アウトサイダー・フォークアーティストのダニエル・ジョンストン。純真に愛を求める楽曲でカート・コバーン、マット・グレイニング、トム・ウェイツなどを魅了したジョンストンが、米現地時間9月11日(水)に他界したと、家族が文書で公表した。死因は自然死。享年58だった。
「ジョンストン家は弟ダニエル・ジョンストンの死を深い悲しみを持って発表します。今朝、テキサス州ヒューストン郊外の自宅で彼は息を引き取りました。死因は自然死です」と、家族の声明に記されていた。
そしてこの声明は、「ダニエルはシンガーであり、ソングライターであり、アーティストであり、みんなの友人でした。成人後のほとんどの人生を精神的な問題との葛藤に費やしたとは言え、ダニエルは多数のアートと楽曲を生み出す過程で自ら精神疾患を克服しました。そして、『太陽は僕に降り注ぐ』や『最後に真実の愛が君を見つけてくれる』などのメッセージが、多くのファン、アーティスト、ソングライターをインスパイアしました」と続いた。
長年に渡り、ジョンストンは肉体的および精神的な問題と戦ってきた。
「彼の健康状態を保つのは至難の技であり、体調が良くないときの彼は別人のようだった」と、ジョンストンの兄ディックが水曜日に行われたある取材で語った。ディックによると、ジョンストンが腎機能不全で病院に搬送されたのは先週で、火曜日に自宅に戻された。「そのときの彼は頭もはっきりしていて機嫌も良かった。(足首の)浮腫も治まって回復しているようだったし、彼も自宅に戻れて喜んでいた」とディック。
火曜日の午後8時半ころにケアテイカーがジョンストンの体調を確認しにやってきたが、ジョンストンは会おうとしなかった。翌朝、息を引き取った彼が自室で発見されたとディックが言った。検視解剖を行う予定はない。
高めのテノールで声を震わせて歌うジョンストン独自の歌い方と、「Life in Vain(原題)」、「True Love Will Find You in the End(原題)」、「Walking the Cow(原題)」などに織り込まれた愛と人生に関するシンプルな歌詞は、今後も人々の心に残るだろう。彼の楽曲から聞こえるのは、真面目さと憧れでうずく彼の歌声であり、その独特な魅力が多くのアーティストたちに支持された。カート・コバーン(インタビューで何度もジョンストンを「最高のソングライターの一人」と述べている)は、1992年のMTVビデオ・ミュージック・アワードの授賞式でジョンストンのアルバム『Hi, How Are You(原題)』のTシャツを着ていた。
「僕を大好きな人もいるし、見世物小屋の出し物みたいにからかう人もいる」と、1994年のローリングストーン誌のインタビューでジョンストンが語った。「以前の僕はあらゆる精神障害を患った完璧な精神病質者って状態だった。もちろん殺人鬼とか危ない人じゃなかったけど。そうだな、行き過ぎたテディベアって感じ。(中略)僕をからかいたいなら、僕をからかって楽しいなら、それはそれで構わないよ、本当に。だって、それは僕が彼らを楽しませているってことだから。きっと僕はみんなが知っている以上にコメディアン気質なのかもしれないよ」と。
2005年のドキュメンタリー『悪魔とダニエル・ジョンストン』は、彼の音楽と物語を広く世間に知らしめた。この中には、ジョンストンが搭乗していた二人乗りの飛行機の窓から鍵を放り投げるという、ショッキングなシーンも含まれていた。
「うん、あれは恥ずかしかった。過去のひどいジレンマも、伝説となった間違いも、今の僕にはどうすることもできないよ。
ジョンストンは、5人兄弟の末っ子として1961年1月22日に、カリフォルニア州サクラメントで誕生した。その後、家族はウェストバージニア州ニューカンバーランドに引っ越し、そこでジョンストンはビートルズや当時のロックミュージシャンの音楽に心酔する。ファースト・アルバム『Songs of Pain(原題)』を作ったのが1980年で、その3年後にインディーレーベルのホームステッド・レコーズからリリースした『Hi, How Are You』で商業的にブレークした。
