22日にNetflixで放送開始された)この『ザ・ダート』はモトリー・クルーの歴史の多くの部分を正しく描いている。トミー・リーとニッキー・シックスの当時の髪の毛は、彼らを演じている役者よりもふわふわしていたが、映画製作者は彼らのルックスと80年代のストリップ・サンセットの雰囲気を再現するために相当な準備をしたのは明白だ。また、劇中の演技も原作本に描かれていた内容に忠実である。映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」がクイーンが80年代に作った曲として紹介され、彼らはライブ・エイドの前に解散したという甚だしい改ざんがあったが、そこまでの歪曲は『ザ・ダート』には存在しない。
※以下、ネタバレ注意!
1.トミー・リーがニッキー・シックスと初めて出会う場面が少しおかしい
劇中では10代のトミー・リーがニッキーのバンド、ロンドンのライブをサンセット・ストリップにあったクラブまで観に行き、終演後にデニーズで彼と鉢合わせする。そこでニッキーが「ロンドンはもう終わりだ、新しいバンドをやろうと思う」とトミーに告げる。トミーは高校のマーチング・バンドで叩いた経験しかないと言うものの、ニッキーは彼にドラムを叩くよう説得する。しかし事実は、トミーはスイート19というバンドでドラムを叩いていて、ニッキーは彼らのライブに感銘を受けていた。トミーとニッキーは確かにデニーズで会っているが、それは新たなバンド結成について話し合うためで、そこにはいかなる偶然もない。
2.モトリー・クルーの初代ヴォーカリストを削除
モトリー・クルーが最初のデモを作るためにスタジオ入りしたとき、ヴィンス・ニールはまだバンドに参加していなかった。その頃のヴォーカリストはオーディン・ピーターソンという名前の男で、トミー・リーによると、カルトのイアン・アストベリーとスコーピオンズのクラウス・マイネの中間のような声質だったらしい。しかし、ニッキーはその男の態度が気に入らず、ミック・マーズは彼をヒッピーだと思っていた。これはモトリー・クルーのメンバーとして死刑を宣告されたのと同然だった。彼はあっという間に追い出され、その存在すらバンドの歴史から抹消された。
3.彼らがヴィンス・ニールと知り合ったのは裏庭でのパーティーではない
『ザ・ダート』でのヴィンスの初登場シーンでは、ある裏庭でのパーティーでビリー・スクワイアの「My Kind of Lover」を歌っているヴィンスに、最前列の女性が熱狂している(ちなみに、この時点で「My Kind of Lover」はリリースされていない)。現実では、当時ヴィンスはカバーバンドで活動していて、モトリーとの最初の顔合わせが行われたのはウエストハリウッドのザ・スターウッドだった。ヴィンスは劇中で描かれたよりも長い期間、モトリーを避けていたため、ヴィンスが最初のジャムセッションへの参加を承知するまで、基本的にモトリーのメンバーが彼をストーキングしていたことになる。また、最初のジャムで演奏した曲は「ライヴ・ワイヤー」ではない。この時点で、ニッキーはこの曲をまだ作っていなかった。
4.トム・ズータウトはそれほど簡単にレコード契約しなかった
映画版のモトリー・クルー物語では、エレクトラの若いA&R代表がバーでバンドと30秒ほど会話したあとに契約を交わしている。このプロセスを遅くしている唯一の要因は、テーブルの下で突然フェラチオを始めようとする女だけだ。実際には(「サタデー・ナイト・ライブ」のピート・デヴィッドソン演じる)ズータウトと知り合う前に、彼らはバンドの音楽をリリースする目的で自主制作レーベルのリーザー・レコーズを立ち上げている。ズータウトが最初にバンドと接触したとき、彼らはズータウトを完全にいぶかしみ、契約書にサインするまでの長い説得期間中に何度も食事をおごらせた。さらに、バンドはヴァージンからのオファーも受け取っていた。最終的にズータウトが彼らとエレクトラのレコード契約に持ち込むが、現実はバーで出会ってすぐというほど簡単ではなかったのである。
