「俺は絶対に妥協しないが、完全な成功、この場合は勝利なら良しとする」と、ムステインはがん告知とこの冬の復帰について語った。

月曜日の午後遅く、デイヴ・ムステインはテネシーにある自宅で寛いでいる。
近所の牛たちはモーモーと大声でおしゃべり中だ。ローリングストーン誌からの電話を受けたムステインは「今は自分の人生に取り組んでいるだけさ」と語った。

5月、メガデスのフロントマンはがんの告知を受け、しばしの間、表舞台から去ることになった。これを受けて、メガデスは自身のフェスティバル、メガクルーズも含む2019年のツアー予定をすべてキャンセルした。その後、いつもなら積極的に発言するムステインはずっと沈黙を保った。告知時点で、がんと診断した医師たちは生存率90%とムステインに伝えたと言う。

9月に入ってムステインは声明を出した。その中で彼は、治療の最終ラウンドがもうすぐ終わるが、主治医たちは見通しが明るいと言っていると述べた。ムステインが言うところの「最悪の治療経験」という段階を終えた今、彼はファイヴ・フィンガー・デス・パンチと一緒に回るこの冬のヨーロッパ・ツアーでメガデスに復帰することになっており、これまでの経緯を本誌に語ってくれた。

「治療の大部分を終えた今、俺は本当に強くなったと感じている。放射線治療の後、検査結果がとても良いと担当医が教えてくれた。『本来ならステージ3の状態なのに現状はステージ1と変わりない』ってね。
その後、がん専門医も同じことを言ったよ。『あなたはとても強いようだ』と。だから、そのまま治療を続けたんだ」と、ムステインが言う。

がん告知後、気分の優れない日が2日だけあったらしい。まだ医師から寛解期とは告げられていないが、最近やるべき治療をすべて終えて、すでにリハビリを始めている。ムステインが治療に専念することになり、メガデスは新作制作を延期した(現在ツアーに先駆けて新曲を数曲リリースする予定でいる)。しかし、現在のムステインが最も楽しみにしているのがツアーへの復帰だ。冬のツアーを目前にして、彼は「ものすごく興奮している。ギターで火を吹くのが待ち遠しい」と語る。

そんなムステインを見てファンは驚きすらしないだろう。「ピース・セルズ」、「ヴィクトリー」、「ホーリー・ウォーズ…ザ・パニッシュメント・デュー」などの楽曲で、獰猛さすら感じる不屈の精神を高らかに宣言した男なのだから。「コイツには絶対負けないと確信していた。
コイツが脅しても絶対に負けないぞ、とね」と、心配など微塵もない声で彼は語る。

がん発見のきっかけは?

―がんはどのように見つかったのですか?

あのときはツアー中で、自宅に戻ったときに歯の治療をしなきゃいけなかった。赤毛のせいで俺の歯は相当の知覚過敏でね。仮歯を本歯にするときに歯医者に「歯茎の中に器具の一部が入っているような感覚がある」って伝えた。歯の周辺に違和感があったんだ。すると、歯医者が「それなら口腔外科で診てもらった方がいい」と言った。そこで、口腔外科医の診察を受けたら、そいつがとんでもない医者でね。俺の歯を見た途端にいきなり席を外し、俺はそのままずっと待たされた。やっと戻ってきたと思ったと思ったら、その医者が「これはビッグC(訳註:がんの意)のようだから、耳鼻咽喉科で診察しないとダメだ」と言うんだよ。俺はとにかく、その医者のマナーの悪さに驚いた。本当に最低な医者だったんだ。車に戻った後、本当に気分が悪かったよ。
そして、エクスペリエンス・ヘンドリクス・ツアーに戻った。

あるエンドース契約をした担当者の友人が緊急外来勤務の医者で、そのツアー中に俺の喉を診に来てくれた。その医者が「これは毎日20回は見る症状だ。何もないよ。自宅に戻ったらチェックしてもらえばいい」と言ったから、俺は「ありがたい!」と思ったよ。そのままヘンドリクス・ツアーを続けられたし、最高に楽しかった。そしてフロリダでプレイした時に、耳鼻咽喉科でチェックしてもらったのさ。それから2週間、何も連絡がなかったから、俺は「連絡がないってことは大丈夫だよな?」って思っていた。でも、その医者に連絡して話したら、「ああ、そうだ、君はがんだよ」って。

―その知らせをどう受け止めたのですか?

