70年代末から80年代初頭にかけて圧倒的な人気を誇ったバンド、ジャパン。とりわけ日本では、本国イギリスに先駆けてブレイクしたこと、解散後もメンバーが坂本龍一高橋幸宏高木正勝といった先鋭的なアーティストと共作・共演を重ねていることから、その名の通り、日本とは浅からぬ縁を築いてきた。
そんなジャパンのドラマー、スティーヴ・ジャンセンが、「エグジット・ノース(EXIT NORTH)」という新しいバンドを組んで来日。大阪と東京で公演を行なった。

ライブはなんと今回が「世界初」だそうで、日本ならではのプレミアムな趣向として、チェリストの徳澤青弦が率いるカルテットと、映像作家の菱川勢一がジョイン。洗練された音と映像でエグジット・ノースの魅力を最大限に引き出し、昨年リリースした1stアルバム『Book Of Romance』の再現に止まらない、上質でロマンティックな時間を愉しませてくれた。また、セットリストの中には、かつて兄のデヴィッド・シルヴィアンをボーカルにフィーチャーしたソロ曲「Playground Martyrs」や、ジャパン時代からの盟友リチャード・バルビエリとのユニット=ドルフィン・ブラザーズの「My Winter」など懐かしい曲も。スティーヴがドラムを叩く姿が久しぶりに見られたことも嬉しく、彼のことをずっと追い続けてきたファンにとっては、これまでの彼の歴史を(ダイジェストながら)辿りつつ、同時に、このユニットの今後の可能性も感じる忘れ難い夜となった。

兄に引き込まれる形でこの世界に入って早40年以上……ミュージシャンとしての人生は決して順風満帆と言えるものではなかったが、抗わず、気負わず、飄々と歩んできたスティーヴ。決して熱弁を振るうタイプではないが、穏やかな語り口の中にもしなやかな強さと、未だ少しも衰えることのない音楽への静かなパッションを感じた。また、インタビューでは、この来日に際して、ジャパン解散以降の出来事をまとめた彼らの評伝(『JAPAN 1983-1991 瓦解の美学』アンソニー・レイノルズ著)が刊行されたこともあり、ジャパン時代のことも少し語ってくれている。

スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み


スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み

2019年9月27日、ビルボードライブ東京に出演したエグジット・ノース(Photo by Masanori Naruse)

ミニマルな”間”へのこだわり

─エグジット・ノースの『Book Of Romance』は、とても美しいアルバムですね。

スティーヴ:ありがとう。

─この作品、そしてあなたの『Slope』(2007年)以降のソロ作を聴いていると、「演奏していない部分」を大切にしている印象を受けます。
引き算に次ぐ引き算で、無駄なもの一切を削ぎ落としたという感じですね。

スティーヴ:そうだね。必要なものを残し、不必要なものを削ぐ、そのバランスは常に重んじているよ。メッセージを伝えるときは、少ない言葉で伝えた方が効果があると思うんだけど、ミニマルなものが大きな効果をもたらすという点で、音楽という手段はメッセージを伝えるのにすごく向いているんだよね。エグジット・ノースのメンバーは、そのバランスに対する考え方が似ているんだ。音楽における”間の取り方”がね。

─元々伝統的なポップ・ミュージックに従事していたあなたが、”静寂”や”間”の美しさに目覚めたのは、何がきっかけだったんですか。

スティーヴ:多分ジャパンの終盤じゃないかな。音を研ぎ澄ます作業は、その頃から始まっていたんじゃないかと思う。あるものを一旦分解して、不必要なものを省いていく作業——具体的には『ブリキの太鼓』(1981年)を作った頃だね。あの頃は新しいやり方を模索していた時期で、自分たちにとって必要なものだけを残し、意味を成す、必要なピースだけを組み合わせていくジグソー・パズルのようなことをしていた。それがうまく組みあわさると、より良い”間”を残すことが可能になってくるんだよね。


─無駄なものをどんどん引いていくと、最後に「表現の核」が残りますよね。あなたの場合、それは何だと言えますか?

