IT企業が新しいアイデアの可否をユーザーに問うケースは珍しくないが、Spotifyはそのパターンを頻繁に繰り返している。
「Spotifyをスタートさせた当初、23歳で独身だった私はストックホルムのダウンタウンにあるバーで、毎晩のようにシャンパンを仲間たちに浴びせていました。
ダニエル・エクという人間は変わった。2016年にヘルシンキで開催されたSlush Conferenceの場で語ったように、Spotifyをスタートさせてからの10年間で彼の人生は劇的に変化し、33歳になった彼はこう語った。「現在の私は、そういった生活に片足を突っ込んでいます。2人の子供がいて、家に買ったら『HOMELAND/ホームランド』を観て、メールをチェックし、ベッドに入るというサイクルを繰り返しています。以前の自分とはすっかり別人です」
時が経つにつれて人の性格は変わっていくに違いないが、エクのケースに限って言えば、彼が心血を注いで築き上げた世界最大のストリーミングサービス、Spotifyの成長と無関係ではないだろう。音楽ビジネスに革命を起こしたSpotifyは、ニューヨーク証券取引所で280億ドルの時価総額が付けられているにもかかわらず、現在でも利益を出すには至っていない。過去4年間(2015年ー2018年)の年間純損失の合計は、実に20億ドルを上回る。
Spotifyが利益を出せるようになるには、補助的収入を増幅させる何かが必要だということをエクは理解しており、現時点ではポッドキャストがそれに当たる。同分野に参入するにあたってSpotifyが用意した予算は4億~5億ドルと言われており、今年の2月にはポッドキャスト業界をリードするGimletとAnchorの2社を3億4千万ドルで買収した。また3月には実話に基づいた犯罪ものに特化したポッドキャストの会社Parcastを買収したが、その値段は明らかにされていない。
エクとSpotifyはポッドキャストへの投資を長い目で見ていると思われ、同社の投資家たちも
その戦略に同調している。
しかし同社が音楽コンテンツ以外の分野で仕掛けた戦略が短命に終わったのは、決してこれが初めてではない。IT企業が新しいアイデアを試験的にローンチすることは珍しくないが、Spotifyのケースは極端だ。起業からの11年間、そしてアメリカに進出した2011年以降、利益を生み出そうと悪戦苦闘を続けている同社は、新たなコンテンツ戦略を実施しては破棄するというパターンを何度も繰り返してきた。そのうちのいくつかを以下で紹介する。
2011年11月、独自のアプリポータルをローンチ
1) Spotify apps(2011年)
2011年11月、Spotifyが独自のアプリポータルをローンチし、複数のパートナー企業がプラットホーム内に自社ブランドのエリアを持っていたことを覚えている読者もいるだろう。これらのアプリはRolling StoneやPitchfork、Billboardといったパートナーが推す楽曲を、レビューやチャート、各種プレイリストと共に紹介するというものだった。デスクトップに特化したランチャーとSpotifyの「App Finder」によって、ユーザーはこれらのアプリを検索できる仕組みとなっていた。
Spotify appsを開発するメリットについて、同社は興味を示したパートナーたちにこう説明していた。「Spotifyアプリはユーザーとのより緊密なやり取りを可能にし、ブランドの知名度を向上させ、Spotifyのユーザーたちが外部リンクに飛ぶよう促します」
このニュースはIT界隈で大きな話題を呼び、Cnetは「Spotify appsはiTunesを脅かす存在になりうる」と報じた。2012年にはUniversal Music Group、Sony Music、Warner Music、[PIAS]等の音楽系企業のみならず、マクドナルドやIntel、AT&Tといった大企業も自社アプリを開発した。
しかし2014年3月、Spotifyは新規アプリの登録受付を停止した。
その見方は的中した。SpotifyのApp Finderはほどなくして姿を消し、以降一度も市場に現れていない。
2) ショートフォームのビデオコンテンツ(2015年ー2016年)
