世界中でコロナウイルスが猛威を奮っている中、ひとつの作品が生まれた。音楽家・原摩利彦の3年ぶりのソロアルバムの表題曲「Passion」のミュージックビデオだ。
ダンサーに森山未來を迎え、通常は非公開とされている京都 建仁寺両足院で撮影された映像は、不気味で美しい。この撮影が終わってまもなく、緊急事態宣言が発令された。
「Passionというタイトルの意味も、この時期を通して自分の中で変わっていきました」
原は言う。森山も「今のこの時勢だからこそできた」と話す。変わりゆく世界の中で生み落とされたひとつの作品には、どんなメッセージが込められているのか。

原摩利彦。原と森山は、彫刻家の名和晃平と振付家のダミアン・ジャレによる舞台作品『VESSEL』で音楽家とダンサーとして共演して以来、親交があった。
「Passion」の訳語:情熱ともうひとつの意味
─「Passion」のミュージックビデオは、4月に京都で撮影されたと聞きました。コロナウイルスの感染拡大もあった中で、どうやって実現したのでしょうか?
原:未來さんには3月の頭に僕の方からオファーをしていたのですが、コロナウイルスの感染拡大もあって、撮影は延期したいと申し出たんです。
森山:ちょうど僕も京都にいたんです。複数のプロジェクトのために建仁寺の中にある両足院というお寺で2週間ほど滞在していた。両足院は祇園にある禅寺なので、朝6時30分から座禅を組んで作務(庭掃除)をして、読経をしたりしつつ昼過ぎから(ダンスの)クリエイションを始める……そういう毎日を過ごしていて。でも、コロナの影響でいくつかのプロジェクトが中止、または延期になってしまった時期だった。
この投稿をInstagramで見るKou Yamamoto / nouseskou(@nouses_kou)がシェアした投稿 - 2020年 3月月29日午前2時15分PDT左から、森山未來、ダンサー・振付家の大宮大奨、nouseskou。両足院で合宿をしながらクリエイションをした。
原:せっかく未來さんが京都にいるのだから、と。ものすごいスピードで意思決定して、進めていただきました。
森山:ちょうど撮影が終わった次の日に緊急事態宣言が出ましたね。
─まさにコロナ禍の中で生まれた作品。
原:そうなってしまった……。
─どう変化したのでしょう?
原:「Passion」という言葉は「情熱」のイメージが強いですが、実は訳語では「受難」の意味もあるんです。
─2つの意味って全然違うような。前者は能動的で、後者は受動的な印象。
原:そうですね。相反する意味がひとつの単語に充てがわれている。諸説ありますが、「Passion」はラテン語の「Pati」が語源らしく、これは「耐え忍ぶ」「経験する」といった意味なんだそうです。
もともと、このアルバムは自分の音楽を始めて20年が経ったひとつの区切りの位置づけだったんです。振り返ると、中学生の時に音楽家になることを決めてから、常に相反する2つの気持ちがあると思って「Passion」というタイトルを付けました。
─2つの気持ち?
原:若い頃は「音楽家になる!」という情熱的な縦方向の気持ちしか持っていなかった。でも、音楽活動を続けていく中で、幸福感もあれば苦難もあった。それを受け入れながら続けていくうちに、音楽に対するパッションは、静かなものに変化していったんです。
今回、16歳のときに作曲した楽曲「Inscape」も挿入したり……。
─16歳!
原:キャリアを歩み始めたときの作品って少し恥ずかしくないですか?(笑)青いというか……。「Inscape」には「C on E」のコードの美しさに衝撃を受けた喜びが溢れている。それが自分の手癖にもなっているのですが、今の自分としては恥ずかしい部分もいれてみようと。
─酸いも甘いも、他者も混ぜ込んでひとつのアルバムに。「Passion」のMVに森山さんが出演されているのも、そういう意図があったのでしょうか?
原:はい。他者と自分を混ぜ合わせることで、本質が見えるような、広がりを見たかった。未來さんにお願いすることで、僕自身が気づいていないエッセンスや本質が見つかると思って。お任せで作っていただきました。
アルバムを制作しているうちに、コロナウイルスが猛威をふるうようになっていき、そういう受け入れがたい現実や存在にどう向き合っていくのか……個人としての想いから社会の方に眼差しが向かっていきました。
─個人から社会への眼差しといった意味合いに変化していった、ということでしょうか?
原:そうですね。世の中には受け入れたくないことがたくさんある。過去の自分もそのひとつですが(笑)、異なる意見もそうですし、人間の力では及ばない自然現象もそう。でも、僕たちはみんな同じ世界に生きているのだから、自分の置かれている状況を拒むのではなく受け入れていきたいという気持ちになっていきました。
でも、翁面のアイディアを聞いたときは驚きましたね。どういう着想だったんだろう……?