スティーヴ:自分がどんなメッセージを伝えたいかーーそのエッセンスだと思う。僕らのやっていることは”解体作業”で、シンプルなものだけを残していく。例えばピアノとヴォーカルだけでストレートに伝えることはできるけど、それをさらに突き詰めて、要らないコードはないか、要らないビートはないか、そういうものを外すことによって、音像に余裕が生まれ、音楽がより呼吸できるようになっていくんだ。いわゆるポップ・ミュージックの世界というのは、ガンガンぶつけてくるものが多いだろ。若い人にとってはそれが直接的に伝わる手段だし即効性があるということでいいと思うけど、僕らはそういうアプローチではなく、音楽が呼吸する様をリスナーに感じてもらいたいと思ってるんだ。リスナーの呼吸と音楽の呼吸が合わさる瞬間もね。じわじわと伝わればいいと思っているよ。

─実生活でも、不要なものはどんどん切り捨て、シンプルに生きる方ですか?

スティーヴ:そうだね。僕はいわゆるミニマルな生き方をしているな。気に入った写真ぐらいは置くけど、取り立てて部屋を飾ったりはしないしね。ガチャガチャしている状態では落ち着かないんだ。


─そうは言っても、本当に必要なものってどうしたらわかるんでしょうね。

スティーヴ:本当は必要のないものを必要だと思い込み、それに依存していくーー誰しもがその罠に陥りがちだよね。僕の場合は3~4年前に引っ越しした時がいい機会だったんで、長年溜まりに溜まったものを捨てたんだ。おかげで新居での生活はリフレッシュした状態で始めることができたよ。

40年を経て辿り着いたエグジット・ノース

─あなたが今やっている音楽は、いわゆる大衆的にアピールするポップ・ミュージックとは異なるものですけど、もう「売れるものを作らなくてはいけない」という呪縛からは完全に解き放たれましたか?

スティーヴ:うん。僕がミュージシャンとして育ってきた時代というのは、レコード会社を喜ばせるような音楽をやるというのが必須条件だった。彼らが満足すれば制作費を出して、僕らにレコードを作らせてくれるわけだからね。作品を作ったら、今度は宣伝して売れる状況を作り出していく。しかし今の僕にとって、自分のやりたい音楽というのはメインストリームにはなり得ないものなわけで、昔のやり方ならば、発表してもおそらく投資した分を取り戻すことはできないだろう。そんな風に思われている中で、自分が本当にやりたい音楽とビジネスのバランスを取るのは難しかったよ。でも90年代の半ば以降はインターネットが登場したこともあって状況が大きく変わり、インディの世界だけで活動してる人も出てきたよね。機材の面でも技術の発展によって、必ずしもスタジオを借りなければできないというわけではなくなった。
それによって往年のレコード会社のあり方も変わってきて、音楽だけを純粋に配給したいという僕らみたいなアーティストにもチャンスが広がったと思う。そういう背景があるから、いわゆるポップなマーケットに自分が参加していく必要は、今は感じてないよ。

─そうは言っても、40年以上音楽を続けてきた中で、「もう続けていけない」と心折れそうになったことはないですか?

スティーヴ:そりゃあるよ。でもそれは音楽が嫌になったということではなくて、自分が仕事としてやっていることに幸せを感じられなくなった状況があったからなんだ。音楽で身を立てていく上では、当然、あまり気の進まない仕事を、食べていくためにやらなくてはいけないこともあった。そういう時期は長くやっていればどんなミュージシャンにでもあることじゃないかな。ただ、僕の場合は音楽以外に出来ることがなかったからね。他に得意なことでもあれば別の仕事に就こうかと考えたかもしれないけど、僕にはそういう選択肢がなかったから(微笑)。

─エグジット・ノースについて4人の共通項、共有しているヴィジョンは何ですか?

スティーヴ:チャーリー(・ストーム)はメンバーの中で一番若いんだけど、たまたま僕の大ファンだそうで、今まで僕がやってきたことを僕以上に知ってる人なんだ(笑)。だからか、僕がやりたいと思うことを察知する能力がすごくてね。チャーリーはスウェーデンではかなり名のあるプロデューサーで、普段は主にダンス・ミュージックを手がけているんだけど、なかなかこの手の音楽をやる機会がない中、エグジット・ノースは自分が聴いて楽しめる音楽を作るチャンスだと感じてくれてるらしい。

トーマス(・フェイナー)はミニマル系のヴォーカリストで、以前ソロ・アルバム(前出の『Slope』)を作った時に一緒にやったんだけど、彼の声は僕の音楽と相性が良いと思った。
それで今回また一緒にやることにしたんだ。

ピアノを弾いているウルフ(・ヤンソン)はトーマスが連れてきたんだけど、彼が弾くピアノの独特なコード進行、メロディの絶妙なバランスはいわゆる普通の音楽とは違った、変わった構成で、とても惹かれた。