5.ドック・マギーは、彼らのアパートでバンドに会っていない
劇中のメタモーメントの一つが、バンドの未来のマネージャーとなるドック・マギーが登場する場面だ。ドックは粗暴なパーティーゲストを殴り倒す。するとミックがカメラを向いて、「これは実際には起きていない。ドックはこんな豚小屋みたいなアパートに一度も来なかった。俺たちが最初に会ったのはサンタモニカ・シヴィック・センターで、あれはライブのあとさ。彼のパートナーのダグ・サーラーも連れて来ていたよ。ダグはいいヤツだったから、映画からカットされたのはちょっと気分悪いな。でも、この演出もけっこういいと思うぜ」と、視聴者に説明する。その前に、楽屋の入り口にいるドックの後ろに立つダグが一瞬見えるが、この時点で彼の存在は完全に消えている。しかし、自分たちが演出を加えて、重要な登場人物を消し去ったと製作者サイドが認めている点を褒めようではないか。
6.ヴィンス・ニールはザ・フォーラムの楽屋で、トム・ズータウトの彼女とセックスしていない
ロサンゼルスのザ・フォーラムでモトリー・クルーのライブが開催される数分前に、ヴィンスが自分の楽屋でズータウトのガールフレンドとセックスし、楽屋のドアノブには彼女のヒョウ革のビキニがかかっているというシーンが出てくる。まず、モトリーが初めてザ・フォーラムでライブを行ったのは1985年だ。
7.トミーがヘザー・ロックリアと出会ったのは、ヴィンスが交通事故を起こした夜ではない
劇中、トミーがヘザー・ロックリアと知り合うのはパーティーが行われたある家で、その夜に酔っ払ったヴィンスが交通事故を起こし、同乗していたハノイ・ロックスのドラマーだったニコラス・”ラズル”・ディングリーが死ぬ。しかし、実際にトミーとヘザーが出会ったのはREOスピードワゴンのコンサート後で、トミーの会計士が二人を紹介した。劇中で正しいのは、トミーが最初ヘザーを『俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ』のヘザー・トーマスだと勘違いした点だ。
8.ジョン・コラビには話す能力があった
ヴィンスがバンドを脱退したあと、新たなヴォーカリストとして雇われたのがジョン・コラビで、彼が加入したあとで新作アルバムを作り、ツアーも行った。この活動期間、コラビは自分の口で歌い、自分の言葉で話していた。しかし、劇中のジョンは話すことができない印象を与える描かれ方だ。彼のヘアスタイルは当時に近いが、彼が話せようが、彼がいた時期のバンドの音楽が聞こえまいが、大して意味がない。
9.彼らの出版権の確保は、劇中で描かれている以上に困難を極めた
映画『ザ・ダート』では、ズータウトをエレクトラというレーベル全体を具現化した存在として描いている。劇中、ヴィンスがバンドに復帰する少し前に、ズータウトがバーでニッキーと会って、レーベルがニッキーに彼の楽曲の出版権を戻すと伝えている。この出来事が実際に起きたのは1998年で、アルバム『ジェネレーション・スワイン』が大失敗に終わったあとのことだ。それもレーベルの代表シルヴィア・ローンとの長く、不快な争いを経てのことだった。その時点で、ズータウトはエレクトラからゲフィンに移籍しており、出版権を取り戻すこの争いに一切関与していない。
10.ドック・マギーのクビの原因は、疎遠だったニッキーの母親が関わった出来事ではない
思春期のニッキーが無愛想な母親と争うシーンで、この映画が始まる。ニッキーは自宅を出たあと、母親と二度と口をきかないと誓う。のちにニッキーが宿泊していたホテルのロビーに、ドックが彼の母親を連れてきて驚かせる。激怒したニッキーはその場でドックをクビにする。現実に起きたことは、ドックが1989年にモスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバルを開催し、ボン・ジョヴィ、スコーピオンズ、オジー、モトリー・クルーがこのフェスに参加した。ドックはモトリーに対し、参加する全バンドが短いセットを行って時間通りに終わらせると告げていた。
