世界保健機関(WHO)がニュースに取り上げられる時は、人類にとって決して好ましい状況でないことが多い。
2019年12月に中国で発生したCOVID-19=新型コロナウイルスは、世界全体で82万人以上が感染し、4万人以上が死亡している(2020年3月末時点)。さらに世界経済への影響も大きい。WHOは定例会見を開いて感染拡大の状況を報告し、最善の対策についての情報を共有している。中国を持ち上げる態度に批判が集まったテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長だが、彼は時折、超大国のよくない行動を躊躇なく非難した。例えば2020年3月にトランプ米大統領がコロナウイルスを表現するのに人種差別的な言葉を使用した際には、「私たちは残念な状況を目の当たりにしている」と嘆き、「今私たちの前には世界共通の敵がいる。私たちは力を合わせて闘わねばならない時だ」と呼びかけた。
2014年に発生した西アフリカのエボラ出血熱に対するWHOの消極的な対応には、多くの公衆衛生の専門家らが組織の70年の歴史上最も低い評価を下した。それに比べて今回のコロナウイルス感染拡大への積極的なアプローチには勇気づけられる。「WHOは我々が想定した通りの働きをしてきたし、それ以上でもそれ以下でもない」と、1990年代からWHOを見てきたケリー・リーがローリングストーン誌に語った。彼はサイモン・フレイザー大学(カナダ)の公衆衛生研究の責任者を務めている。
WHOが必要なリソースを得るのを阻んでいるのは、加盟国に名を連ねる米国を筆頭とする超大国だ。
※訳注:16日、トランプは、WHOへの資金拠出を一時中断すると決定した。
きっと次期大統領は違った考えを持ってくれるだろう。そして米国以外の国際社会も。だからこそ、今後数ヶ月間でWHOが能力を発揮できるかどうかが重要になってくるのだ。コロナウイルスが先進国を襲う最後のパンデミックではない。WHOが十分な資金力と運営能力を持てば、将来的な大惨事の大きな砦となるだろう。残念ながら、国際的な公衆衛生機関が十分な「資金力」と「運営能力」を持っていたのは、だいぶ前の話になってしまった。グローバル化の進んだ今こそ、国際的な公衆衛生がますます重要になってきている。
1948年に設立されたWHOは、第二次世界大戦後の国際社会のさまざまな問題を調整する目的で国連が立ち上げたいくつかの専門機関のひとつだ(WHOの他には国際通貨基金=IMFや世界銀行グループ=WBGなどがある)。設立されて以降WHOは、世界中に広まったいくつかの伝染病対策の最前線に立ってきた。
しかしWHOの仕事のほとんどは、データ収集、専門用語の定義、手順の作成や調整役など、ほぼ報われることもないが重要な役割だ。「特定の病気の治療を受ける際、どの医者も同じレベルで診断できるとわかっていれば安心するだろう」と前出のリーは言う。「そのためにWHOは国際的な調整役として、病気の名称を決め、病気の特徴や治療法を周知している。世界中の医療制度を支える多くの重要な技術的作業を担っているのだ」。
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WHOの働きが話題になることはまずないが、活動はほぼずっと注目されてきた。機能不全とまでは行かないにしろ、WHOはずっと組織とスタッフの問題に悩まされてきた。さらに、各国の調整役としての政治的センスに欠ける専門家の集まる閉鎖的な公的機関だ、という評価を受けている。「いつでも彼らは、”我々が世界保健機関だ。我々こそが最高の知識を有している。我々が対処し、後で皆に教えてあげよう”という態度だ」と、ハーバード・グローバル・ヘルス・インスティテュートのアシシュ・ジャー所長は言う。
WHOの抱える問題の原因は、世界中の公衆衛生のニーズに応えねばならないという幅広いミッションと、同組織を資金的に支える各国の政治的な思惑との板挟み状態にある。WHOのリソースの大部分をどのように振り分けるかは、194の加盟国とその他の関係組織にかかっている。
WHOの運営予算は、各加盟国に割り当てられた分担金と、任意による拠出金という2種類の歳入で賄われている。各加盟国には割り当てられた分担金を支払う義務があり、WHOは自由に用途を決められる。拠出金は、加盟している超大国に加えてNGOや民間組織、慈善団体、例えばカーターセンター、ブルームバーグ・フィランソロピーや、長期に渡るWHOの大口寄付者のひとつであるビル&メリンダ・ゲイツ財団などからの寄付金だ。