そうして揃った4人の共通点は、そんな簡単に説明できるものではないけど、音楽におけるエモーションを伝える上で、僕らは似たようなアプローチをしているかもしれない、ということは言えると思う。クラシックの人たちもそうだと思うけど、曲の中のモーメントごとに自分の大事なものを見つけていくというやり方、そして何を重視して何を伝えたいかということに対して真剣に取り組むことが出来る、ということは共通しているね。みんな、決して人間性が真面目というわけではないけど(笑)。

スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み

チャーリー・ストーム(Photo by Masanori Naruse)

スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み

トーマス・フェイナー(Photo by Masanori Naruse)

スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み

ウルフ・ヤンソン(Photo by Masanori Naruse)

─あなた以外の3人はスウェーデンの人ですけど、彼らの中に”スウェーデンらしさ”を感じることはありますか?

スティーヴ:あるな。一つは、みんなゆったりした気質というか、レイドバックしてるということ。今回、日本に来る前に 6週間くらいゴセンバーグ(ヨーテボリ)で一緒に過ごしたんだけど、そう感じることが多々あったよ。ゴセンバーグは静かで伝統的な街並みでね。みんなが伝統を大切にする雰囲気が伝わってきたよ。あと、これはあくまでイギリスとの比較においてだけど、愛国心も旺盛なようだね。

ミュージシャンとしての美意識と哲学

─一人で自由にやるのとは違って、バンドは大変じゃないですか?

スティーヴ:確かに何をするにも時間はかかるよね。
他のメンバーは他に仕事を持っているし、今回、新しいプロジェクトということもあって、今まで自分たちがやっていたことから、こちらに注力しなくちゃいけない状況で、切り替えが難しいところはあった。フルタイムで音楽をやってるのは、僕とチャーリーだけなんだ。トーマスとウルフはフルタイムのミュージシャンじゃないこともあって、まず時間を見つけるのが大変だった。でも一緒にやっているうちにときめくことがいっぱいあって、それがバンドを続けていく力になって、結果的にアルバムが完成した。当然、ソロでやるのとはすごく違うけど、第一、僕は自分のやり方がベストだと思っているわけじゃないしね。他にもっといいやり方があり得ると思っているから、時には他の人の力を借りて、特定のやり方にこだわらずに自由にやっている。そんなわけで、バンドだからといって大変なことは特になかったよ。

─鷹揚なあなたらしいですね。あなたとかつて一緒に仕事をした人は、プロデューサーから共演者に至るまで、「スティーヴの人間性は本当に素晴らしい」と口を揃えるんですが、その一方で、アーティストというものは、どこかに普通ではない部分や、少しいびつな部分を持っていることも多いですよね。あなたには、そういう部分はありますか?

スティーヴ:あはは。欠けている部分、ということに関していえば、誰にだってそういうところはあるんじゃないかな。完璧な人間なんていないし、僕にもイディオシンクラシー(その人特有の癖)のようなものはある。ただ、仕事をする上ではその欠点が逆にうまいこと機能する場合もあるよね。機能させようと努力もするし。

まあ、僕はどちらかというと人に合わせるタイプなんだよね。人と衝突するのは嫌だから、なるべくそうならないようにしている。ネガティブな態度がいい結果をもたらすことはないと思うから。音楽ではダークなものを沢山作っているから、自分自身までダークになる必要は全然ないんだ(笑)。

─でも、ものを作る時って「どうしてもこうしたいんだ」ってことが必ず出て来るものでしょう。衝突が不可避な場合もあると思うんですけど。

スティーヴ:うん、あるよ。でも、妥協することによって良い結果につながることだってある。

─う~ん、それは大人の意見ですね……。

スティーヴ:ハハハ。そりゃ大人だよ。60歳だから(笑)。ただ、そうしても良いと思う人たちと一緒にやるというのが条件だけどね。この人と仕事をするのは難しいだろうなと思う人とは組まない。今のところ、自分とアティテュードが似ている人と組めているというのは、恵まれていると思うよ。創作する上で、自分も相手も「らしく」いられるようにということは大事にしているんだ。そうすると大抵はうまくいくものだよ。

エゴが先立つと、うまくいかなくなることが多いけど、そういう人は押しまくるばかりで、自分が引くということを知らない。不安だったり、余裕がなかったりするとそうなってしまうんだろう。幸い、僕の周りにいる人はそういうエゴとは無縁の人たちばかりで、自分にものすごく自信があるというわけでもなく、ただ静かに音楽を作っている(笑)。それだけで幸せを感じるタイプなんだ。

スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み

Photo by Toshiya Oguma

─納得です。あなたの美意識や、ものの考え方を形成する上で、一番大きかったのは何ですか?