イギリスのシットコム『Alan Partridge』のある有名なエピソードには、まぬけで用済みと罵られつつもキャリアにしがみつくテレビ番組の司会者Partridgeが、BBCのフィクサーとされる架空の人物から自身のトークショーが打ち切られようとしていると知らされるくだりがある。パニックに陥った彼は、機嫌を損ねているBBCの重役たちの前で、くだらないダジャレにもとづいた新番組のアイデアを片っ端から挙げていく。
その中には『Chas & Daveの腕相撲バトル』、『インナーシティ相撲』(「都市部からかき集めた太った人たちがおむつをはき、地面にチョークで描いた輪の外に相手を放り出そうと奮闘する」)のほか、苦し紛れに発した『猿のテニス』というものまであった。
2016年5月に発表したプレスリリースでSpotifyがオリジナルの映像コンテンツを導入すると公表した時、筆者はあのシーンを思い浮かべた。その発表には以下のような内容が含まれていた(同社のプレスリリースをそのまま転載):
『Rush Hour』ー 2組のヒップホップアーティスト(片方は大御所、もう片方は若手)が、ロサンゼルスのラッシュアワーの真っ只中にヴァンで拾われる。伏せたままの目的地に着くまでの間に、彼らは自身の代表曲のリミックスあるいはマッシュアップを考えつかねばならない。到着したロサンゼルスのダウンタウンにある駐車場には、ラッセル・シモンズが新たに立ち上げたAll-Def Digitalのステージが設置されており、2人はそこで初公開となるコラボ曲(と他の曲)を大興奮のファンたちの前で披露する。
『Trading Playlists』ー 2人のセレブレティがSpotifyプレイリストを1日限定で交換する。新たな音楽の発見を通じて2人が互いのことを知っていく様子を描くことで、アイデンティティやカルチャーと音楽の結びつきを浮かび上がらせる。
『Public Spaces』ー 毎回有名アーティストが登場し、世界的に有名なスポットを舞台にパフォーマンスを披露する。ユニオンスクエアでのマックルモア、ブランデンブルク門でのエイサップ・ロッキー等、本シリーズは「メインストリームのための音楽」にフォーカスする。
これらはすべて失敗に終わったか、あるいは制作さえされなかった。『Rush Hour』は『Traffic Jams』として公開されたが、即座に方々から『hip-hop Carpool Karaoke』のパクリだと揶揄された。Spotifyのアプリで検索してみると、現在では何もヒットしなくなっている(『Traffic Jams』とラッセル・シモンズのAll-Def Digitalが手を組んでいたことは、今となっては皮肉だ)。
「ヘイトコンテンツと悪意ある行動」の取り締まりを発表
Spotifyが映像分野に進出を試みたのは、実はこれで2度目だった。2015年にダニエル・エクは、大手メディアの数々がショートフォームの映像コンテンツをSpotifyに提供すると明かした。そこにはVice MediaやMaker Studiosのほか、Comedy Central、BBC、ESPN、Nerdist、NBC、TED等が名を連ねていた。
しかし2016年10月、スウェーデンのタブロイドBreakitはこの試みを「大失敗」とし、Vice Mediaによる映像コンテンツの視聴回数は皆無に等しいと明かした。同誌の情報源によるとSpotifyは各メディアパートナーとの映像プロジェクトに5000万ドル以上を注ぎ込んだという。
Breakitの報道に対し、Spotifyは「映像プロジェクトに全精力を傾けている」と主張した。しかし現在、これらの映像コンテンツはどこにも見当たらない。
3) 検閲(2018年)
Spotifyが早々にこの方針を撤回したことは、正しいことをしようという企業努力が世間から理解されないケースの典型だと言えるだろう。
昨年5月、Spotifyの発表は業界を驚かせた。それは同社が、「ヘイトコンテンツと悪意ある行動」を取り締まるというものだった。前者(ヘイトコンテンツ)については容易に理解でき、世間からも好意的に受け止められた。具体的には、人種や宗教、障害、ジェンダー、あるいは性的嗜好を理由に特定の人々に対する憎しみを増長させようとしているとみなされた場合、そのアーティストの楽曲がプラットホームから削除されるというものだった。
しかし後者(悪意ある行動)を取り締まろうとすることは、まさに藪から蛇だった。Spotifyの主張は以下のようなものだった。「アーティストやクリエイターの行動が有害で悪意に満ちているとみなされた場合(例:幼児虐待や性的暴行など)、場合によってはその人物あるいはグループのサポートを拒否する」