一方の拠出金は国際的な公衆衛生のニーズに合うか合わないかは問わず、寄付者の意向に沿った目的に充てられることが多い。例えばゲイツ財団の一番の関心事はポリオの根絶で、2018年には1億ドル(約110億円)近くを寄付している。これは米国を除く他の国々が拠出している金額の2倍近い。ちなみに米国は約1億3200万ドル(約143億円)を拠出している。つまりWHOの予算の大半は、ポリオ根絶のための取り組みに充てられていることになる。そのため、ポリオに対してWHOは必要以上に力を入れ過ぎだとする批判の声も上がっている。
「ポリオ対策へ向けられている全てのリソースを考慮すると、ポリオ感染の症例がほとんどない現状では、果たして適切な対応と言えるだろうか?」と、グローバルな保健ガバナンスに詳しいジェレミー・ユードは言う。ユードは、ミネソタ大学ダルース校教養学部の学部長も務める。「はしかやマラリアなど、より多くの感染者が存在する病気に使うことはできないのだろうか。それほど深刻でない案件に多額のお金を費やしているようにしか思えない」。
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WHOの比較的乏しいリソースは、ゲイツ財団からのような大口の拠出金によって補われている。WHOの2年間(2020~2021年)の予算は約48億ドル(約5200億円)。ちなみに米国疾病予防管理センター(CDC)の予算案は、2021年の1年間で約70億ドル(約7590億円)だ。WHOの収入の80%は寄付によって賄われている。つまりWHOが自由に使えるのは、わずか20%ということになる。WHOは、各国に割り当てられた負担金の増額を働きかけたり、任意で寄せられた拠出金の使い道の自由度を高めようとしてきたがうまくいかず、長年に渡り自由な活動ができないでいる。(本件に関してローリングストーン誌はWHOにコメントを求めたが、返答がない。)
「WHOには194の国が加盟していて、194通りの方針がある」と前出のユード教授は言う。
WHOへの資金提供者が組織の裁量権を認めたがらない理由のひとつには、WHOへの信頼度の低さがある。WHOは組織の官僚主義的な仕事のせいで公衆衛生の重大局面への素早い対応ができず、大口寄付者の意向に沿って動いているとの批判を受け続けている。2009年の新型インフルエンザ(H1N1)流行の際には、WHOは製薬業界の利益を優先していると非難された。ローリングストーン誌が複数の公衆衛生の専門家に実施したインタビューで、WHOの動機が腐敗しているという疑いはやや弱まったものの、たとえ出資者にどれだけ首根っこを掴まれていようが、不公平な組織だというイメージは払拭できない。「いわゆる悪循環だ」とサイモン・フレイザー大学のリーは説明する。「十分な資金力の無いWHOのような組織が、努力したものの資金提供者の期待するような働きができなかったとする。すると”もうこの組織へは金を出したくない”となる訳だ。」
組織の複雑さと限られたリソースのせいで、WHOはそもそも「成功しない運命」にあったのだとリーは表現した。WHOは官僚主義や競合、利害関係、そして世界から病気をなくすという過大な義務に縛られている。「世界トップクラスの公衆衛生専門の組織であることを期待される一方で、世界の医療や保健に関わる複雑な政治的駆け引きをもマネジメントしなければならない」と、グローバル・ストラテジー・ラブのスティーブン・ホフマン所長は言う。彼は、カナダのヨーク大学で世界の保健・法律・政治学を担当する教授でもある。
2014年に発生したエボラ出血熱の流行時には、WHOの弱点が被害の拡大につながった。最終的に西アフリカ全体で、1万人以上がエボラ出血熱で死亡した。前出のジャー所長(ハーバード・グローバル・ヘルス・インスティテュート)が指摘するように、WHOはエボラ出血熱の対応でいくつかの「致命的なミス」を犯した。特に深刻なののは、最初の症例が確認されてから「国際的に懸念される公衆の保健上の緊急事態(PHEIC)」を宣言するまでに5ヶ月かかったことだ。WHOは宣言の遅れを激しく非難されたが、官僚的組織の機能不全、緊急事態への対応準備不足、WHOの意見によって経済的に影響を受けそうな関係国への顔色伺いが原因だとされた。「貧困な西アフリカ諸国で発生したとはいえ、WHOは感染の広がる国々が望まないだろうと自己判断して、積極的な介入や緊急事態の宣言をためらった」と、2004~2006年にWHOでの勤務経験があり、チャタム・ハウスのグローバル・ヘルス・プログラムでシニア・コンサルティング・フェローを務めるチャールズ・クリフトは言う。「弱腰な対応だった。」