「子どもの頃、教会から出ると、みんなが握手をしながら『Hi. How are you?(やあ、元気かい?)』と言っていたんだ」と、ジョンストンが2018年にオースティン・クロニクル紙に話している。「その挨拶をいつも聞いていたし、老衰で亡くなった人の遺体が安置されている葬儀場でも、この挨拶を聞くことがあった。まだ子供だった僕に葬儀屋さんが「Hi. How are you?」って言ったんだ。あのアルバムの始まりはそこだよ」と。
1992年に『Hi, How Are You(原題)』のTシャツを着たカート・コバーン(Photo by GettyImages)
この頃、ジョンストンはテキサスに引っ越し、家族と共に生活するようになった。オースティン近辺で自分の音楽を吹き込んだテープを無料で配り始め、それが徐々に話題となり、MTVが彼の特集を組むまでに至った。MTVで紹介されたことにより、デッド・ミルクメン、マイク・ワット、ソニック・ユース、バットホール・サーファーズなどのカレッジロック・サーキットのアーティストたちの注目を集めた。
1994年、ジョンストンはメジャーレーベルのアトランタとレコード契約を交わし、アルバム『FUN(原題)』を制作した。この作品ではバットホール・サーファーズのポール・リーリーと共演している。しかし、この作品のセールスは1万2千枚前後で、メジャーシーンから姿を消すこととなった。その後、彼は様々なアーティストとコラボレーションを続けた。ハーフ・ジャパニーズのジャド・フェア、ヨ・ラ・テンゴ、スパークスホースのマーク・リンカス、オッカービル・リバーなど枚挙にいとまがない。加えて、フレーミング・リップス、ベック、ウェイツなど、多くのアーティストが2004年にジョンソンのトリビュート・アルバムに参加した。
彼の最後のアルバムとなった『Space Ducks(原題)』は2010年にリリースされた。2015年、ラナ・デル・レイがインディー界のレジェンドとなっているジョンストンを描いた15分のショートフィルムで、彼の「Some Things Last a Long Time(原題)」をカバーした。デル・レイとマック・ミラーは、キックスターターでの同作品のクラウドファンディングに1万ドルを寄付している。ジョンストンについて聞かれたラナ・デル・レイは、「一つだけ言いたいことは、彼が自宅でアートを生み出している間――彼は毎日曲を作っていると言っているわ――、彼は多くの人の人生に変化をもたらしているという事実を、彼自身に知ってほしいということなの。彼は私の人生を変えたもの」と答えた。
2017年の夏、ジョンストンは最後のツアーに出ることを発表した。そしてウィルコ、ビルト・トゥー・スピル、フガジがバックバンドを務める、と。同年、ウィルコのフロントマン、ジェフ・トゥイーディーがニューヨーク・タイムズ紙に「インスピレーションの源として、彼にはかなり世話になっているからね。ダニエルは精神疾患を物ともせずに創作活動を続けてきた。精神疾患が彼のアートの根源じゃない。彼は自分が戦い続けている敵を素直に認めて、世間の過剰な注目を集めることなく、正直に作品に描写してきたのさ」と述べた。
同じニューヨーク・タイムズ紙の記事内で、ジョンストンは自分が最後のツアーの出ると言ったことに自分が驚きつつも、音楽作りは止められないと語っている。「止めてしまったら、何もすることがなくなってしまう。きっと全てが止まるだろうね。だから絶対に止めない。ずっと続けないとダメなんだ」と。
ジョンストンの兄によると、彼らの父親ビルが他界した2年ほど前から、父親の自宅に残されていた未公開の録音物や書類が大量に見つかった。
そして、「発表された楽曲と同じくらい未公開の楽曲がある。彼が残したものをこれから長い時間をかけて整理していくつもりだ。ファンとシェアすべき作品がたくさんあるからね」と続けた。