フジロックフェスティバル19最終日のヘッドライナーを飾るザ・キュアー。来日を記念し、バンド40数年のキャリアの中で最も知られた曲の1つであり、人気ソングでもあるキャッチーなポップ・ソング「フライデー・アイム・イン・ラヴ」にまつわる知られざる7つのエピソードを紹介する。


フロントマンのロバート・スミスが、これがバンドにとっての最後になるのではないかと感じていた状況下で完成したザ・キュアーの1989年のアルバム『ディスインテグレーション』の黙示録的なゴシック・ロックの曲に比べれば最も暗い葬送歌も明るい曲に聞こえるかもしれない。後の一連のメンバーチェンジを乗り越えたザ・キュアーは今までにない、慎重ながらも楽観的な態度で次のプロジェクトに取り組んだ。

スミスの深みのある歌詞を生み出す才能と彼らのバンド史上トップクラスにすばらしいメロディが組み合わさった多様で聞きやすい曲が収録され、1992年にリリースされた『ウィッシュ』はザ・キュアーの商業的成功のピークであった。暗い影が感じられる部分もあるが(胸が張り裂けるようなバラード「アパート」や、「フロム・ジ・エッジ・オブ・ザ・ディープ・グリーン・シー」の壮大なドラマを聞いてみてほしい)、このアルバムは明るい空気感を主張している。「ハイ」は気分を高揚させ、「ドゥーイング・ジ・アンスタック」では「闇を蹴散らせ!/憂鬱を蹴散らせ!/悪いニュースのページは破り取れ!」といった驚くほどにザ・キュアーらしくない歌詞が歌われている。

このアルバムの最大のハイライトは活力に溢れたキャッチーなポップ・ソング「フライデー・アイム・イン・ラヴ」である。この曲はザ・キュアーがチャートで最も高い順位をつけた曲の1つとなり、また彼らの40数年のキャリアの中で最も知られた曲の1つとなった。

このアルバムは比較的明るいサウンドであったが、スミスは幸せであるかと聞かれるとその答えに躊躇した。「『前に比べたら幸せ』なのかもしれない。それでも総合的に見たら不幸だよ。歌詞的な面で言えば、この新しいアルバムで不幸な曲は2曲だけだと思う。だからその瞬間は俺はあまり不幸であってはいけないんだと思う。
でも実際は不幸だ。消えることのない絶望の核心は同じなんだ」と彼は『ウィッシュ』のリリース直後にスピン誌に語った。ザ・キュアーの次のアルバムのタイトルが『ワイルド・ムード・スウィングス』となったのも当然のことなのかもしれない。

ザ・キュアーの現在に至るまで最もポップ寄りのこのアルバムは彼らの最も売れたアルバムであり、ビルボード・チャートでは初登場2位を記録した。現在も『ウィッシュ』はザ・キュアーを代表する作品であり、最も愛されている作品の1つである。2017年にリリースから25周年を記念し、ローリングストーン誌がこのアルバムからのヒット・シングル「フライデー・アイム・イン・ラヴ」にまつわる興味深い話を紹介した。今年のフジロックフェスティバル19の来日を記念して、本記事の翻訳を掲載する。

1. この曲は都市から離れたリチャード・ブランソンのチューダー様式の豪邸でレコーディングされた

ヴァージン・レコードの創設者リチャード・ブランソンは1970年に広大な田舎の豪邸シップトン・マナーを購入し、レーベル所属の急成長中のアーティストたちのためにそこに最新式のレコーディング・スタジオを作った。ロンドンから1時間、オックスフォード近郊に位置し、メジャーなアーティストに人気のスタジオとなった。70年代が終わるまでにクイーンやヴァン・モリソン、ジョン・ケイル、ジーン・シモンズなど数多くのアーティストがマナー・スタジオでレコーディングをしていた。

皮肉にも、そのようなすばらしいロックンロール・アーティストたちが利用していたということで、当初、ロバート・スミスはそのスタジオの利用を躊躇していた。「ここは俺にとって70年代中期の音楽の悪い部分のすべてを象徴したような場所だったんだ。
『本当かよ、マナー・スタジオに行くのか。呪いがかかって1年ぐらいそこに居続けるはめになるぞ』みたいな。でも実際にここに来たら、そういう評判を生んだのはここでレコーディングした人たちの人格の問題だっていうのがわかるよ。俺たちは国内の12か13箇所のスタジオを訪れてみた。ここは1番いいスタジオではなかったけど、1番いい雰囲気を持つスタジオだったんだ。それが俺たちの最初からの目的だったんだ」とスミスは1992年初期にバンドでのレコーディングを終えた時、そのスタジオでスピン誌に語った。

ザ・キュアーはレコーディング期間中、スタジオに独特な飾り付けをしていた。(ウィリアム・)ワーズワースや(エミリー・)ディキンソンなどの文学者から引用した文を、様々な雑誌の切り抜きや自分で描いたポルノに近い絵と共に壁に貼り付けた。貼り付けられていたものの中でも注目すべきだったのはスミスの妻メアリー・プールが作った「メアリーのマナー・マッド・チャート」というマナーのスタッフと滞在者全員を「情緒の不安定な順に」ランク付けしたリストである。「みんなで投票して、ある晩に表彰式をしたんだ。とても感動的だったね」とスミスは1992年にQ誌に語っている。