森山:翁面は、実はコロナ禍によって無くなってしまった別のプロジェクトの中から生まれていたアイデアが繋がっていったものなんです。「Passion」はピアノ一本ですごく美しい曲なので、シンプルにコンテンポラリー的な振り付けにするとサラっとしてしまう気がしたんです。「合うだろうけれど、おもしろいのか……?」と思っていたので、何か異質な要素を入れてみたいなぁと思っていて。
─原さんの「Passion」へのイメージと似ていますね。
森山:そうですね。摩利彦からもらったコンセプトがもちろん出発点です。
今の状況で苦しんでいる人間。自然の側から見ると…
─MVで森山さんが後ろ向きに進む振り付けになったのは何故でしょう? ほとんどのシーンが背中で表現されていて。
森山:表側から見ると後退しているわけだからそれはある種パッシヴに見えているけど、背面から見るとアクティヴに見えているような表現はないんだろうか……と、kouたちと身体を動かしながら撮影している間に出来上がっていった動きです。
kouの動きが素晴らしいのはもちろん、ゆったりとしたパーカーを着て、両足院でクリエイションしているというギャップがそもそもおもしろいなと思い始めて、そのうちに、ふと翁面をつけたらどうだろうと思いついた(笑)。

両足院でダンスをする森山。nouseskouもパーカーというカジュアルな出で立ちだったが、森山自身も寺社の雰囲気とは異質な格好をしていた。当初は、このギャップがおもしろいと衣装もカジュアルな方向性でもいいと模索されたという。
─「ふと、翁面」っていうのがすごいですね。
森山:両足院って祇園のど真ん中にある禅寺なんです。すごく静謐な時間と欲望の渦巻きが表裏一体にある場所。
─観光客もどんどん減って。
森山:そうですね。日に日に街から人がいなくなって静かになっていく。銭湯行くのもビール飲むのも「どうなんやろう」って思いながら過ごしていたんですね。今、この状況とか時勢を見ていて、普通に仕事がなくなったり、自粛しなくちゃいけなくなったりして、不安を感じたりもする。


表を向いている人間は少し不安げな表情をしている。情熱の象徴的な色として、赤い衣装が最終的に採用された。
森山:この面は、今ではあまり使われなくなった黒式尉という能面のひとつなんですが、翁というのはそもそも、五穀豊穣、天下泰平の象徴らしいんです。
コロナウイルスが世界中で猛威を奮っている中で、空気とか海が綺麗になったというニュースもある。今、人類は苦しんでいるけれど、地球全体の状況で考えると、もしかして翁は喜んでいるかもしれない。表の人間側はビクビクしているけど、裏側の翁はこの時間を謳歌している……それを背面で表現できたらいいなと。

