ニュージャージー出身のパワーポップグループ、ファウンテインズ・オブ・ウェインのオリジナルメンバーで、映画やTV、舞台音楽でエミー賞やグラミー賞の受賞歴もある作曲家アダム・シュレシンジャーが、COVID-19による合併症で水曜日にこの世を去った。享年52歳。
シュレシンジャーの弁護士、ジョッシュ・グリアー氏がミュージシャンの死を公表した。シュレシンジャーは3月に入院し、検査の結果コロナウイルス陽性と判明。一時期は人工呼吸器につながれ、鎮静剤を投与されていた。
スレシンジャーはポップ界でも独特かつ多忙なキャリアを送ってきた。ファウンテインズ・オブ・ウェイン(以下、FOW)――パワーポップの陽気さに、インディ・オルタナロックの感受性を盛り込んだグループ――とともに、1996年から2011年にかけて通算5枚のアルバムをリリース。並行して別のグループ、アイヴィー(Ivy)の6枚のアルバムをリリースする傍ら、TVや映画音楽でもキャリアを築いていった。
最初に訪れたヒットは1996年。あえて60年代風のサウンドに作りこんだ「THAT THING YOU DO!」。トム・ハンクスの監督作『すべてをあなたに』に登場する架空のバンド、ザ・ワンダーズの唯一のヒット曲として使われたものだ。この曲は現実世界のヒットチャートでも好調で、シュレシンジャーはアカデミー賞最優秀楽曲賞にもノミネートされた。
2016年、オンラインマガジンConsequence of Soundとのインタビューで、シュレシンジャーは映画のストーリーと現実を比較してこう語っている。「この1曲でいきなり有名人になるんだ。どこへ行ってもついて回るし、何度も何度も演奏しなくちゃいけない。それが自分の代名詞になるんだ。だけど常に新しい気持ちで、一生懸命にもならなくちゃいけない。おかしなものだよね……本当、嬉しい悲鳴だよ。『THAT THING YOU DO!』以前は、僕が書いたものは誰一人知らなかった。それが1曲ヒットして、数年後にはもう2~3曲がヒットした。ソングライターを目指していたばかりのころは、誰もが聞いたことのあるヒット曲を代表作として挙げたくてたまらないからね」
「アダム・シュレシンジャーはポップミュージックの作曲を、もっとも優れた高みに昇華させた」と、ジャック・アントノフも記している。「彼が活躍した時代に生まれることができて、光栄だ」
「なんてこと。アダム・シュレシンジャーはあんなに才能にあふれていたのに」と、コメディアンのキャシー・グリフィス。
「FOWとしての活動はもちろん、数々の賞を受賞したTVや映画、舞台音楽にいたるまで、何百万人というファンがアダム・シュレシンジャーのほとばしる魅力を目の当たりにしてきました」と、ニュージャージー州のフィル・マーフィー州知事もこう述べた。「ニュージャージーの音楽シーンは、惜しい人物を亡くしました」
アダム・シュレシンジャーの生い立ちとFOWの歩み
シュレシンジャーは1967年10月31日生まれ。マンハッタンで幼少期を過ごした後、家族とともにニュージャージーへ移る。マサチューセッツのウィリアムズ大学在学中にクリス・コリンウッドと出会い、バンドを結成。ニュージャージーにあるガーデニングショップの店名にちなんで、ファウンテインズ・オブ・ウェインと名付けた。デモテープを制作し、アトランティックレコーズと契約。1996年にリリースしたデビューアルバム『ファウンテインズ・オブ・ウェイン』は批評家からの評判も上々で、オルナタロック調の「ラディエーション・ヴァイヴ」はある程度のヒットを記録する。1999年の次回作『ユートピア・パークウェイ』も批評家らから評価されるが、商業的ヒットには至らず、アトランティックとの契約を打ち切られる。
FOWが次のアルアムをリリースするまでに4年かかったが、2003年の『ウェルカム・インターステイト・マネージャーズ』はバンド最大のヒットアルバムとなった。「ステイシーズ・マム」はカーズやリック・スプリングフィールドを思わせる、永遠のパワーポップ・カルトな1曲で、『アメリカン・パイ』世代の「ミセス・ロビンソン」と呼ばれた。
2003年のMTVとのインタビューでシュレシンジャーはこの曲が生まれるきっかけとなった出来事について語っている。「多分11歳か12歳のころかな、すごく仲のいい友人の1人が来て、僕の祖母がすごくイケてるって言ってきたんだ」と彼は振り返る。「それで僕はこう言ったんだ、『おっと、それ以上深入りするな』って。でもあの頃の僕は、誰かがおばあちゃんに手を出すんじゃないかと本気で思ってたんだ」
FOWはさらに2枚のアルバム――20017年の『Traffic and Weather』、2011年の『Sky Full of Holes』――をリリースし、2013年に解散。FOWでの活動の傍ら、シュレシンジャーは別のバンドIvyでも定期的にレコーディングやツアーを行い、1996年から2011年にかけて6枚のアルバムをリリースした。またスマッシング・パンプキンズのジェームズ・イハ、ハンソンのテイラー・ハンソン、チープ・トリックのバン・E・カルロスと組んで、ティンテッド・ウィンドウズ(Tinted Windows)というスーパーグループを結成。2009年にはセルフタイトル・アルバムをリリースした。
映画やTV、舞台での作曲活動
シュレシンジャーはその後映画やTV、舞台で作曲活動の場を広げた。2001年のリメイク版『プッシーキャッツ』、ドリュー・バリモアとヒュー・グラント主演の2007年のラブコメ映画『ラブソングができるまで』の劇中曲を作曲。2008年にはスティーヴン・コルベアのホリデー特別番組『A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All!』に8曲提供し、ジョン・ウォーターズの映画を原作にした2008年のブロードウェイミュージカル『クライ・ベイビー』では共同作曲家を務め、トニー賞にもノミネートされた。
またトニー賞授賞式用に作曲したオリジナル曲「Its Not Just For Gays Anymore」と「If I Had Time」で、それぞれ2012年、2013年と2年連続でエミー賞に輝いた。CWネットワークのヒットミュージカルシリーズ『クレイジー・エックス・ガールフレンド』では作曲家兼エグゼクティヴミュージックプロデューサーも務め、最終的にはシーズン4の楽曲「Anti-Depressants are So Not a Big Deal」で3つ目のエミー賞を獲得した。
死の間際、シュレシンジャーは『クレイジー・エックス・ガールフレンド』の同僚レイチェル・ブルームとともに、90年代のドラマ『The Nanny』の最新ミュージカルの音楽制作にあたっていた。『The Nanny』の主役フラン・ドレシャーは「悲嘆に暮れています」と綴っている。
シュレシンジャーは2011年、オンラインマガジンAV Clubとのインタビューで音楽キャリアの楽曲の数々を解説しているが、彼の作品がいかに多岐にわたり、かつ一貫しているかがよくわかる。いともたやすく変幻自在に曲を操る秘訣について尋ねられたシュレシンジャーは、音楽へのアプローチの仕方についてこう語った。
「きっとこういうことじゃないかな。A)僕はいままでにたくさんの音楽を聞いてきて、いろんな音楽が好きだから。B)あらゆるジャンルの間に共通点を見出すから。表面上は全然違っているようでも、じっくり聞いてみると、実はそれほど違わないんだ。違っているのは上辺だけなんだよ」