エボラ出血熱対応の失策は、世界的にWHOの評価を下げた。「危機的な状況だったが、現在進行中の脅威とも言える」とジャー所長は言う。「WHOにはあらゆる役割がある。しかし複数の低所得国にまたがる伝染病拡大に対して効果的な対応や調整ができないのであれば、組織の存在意義はいったい何だろうか。本来はそれこそがWHOとしての主要なミッションなのだ。」
委員会が設置され、悪かった点を洗い出し、対策が話し合われた。保健緊急事態プログラムが立ち上げられたものの、組織の優先事項は今なおはっきりしない。「WHOに関しては、アイデンティティ・クライシスが起きているのではないかとの疑惑を常に抱いてきた」とジャー所長は言う。「加盟国のための組織なのか、それとも世界トップの公衆衛生機関なのか? WHOが費やす80%の時間は誰もが共通して必要とする活動に充てられるが、残りの20%が最も重要な時間になる。WHOには、加盟国のために尽くすべきか、世界の公衆衛生のニーズに応える代表機関として振舞うべきかの選択を迫られる場面がある。」
エボラ出血熱への対応のまずさをきっかけに、2017年にテドロスが事務局長に選出されることとなった。初のアフリカ出身の事務局長で、初めての医師以外の事務局長でもあるテドロスは、2006~2017年まで事務局長を務めた前任者のマーガレット・チャンとは異なり、エチオピアの外務省に務めた経験のある政治的なバックグラウンドを持つ人物だ。「WHOは、国家の行動に影響を与え得るさまざまな手段を持つ唯一の組織だ」とユード教授は言う。「特定の政策の遂行を強いることはできないが、政治的な知識を有する人間が組織にいるということが重要だ。これまでは誰も公衆衛生から政治・経済を切り離すことができなかった。」
テドロスは政治的な手腕を活かして各国政府に働きかけ、各国経済のフレームワークの中で公衆衛生を扱った。「かつてのWHOは、世界の保健システムの中で他の組織とリソースを取り合っていた。しかし現在は、WHOがシステム全体を統括する立場になろうとしている」とホフマン所長(グローバル・ストラテジー・ラブ)は言う。

ジュネーブのWHO本部。2020年1月、コロナウイルス用のワクチンに関する2日間の国際会議を開催。2月、コロナウイルスの収束時期を見極めるには「時期尚早」と発表した。(Photo by Fabrice Coffrini/AFP/Getty Images)
テドロス事務局長は、コロナウイルス感染拡大中のリーダーシップを高く評価されたものの、中国への対応という重要な政治的課題の扱いで批判を招いた。西アフリカで発生したエボラ出血熱の流行とは違い、コロナウイルスは透明性の欠如と人権侵害で世界的に悪名高い超大国が発生源だった。発生の発覚から間髪を入れずにテドロス事務局長は北京を訪れた。以来テドロスはコロナウイルス感染拡大への中国の対応ぶりを絶賛しているが、実際の中国は感染発生当初のデータをごまかし、ウイルス封じ込めのために人権侵害に匹敵する極端な対策を取っている。WHOの中国寄りの態度はさらに、コロナウイルス対策が機能している数少ない国のひとつである台湾が、国連にもWHOにも加盟していないことに対する批判にまでつながった。
「まるで綱渡りだ」とジャー所長(ハーバード・グローバル・ヘルス・インスティテュート)は言う。「中国への対応方法は誰にもわからない。WHOは一定の制限の中で活動しなければならない。事務局長がもう少し毅然とした態度を取るべきだったと言うのは簡単だが、彼は本当に危うい立場にいるのだ。もしも彼が中国に対して、2019年の12月にほとんど情報開示しなかったことを非難する攻撃的な態度を取ったとしたら、中国は直ちに沈黙し、何も情報を出さないという事態になっただろう。そうなった方が世界にとって良かっただろうか? 私はそうは思わない」とジャー所長は述べた。
中国との協力関係を維持するために同国を称賛したことが、世界中に蔓延するコロナウイルス対策に関する理解につながったかもしれないが、中国による人権侵害行為を非難しなかったことは、後に引きずる問題となるだろう。「(中国の行為が)今回の感染拡大だけでなく将来的な緊急事態の際にも、国家に許される行為の新たな基準となってしまうことが心配だ」と、WHOコラボレーティング・センターの抗菌薬耐性に関するグローバルガバナンスも担当するホフマンは言う。「異常な手段を講じる中国とそれを称賛するWHOがいる。ある意味で私たちは、公衆衛生の緊急事態における人権問題に関して新たな基準の下にいるのかもしれない。」
