キャメロン・ダグラスが過去の記憶を書き始めたのは――父親(マイケル・ダグラス)と祖父(カーク・ダグラス)という2本の大樹の下で育つプレッシャーから、人生をほぼ壊滅させたヘロイン中毒まで――ペンシルベニア州ロレットにある連邦刑務所の独房棟で正気を保つためだった。

メタンフェタミンを売りさばき、ヘロインを所持していたとして7年間過ごした塀の中での生活も十分過酷だったが、麻薬検査で陽性が出た後11カ月間また堀の中に、しかも独房に放り込まれるのはそれ以上の苦痛だった。


「普通に刑務所にいれば、ペンとノートは誰にでも与えられる」と彼は言い、独房の中で執筆するのにいかに苦労したかを詳しく語った。「でも独房の中では、こんなちっこい鉛筆しかない。芯を削るのだって、根気と忍耐がいる作業なんだ。サツに媚びも売らなきゃならない。中には親切な奴もいて、(削ったのを)1時間で持ってきてくれたりする。1日かかることもある。とにかく俺はあそこで、記憶を遡れるだけ遡って、できるだけかき集めようとしたんだ」

そうして集めた記憶から、最終的に新著『Long Way Home(原題)』が完成した。ヴァニティフェア誌の編集者ベンジャミン・ウォレス氏との共著による、胸に迫る作品だ。だが現在40歳のダグラス氏は、父親からやってみたらどうだと説得されるまで、本を書く気はさらさらなかったそうだ。「うちの家族は昔からかなりの秘密主義でね」と彼は言う。「俺にとってもプライバシーは重要だ。だから、親父がなぜそんなことを言うのか理解に苦しんだ。
でも、おかげで考えることができた。それで(出所を)待つ間、実のあることに没頭することができた」

書くことで胸の内を整理するうちに、そもそも父親がなぜ執筆を勧めたのか、彼も理解した。「親父なりの愛情表現だったんだ」と彼は言う。「親父はこう伝えたかったのさ、『お前には語るべき物語がある。たとえ私のプライバシーに関わるとしても、お前に語ってほしいんだ』とね」

『Long Way Home』は2004年、スペインのマヨルカ島の別荘で始まる。キャメロンが父と一緒にいると、マイケルの腹違いの弟エリックの訃報が舞い込んだ。ドラッグの過剰摂取による死。享年46歳だった。エリックの人生は、荷が重すぎる期待の連続だった。実の父親が、ハリウッド史上最も成功した俳優の一人なのだから当然だ。マイケルや家族が何度も更生させようとしたにも関わらず、キャメロンもまた同じ運命へ向かっているように思われた。

「俺は13の時からドラッグをやってきた」と、キャメロンは当時についてこう綴っている。
「俺の今の依存状態は特にひどい。忙しいときにはコカインを1時間に3回も注射している。DJとして一度は約束されたキャリアも、俺の無責任さで台無しになった。俳優として身を立てるチャンスもあったのに、ふいにした。家族が、いや俺自身が、自分を誇らしく思えることなど何ひとつやってこなかった。最近、親父が俺を見るたび、そこに愛情は感じられない。感じられるのは心労と哀愁、そして苛立ちだ。父との会話はいつも金のことか、俺がまた何かやらかしたという話ばかりで、いつもピリピリしている。たしかに俺はエリックと同じかもしれない。でも、彼のような死に方はごめんだ。そして永遠に生きられるという若者特有の思い込みに捕われた俺は、同じ道を歩む気がしない」

ドラッグでプレッシャーから逃れようとした少年時代

ニューヨーク・ポスト紙の紙面には「ダグラスの息子が刑務所行き」「キャメロン・ダグラスは被害者にあらず――単なる甘やかされたドラ息子」といった見出しが踊った。彼の窮状に同情を寄せるものはひとつもなかった。
結局のところダグラスは、ほとんどの人が想像すらできないような、裕福な特権階級の出身だった。同世代の若者と同じようにヘロイン中毒になったとしても、彼には世界最高水準の更生施設に入る術があった。大量の麻薬所持で逮捕されても、最高の弁護士を雇ってもらえた。

マイケル・ダグラスの息子が語る薬物依存の恐怖「俺は注射器の奴隷になった」

1985年ごろ、『ナイルの宝石』撮影セットでのキャメロン・ダグラス(Michael Douglas Collection, Howard Gotlieb Archival Research Center at Boston University)

「人生は選択と決断の連続。そして、その結果と共に生きていくのさ」と彼は言う。「世界には俺よりもつらい幼少期を送っている子供が何百万といる。俺は俺なりの生き方をして、そのツケを払った。誰のせいでもない、俺自身のせいだよ」

とは言いつつも、子供ながらに一家の名前が巨大な重圧となっていたと本人も感じている。単なる有名一家のひとりではなく、いっぱしの人間として見られるというプレッシャーだ。「若い頃の俺の行動の裏には、家名にふさわしい人間だと証明したい、という衝動があった」と彼は言う。「それは俺にとって、一番上を目指そうとする人間よりもひとつ抜き出なくちゃいけないことを意味していた。何事においてもね」

