ローリング・ストーンズはマサチューセッツのジレット・スタジアムで素晴らしいライブを行い、「プレイ・ウィズ・ファイア」や「氷のように」などのレア曲を披露した。オープニングを飾ったゲイリー・クラーク・ジュニアのカメオ登場、トランプ大統領への挑発など
、会場を驚かせた。


米国現地時間7月7日夜、マサチューセッツ州ジレット・スタジアムでのライブ中、ミック・ジャガーはバンドの演奏を一旦とめて、ニューイングランドらしい夏の夕方を楽しんだ。ジャガーは観客に向かって、独立記念日の週末を楽しんでほしいと述べたあと、「俺たちイギリス人にとって7月4日は微妙な休日だけどな」と続けた。そして、「事実、この国の大統領が4日の夜のスピーチで上手いことを言っていたよ。『イギリス人が空港にしがみついていたら、アメリカは今とは違う国になっていたかもしれない』ってね」と、真面目くさった声で観客に語りかけた。

2019年の夏、バンド結成57年目のローリング・ストーンズが相変わらずツアーをしているのは、ファンにとって最高のプレゼントで、それだけでも目一杯楽しもうと思ってしまう。7月7日のジレット・スタジアムでのコンサートは、ノー・フィルター・ツアーの5本目の公演だ。もともと春からスタートする予定だったこのツアーは、ジャガーの心臓手術のために夏に延期されたものだった(この夜、ジャガーは「みんな、ごめんな、日程が変わっちまって、みんなの計画が狂っちゃっただろうな」と観客に謝った)。しかし、4年前にやった前回のUSツアーのときよりも、今回のジャガーには勢いがあるように見えた。「ギミー・シェルター」を鳥肌が立つような最高の声で歌いながらキャットウォークを歩き回るときも、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を歌いながら空中に握りこぶしを放つときも、ジャガーは元気いっぱいだ。「悪魔を憐れむ歌」のギターソロから、お馴染みの曲の合間の冗談の掛け合い(キースが鉄板フレーズ「Gold rings on ya(ありがとう/神のご加護をの意)」を言ったし、チャーリー・ワッツが地元の野球チームに敬意を表して履いてきた赤い靴下を見せびらかした)まで、この夜の彼らは最初から最後までウィニング・ランのような雰囲気だった。普段は見せない物足りなさそうな気配を滲ませつつ、ジャガーは「今回がボストンでの29回目のライブだ。こんなに何回も俺たちを観に来てくれたみんなに感謝するよ」と客席に叫んだ。


ボストンは昔からストーンズ人気の高い都市だった。1972年の悪名高きボストン・ガーデンでのライブでは、コンサートを実施するために市長が保釈金を払ってジャガーとリチャーズを牢屋から出した。そして、2002年の40リックス・ツアーでは、たった10日間で市内のオルフェウム・シアター、フリートセンター・アリーナ、ジレット・スタジアムという3会場を駆け抜けた。そして、この夜、ミックは「ノース・ブルックフィールド」と叫んだ。ここは1981年にストーンズが6週間リハーサルを行った町だ。この町以外にも、ミックはプロビデンス、ロードアイランド、ポートランド、メインの名前をあげた。さらに、会場にいたエアロスミスやニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックなどの有名人の名前も叫んだのだった。

アメリカ国家「星条旗」のドラマチックなイントロを披露した直後、ストーンズは「ストリート・ファイティング・マン」でライブを始めた。この曲はキース・リチャーズが最近ローリングストーン誌に「これ以外のオープニング曲はない」と語ってくれた曲だ。リチャーズがそう言った理由はすぐにわかった。黄色い革のジャケットを着たジャガーが燃え盛る炎のような勢いで踊りながらステージに登場し、キース・リチャーズのテレキャスターから奏でられるパワフルなリフに合わせて身をくねらせていたのだから。そして、楽しさが爆発する「ダイスをころがせ」を歌いながらBステージに大股で歩いて行った。
彼の熱いコマンドは「氷のように」で新たなレベルへと到達した。毎晩ファンがオンライン投票で選ぶレア曲でこの夜はこの曲が選ばれたのである。リチャーズがホローボディのギブソンを奏でて、ロニー・ウッドがブルーグラス風のトワンギーなソロを弾くと、ジャガーの踊りは激しさを増し、「Shes so goddamn cold!」と叫んだあとでステージにつばを吐いた。