具体的なケースとしては、R・ケリーとXXXテンタシオンの楽曲がSpotiyのプレイリストから除外されたことが挙げられる。重要なポイントは、両者は異性に対して忌むべき行動をとったとして世間から糾弾されたが、彼らが実際にそれらの罪に問われたわけではないという点だった。彼らの楽曲をプレイリストから除外したことは人種差別にあたり、Spotifyはまるで裁判官や陪審員のように振舞っているとして批判された。とりわけ強く不快感を示した人々は、過去何十年もの間に不適切な行動や発言を繰り返してきた(主に白人の)ロックスターたちが処罰の対象とならないのはおかしいと主張した。
最終的に、Spotifyは「悪意ある行動」の文言をポリシーから削除し、以下のようなコメントを発表した。「我々の意図は善意によるものでしたが、その文言はあまりに抽象的であり、結果的に混乱と不信感を招いてしまいました。新たなガイドラインを発表する前に、我々のチームおよびキーパートナーたちの意見にもっと耳を傾けるべきでした」
筆者にはいまだに理解できない点がひとつある。楽曲をプレイリストに加えるかどうかを音楽とは無関係の理由で決めることは、はっきり言ってSpotify側の自由だ。「良心のある企業」として認識されようとした意図はわからなくもないが、なぜそういった方針をわざわざポリシーとして公にする必要があったのだろうか?
4) デジタル・ディストリビューション(2018年)
Spotifyは昨年9月、インディペンデントのアーティストたちがサードパーティーやレコード会社を通すことなく、無料で曲をプラットホーム上にアップロードできるサービスを開始した。数百のアーティストが招待制のベータ版を試す機会を与えられたが、ユーザーによるアップロードが基本であるTuneCoreやDitto、 Stem、 Amuse、SoundCloud等のユーザーを取り込もうとする同社の狙いは外れた。「作り手が曲を簡単にSpotifyに上げられるようにしようとしています」そのプロジェクトを任されていたシニア・プロダクト・リーダーのKene Anoliefoは、当時ローリングストーン誌にそう語っている。
発表から数週間後、Spotifyはこの戦略を加速させる動きを見せた。同社はアグリゲーション会社DistroKidの株を取得し(過半数未満)、Spotifyを通じて曲をアップロードすれば、同時にその他の主なプラットホームでも曲が公開されると説明した。DitroKidとのインテグレーションによるこのサービスのローンチについて、同社は「近い将来」としていた。
しかし、続報はなかなか届かなかった。そして9ヶ月後、Spotifyはディストリビューション業からの撤退を表明した。
Spotifyが約1年前にそのディストリビューターたちに宣戦布告したことを考えれば、それが真の理由ではないことは明らかだ。
「インタラクティブ・ミュージック」のコンセプトも頓挫
5) Spotify Running (2015年ー2018年)
ウォール街の実力者たちを振り向かせることは、ダニエル・エクにとって長年の悲願だった。そして2015年5月、SpotifyはニューヨークでAppleを思わせるプレゼンテーションを行い、その様子は全世界にストリーミング配信された。それはSpotifyのスマートさと、同社をIT業界をリードするグローバル企業にしようとするエクの野心を世間に知らしめるためのステートメントだった。
当日のプレゼンテーションの目玉のひとつは、前述したVice MediaやMaker Studios、Comedy Central等と組んだショートフォームのビデオコンテンツだった。だがカンファレンス出席者たちを大いに驚かせ、各レコード会社の反感を買ったのは、もうひとつの重大発表のほうだった。登壇したSpotifyのチーフ・プロダクト・オフィサーGustav Söderströmは、ランナーの心拍数に合わせて楽曲が変化するアプリ内蔵プラットフォーム、Spotify Runningをお披露目した。「私たちの目的は、単なるビート・ストレッチ(楽曲のテンポを早めたり遅めたりする編集テクニックのこと)を改良することではありません」Söderströmは誇らしげにそう語った。「これはユーザーのペースに合わせて楽曲が生き物のように変化するという、まったく新しいコンセプトなのです」