小学6年生のとき無理やり寄宿舎学校に入れられたキャメロンは、そこでマリファナの味を覚え、やがて強いクスリに手を出した――それが学校側にバレたため、退学処分となった。
ほどなく彼はちょっとした盗みを働いたり、街中で騒ぎを起こすようになった。こうした事件で、彼は長期間少年院に入り、アイダホ南部の砂漠を他の非行少年達と共に、ギリギリ失神せずに一日を乗り越えられるだけの食料を持たせられて踏破するという、「荒野の修行」をさせられた。その場合、彼の名字は特権ではなく呪いとなった。「そういう場所に行くときは、ミドルネームを使ったものさ。名字を知られたら、たちまち狙われるとでも思ったんだろう」と本人。「どのみちみんなに知られることになるんだけど、でも2週間ぐらいは名無しの権平でいられた。その2週間で評判をあげておかなきゃいけないこともわかっていた。もし誰かに本名がバレても大丈夫なようにね」

歯車が狂い始めるのは1990年代後半、NYを拠点にDJとして活躍していた頃、コカインを多用するようになってからだ。一度静脈に直接針を刺すや、コカイン中心の生活になった。「俺は注射器の奴隷になった」と彼は本の中で書いている。業を煮やした親類が彼の全財産を取り上げると、彼は薬物を続けるために国中でコカインやその他ドラッグを大量に売り始めた。そして2009年に逮捕され、禁固5年。
その上刑務所内に麻薬を持ち込んだのが見つかって、さらに4年半刑期が延びた。

大人の刑務所での生活は、彼がそれまで経験したものとは似ても似つかなかった。『Long Way Home』には、他の受刑囚との暴力沙汰や、すぐ隣の独房から聞こえてくる囚人のレイプ、檻の中でつらいヘロインの禁断症状を耐えたことや、ハンドボールの試合中に脚の骨を折って重傷となっても4日間病院に連れて行ってもらえなかったという恐ろしい事件についてなどが、実に生々しく描写されている(当時は彼が刑務所内の喧嘩で骨折したと報じられたが、本人はそれは誤りだと主張している)。

中でも最悪だったのは、少量のマリファナ所持といった比較的軽い違反で、たびたび独房送りにされたことだ。「うさんくさい尿検査のせいで、11カ月も食らったんだ」と本人。「つまり、ちっこい箱に24時間、毎日入れられるってことさ。頭がおかしくならないよう、やれることは何でもした」

マイケル・ダグラスの息子が語る薬物依存の恐怖「俺は注射器の奴隷になった」

キャメロンと父マイケル。レイク・シャスタにて(Michael Douglas Collection, Howard Gotlieb Archival Research Center at Boston University)

ドラッグの魔の手から逃れ、平穏への第一歩

最終的にキャメロンは2016年8月、7年の刑期を終えて出所した。2014年初期以降、少量のマリファナを除いては、クスリは全くやっていないと言う。現在はロサンゼルスで、ほとんどの時間を恋人のヴィヴィアンと愛娘ルア・リジーと共に過ごしている。何本か脚本を書き、自著の映画化の可能性も検討している。父とは相変わらず非常に仲が良く、週に2日は必ず102歳になる祖父カークの元を訪れている。
「自宅から祖父の家まで15分ぐらいなんだ。祖父のプールで娘に泳ぎを教えているんだよ」とキャメロン。「祖父とこういう風に過ごせるなんて、本当にありがたいことだ」

再び俳優業にチャレンジしたいとも考えている。ただし、ピンと来る役に限ってだが。「いくつかオファーは来ているんだが、基本的にどれも世間が抱く俺のイメージの役柄で、あまり興味が湧かない」と本人。「少なくとも、今の段階ではナシかな」

また彼は、アメリカの刑務所制度や、罰として独房が頻繁に使われていることについても思いを巡らせている。「刑務所に入った人間は、男も女も、最終的には出所する」と彼は言う。「だけど、みんな動物同様に扱われ、仲間同士も動物のように扱ってきた。それでシャバに出て、普通の生活を送れだと? そう上手くいくもんか。思わずこう尋ねたくなるね、これは仕組まれてるんじゃないか?って。刑務所の大半は民間企業の経営なんだ。こういう場所を常に満員にしておくために、株式市場で人の命が取引されている。俺に言わせれば、空室が出ないように制度が組まれているんだよ」

波乱万丈な日々が全て過去となった今、彼は今、クスリに手を出さずにいること、そして娘のために良き手本となることに専念している。「娘は今まで知らなかったような発想を与えてくれるんだ」と本人。「今までの人生で経験したことがないほど、強力な活力が湧いてくる。この子が大きくなって、父親がどんな経験をしてきたかを知るころまでには、娘に誇らしく思ってもらえるような自分になりたい」
編集部おすすめ