ウッドストック99は恥ずべき大惨事だった。プロモーターがニューヨーク州ロームにある空軍基地跡地に20万人のロックファンを集めた。しかし、設置されたトイレと無料の給水所が圧倒的に足りなかった。開催されたのは気温38℃を超える7月下旬の猛暑の週末で、会場には日陰がほとんどなかったのである。販売されていたペットボトルのミネラルウォーターは1本4ドル(約400円)。最初から何らかの暴動が起きてもおかしくない状況だった。
当時、「ニュー・メタル」ムーブメントが最高潮に達していた。リンプ・ビズキット、キッド・ロック、コーン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが、当時大人気だったインセイン・クラウン・ポッシー、クリード、DMXなどと一緒に、このフェスティバルに参加した。1969年のウッドストックと99年版ウッドストックの両方に参加したミュージシャンは、ザ・フーのベーシスト、ジョン・エントウィッスル、グレートフル・デッドのドラマー、ミッキー・ハートだけだったが、二人ともサイド・ステージへと格下げされていた。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは2日目の終盤に、リンプ・ビズキットとメタリカに挟まれる形で登場した。この夜、観客の暴力を煽ったとして、のちにフレッド・ダーストが各方面から責められた。ダーストが「おい、ケガをしちゃうぞ。
ウッドストック99には音楽的なハイライトと呼べる場面が少ない。しかし、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは1999年7月24日に最高のセットを披露し、最後の曲「Killing in the Name(原題)」を演奏し終わる頃にアメリカ国旗を焼いた。ただし、この週末に見られた炎はこれだけでなかった。
レイジのギタリスト、トム・モレロは、2000年にオンライン音楽雑誌Addicted to Noiseのインタビューでウッドストック99を擁護している。「あそこで起きた性的虐待は恐ろしいことだし、言い訳できることじゃないと思う。でも、全体を見渡すと、メディアに掲載された記事はかなりアンフェアで、若者をバッシングしていると思ったし、あそこに大馬鹿野郎が数人いただけなのに、その世代すべてを非難しているように見えた」と。
現在のモレロは全く違う考えをしている。「ウッドストック99はニュー・メタルの最悪な時期だったと思う」と、ヘヴィメタルの口述歴史『Louder Than Hell: The Definitive Oral History of Metal(原題)』で述べている。彼の発言は「ピットでのレイプや会場のゴミ。そこにメタルの闇、つまり女性蔑視のオス的な欠点が、全部出た感じがする。それに『これは恐ろしいことだ』というメッセージが伝わらなかった。逆に『これが俺たちの世代のウッドストックだ、そう、大馬鹿野郎の集会さ』というメッセージが伝わったんだ」と。