当然「ファック!」ってなったけど、その後に「そうか、わかった、ムステイン、お前なら克服できる」って思った。そして、コイツの退治を開始した。それまで覚えた身体の癒やし方をすべて考えてみたし、マーシャルアーツで学んだ方法も考えたし、医者が有効だと言ったことはすべて実行したね。
これで完治して、再発の連絡が来ないことを願っている。今は最高に良い気分だよ。

―つまり確実にツアーに戻れると?

まあ、医者たちはそう言っていないけどな。でも、連中は俺の治癒力の高さに驚いていたよ。俺のために祈ってくれるファンが世界中にいるし、俺もちゃんと身体をケアするし、俺のことを知っていれば、これ以外の結果になるなんて誰も思わないよ。俺は絶対に妥協しないが、完全な成功、この場合は勝利なら良しとするね。

ムステインがマーシャルアーツで学んだこととは?

―この時期を克服するのに役立ったツアーからの教訓やマーシャルアーツで学んだことは何ですか?

俺は昔から身体を動かすのが好きで、マーシャルアーツに興味があった。鍵は、病気になったら良くならないこと。つまり病気にならないことが一番なわけさ。東洋の瞑想、治療やトリートメント、哲学の基本は、病になるのを防ぐ未病なんだ。一方、西洋のアプローチは病気になってから対処するというものだ。だから、がんの告知をしたとき、医者はビビって、最悪の可能性を俺に言った。
「食事ができなくなれば栄養チューブを使うしかない、これができなくなれば、君の頭を切り落とさないといけない、あーだこーだ」ってね。俺は、ああ、わかったよ、やるよ、やるから、って。

医者たちは「体重を維持しないとダメだ」と言った。確か、めちゃくちゃ病んでいたのが2日半くらいあったと思う。その後で体重を計ってみた。普段は84~86キロなんだけど、そのときの俺は77キロだった。それを見た医者たちはビビって「何があったんだ? 体調が悪いのか?」って。だから「ああ、ちょっと病んでいたよ」と答えたよ。自宅に戻って「大丈夫だ、もう回復した」と思って、普段通りの生活に戻った。その後でまた病院に行ったら、体重が84キロに戻っていた。医者は「どうやってそんなに体重を増やしたんだ?」って聞くから、「食っただけ」って答えた。

俺は落ち込む気が全くなかった。
絶対したくなかったのが、病院で小娘みたいにメソメソすること。これまで経験したさまざまな困難が何にでも対峙できる強さを与えてくれたし、これだって例外じゃないのさ。

―がんの原因はわかったのですか?

実際の原因はわからないと医者が言っていた。ただ、がんの種類はわかっている。舌根に扁平上皮がんができたんだ。これは口の中にできる腫瘍で、口の片側からリンパ節2ヵ所まで広がっていたから、かなり危険な状態だった。

この告知を受けたときに、この病気になった子どもたちのことを思い出したよ。サンディエゴにいたとき、地元の海軍と小児病院に行ったんだ。サンディエゴではチャリティに真剣に取り組んでいたからね。これは冗談でもなんでもなくて、この病気に罹患している病人を見ると本当に怖くなるぜ。

がん告知後に役立った「信仰心」

―信仰心がポジティヴな気持ちを維持するのに役立ちましたか?