「インタラクティブ・ミュージック」というこのコンセプトは新鮮だった。SpotifyはDJ界のスーパースターTiëstoが同プロジェクトのために手がけた「Burn」を含む、ランナーのペースに合わせてテンポが変化する6曲を発表した。この経緯について、業界ではSpotifyがアーティストのレコード契約を無視し、Tiëstoに直接報酬を支払ったのではないかという憶測が飛び交った。
Söderströmは「一流のDJや作曲家、フル編成のオーケストラや映画音楽のプロデューサー」等が手がけたこれらの楽曲の制作費は、Spotifyが全額負担したと説明した。また彼は以下のように語っている。「ランニング目的に特化した音楽を作ること、それが私たちのチャレンジです。ランナーのペースを上げるだけでなく、ランナーズ・ハイを持続させる音楽を生み出そうとしているのです」
「しかし、そこには大きな課題が存在しました。異なる速度で走る無数のランナー、そのすべてにフィットする曲など存在しうるのだろうか?ランナー1人とっても、ペースは常に変化し続けているというのに。その課題に対する私たちの回答、それはランナーのペースによってテンポが変化するという、まったく新しい楽曲フォーマットです」
さらに同社はNikeとタッグを組み、Spotify RunningがNike+プラットフォームで利用可能となることを発表した。しかし2018年2月の時点で、Spotify Runningの靴底はすっかりすり減ってしまったようだった。同社はSpotify Runningが「リタイアする」ことをひっそりと公表したが、その理由についてはまるで触れていなかった。「Spotifyにおける機能の廃止について、私たちは常に極めて慎重に判断しています」同社はそうコメントしている。「ユーザーの満足度を向上させる方法を、私たちは絶えず模索し続けています」
・著者のTim Inghamは、Music Business Worldwideの創設者兼出版人。2015年より、世界中の音楽業界に最新情報、データ分析、求人情報を提供している。毎週ローリングストーン誌でコラムを連載中。
「Spotifyをスタートさせた当初、23歳で独身だった私はストックホルムのダウンタウンにあるバーで、毎晩のようにシャンパンを仲間たちに浴びせていました。
私は以前、養護施設に預けた子供を迎えに行くような人々のことを見下し、若くして成功を放棄した負け犬だと考えていました。今でこそ言える本音です」
ダニエル・エクという人間は変わった。2016年にヘルシンキで開催されたSlush Conferenceの場で語ったように、Spotifyをスタートさせてからの10年間で彼の人生は劇的に変化し、33歳になった彼はこう語った。「現在の私は、そういった生活に片足を突っ込んでいます。2人の子供がいて、家に買ったら『HOMELAND/ホームランド』を観て、メールをチェックし、ベッドに入るというサイクルを繰り返しています。以前の自分とはすっかり別人です」
時が経つにつれて人の性格は変わっていくに違いないが、エクのケースに限って言えば、彼が心血を注いで築き上げた世界最大のストリーミングサービス、Spotifyの成長と無関係ではないだろう。音楽ビジネスに革命を起こしたSpotifyは、ニューヨーク証券取引所で280億ドルの時価総額が付けられているにもかかわらず、現在でも利益を出すには至っていない。過去4年間(2015年ー2018年)の年間純損失の合計は、実に20億ドルを上回る。
Spotifyが利益を出せるようになるには、補助的収入を増幅させる何かが必要だということをエクは理解しており、現時点ではポッドキャストがそれに当たる。同分野に参入するにあたってSpotifyが用意した予算は4億~5億ドルと言われており、今年の2月にはポッドキャスト業界をリードするGimletとAnchorの2社を3億4千万ドルで買収した。また3月には実話に基づいた犯罪ものに特化したポッドキャストの会社Parcastを買収したが、その値段は明らかにされていない。
エクとSpotifyはポッドキャストへの投資を長い目で見ていると思われ、同社の投資家たちも
その戦略に同調している。
しかし、Appleが元々所有していたポッドキャストのプロダクションに投資するというニュースが流れた直後の7月16日、Spotifyの時価総額は5億ドル低下した。