森山:「Passion」のコンセプトにも合うし、このアイデアは絶対面白いと思いつつ、摩利彦に突飛なアイディアだと思われるかもしれないなと、内心ビクビクしてましたね(笑)。
原:最初はびっくりしましたけど、映像を見たときに「救済」を感じました。未來さん演じる人間の裏にいる翁面は確かに不気味に見えますが、角度によっては微笑んでいるようにも見える。
基本的には交わらない、コンテンポラリーダンスとストリートダンス
─森山さんはコンテンポラリーダンスの印象が強いのですが、今回振付師にストリートダンサーのnouseskouさんを迎えたのはなぜですか?
森山:kouを知ったのは1年ぐらい前の京都のイベントでした。僕の友人のコンテンポラリーダンサーと一緒にクリエイションしているのを見たときに「機会があったら俺も一緒にやりたい」と思ったのがはじまりです。
─でも、ジャンルが違いますよね?
森山:そうそう。ストリートダンスとコンテンポラリーって、基本的に交わることが難しい。
─交わらない。なぜでしょう?
森山:時間性が違うから……ですかね。ストリートダンスって、バトルのイメージが強い。表現として成立する時間軸で行くと30秒、1分、1分半とか。ダンス的に言うと、エイトエイトや16エイト……この時間軸で相手に勝てるか勝てないかが決まる。これがストリートダンスの基本だと思うんですね。
だけど、僕の考えるコンテンポラリーな表現というのは、もっと長い時間の中で構築されていくもの。流れていく時間の中で何かしらのコンセプトを軸にコンテクストを繋いで、身体だけでなく様々なイメージを織り交ぜながら伝えていく。だから、ジャンルという枠組み以前に遠い表現だと思っていたんです。
でも、kouは突然変異というか(笑)。多分それは、彼がストリートダンスというフレームから良い意味で逸脱していて、すごく横断的だから。「Passion」という曲に、kouが入ってきたらどんな化学変化が起こるだろう、と思って提案させてもらいました。
この投稿をInstagramで見るKou Yamamoto / nouseskou(@nouses_kou)がシェアした投稿 - 2019年 5月月27日午前3時33分PDTnouseskouと森山未來
nouseskou:自分は、基本的に受け入れるというか、理解したいという気持ちが常にあって。だから、誰かとクリエイションするのも楽しいし、ジャンルとかは深く考えたことはない……かなぁ。未來と自分は同い年で、一緒に銭湯行ったり道端でビール飲んだりしていたんですけれど、そういう何気ない繋がりもフィット感があるので、たぶん相性がいいんだと思います。それを抜きにしても、未來は誰かの良い部分を咀嚼して、取り入れていく力がすごいんです。アニメに出てくるような、全員のワザを盗める力を持ってるキャラやと思います(笑)。
森山:盗むって!(笑)
nouseskou:あ! でも完璧には使いこなせないんやで(笑)。振付に関しては、未來が生み出してくれた翁の設定を踏まえつつ、各々が感じるイメージを即興で体現し合いました。それらを納めた映像を未來が何度も分析して、咀嚼して、新しいひとつにまとめていってくれました。これはきっと、未來の特殊能力と共有した尊い時間があったからこそ作れたものだと思います。
この投稿をInstagramで見るKou Yamamoto / nouseskou(@nouses_kou)がシェアした投稿 - 2020年 6月月4日午後7時17分PDT
原:僕は撮影現場も見学させてもらったんですけれど、すごく不思議でした。映像を見ると未來さんが一人でダンスをしているように見える。でも、現場では隣でkouさんも一緒に踊っていて、2人の身体で合わさって、新しい生命体になっている感じで……。
nouseskou:(自分がやったのは)客観視と言うとロマンがないので、僕のなかに存在してる未來、未來では感じられない未來を自分なりに伝えたくらいです。そこから彼が例の能力で瞬時に更新していくので、自分はほぼ何もしてないです。ただ友達が側にいたよってくらい(笑)。
受け入れがたい現実を、どうやって受け入れていくのか
─異なるものがひとつに合わさるというと、原さんの音楽もフィールドレコーディングとピアノのメロディが違和感なく自然と溶け合っている印象があります。
原:フィールドレコーディングをしているときに耳を澄ましていると、音のシナリオが見えてくるのが好きなんです。
─街の雑踏に、ですか?
原:例えば、音に集中して映画を見ると、映像のカットが変わる前に次のシーンの音が入ってきたり、ちゃんと音のシナリオが書かれているのがわかる。自然や街の中でも同じくシナリオが存在している。そのシナリオをベースにすると、街の雑踏がピアノの音や電子音と馴染むんです。共存しないはずの音が同じトラックの中で存在させるのが楽しい。