1番ユニークな飾り付けはおそらくブランソンが中庭に描かせた巨大な壁画だろう。
派手なネオ・ルネッサンス風の衣装をまとったボーイ・ジョージやボノ、フィル・コリンズなどのイギリスのポップ・アーティストたちが描かれている。ザ・キュアーのメンバーはその絵を「異様に」感じ、軽い気持ちでこっそりとコリンズの長い髪を、より正確なハゲ頭に描き直した。

ザ・キュアー代表曲「フライデー・アイム・イン・ラヴ」知られざる7つの真実

Photo By Paul Harris/Getty Images

2. ロバート・スミスは自分が誰からコード進行を盗作しているのではないかという妄想に取り憑かれていた

スミスは、ポール・マッカートニーが「イエスタデイ」を苦労せずに作ったような、自分がどこからともなく「フライデー・アイム・イン・ラヴ」の曲をぱっと生み出したことが信じられなかった。「何が言いたいかっていうと、『フライデー・アイム・イン・ラヴ』は天才が作った作品ではなくて、ほぼ計算して作った曲なんだ。本当にいいコード進行だから、このコード進行が他の誰にも使われていなかったというのが信じられなくて当時、本当にいろんな人に聞いて回ったよ。俺はドラッグでの妄想もあったから、『どこかからこれを盗んできたに違いない。俺がこんなのを思いつくはずはない』と思っていたんだ」と彼はNME誌に2008年に語った。

マッカートニーと同じように、彼はメロディをつける手助けをしてくれる音楽好きな友達を探した。「知っている人全員に聞いたよ。本当に”全員に”だ。みんなに電話して曲を歌って、『この曲を聞いたことあるかい?なんてタイトル?』って聞くと、『いや、聞いたことないよ』ってみんな答えた。同じアルバムに苦労して作った曲も数曲あって当時はそっちの方が間違いなくいいと思っていたけど、『フライデー』こそ『ウィッシュ』を代表する曲なんだと思うよ」

3. スミスにとっては感情的な歌詞より”ばかばかしい”歌詞を書くほうが難しい

ロバート・スミスは特にポジティブな態度のアーティストとして知られているわけではないため、「フライデー・アイム・イン・ラヴ」のような臆面もない楽天的な曲はザ・キュアーの作品の中でも特に目立っている。
「『フライデー・アイム・イン・ラヴ』はばかばかしいポップ・ソングだけど、本当にばかげた曲だからこそ実際はとてもすばらしい曲なんだ。俺らしくなくて、とても楽天的で幸せな世界にいる。そうやってバランスを取るのはいいことなんだ」と彼はスピン誌に語っている。

皮肉にもスミスにとって”ばかばかしいポップ・ソング”を書くことは難しいということがわかった。「普段のように心の中から出てくることを書くより本当にばかばかしいポップ・ソングの歌詞を書く方がはるかに難しい。このアルバムの歌詞を書くために何百枚もの紙を使ったよ。媚びるようなものじゃだめなんだ。シンプルでまっすぐな伝わるものじゃなければならない。心の扉を開いてくれるようなばかばかしさもある。俺たちはずっとポップ・ソングをやってきたんだ。ただ時々ポップ・ソングが重くなりすぎる。絶望的になるというか…」と彼は続けた。


この歌詞のコンセプトは、バーに行った時に思いついた。「スタジオの近くのバーで他のメンバーに会っていて、それが金曜日の午後だったんだ。俺は『今までに1週間をテーマにした曲ってあっただろうか』って考えていた。とてもいいアイデアだと思って、この曲を書いたんだ」と、1997年に語っている。

少なくとも歌詞の一部は、ハートから直接出てきたものである。「ぐるぐる回って/いつも大きく一口かじる/最高の瞬間だ/真夜中に君を目にできるのは」この歌詞は真夜中にキッチンにいる彼の妻メアリーに駆け寄っていくのを歌っているのではないかと噂されている。

4. 不注意によるトラブルで収録された曲のテンポが上がった

「フライデー・イン・ラヴ」は元々Dメジャーのキーでレコーディングされたが、収録されたバージョンは不注意でテンポが速くなり4分の1音キーが上がった。「あれは事故だった。俺がバリ・スピード(ピッチ・コントロール)で遊んでいてオフにするのを忘れていたんだ」とスミスは1992年9月にギター・プレイヤー誌に語っている。幸運なことに彼はそのエフェクトの結果を気に入った。「全体のフィールが変わって『ウィッシュ』の中でこの曲だけがコンサート・ピッチに合っていないということがこの曲を際立たせ、異質なサウンドにした。アルバムに何ヶ月も取り組んだ後にピッチが4分の1音ずれたものを聞くと脳が退化した感じがするよ」と続けている。


