音楽学校教師で産業カウンセラーの手島将彦が、世界の音楽業界を中心にメンタルヘルスや世の中への捉え方を一考する連載「世界の方が狂っている ~アーティストを通して考える社会とメンタルヘルス~」。第32回は、他人をコントロールする行動「ガスライティング」をテーマに産業カウンセラーの視点から考察する。


J.Coleの新曲「Snow On Tha Bluff」のリリックの中に、ラッパーのNonameをディスしたとも解釈できるラインが含まれているとして、騒動になりました。その際にChance The Rapperは「男は家父長制とガスライティングを建設的な批判として覆い隠そうとする」とJ.Coleに対して批判的なコメントを出しています。この「ガスライティング」という言葉ですが、まだ日本では馴染みのない言葉かもしれません。ガスライティングとは、イングリット・バーグマン主演の映画「ガス燈」に由来する心理的虐待の一つで、誤った情報を信じ込ませることで被害者の方が自分を責めるように仕向けるコントロール行動のことです。イングランドおよびウェールズでは「重大な犯罪法(Serious Crime Act)」が2015年に改訂され、このガスライティング行為は罰金刑、または最高5年まで懲役刑に科せられることになっています。

ややネタバレになりますが、映画の『ガス燈』では、妻の財産を狙う夫が、妻自身には身に覚えがないのですが、妻に物忘れや窃盗癖、幻聴があるかのように仕掛けます。そして、それによって妻は「自分がおかしいのではないか」と精神的に追い詰められてしまいます。ちなみにSTEELY DANの2000年のアルバム『TWO AGAINST NATURE』には「ガスライティング・アビー」という曲が収録されていますが、これはこの映画『ガス燈』に由来します。
 
ガスライティングは、DVの加害者もよく行います。例えば暴力を振るう加害者側が「自分を怒らせるな」と言うような場合です。これはつまり「自分を怒らせたおまえが悪い」という理屈になります。言われた側は、何が暴力のきっかけとなるかわからない相手の感情や気分に常に配慮しなければならなくなり、自分のことを二の次にして相手を優先してしまい、マインドコントロールされた状態のようにもなってしまいます。
また、以前取り上げた「トキシック・ポジティビティ」も、過剰なポジティブさを強要して相手の思考や感情をコントロールしようとしているという点で、このガスライティングの一種であるとも言えます。

ガスライティングには以下のような特徴があります。

1. 露骨な嘘をつく
2. 証拠があったとしても、「そんなことは言っていない」と過去の発言を否定する。
3. あなたに近い、大切なもの(例えば子ども等)を武器にする。
4. 時間をかけてあなたを疲弊させていく。
5. 言行不一致。
6. これまであなたを貶していたのに、反対に褒めたりポジティブなことを言ったりして、混乱させる。
7. 混乱が人を弱らせることを知っている。
8. 自分のせいであっても相手のせいにする。
9. 人があなたに反感を持つように仕向ける。
10. 周りの人間はみんなあなたに嘘をついている、と言い、自分に頼らせようとする。

政治に関するニュースを見ていると、政治家たちにこういった特徴が結構見られるのがとても残念に思いますが、「臨床社会学の方法(2)ガスライティング」(中村正)によると、ガスライティングは「親密な関係性(親子・夫婦・師弟等)と非対称な関係性」つまり、逃れにくく、力の関係の上下があるところにおいて起きやすいとされます。
またこの被害者の95%が女性であるという調査(*)もあります。

先述の「臨床社会学の方法(2)ガスライティング」の中で、中村正氏は、ガスライティングは「沈黙を強いる行動」であり、「自分より『弱い者』をコントロールして保たれる生活は心理的には脆い。さらに操作する相手に依存しているので、最終的には共に倒れることになる。共同して生きていく関係性としては脆弱である」とし、「『裸の王様状態』でしかない、賞賛し、服従する『弱者』がいなければ王様ではありえない」と指摘しています。これは、身近な人間関係のみならず、社会の構造や現状にもあてはまる面もあるのではないでしょうか? ガスライティングの被害から逃れるためには、まずはこうした心理的虐待の存在を知ること、そして自分の気持ちを主張しても良いのだ、という意識を持つことが大切なのです。

参照:
「J. Coleが新曲”Snow On Tha Bluff”でBLMについて声をあげるNonameをディスしたと話題になる | Earl SweatshirtやChance The RapperらはJ. Coleを批判」2020.06.18 FNMNL編集部
https://fnmnl.tv/2020/06/18/99592

「対人援助マガジン」第14号 「臨床社会学の方法(2)ガスライティング」中村正

「Why Toxic Positivity Is Just Another Form Of Gaslighting」Womens Health
https://www.womenshealth.com.au/why-toxic-positivity-is-just-another-form-of-gaslighting

「11 Warning Signs of Gaslighting」Psychology Today Jan 22, 2017
https://www.psychologytoday.com/intl/blog/here-there-and-everywhere/201701/11-warning-signs-gaslighting

Researching Police Responses to Coercive Control
https://n8prp.org.uk/researching-police-responses-to-coercive-control/

「これってモラハラ!?精神的DV『ガスライティング』の正体」COSMOPOLITAN 2020.04.29
https://www.cosmopolitan.com/jp/beauty-fashion/health/a30919430/what-actually-is-gaslighting/


<書籍情報>
他人を混乱させて責任を錯覚させる心理操作「ガスライティング」とは?


手島将彦
『なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門』

発売元:SW
発売日:2019年9月20日(金)
224ページ ソフトカバー並製
本体定価:1500円(税抜)
https://www.amazon.co.jp/dp/4909877029

本田秀夫(精神科医)コメント
個性的であることが評価される一方で、産業として成立することも求められるアーティストたち。すぐれた作品を出す一方で、私生活ではさまざまな苦悩を経験する人も多い。この本は、個性を生かしながら生活上の問題の解決をはかるためのカウンセリングについて書かれている。アーティスト/音楽学校教師/産業カウンセラーの顔をもつ手島将彦氏による、説得力のある論考である。

手島将彦
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担当。2000年代には年間100本以上のライブを観て、自らマンスリー・ライヴ・イベントを主催し、数々のアーティストを育成・輩出する。また、2016年には『なぜアーティストは生きづらいのか~個性的すぎる才能の活かし方』(リットーミュージック)を精神科医の本田秀夫氏と共著で出版。
Amazonの音楽一般分野で1位を獲得するなど、大きな反響を得る。保育士資格保持者であり、産業カウンセラーでもある。

Official HP
https://teshimamasahiko.com/
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