MV撮影現場での原。録音機を回してフィールドレコーディングをしている。
約8時間の舞台作品、ポール・クローデル作『繻子の靴』に参加していたとき、能管と電子音とを音響的に共存させるということを発見。「能管はふく度にピッチが変わるので、ピアノなどで伴奏するのもほぼ不可能だし、どうしようか考えて。伴奏するのではなく、あるがままにともに置くのがいいと思いました」このときの経験が作曲技法に影響を与えた。
原:音のコラージュというか、DJミックスというか。異質とされているものだって、本当に異質かどうかはわからない。さっきのコンテンポラリーダンスとストリートダンスの話と同じですね。
─音にしかり、ダンスにしかり、今の世の中にしかり。「Passion」にすごく合うなと思うのですが、受難という言葉に「難しい」という漢字があるように、やっぱり受け入れがたいものもあると思うんです。今回のMVは、その受け入れ難さを超えた先にあるような景色かなと思いました。
原:そうですね。僕自身の「Passion」のコンセプトも変化していきましたし。本当に、コロナウイルスの件があったので、諦めてしまうこともできたんです。冷静に状況を見ることはもちろん大事です。でも、見すぎて萎縮するのではなく、今回は偶然の力も相まって、可能な範囲でできることをやった。そうしたら想像以上の気付きがあったので、瞬発力を持ってやるっていうのが大事なのではないか。そうすれば前に進めるのではないかと実感させられました。

nouseskou:自分も楽曲制作をしてて、そういう視点からですが、こんなにも透き通っているのに密度のある繊細で優しい音はほとんど聴いた事がないです。それと、個人的な事ですが自分がしたくない作業で気分が落ち込む時があり、その時は「Passion」を3時間ほどループ再生してました。助けてもらいました(笑)。
森山:僕は3月の頭からずっとこの曲を聴いているので、「コロナ期=Passion」のイメージがついてしまってるぐらい(笑)。目の前に差し迫ったウイルスで翁は喜んでいるかもしれないけれど、僕は人間なので、受け入れるというのは、そんなに簡単じゃない。仕事にも影響が出てますし。
でも、受け入れるというか、諦観をもつしかないと思ってます。「死なへん」と思いたいけれど、自分が死ぬタイミングはわかりませんから……こういう大きな転換の時にいつも思います。
世界が変わったときに淘汰されてしまうのか、されないのか、ミューテイトしていくのか。どのポジションに自分がいるのかは、個人の力ではどうしようもないこと。
新しい状況を生きていくことは、変化の道を歩みだしているということ。今、その狭間にいる僕は、世界を冷静に客観的に俯瞰しながら、でも自分自身の美意識みたいなものを作品に転じていくしかない。摩利彦だったら音楽に、僕だったら身体で。それが人の心を打つのか、飯の種になるのかわからないけど、表現を信じて生きていくしかない。
原:合気道みたいに、向こうから力をちょっと流れを変えて返す、みたいな(笑)。やっぱり……逃げられない状況みたいなものが全世界にある。リスクを最小限に押さえて、作品を完成させることを模索していった経験にもなりました。受け入れがたい現実を、どうやって受け入れていくのか。受け入れることは、妥協や従属ではなく、何をすべきか判断し、前に進むと決意するということ。「Passion」の意味合いを「受け入れる強い気持ち」として捉えると、相反する2つの言葉も繋がるのかなと。
リリースを記念し、今週6月6日(土) 20時より、原 摩利彦Instagramアカウント(@marihikohara)にてライブ配信を行うことが決定。トークを交え、『PASSION』収録の楽曲を演奏予定。

原 摩利彦
『PASSION』
2020年6月5日リリース
〈収録曲〉
1. Passion
2. Fontana
3. Midi
4. Desierto
5. Nocturne
6. After Rain
7. Inscape
8. Desire
9. 65290
10. Vibe
11. Landkarte
12. Stella
13. Meridian
14. Confession
15. Via Muzio Clementi
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