これに関しては冗談を言うつもりはまったくないけど、今のカニエがやっていることやメッセージを知っているよね(アルバム『Jesus is King』をリリース)。俺はカニエがあれをやっているのを高く評価している。俺も長い間、祈り続けているし、この一件が持ち上がったとき、本当にたくさん祈った。他の人に同じことをしろというつもりはないよ。人に強制するなんて絶対にしない。でも、俺は克服できるように祈ったし、こんなに早く治ったのも祈ったおかげだと思っている。ここを読んだ多くのファンが「おいおい、デイヴ、何を言っているんだ?」ってざわついているだろうけど、俺が言いたいのは、誰にも信じる対象があるってことだ。それに自分のケアをちゃんとして、肉体的にもスピリット的にも健康な状態でいたからこそ、今の状態になれたって俺は信じているんだよ。

―この時期を支えてくれたのは誰でしたか?

家族だよ。特に奥さんがね。みんな頼りがいのある大きな岩のようだった。最高だよ。何か不都合なことがあっても、家族に頼ることができるのさ。

―がん告知を公表したとき、ファンや音楽仲間から溢れんばかりの支援の声があがりましたが、あれも元気を与えてくれたのでは?

うん、そうだった。俺にとってはかなりの驚きだったよ。支援の声の多くは知り合いからだったけど、彼らが心配してくれるなんて思ってもみなかったね。何よりも驚いたのが、昔の兄弟のジェイムズ・ヘットフィールドからテキストメッセージが来たことで、彼から連絡があって本当に嬉しかったんだ。誰が何と言おうと、過去に俺たちの間に何があったとしても、俺はジェイムズを愛しているし、ジェイムズも俺を愛してくれているし、大事に思っていてくれる。そういうことは、こういう決定的な瞬間が訪れるとはっきりするんだ。俺は世間に「死ぬ可能性のある病気になった」と公表したわけだ。そんなとき、俺に寄り添ってくれる仲間は誰かと言ったら、ジェイムズなんだよ。

あと、オジーからもテキストメッセージが来たし、ポール・スタンリーからもあった。オジーからメッセージが来たのには感動した。ポール・スタンリーは予想外だったね。もちろん、最高に嬉しかったよ。だって、KISSがデビューした頃はまだガキだったけど、彼らが大好きだったから。

みんなの支援には本当に感謝しているよ。過去に俺の言動で嫌な思いをした人たちでさえ、俺に愛情を示してくれて、本当に嬉しい限りだよ。みんなが言うんだけど、俺たちに最後に残るのは、このクレージーなメタル・コミュニティの仲間ってことなのさ。

―そうですよ。あと、ファンからの激励も嬉しかったでしょうね。

それは本当に心の底からありがたかったし、俺がこの時期を過ごすのに助けとなった彼らに、今後どうやってお礼したらいいのかわからないよ。みんなに「ツイートしてくれたみんな、フリー・コンサートに来てくれ」って言いたいくらだ。でも、それじゃ足りない。ほんと、一人ひとりの目を見ながら「ありがとう。愛している。君のおかげで克服できた」と言って、みんにハグしたい。でも、それだって十分じゃないと思うし、無神経にすら思えるよ。

正直にこう言いたいよ、「ここに来て座ってくれ。パジャマに着替えて、一緒にテレビでも観ながら闘病生活のことを話そうぜ」って。とは言っても、中には「なあ、デイヴ、俺、30だぜ。パジャマ着て、あんたと同じベッドは勘弁してくれ」というヤツもいるだろうな。同じベッドじゃないよ。「ソファに座って、毛布かぶって、一緒にポップコーンでも食おうぜ」ってことだよ。勘違いしないでくれよな。

メガデスのデイヴ・ムステイン独占告白、がん公表後の沈黙を破る

2018年のデイヴ・ムステイン。(Chiaki Nozu/WireImage)

―キャンプファイヤー・パーティーという手もあるかも。

ああ、スモア食って、懐中電灯を照らして遊んで、アホっぽいことをするのもいいな。

何らかの「変化」があったとしても、それはバンドを継続するため

―メガクルーズ(クルージング型のフェスティバル)を休むのは心苦しかったですか?