スティーヴ:深い質問だな……美意識というものは重層的なもので、様々な要素が重なり合って出来るものだからね。自分が実際に経験したことから多くの学びを得て、その中から人との付き合い方とか、物事の見極め方を身につけていったという感じかな。それから、父親になって子供を育てた経験も大きいよ。子供の目から物事を見てみる、あるいは子供を通して自分を見ることによって、僕自身のものの見方が変わったりもした。そうやって長いプロセスにわたって経験してきたことが、今の自分を形作っているんだと思う。

それから、年齢を重ねると、これまで様々なチャンスに恵まれてきた自分の幸運さに感謝する気持ちがますます強くなるんだ。こうして音楽を続けられていること、それをみんなに届けられていることが、とにかくありがたい……って、これ、質問に答えたことになるのかな……(笑)。

─大丈夫、答えてます(笑)。

スティーヴ:それから、一つ付け加えるとすれば、僕が特定の宗教を信じていないということも関係しているかもしれない。ここに生きていること、それだけが全てであり、真実であるという考え方なのでね。

─現実に生きるということですね。では、もっと具体的な訊き方をしましょうか。音楽以外の、他の芸術形態ではどうでしょう? 例えば文学やアート、映画で、今に至るような影響を受けたものは?

スティーヴ:映画は好きだね(と言いつつ、どの作品とは言えないらしい)。ストーリーはもちろん、脚本、撮影の仕方でも作品の質が変わるし、音楽の魅力もある。伝えられることが多い分、興味深いメディアだ。駄作も多いけど、素晴らしい作品も多くある。もちろん、本を読むのも好きで、よく読書しているよ(これも特に作品名は挙がらず)。

スティーヴ・ジャンセンにとってのジャパン時代

─本と言えば、最近ジャパンの評伝の第2弾(『JAPAN 1983-1991 瓦解の美学』アンソニー・レイノルズ著)が出ましたけど、レイン・トゥリー・クロウで再結成した時のバンド内の確執など、当時のことが赤裸々に書かれていました。あなたも取材に協力していますが、そうしようと思ったのはなぜですか?

スティーヴ:第2弾の方には協力していないよ。最初の本(『JAPAN 1974-1984 光と影の全バンド史』)にはしたけどね。

─えっ、そうなんですか。では、ここで使われてる発言は……?

スティーヴ:最初の本のためにした取材の発言を使ったんじゃないかな。

─いずれにしてもその時何が起こったかを話しているのは同じですね。バンドの末期に人間関係が相当こじれたこととか……。

スティーヴ:確かに、自分の見方はこうだった、ということは述べたね。当初は、パーソナルなことはさておき、レコーディングの仕方や曲の作り方といった技術的なことを中心に振り返って欲しいということだった。どんな風にリハーサルをしていたのか、とかね。それまでそういうテーマで話したことはなかったから、できるだけ協力しようと思ったんだ。で、当時の事実を提供したところから、だんだん話が膨らんで、多少パーソナルなことを話したこともあったかもしれない。出来上がったものに関しては非常に満足しているし、内容もほぼ正確なものだと認識している。

ただ、続編への協力は断わったんだよ。著者は素材がたくさん必要だということで、僕の話を聞きたがった。他のメンバー全員とその後も仕事をしたのは僕だけだからね。そうすると僕だけの主観で話したことが唯一の事実と受け止められる危険性がある。それではおかしなことになってしまうと感じたんで、今回は協力は出来ないって言ったんだ。

─そうだったんですか。あなた自身、ジャパン時代に起こったことは、自分の中で全部消化しきれているんでしょうか。もっとこうすればバンドを続けていけたのに、という後悔はありますか?