ここからエネルギッシュさは増すばかりで、ストーンズはここでライブの前座を務めたゲイリー・クラーク・ジュニアをステージに呼び込んで、「ライド・エム・オン・ダウン」を披露した。この曲は2016年リリースの『ブルー&ロンサム』に収録したエディー・テイラーのカバー曲だ。この日のコンサート前にリチャーズはクラークと一緒に楽屋で撮った写真を投稿していた。クラークとストーンズの親密さは誰の目にも明らかで、若いクラークが味わい深いギタープレイを突風のように弾き出すと、ジャガーは歯を見せてにっこり笑ってから、お得意の荒々しいハーモニカ・ソロへと移ったのである。次のサプライズが登場したのは、バンドがBステージに移動したときだった。これはジャガーが言うところの「フォーク仕立て」コーナーで、アコースティックギターに持ち替えた彼らが1965年の「プレイ・ウィズ・ファイア」(これはロニー・ウッドがやろうとしつこく言い続けた曲)と「デッド・フラワーズ」を演奏し、リチャーズはマイクに近づいてバックコーラスも披露した。この様子に1972年のツアーを思い出したが、リチャーズとジャガーのボーカルのブレンドは聞いていてゾワゾワと鳥肌が立つほど素晴らしいものだった。

リチャーズが自叙伝「Life(原題)」で書いているが、ローリング・ストーンズのライブの醍醐味は、バンドが演奏しているそのままの音を聞くことにある。バックアップ・トラックも誤魔化しも一切ないのだ。
特に生のサウンドをはっきりと感じたのが「ミッドナイト・ランブラー」で、この最高のブルース曲のインスト部分でジャガーが観客を熱狂に渦に巻き込んでいる最中、不気味なセリフ部分(「Well, you heard about the Boston……」)が始まる直前に「生サウンド」を実感した。実は、ジャガーがセリフを言おうとしたその瞬間、リチャーズが唐突にセリフ部分をスキップして、お馴染みの速弾きリフを弾き始めたのだ。ステージの巨大スクリーンには一瞬凍りついたジャガーの表情が映し出され、すぐさま変な顔でリチャーズを見た。すると、リチャーズは自分のミスに気づいて演奏をやめ、ロニー・ウッドの肩に手を置いて笑いだした。これは熟練のストーンズが若いガレージバンドのように見えた可愛い瞬間だった。

こういう一時的な中断があったのは、メンバーがBステージに移動する時間を作るために、ジャガーが制作陣に会場の音楽を流すように頼んだときや、バンドのメンバー紹介の最中にジャガーが間違ってキーボーディストのチャック・リーベルをベーシストと紹介したときだ。ジャガーは「やっちまったぜ」と言いながら大笑いしていた。彼らはこういう小さなミスを柳に風と受け流す。そんな彼らを見ていると、キースがステージでよく言う「ここにいられて嬉しいよ、どこにいても嬉しいよ」という言葉が脳裏に浮かんだ。

ここであげた以外にも素晴らしい瞬間が何度もあった。リチャーズがソウルフルに歌い上げた「スリッピング・アウェイ」。彼は、セットリストからこの曲が外れていたときは弾きたくて仕方なかったと言った。
「黒くぬれ!」で、ワッツがドラムを叩くたびにドラム音がスタジアム中にこだまし、リチャーズが感情を抑えた表情で真剣にリフをプレイし、かつてないほど不穏な雰囲気を醸していた。そして、いつも通り、ロニー・ウッドの姿に感動を覚えた。彼はこの曲のシタールのメロディーをギターで再現し、そのあとは「ミス・ユー」の獰猛なソロの最中にスタッカートするプレイを連弾し、ジャガーを吹き飛ばしそうな勢いだった。

この夜の最後の曲は10分近く演奏した「サティスファクション」だ。現在のストーンズにとってこの曲は退屈な曲になる危険性を秘めているのだが、この夜はこの曲がコンサートのハイライトとなった。リチャーズとウッドはリフをインプロヴァイズし、ジャガーはキャットウォークを全速力で走り、ジャケットを脱ぎ捨て、この曲のR&Bの幻想にどっぷりと浸かっていた。バックコーラスが「Give me some satisfaction」と歌うと、ジャガーは「Ive got to get it!」と大声で応え、「Got to, got to, got to!」と続けながらその声をどんどん大きくしていった。このツアーでも、バンドは相変わらず満足を探し求めている。彼らが満足を追い求めている限り、世界は素晴らしい場所であり続けるのだ。
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