体調が悪くて行けなくなってしまって、俺はかなり気落ちした。でも、あのとき、俺の赤血球の数値が下がってしまって、たとえ行ったとしてもそこに登場するのは、明らかに体調が悪い場違いな病人だったろうし、まるで過去に人気のあったヤツが登場する”あの人はだれ”的な感じだっただろうから、俺にとっちゃボーカリストとしてのキャリアがそこで終わってたかもしれないよ。ほんと、「クルーズに行かない」と明言するのはかなり辛かった。でも、ファンは絶対に理解してくれるとわかっていたし、彼らは最高の方法で俺の味方として支援してくれた。

カナダからメカニクスというカバーバンドを呼んで、メガデスの曲をやってもらったし、ファンにも登場してもらって、このバンドと一緒にカラオケ大会もやったんだ。ジュニア(=メガデスのベーシストのデヴィッド・エレフソン)もそのカラオケ大会に参加したはずだ。メガデスが演奏しなかったといえ、このフェスティバルは大成功を収めたよ。周知の通り、みんな本当に楽しんだと思う。今の俺は「今回これだけ楽しかったんだから、次回、俺が参加したらどうなるか乞うご期待だ。みんなで楽しむし、大騒ぎするし、今回のクレージーな闘病話を披露してやるぜ。ファンと交流するし、握手するし、楽しいことをたくさんやるぞ」と考えているのさ。

―ツアー中の生活がこれまでと変わったりしますか?

そうかもしれない。現在の生活は前と違う点があるので、今後も生活の中で少し変化が出てくると思う。ファンに理解してもらいたいことは、今後何らかの変化があるとしても、それはこの仕事を続けるために必要だってことだ。世間にはクソみたいなことをやるバンドもいるけど、俺たちは絶対にそうならない。

―どういう意味ですか?

ほら、口パクとか、あるだろ? 俺は「お前ら、脳みそないのか?」って心の中で思っちまう。でも、そういう連中は「だって、舞台に立って踊るって体力をものすごく消耗するんだもの」と言い訳するわけだ。「じゃあ、ウエイト・トレーニングでもしやがれ、あほんだら」と言いたいね。生粋のアスリートで歌って踊れるからこそ何百万ドルも稼げるし、高額チケットでも売れる。それができなきゃステージに立ってファンを誤魔化すなってんだよ。「私ってホント可愛そう。ステージでは歌わないでダンスするだけ。ファンをごまかして大金を稼いでいるんだから」って愚痴ってりゃあいいんだよ。

ブルース・ディッキンソンからのアドバイス

―もう歌い始めていますか?

いや、まだ歌っていない。アイアン・メイデンのブルース(・ディッキンソン)と話したんだけど、彼があの病気(舌にがん性腫瘍ができた)になったとき、治療を終えた後で3カ月から半年の休養が必要だと言われたんだって。ブルースはそのアドバイスを無視したようで、それが原因で少しトラブった。それがきっかけで、この助言は聞くべきだと気づいたと言っていた。そして、しっかり休養してから始めたら、彼の声は前よりも強くなっていたんだよ。俺はブルースのことを本気で大切にしているし、今回の闘病中に彼も一生懸命に俺をサポートしてくれたんだ。自分の体験談を教えてくれて、それが本当に役立った。これから先、音楽仲間に同じことが起きたら、俺も全力でサポートするつもりでいるし、そうやって恩返ししたい。これは結構トリッキーな病気だけど、コイツを見つけてやっつけてくれる医者が至る所にいるからね。

―次のツアーはウィニング・ランだと思っていますか?

どうなんだろう。ツアーに出て、ウィニング・ランをするって感じではないな。これは謙遜している振りに聞こえないことを願うけど、「なあ、俺は生還した。ここにいるぜ。ありがとう。みんなのためにここに居られてとても嬉しい」なんて言うのは偽善っぽいと思っちまう。だって世間には「まったく、お前がいなくなるって喜んでいたのによ」と思う連中だってたくさんいるはずだから。そんなもんだよ、年寄りバンドなんてもんは……。

―あなたは今後も前進する気満々ですが、一方でスレイヤーなどの同世代のバンドが引退ツアーをしているのを見るのは奇妙ですか?