ザ・キュアー代表曲「フライデー・アイム・イン・ラヴ」知られざる7つの真実

Photo by Ebet Roberts/Redferns

5.この曲はローディからバンドメンバーに昇格したペリー・バモンテが初めて参加した曲の1つである

ドラマーでありキーボーディストでありバンドの結成メンバーであるローレンス・トルハーストのバンド内での立場は80年代半ばに彼の薬物依存の悪化が原因で崩れ始め、『ディスインテグレーション』をリリースする頃までに彼のクレジットは「その他楽器」と記載されるだけとなっていた。バンドのギター・テックのペリー・バモンテが正式メンバーとして加入するまでの間、ロジャー・オドネルが一時的にキーボーディストとして彼の代わりを努めた。キーボードのパートに加え、その昇格したローディは『ウィッシュ』のギターを中心としたサウンドにギタリストとしても貢献した。

「フライデー・アイム・イン・ラヴ」はザ・バーズのようなキラキラしたギターのサウンドで、間奏では超トレブリーなリード・ギターがフィーチャーされている。「曲にギター・ソロを入れるのを受け入れるには時間がかかった。俺はギター・ソロが大嫌いだったからね。前に出て『俺を見てくれ!』みたいな愚かな考えが嫌いだった。でも、今は気にならなくなったよ。音楽的に今俺たちがやっていることに合っているからね。昔だったら誰かがソロをやりたいからってだけでギター・ソロを入れるのはバカなことだっただろうけど、今ギター・ソロが曲をよりエキサイティングなものにするのに必要なものであるにも関わらずそれをやめさせるとしたらそれも同じぐらいバカなことだ」と彼は1992年にギター・プレイヤー誌に語っている。

5. ミュージック・ビデオは撮影にたった2時間しかかかっておらず、サイレント映画のパイオニアたちに敬意を表したものである

1982年の「レッツ・ゴー・トゥ・ベッド」以降、ザ・キュアーの革新的なビデオを35本以上監督をしてきたのは映像作家ティム・ポープである。すばらしい結果を生んできた長きに渡るポープとの関係にバンドは満足していた。「フライデー・アイム・イン・ラヴ」でポープはコントロールされた混沌を楽しく表現した。メンバーたちが撮影用スタジオで巨大なおもちゃで遊んでいるシーンが、昔ながらの劇場の背景幕がランダムに変わっていく前で演奏するシーンに挿入されている。「ずっとカメラを回し続けて、ただただふざけていた。小道具とかいろいろなものがあって、背景の幕も変わって。みんなで楽しんでいた」とバモンテは1992年のMTVのインタビューで語っている。ポープによると奇妙な小道具の少なくともいくつかはスミスの両親の家から借りてきたものだったそうである。

ポープの作品は多くの場合、長く根気のいる撮影になることが多いが、「フライデー・アイム・イン・ラヴ」はかなり気楽なものであった。1997年のインタビューでスミスが今までにバンドでやったお気に入りのビデオ・トップ3の1つとしてこのビデオを挙げた時、ポープはすぐにそれがたった2時間で録ったものだったことを指摘し、「だから君はそれがお気に入りなんだよ」と言った。短さは置いておいたとして、このビデオの奇抜さは曲の快感を反映している。「楽しい撮影だったし、曲を完璧に捉えているビデオだ。曲と映像が密接に絡み合っているのかもしれない」とスミスは続けた。

「フライデー・アイム・イン・ラヴ」のビデオにはサイレント映画作家に敬意を表した巧妙な演出が散りばめられている。コメディ・デュオ、ローレル&ハーディのオリヴァー・ハーディに扮した人物が歩いていたり、宇宙の背景の小道具はジョルジュ・メリエスの1907年のショート・フィルム『日食』に敬意を表している。ポープ自身も木馬にまたがってメガホンに向かって「カット!」と叫んでいるディレクターとしてこのビデオにカメオ出演している。

7.ロバート・スミスはこの曲には複雑な思いがあり、時に彼はこの曲が嫌になる

「フライデー・アイム・イン・ラヴ」の人気はザ・キュアーにとって諸刃の剣であった。ビデオが絶えず放映されていたMTVでバンドを知った人の多くは彼らがニュー・ウェーブ・ポップ・バンドだと勘違いし、それが原因でスミスは新しいファンを非難した。「『フライデー・アイム・イン・ラヴ』を好きな人はザ・キュアーの本当のファンではない。彼らは俺のCDを買ってくれない」と彼は2000年にミュージックエクスプレス誌に語っている。

名声はスミスに特に負担となっており、ツアーをすることに慎重な彼は仕事を制限するために苦し紛れにレーベルに飛行機恐怖症であると嘘の申告をするほどであった。「俺たちは世の中に知ってもらうまでに信じられないほど長い時間がかかった。でも、いざそれが実現したら、それはとても不快なことだったんだ。長年、俺には嫌いな曲があった。『おまえのせいだ。おまえが俺を有名にしやがった』って思っていたからね。『フライデー・アイム・イン・ラヴ』がその最たる例だ」と、2007年にEW誌に語っている。この複雑な思いとは裏腹に「ザ・キュアー史上最もお気に入りのシングル・トップ3」としてこの曲を何度も挙げているのだ。
編集部おすすめ