元スタジオジブリのアニメーターで、『耳をすませば』の「カントリーロード」の演奏シーンを担当した他、『ホーホケキョ となりの山田くん』や『かぐや姫の物語』、今敏監督の『東京ゴッドファーザーズ』、そして『海獣の子供』渡辺歩監督とは『ドラえもん のび太の恐竜2006』など多くの作品で原画/作画監督を担当してきた小西。
・本企画はクリエイター共創プロジェクト「FUNS PROJECT」記事の転載になります。
『海獣の子供』の「描き方」について
―『海獣の子供』は作画表現の素晴らしさも話題を呼んでいますし、作品自体のテーマとしても、生命の誕生にまつわるような、とても壮大なものになっていますね。
小西:そうですね。ただ、「生き死にの話」って一見難しいようでいて、誰もが考えるテーマでもあると思うんです。実際、生と死はみんなが経験することで、難しいんだけれども難しくない、身近なテーマを扱った作品でもあって。今回映画にする際には琉花目線のお話になっていますが、そうすることで結果的に子供も「生と死」について考えざるをえない作品になっているという意味でも、渡辺()監督が上手く表現されているように思いました。
―小西さんは今回キャラクターデザイン/作画監督/演出でかかわっていますが、『海獣の子供』には線画っぽいタッチの絵が出てきたり、アニメ表現っぽいセル画のような絵が出てきたり、CGで表現されたパートが出てきたりと、様々な手法がひとつになっているのも特徴のひとつです。この方向性自体はどんな風に出てきたアイデアだったのですか?
小西:描きによる手法の決定は、僕にゆだねてくれていた部分ですね。渡辺監督の場合、絵コンテはとても濃厚な押しの強いものなんですが、それ以外の部分はとても柔軟な方なんです。各部署の「その人がどう絵コンテを解釈するのか」ということを可能な限り尊重してくれる感覚があるのです。劇中の魚のシーンに関しては、「手描きよりもCGの方が向いているだろう」という判断もあり、それを前提に作業がはじまりました。
―手描きならではの「ゆらぎ」のある線を加えることで、原作の魅力も損なわないようにしようと考えていたのですね。
小西:そうですね。また、手描きとCGを混ぜる際に両者が乖離しないようにするためには、細かい作りこみが必要になるため、自分の作画感覚として「いいね」というものが出てくるまではOKを出さない感じでしたね。苦労もかけましたが、例えば海面の小波の表現などは、昔ながらのセル表現ではなく、CGI監督の秋本賢一郎さんが当初から提案してくれた表現がそのまま生かされています。結果的に画面に関して評判をいただけたのは、彼らの頑張りのおかげですね。たとえば、本来海中には、泡や塵の粒々がたくさんあります。その粒を表現するときに、最初はただの真ん丸のパーティクルだったものに対して、不満を表明していたのですが、もっと重要な事があるので棚上げ状態になってたんです。こちらの顔色を察してか(笑)後半に向けて、自主的にグレードアップしてくれていたのです。
―そうしたCG班の努力と手描きの作画ならではの魅力とがひとつになって、『海獣の子供』ならではの、見とれてしまうような映像表現が出来上がっている、ということですね。つまり、五十嵐さんの原作に感じる魅力や、そこから受け取るイメージを表現するためには、実は原作と同じことをしていてはたどり着けないものがある、ということですか。
小西:原作は描線によってクジラの巨大感、空気感、光を表現している訳で、色までも感じさせるかのようなイメージ力で、白黒の世界だからこそ想像させる力を纏うんですね。アニメでは同じものを描いたつもりで色までつけられるのに、「感じ」が激減してしまうことに呆然としてしまうのです。その「イメージ」にいかに近づけられるのか、でしたね。海も様々な顔がある訳で、難しかったのは少し荒れた海というか、海面がうねりの重なりのように見せたい場合などは、大枠を線で作画する必要がありました。海を表現するならば大荒れの海なども出てきてほしかったですが、それは叶いませんでしたね。あと、魚たちが海面に出てきたときに湧き立つ白波に関しては、手描きで表現しました。海中は3Dで表現し、海上に出たら手描き作画を基本にしつつ、あとは臨機応変ですね。「3Dで上手くできなかったら描く」と決めてました……(笑)。
―(笑)。『海獣の子供』という作品は、海の描写が多い作品ではありますが、物語としては海だけの話ではなく、「空から落ちてきた隕石が海に衝突し、そこから生命が生まれた」という地球の創世記を連想させるような、「空」「海」「命(人)」のつながりを描いた作品にもなっていると思います。海以外の表現については、どんな工夫をされたのでしょうか?