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中国との付き合い方に対する典型的な答えは、WHOが示してくれた。WHOは、194ヶ国が持つそれぞれの利害、世界の公衆衛生のニーズと人権基準、その他組織に課された役割との間のギャップを埋ねばならないというジレンマを持っている。テドロス事務局長がWHOの役割を明確にして組織の評判を回復したと多くの人は感じているが、十分な資金調達と資金の使い道を決める裁量を持ってミッションをどこまで遂行できるかは、常に加盟国の手綱捌きにかかっているのだ。
「WHOを巡る一連の成り行きから、公衆衛生に投資する重要性を認識して欲しい」とホフマンは願う。「パンデミックが発生した時だけでなく、将来の緊急事態に備えるべきだ。ところがWHOの分担金の増額に抵抗する国がただひとつある。それが米国だ」。
ホフマンが指摘するのは、トランプ政権によるWHOを含む広範囲に渡る公衆衛生関連の予算削減だ。2月10日、米国内でコロナウイルスが広がり続ける中、トランプ政権は2021年の予算案を提示したが。WHOへの支出は53%削減されていた。「WHOの存在価値を認めない米国は、パンデミックに対する準備ができていなかったことを示している」とホフマンは言う。「米国民が他国民と同様に安全でいられるかどうかは、米国民がどれだけ世界経済とつながりを保てるか、そして毎日何人が米国を訪れるかにかかっている。今はグローバル化の時代だ。公衆衛生が未曾有の驚異に晒されている最中にWHOの予算削減を口にするような政府は、公衆衛生のインフラの重要性を認識していないだけでなく、WHOの提案内容の価値も理解していない」。
トランプがどう思おうが、世界のグローバル化はどんどん進んでいる。つまりNATOやWHOなど世界規模の同盟や組織への支出を控えることに、何の意味もなくなってきているのだ。これは特に公衆衛生に当てはまる。今回のコロナウイルスの感染拡大により、米国の取り組むべき最優先事項は、発展途上国に伝染病の予防や対策に必要なインフラを整備させることだと明確になった。阻止しなければ、伝染病は必然的に米国へと入り込んでくるだろう。トランプの掲げる「米国第一主義」によるグローバリズムの拒絶は、正に文字通り米国民の命を危険に晒しているのだ。
「現代の政治・経済のシステムはグローバル化によって支えられている。しかし同時に私たちが直面するリスクも高めている」とミネソタ大学ダルース校のユード教授は説明する。「人やモノが国境を越えるのは簡単だが、同時に伝染病が急激に広まる可能性も高まる。しかしグローバル化は同時に、感染対策に必要なツールも与えてくれるのだ。感染対策のリソースを有する組織があれば、感染を早期に察知して世界中へ確実に情報提供することで、各国は準備ができる。或いは実際に感染が広まったとしても、素早く対応できるだろう」。
米国、中国、ロシアなどの超大国は、世界的に組織された伝染病対策を早急に推進しようとはしていない。しかしWHOのような組織への出資を促すきっかけがあるとすれば、それはコロナウイルスのもたらした惨状だろう。特に経済的な影響は大きい。「コロナウイルスが収束した暁には、WHOのパフォーマンスやミッションについての国際的な議論が行われることを期待している。また、今後コロナウイルス感染拡大のような事態に見舞われた時に備えて世界的な公衆衛生が必要とする多くのリソースについても、話題として取り上げて欲しい。最終的に世界経済にもたらされる効果は、何兆ドルもの価値があるだろう」とジャー所長は言う。
経済への影響、死者の数、或いは私たちが直面している社会の混乱など何でもよいので、世界をどのように動かしていくかについての、サイモン・フレイザー大学のリーの言う「深刻な」課題を考えるきっかけとするべきだ。次回のウイルスは、もっと迅速に広がって甚大な被害をもたらす可能性もある。さらに今のグローバル化の規模を考えれば、必ず「次回」は訪れるだろう。「何がきっかけで人々は目を覚ますのだろうか?」とリーは言う。「大規模な伝染病の感染拡大や大災害がきっかけになると、私は常々言ってきた。今がその時だ。私たちは経験した。今回の事態から学べれば、次回に十分備えられるだろう。しかし人々が深刻な課題を直視しようとしないのが問題だ」。
※本記事は、台湾がWHOに加盟する条件は国連加盟が前提となる点を加味して改訂した。
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