スティーヴ:そもそも、これをやろうと言って始めたことを完成させることが出来なかった(レイン・トゥリー・クロウの作品が当初の企画とは異なる形で世に出たことを指している)。そういう意味では、もっとできることはあったとは思うよ。ただ、そんな状況で終わったことは悪いことじゃないと思ってる。そこで終わったからこそ、その後、それぞれがバンド以外の道を進むことが出来たわけだからね。成功の頂において解散してしまったのは勿体無いことだけど、逆にそれが『この人たち、次は何をやるんだろう?』って、人に興味を抱かせることにもなった。僕はそう思ってるよ。

僕に関して言えば、”後悔”というのはあまりないんだ。全てはなるべくしてなると思っているからね。デビューから6年ちょっと(※実際は5年)と、あまり長くはない期間の活動だったけど、その期間で僕らはかなり成長できた。最初の作品と最後の作品を聴き比べると、まるで違うバンドのようだ。成長はバンドが願う最大の課題だから、それが出来たという意味では満足しているよ。ただ、もっと出来たことはあったけどね。

ミュージシャン人生のハイライト、これからの人生

─余計なお世話かもしれませんが、「ジャパン、大好きでした!」って言われると微妙な心持ちになりませんか? あなたは今も現役なのだし、「好きでした」って過去形だし……。

スティーヴ:うんうん(笑)。でも、そういうものだよね。ジャパンは僕の歴史ではあるけど、今は僕から離れて、その人のものになっているんだよね。確かに自分がやっていたことではあるんだけど、どこか他人事というか、不思議な気持ちになるよ。でも、誰でも心の中に、好きだったバンドが占める特別な場所というのがあるよね。僕にもある。例えば、ある特定のタイプの音楽を初めて知ったきっかけになったバンドって、やっぱり特別だよね。

ただ、僕にとってジャパンはそういう対象ではないんだ。だからたまに僕がジャパンのことを振り返って話した内容について「なんで私にとって大事なバンドなのに、そんなネガティブなことを言うの?」なんて言われると……(苦笑)。僕にとってジャパンは、クリエイティビティのアウトプットの一つ、という位置づけでしかないからさ。

─「今の作品も聴いてね」って言いたい気持ちもある?

スティーヴ:昔のファンに対して? まあ、何をやってもジャパンと比べられるのはわかっているし……でも、若いファンで80年代の音楽が好き、という人たちは、あの当時のジャパンの音楽だけを求めていて、そこから先−−例えば今、僕がやっていることにはなかなか繋がっていかない。どちらにしても難しいところだよ(笑)。

─……ずいぶん俯瞰して見てるんですね。

スティーヴ:それが現実だからね。フフッ。

─実際、若いファンの存在を感じていますか?

スティーヴ:うん。直接触れ合ったことはないけど、ネットを通じて、若い人たちがジャパンのどんなところに反応しているかとが、客層みたいなことがわかるからね。それを見る限りでは、新しいものに対してではなくジャパンに反応してる若い人達の方が多い。僕に関しては「あ、この人、まだ生きてたの?」みたいな感じさ(笑)。

─今までのミュージシャン人生を振り返って、最大の喜びを感じた時というのはいつですか?

スティーヴ:ハイライトといえば82年かな。本当にいい年だった。ジャパンでツアーをして、ユキヒロ(高橋幸宏)ともツアーして、とにかく楽しかった。いろんなことをする機会に恵まれて充実していたね。ジャパンは終わりに近かったけど、不思議と辛くはなかった。悪い思い出よりは良い思い出の方が断然多いんだ。

─これからしばらくはエグジット・ノースとして活動を続けていくと思うのですが、他に一緒にやってみたい人はいますか? 進行中のプロジェクトなどはあるでしょうか。

スティーヴ:ないよ。今はエグジット・ノースに集中している。旧知の人たちとは「何かやりたいね」というような話は常にしているけど、具体的な話になっているものはない。

─デヴィッド(・シルヴィアン)にまた一緒にやろうと言われたらやります?

スティーヴ:彼はもう引退したんだ。もう作品を作ることはないんじゃないかな。Twitterでちょっとそんなことをつぶやいていたよ。改めて発表したりすることはないと思うけどね。

─今はエグジット・ノースに注力ですね。出来るだけ長く続けていくつもり?

スティーヴ:特に目標も設けてはいないよ。これまでレコードを1~2枚作って終わり、というプロジェクトをたくさんやってきたから、敢えて長期的なプランというのは立てないことにしているし、どうしても状況は変わっていくものだからね。でも今はこれが一番楽しいし、一緒にやっていて心地よいと思うから可能な限り続けて行きたいと思っているよ。

スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み

Photo by Masanori Naruse
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