しかし同社が音楽コンテンツ以外の分野で仕掛けた戦略が短命に終わったのは、決してこれが初めてではない。IT企業が新しいアイデアを試験的にローンチすることは珍しくないが、Spotifyのケースは極端だ。起業からの11年間、そしてアメリカに進出した2011年以降、利益を生み出そうと悪戦苦闘を続けている同社は、新たなコンテンツ戦略を実施しては破棄するというパターンを何度も繰り返してきた。そのうちのいくつかを以下で紹介する。
2011年11月、独自のアプリポータルをローンチ
1) Spotify apps(2011年)
2011年11月、Spotifyが独自のアプリポータルをローンチし、複数のパートナー企業がプラットホーム内に自社ブランドのエリアを持っていたことを覚えている読者もいるだろう。これらのアプリはRolling StoneやPitchfork、Billboardといったパートナーが推す楽曲を、レビューやチャート、各種プレイリストと共に紹介するというものだった。デスクトップに特化したランチャーとSpotifyの「App Finder」によって、ユーザーはこれらのアプリを検索できる仕組みとなっていた。
Spotify appsを開発するメリットについて、同社は興味を示したパートナーたちにこう説明していた。「Spotifyアプリはユーザーとのより緊密なやり取りを可能にし、ブランドの知名度を向上させ、Spotifyのユーザーたちが外部リンクに飛ぶよう促します」
このニュースはIT界隈で大きな話題を呼び、Cnetは「Spotify appsはiTunesを脅かす存在になりうる」と報じた。2012年にはUniversal Music Group、Sony Music、Warner Music、[PIAS]等の音楽系企業のみならず、マクドナルドやIntel、AT&Tといった大企業も自社アプリを開発した。
しかし2014年3月、Spotifyは新規アプリの登録受付を停止した。
同社はその直後に楽曲推薦エンジンEcho Nestを5000万ユーロ(6600万ドル)で買収し、楽曲のキュレーションを自社のプラットホーム内で完結させようとする姿勢をうかがわせた。
その見方は的中した。SpotifyのApp Finderはほどなくして姿を消し、以降一度も市場に現れていない。
2) ショートフォームのビデオコンテンツ(2015年ー2016年)
イギリスのシットコム『Alan Partridge』のある有名なエピソードには、まぬけで用済みと罵られつつもキャリアにしがみつくテレビ番組の司会者Partridgeが、BBCのフィクサーとされる架空の人物から自身のトークショーが打ち切られようとしていると知らされるくだりがある。パニックに陥った彼は、機嫌を損ねているBBCの重役たちの前で、くだらないダジャレにもとづいた新番組のアイデアを片っ端から挙げていく。
その中には『Chas & Daveの腕相撲バトル』、『インナーシティ相撲』(「都市部からかき集めた太った人たちがおむつをはき、地面にチョークで描いた輪の外に相手を放り出そうと奮闘する」)のほか、苦し紛れに発した『猿のテニス』というものまであった。
2016年5月に発表したプレスリリースでSpotifyがオリジナルの映像コンテンツを導入すると公表した時、筆者はあのシーンを思い浮かべた。その発表には以下のような内容が含まれていた(同社のプレスリリースをそのまま転載):
『Rush Hour』ー 2組のヒップホップアーティスト(片方は大御所、もう片方は若手)が、ロサンゼルスのラッシュアワーの真っ只中にヴァンで拾われる。伏せたままの目的地に着くまでの間に、彼らは自身の代表曲のリミックスあるいはマッシュアップを考えつかねばならない。到着したロサンゼルスのダウンタウンにある駐車場には、ラッセル・シモンズが新たに立ち上げたAll-Def Digitalのステージが設置されており、2人はそこで初公開となるコラボ曲(と他の曲)を大興奮のファンたちの前で披露する。
『Trading Playlists』ー 2人のセレブレティがSpotifyプレイリストを1日限定で交換する。新たな音楽の発見を通じて2人が互いのことを知っていく様子を描くことで、アイデンティティやカルチャーと音楽の結びつきを浮かび上がらせる。
