ビートルズファンであれば、ある化学薬品の力を借り、世を徹して議論を展開した経験も一度はあるだろう。
バンドの結末となったのは、「いつの日か僕は彼女をものにする」というポールの歌か、それとも「僕らがオーディションに受かるといいな」というジョンのメッセージなのか? など、哲学的なテーマの熱い論争がさまざまなレベルのビートルマニアの間で繰り広げられてきた。終わりなき論争のようだが、全くその通り。なぜならビートルズだから。ビートルズのグランドフィナーレを飾るのはどちらのアルバムか、時間をかけて検討してみよう。
まずリリース時期を比較すると、『レット・イット・ビー』は1969年に出た『アビイ・ロード』よりも後の1970年にリリースされている。一方の『アビイ・ロード』をラストとする根拠としては、(1)同アルバム向けのセッションが開始される頃には『レット・イット・ビー』の全ての楽曲は揃っていた。(2)『アビイ・ロード』の方がより従来のビートルズらしいアルバム。(3)『アイ・ウォント・ユー』は4人がスタジオに揃ってプレイした最後の楽曲。(4)(5)アルバムのラストソングとされる楽曲のタイトルは『ジ・エンド』。ただし『ハー・マジェスティ』を除く。(6)『レット・イット・ビー』の仕上がりの悪さから立ち直ろうとチームが結束した結果、『アビイ・ロード』が生まれた。(7)『ハー・マジェスティ』は楽曲として素晴らしい。
個人的な思い入れでは『アビイ・ロード』の方が優勢だが、冷静に時系列を追ってみると議論の余地もある。確かに『レット・イット・ビー』のほとんどの楽曲は1969年1月にレコーディングされたが、4人は『アビイ・ロード』リリース後も『レット・イット・ビー』のレコーディング作業を続行していた。ローリングストーン誌の寄稿編集者David Browneは自著『Fire and Rain』の中で、ポール、ジョージ、リンゴの3人が『アイ・ミー・マイン』をレコーディングするため、1970年1月3日にスタジオ入りしていることを明らかにした。この時点で『アビイ・ロード』がリリースされてから数ヶ月が経っている。その後リンゴは、1970年4月まで『レット・イット・ビー』向けのドラムパートのレコーディングを続けた。しかし『レット・イット・ビー』は1枚のアルバムというよりはむしろ、同名映画のサウンドトラックのプロジェクトとして進められていた。同アルバムがビートルズの公式スタジオアルバムとなったのは、図らずもバンドの崩壊とリリース時期が重なったことによる。もしも『レット・イット・ビー』が当初のスケジュール通り『アビイ・ロード』に先行してリリースされていたなら、間違いなく『イエロー・サブマリン』に匹敵する有名サウンドトラックアルバムになっていただろう。どちらのサウンドトラックアルバムにも、純粋なビートルズの楽曲が少しばかりと、映画のために作られたその他の見劣りする副産物が多く収録されている。『アビイ・ロード』に収録された『トゥ・オブ・アス』と『イエロー・サブマリン』の『イッツ・オール・トゥ・マッチ』、前者の『ディグ・ア・ポニー』と後者の『ヘイ・ブルドッグ』など、どちらのアルバムでも同様に素晴らしいビートルズの楽曲が聴ける。『レット・イット・ビー』におけるスタジオでの悪ふざけは、『イエロー・サブマリン』に収録された『ペパーランド・レイド・ウエイスト』よりも度を越している。
ビートルズの公式アルバムとするか、単なるバンドのプロジェクトのひとつとみなすかは、グレーゾーンだ。1970年代のファンは、『ヘイ・ジュード』と『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』がビートルズの公式アルバムかどうかを巡って議論を戦わせたが、今では誰も話題にしない。キャピトル・レコードとしてはもちろん、各プロジェクトをアルバムとみなした方が好ましいと考えるだろう。ただ、その判断基準については明確でない。例えば『マジカル・ミステリー・ツアー』は公式アルバムとしているが、『リール・ミュージック』は公式としない方がよいとキャピトルは考えている。
『レット・イット・ビー』が公式アルバムかどうかのグレーゾーンにあると言う人もいるだろうが、ファン目線で言うと、同アルバムは『イエロー・サブマリン』や『ヘイ・ジュード』と同じ路線にあるといえる。公式スタジオアルバムは11枚だという意見は納得できるし、『レット・イット・ビー』と『イエロー・サブマリン』も含めた13枚という見方にも賛同できる。また、1970年代初頭にキャピトルが寄せ集めで編集した『ヘイ・ジュード』まで加えて14枚としてもよいとさえ思う。
『マジカル・ミステリー・ツアー』はグレーゾーンにある。英国で6曲入り2枚組EPとしてリリースされた同作品も、米国では1967年に1枚のアルバムとしてリリースされた。従って、同アルバムは『ヘイ・ジュード』と同等の扱いを受けてもよいといえる。しかし、『マジカル・ミステリー・ツアー』が公式アルバムの基準から外れている、と主張する声を今では聞かなくなった。
結論として、『アビイ・ロード』でなく『レット・イット・ビー』がビートルズのラストアルバムである。ただし、『レット・イット・ビー』をビートルズの公式アルバムと認定する場合に限る。同作品をビートルズの公式アルバムとしながら、バンドのファイナルアルバムではないという主張は当たらない。同アルバムには、少ないながらもメンバーが1970年に仕上げた作品も含まれるからだ。個人的には『アビイ・ロード』の方がお気に入りで、こちらをラストアルバムだと言いたいが、実際は『レット・イット・ビー』がビートルズのラストアルバムだ。それでも作品に対する私の思いが変わることはないだろう。