琉花が雨の中自転車で走っているシーンは、カットごとに雨つぶの見え方を変えたりとか、琉花を取り巻くイワシの群れの動きや処理にも難航して試行錯誤を重ねました。
―今回の劇場版アニメでは、琉花のキャラクターデザインが原作よりも幼く見えるように工夫されたそうですね。
小西:実は今日、キャラデザの設定画を持ってきたんですが(と言って設定画の最終版を見せてくれる)、最終版ではよりおでこを出して、小柄にして、手足も細めに設定しています。これは原作とも少し変えたいんだろうなという監督の意向を絵コンテから受け取りまして、琉花に関しては監督の琉花像を大切にしようと思いました。自分としても少し他の子より未熟な印象というのはしっくりきたので。年齢的には思春期にあたる三人ですが、空は大人、海は子供、に対して中間に位置するのが琉花というか、そこら辺の構図としては原作よりわかりやすくなってますよね。琉花は二人との出会い(物理的には隕石を飲み込むことによって)によって変化しているはずですが、事後の見た目は変えてません。ED後は1年後なので変わってますけどね。
Photo by Shuya Nakano
―なるほど。海や空のキャラクターデザインについては、どんな工夫をされましたか?
小西:五十嵐キャラの顔は非常にリアルなところがありますから、それをそのまま作画に反映すると、怖くなったり崩れやすいんです。キャラ表の時点で、五十嵐さんも気になったのか、「もうちょっとアニメに寄せてもらった方がいいんじゃないか」と提案いただいて。それについては非常に納得したので意識したんですが、同時に、アニメ表現に寄せすぎると、原作の最大の魅力と言っても過言ではない「五十嵐さんの絵の雰囲気」が失われてしまいます。そこで、監督が描かれた絵コンテのバランスもふまえて、原作の絵の魅力を可能な限り伝える方法を考えていきました。
―『海獣の子供』には、画面として魅力的なシーンが多くあると思うので、印象的なシーンについても、いくつか制作時のことを思い出してもらえると嬉しいです。
小西:あのアヴァンタイトル(オープニングに入る前のプロローグ部分)は元々、原画担当になっていたのですが、結局レイアウトまでが自分で、キャラに関しては林佳織さんと板垣彰子さん、そして琉花の手に集まってくる魚たちは白井孝奈さんがすごく頑張ってくれました。アヴァンは作品の方針を提示するためにも大事なものですし、手で描くぞという意気込みを最初に伝えるためにも、大変でもやるしかない、という判断でした。
―そしてもうひとつ印象的だったのは、作品の後半に登場する”祭りの本番”です。
小西:前半の海くんが隕石を飲み込むまでは作画の素材と撮影処理が入り乱れて、処理に関しては自分も具体的な事まで把握している訳ではないのです。監督のイメージに沿うよう何度もやり取りをしましたね。作画だけでも大変なのですが、色彩、画面設計なしには成立しないのです。後半の海中は3Dで魚群の躍動感を細かい部分まで表現してくださいました。宇宙人になった海くんは、内宇宙の素材と分解していく銀河の動きは作画なんです。
―また、”祭りの本番”の中でも特に印象的だったのが、作品のクライマックスに当たる琉花と海がもみ合うように昇っていくシーンでした。
小西:あの部分はもう、作画が大変過ぎて……(苦笑)。実は、当初予定していたものから欠番が出てしまっているんです。もともとあのシーンには、もっとカットが追加される予定でした。
※小西氏がアニメーターになったきっかけなど、インタビューの続きはこちらでチェック。
©2019 五十嵐大介・小学館/「海獣の子供」製作委員会
『海獣の子供』
全国劇場公開中
監督:渡辺歩
原作:五十嵐大介
プロデューサー:田中栄子
キャラクターデザイン:小西賢一
総作画監督:小西賢一
https://www.kaijunokodomo.com/