『Public Spaces』ー 毎回有名アーティストが登場し、世界的に有名なスポットを舞台にパフォーマンスを披露する。ユニオンスクエアでのマックルモア、ブランデンブルク門でのエイサップ・ロッキー等、本シリーズは「メインストリームのための音楽」にフォーカスする。
これらはすべて失敗に終わったか、あるいは制作さえされなかった。『Rush Hour』は『Traffic Jams』として公開されたが、即座に方々から『hip-hop Carpool Karaoke』のパクリだと揶揄された。Spotifyのアプリで検索してみると、現在では何もヒットしなくなっている(『Traffic Jams』とラッセル・シモンズのAll-Def Digitalが手を組んでいたことは、今となっては皮肉だ)。
「ヘイトコンテンツと悪意ある行動」の取り締まりを発表
Spotifyが映像分野に進出を試みたのは、実はこれで2度目だった。2015年にダニエル・エクは、大手メディアの数々がショートフォームの映像コンテンツをSpotifyに提供すると明かした。そこにはVice MediaやMaker Studiosのほか、Comedy Central、BBC、ESPN、Nerdist、NBC、TED等が名を連ねていた。
しかし2016年10月、スウェーデンのタブロイドBreakitはこの試みを「大失敗」とし、Vice Mediaによる映像コンテンツの視聴回数は皆無に等しいと明かした。同誌の情報源によるとSpotifyは各メディアパートナーとの映像プロジェクトに5000万ドル以上を注ぎ込んだという。
Breakitの報道に対し、Spotifyは「映像プロジェクトに全精力を傾けている」と主張した。しかし現在、これらの映像コンテンツはどこにも見当たらない。
ついでに述べておくと、現行のSpotifyアプリの検索ウインドウには「アーティスト、曲、ポッドキャストを検索」というメッセージが表示されており、ビデオのビの字も見られなくなっている。
3) 検閲(2018年)
Spotifyが早々にこの方針を撤回したことは、正しいことをしようという企業努力が世間から理解されないケースの典型だと言えるだろう。
昨年5月、Spotifyの発表は業界を驚かせた。それは同社が、「ヘイトコンテンツと悪意ある行動」を取り締まるというものだった。前者(ヘイトコンテンツ)については容易に理解でき、世間からも好意的に受け止められた。具体的には、人種や宗教、障害、ジェンダー、あるいは性的嗜好を理由に特定の人々に対する憎しみを増長させようとしているとみなされた場合、そのアーティストの楽曲がプラットホームから削除されるというものだった。
しかし後者(悪意ある行動)を取り締まろうとすることは、まさに藪から蛇だった。Spotifyの主張は以下のようなものだった。「アーティストやクリエイターの行動が有害で悪意に満ちているとみなされた場合(例:幼児虐待や性的暴行など)、場合によってはその人物あるいはグループのサポートを拒否する」
具体的なケースとしては、R・ケリーとXXXテンタシオンの楽曲がSpotiyのプレイリストから除外されたことが挙げられる。重要なポイントは、両者は異性に対して忌むべき行動をとったとして世間から糾弾されたが、彼らが実際にそれらの罪に問われたわけではないという点だった。彼らの楽曲をプレイリストから除外したことは人種差別にあたり、Spotifyはまるで裁判官や陪審員のように振舞っているとして批判された。とりわけ強く不快感を示した人々は、過去何十年もの間に不適切な行動や発言を繰り返してきた(主に白人の)ロックスターたちが処罰の対象とならないのはおかしいと主張した。
最終的に、Spotifyは「悪意ある行動」の文言をポリシーから削除し、以下のようなコメントを発表した。「我々の意図は善意によるものでしたが、その文言はあまりに抽象的であり、結果的に混乱と不信感を招いてしまいました。新たなガイドラインを発表する前に、我々のチームおよびキーパートナーたちの意見にもっと耳を傾けるべきでした」
筆者にはいまだに理解できない点がひとつある。楽曲をプレイリストに加えるかどうかを音楽とは無関係の理由で決めることは、はっきり言ってSpotify側の自由だ。「良心のある企業」として認識されようとした意図はわからなくもないが、なぜそういった方針をわざわざポリシーとして公にする必要があったのだろうか?