そんなこともないよ。そんなに奇妙とも思わない。20年間ずっと引退ツアーを続けているバンドだって知っているし、連中は今ではそれがジョークにすらなっている。引退ツアーを5年間やって引退して、また復活して引退ツアーをして…ってのを繰り返したら、ファンに切り刻まれるリスクを高めるだけさ。今後は二度と観られないからってファンは物販で大量にグッズを購入するわけだ。でもすぐに「気が変わった」と言ったら、彼らは確実に激怒する。

―最近モトリー・クルーが復帰を宣言しましたが、モトリー・ファンの反応が楽しみですね。

連中は引退してなかった。絶対にしていなかった。復帰するのは折込済みさ。わかっていたよ。ほんと、そうだと思っていた。まったく、信じられない。じゃ、次の質問。

「これは無理だなんて絶対に思わない。やろうと思えば何でもできるんだよ」

―最近、かなりの本数のギターを売りに出して、一人の男性が全部買い上げました。これに対する見解を教えて下さい。

称賛すべきことだね。彼と会うことがあれば、喜んで全部にサインするよ。

―その男性は、保管しておくのではなくて、他の人が弾けるようにすると言っています。

それはいいことだ。140くらいの品物があって、初日に15個を除いて全部売却されたって。大成功だったね。

―今回の闘病中に余計なことを考えないようにするために何をしていましたか?

新しいレコードを作る計画を立てていた。がんのヤツがメガデス・キャンプに突然立ち寄ったから、当初の計画を再調整しないといけなかったのさ。ファイヴ・フィンガー・デス・パンチの連中とツアーを開始する前に数曲をレコーディングした方がいいと、マネージメントが提案してきた。つまり3曲だけフライングでリリースしたらどうかってね。それ以外だと、新しい書籍を共同執筆者のジョエル・セルヴィンと一緒に見直したよ。今は本の中で『ラスト・イン・ピース』を作ることを話し合っているから、こればかり聞いている。もう、ラスト・イン・ピースかぶれって状態。そんな状況だから、早くギターを持ちたくてウズウズしているのさ。今、強烈なアドレナリンが大放出されていて、興奮が抑えられないんだよ。この章の前はスカイダイビングをし始めた頃のことを書いた章を完成させた。今後スカイダイビングを再開するかはわからないけど、あれは本当に楽しいし、あのゾクゾク感は最高だよ。

―今のあなたの精神状態はとても活発なようですね。

がんには絶対に負けない。ファンにも、家族にも、神にも感謝しなきゃいけないって思うけど、コイツに負ける気は絶対になかった。(ブラック・サバスのギタリストの)トニー・アイオミががんになったとき、俺は「なんてこった、彼が死んでしまう」と悲観して、実際に涙を流して泣いたんだ。だってステージ4のがんだって言っていたから。そして、自分ががんになって、俺は「なんてこった、俺は死んじまう」と思った。だって、それがどれだけ悪化しているか知らなかったから。ファンのことを考えたし、彼らの悲しみも考えた。そしたら「コイツをやっつけなきゃ」と思ったんだ。何が起きたとしても、これは無理だなんて絶対に思わない。やろうと思えば何でもできるんだよ。

―現在の人生の見方は以前と変わりましたか?

う~ん、変わったと思いたい気持ちがあれば変わって見えるかも。でも、そうするつもりはないな。被害者ヅラするのはめちゃくちゃ簡単だと思う。だって世の中には(わざとらしく感情を込めながら)「あら、お元気? 今日はどんな感じ?」って言う人がいるんだよ。そういうのを聞くと(同じ声色で)「うん、絶好調だよ。あんたはどう?」って返事を「あなた、死ぬの?」と言うのと同じトーンで話した方がいいかもって思うことがある。俺は闘病中に楽観さを維持するようにしていたんだよ。
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