11.ミック・マーズが人工股関節置換術を受けたのは2004年
ヴィンスがバンドに復帰した前後のライムラインは絶望的にグチャグチャで、1996~2005年までの出来事は視聴者を混乱に陥れるレベルの乱れ具合だ。劇中では、ニッキーとトミーがヴィンスと仲直りする前にミックに会いに行き、人工股関節置換術を受けて退院するミックに挨拶する。劇中のタイムラインでは1996年ごろの出来事になっているが、ミックが実際にこの手術を受けたのは2004年だ。
12.実際のヴィンス・ニールの復帰は、映画よりも数倍も複雑だった
映画でのヴィンスは、モトリー・クルー脱退後、毎日お決まりのバーで過ごしている。彼がソロキャリアを始めようとしていた事実は一切描かれてない。脱退から10年後、退院したミックとともにトミーとニッキーがバーにやって来て、一緒に酒を飲みながら再結成について話し合い、涙ながらにわびる。この再結成に関する事実は、劇中のように単純でも穏やかでもなかった。バンドはジョンともう1枚レコードを作るつもりでいたが、マネージャーに急かされて嫌々ヴィンスと会ったのである。彼らが会った場所はハイアットで、その周りには弁護士とマネージャーの一団が座っていた。緊迫した雰囲気の中で話し合いが行われ、最終的にヴィンスがスタジオに顔を出し、彼らが作っているレコードを聞くことに同意したのである。この時点ではジョンはまだバンドに在籍しており、彼をギタリストとして残す案も一瞬持ち上がったが、上手くいかないとの判断でジョンはあっという間に追放された。
13.実は、パメラ・アンダーソンの一連の事件が起きていた
トミーがTVシリーズ『ベイウォッチ』に出演していたパメラ・アンダーソンと結婚したのは1995年で、彼女と知り合ってたった4日後だった。その後、2人の子どもに恵まれた。セックス・テープも出回った。その後、トミーはパメラを暴行したとして逮捕され、半年間を刑務所で過ごし、1998年に離婚した。離婚後、パメラはトミーからC型肝炎をうつされたと告発した。90年代に起きたこれらの醜聞は、モトリー・クルーの活動の何千倍も世間の注目を集めたが、映画ではパメラの名前すら出てこない。劇中では80年代の話として、ツアーバスの中で当時の彼女がトミーの母を「嫌な女(cunt)」と何度も呼び、トミーの肩にペンを突き刺したあとで、彼女を殴るトミーが描かれている。
14.1996~2005年までの9年間にあった出来事が無視されている
劇中、ヴィンス・ニールが毎日通っていた架空のバーでメンバーが涙ながらハグする場面から、現実のマネージャーであるアレン・コヴァック(本人役)が、アリーナ公演の前にメンバーの楽屋のドアを叩くシーンへと一気に飛ぶ。これはヴィンスがバンドに復帰した直後を暗示するが、この光景は2005年の再結成ツアーの模様だ。1997年のアルバム『ジェネレーション・スワイン』も、1999年のトミー脱退も、2000年のアルバム『ニュー・タトゥー』も、トミーの後釜ドラマーだったランディ・カスティロが2002年に他界したことも、同年バンドが活動休止を決めたことも、映画には一切出てこない。まるで1996~2005年は何事もなく一瞬で過ぎたような描写だが、『ボヘミアン・ラプソディ』で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」が80年代の曲と描かれたことに比べたら、モトリーのこの時期がなかったことになっているのは逆に不幸中の幸いか。
<映画情報>
Netflixオリジナル映画
『ザ・ダート:モトリー・クルー自伝』
2019年3月22日より独占配信開始
https://www.netflix.com/title/80169469
<リリース情報>

モトリー・クルー
『THE DIRT SOUNDTRACK(ザ・ダート:モトリー・クルー自伝(サウンドトラック)』
定価:¥2,300+税
発売元:ビッグ・ナッシング / ウルトラ・ヴァイヴ