4) デジタル・ディストリビューション(2018年)
Spotifyは昨年9月、インディペンデントのアーティストたちがサードパーティーやレコード会社を通すことなく、無料で曲をプラットホーム上にアップロードできるサービスを開始した。数百のアーティストが招待制のベータ版を試す機会を与えられたが、ユーザーによるアップロードが基本であるTuneCoreやDitto、 Stem、 Amuse、SoundCloud等のユーザーを取り込もうとする同社の狙いは外れた。「作り手が曲を簡単にSpotifyに上げられるようにしようとしています」そのプロジェクトを任されていたシニア・プロダクト・リーダーのKene Anoliefoは、当時ローリングストーン誌にそう語っている。
発表から数週間後、Spotifyはこの戦略を加速させる動きを見せた。同社はアグリゲーション会社DistroKidの株を取得し(過半数未満)、Spotifyを通じて曲をアップロードすれば、同時にその他の主なプラットホームでも曲が公開されると説明した。DitroKidとのインテグレーションによるこのサービスのローンチについて、同社は「近い将来」としていた。
しかし、続報はなかなか届かなかった。そして9ヶ月後、Spotifyはディストリビューション業からの撤退を表明した。
今年の7月1日、Spotifyはベータ版楽曲アップローダーの廃止を正式に発表した。その理由について、同社はこうコメントしている。「少しでも多くのアーティストやレーベルがSpotifyで曲を公開できるようにするには、アーティストのコミュニティと緊密に連携を取っている既存のディストリビューターたちに任せるのが一番だと判断しました」
Spotifyが約1年前にそのディストリビューターたちに宣戦布告したことを考えれば、それが真の理由ではないことは明らかだ。
「インタラクティブ・ミュージック」のコンセプトも頓挫
5) Spotify Running (2015年ー2018年)
ウォール街の実力者たちを振り向かせることは、ダニエル・エクにとって長年の悲願だった。そして2015年5月、SpotifyはニューヨークでAppleを思わせるプレゼンテーションを行い、その様子は全世界にストリーミング配信された。それはSpotifyのスマートさと、同社をIT業界をリードするグローバル企業にしようとするエクの野心を世間に知らしめるためのステートメントだった。
当日のプレゼンテーションの目玉のひとつは、前述したVice MediaやMaker Studios、Comedy Central等と組んだショートフォームのビデオコンテンツだった。だがカンファレンス出席者たちを大いに驚かせ、各レコード会社の反感を買ったのは、もうひとつの重大発表のほうだった。登壇したSpotifyのチーフ・プロダクト・オフィサーGustav Söderströmは、ランナーの心拍数に合わせて楽曲が変化するアプリ内蔵プラットフォーム、Spotify Runningをお披露目した。「私たちの目的は、単なるビート・ストレッチ(楽曲のテンポを早めたり遅めたりする編集テクニックのこと)を改良することではありません」Söderströmは誇らしげにそう語った。「これはユーザーのペースに合わせて楽曲が生き物のように変化するという、まったく新しいコンセプトなのです」
「インタラクティブ・ミュージック」というこのコンセプトは新鮮だった。SpotifyはDJ界のスーパースターTiëstoが同プロジェクトのために手がけた「Burn」を含む、ランナーのペースに合わせてテンポが変化する6曲を発表した。この経緯について、業界ではSpotifyがアーティストのレコード契約を無視し、Tiëstoに直接報酬を支払ったのではないかという憶測が飛び交った。
Söderströmは「一流のDJや作曲家、フル編成のオーケストラや映画音楽のプロデューサー」等が手がけたこれらの楽曲の制作費は、Spotifyが全額負担したと説明した。また彼は以下のように語っている。「ランニング目的に特化した音楽を作ること、それが私たちのチャレンジです。ランナーのペースを上げるだけでなく、ランナーズ・ハイを持続させる音楽を生み出そうとしているのです」
「しかし、そこには大きな課題が存在しました。異なる速度で走る無数のランナー、そのすべてにフィットする曲など存在しうるのだろうか?ランナー1人とっても、ペースは常に変化し続けているというのに。その課題に対する私たちの回答、それはランナーのペースによってテンポが変化するという、まったく新しい楽曲フォーマットです」
さらに同社はNikeとタッグを組み、Spotify RunningがNike+プラットフォームで利用可能となることを発表した。しかし2018年2月の時点で、Spotify Runningの靴底はすっかりすり減ってしまったようだった。同社はSpotify Runningが「リタイアする」ことをひっそりと公表したが、その理由についてはまるで触れていなかった。「Spotifyにおける機能の廃止について、私たちは常に極めて慎重に判断しています」同社はそうコメントしている。「ユーザーの満足度を向上させる方法を、私たちは絶えず模索し続けています」
・著者のTim Inghamは、Music Business Worldwideの創設者兼出版人。2015年より、世界中の音楽業界に最新情報、データ分析、求人情報を提供している。毎週ローリングストーン誌でコラムを連載中。
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