当初の原稿の書き出しは、こんな具合だった。「4月6日(月)。明日にも非常事態宣言が出されようというこの時に原稿を書いている。家で原稿を書くことを生業としている身にとってそれは特別なことではない。けれど、今書いている原稿が、この原稿でよかったと思う。グリンダ・チャーダ監督のポジティヴ思考に救われるし、こういう人だからこそ『カセットテープ・ダイアリーズ』のような映画を撮ることができるのだ、とも思える。」
その後、本作の公開が延期され、再びの公開決定と本稿の公開まで2カ月以上を要した。その間の世の中の動きは私がここに書くまでもないだろう。そして、改めてチャーダ監督の言葉を読みながら私は、これらの言葉と『カセットテープ・ダイアリーズ』という映画が、未来に少なからずの不安を抱く人々の心を少し軽く、少し明るくしてくれることを強く願っている。
遡って3月下旬、イギリスでは罰則を伴う外出制限が命令される直前だった。自宅で日本からのSkype取材に応じていたチャーダ監督は、前の取材が終わった後、愛犬を連れて近所を散歩中。「こんな時期にお時間いただいて恐縮です」と言うと「本当に大変なことになっているわ。みんな取り乱して、状況を把握しようと必死よ」との返事。
さて、本題。『カセットテープ・ダイアリーズ/Blinded by the Light(原題)』の舞台は、1987年のイギリス、ルートンという地方の町。パキスタン移民の子である主人公ジャベドは、16歳。ある時、ブルース・スプリングスティーンの音楽を聴いて雷に打たれたような衝撃を受けた彼は、得体の知れない閉塞感から解放され、自分の言葉を探し行く道を探し、そしてそれまで理解し難いと感じていた父との関係に向き合い、自らを取り巻く社会というものへの関心も強めていく。
映画の原作『Greetings from Bury Park: Race, Religion and Rock N Roll』は、英ガーディアン紙に寄稿するジャーナリストとして活躍中のサルフラズ・マンズールによる自伝的回顧録で、同作を読んだチャーダ監督はすぐさま、映画化したいと思ったそうだ。そもそもマンズールと、ジャーナリストでもあるチャーダ監督はスプリングスティーン仲間で、一緒にライヴに足を運ぶ仲だったそう。まずは監督の音楽体験から話を聞いてみることにした。
監督とブルース・スプリングスティーンの出会い
─あなたは1978年に行なわれた「ロック・アゲインスト・レイシズム」のデモとコンサートに行った経験もあるそうですが、それ以前には、どういった音楽を聴いて育ったのですか?
グリンダ・チャーダ:幅広く色々な音楽が好きだったわ。タムラ・モータウンのようなソウル・ミュージックが大好きだったけど、ロックも大好きだった。ザ・クラッシュの登場には衝撃を受けたわね。
─ブルース・スプリングスティーンの音楽と出会ったのは、いつ頃だったのでしょうか?
チャーダ:どうだったかしら。1981年の「ザ・リヴァー・ツアー」を観に行ったのを覚えているわ。その時は、大ファンというわけではなかった。でも彼のライヴを初めて観て、衝撃を受けたのよ。完全にやられた、という感じだった。
『カセットテープ・ダイアリーズ』劇中にも登場する「涙のサンダーロード」、1981年のウェンブリー・アリーナで録音されたライヴ音源
─以来、ブルースの大ファンになったわけですが、今回、映画の中にブルースの曲をたくさん使用しています。どの曲をどのシーンにあてるか、悩むようなことはなかったですか? 脚本の段階から、ここにはこの曲、とある程度決めていたのでしょうか?
チャーダ:どちらもあったわ。曲の使い方に関しては慎重にならなくちゃいけなかった。ブルースは、脚本を気に入ってくれて、私に「自由になんでも使っていい」と言ってくれたけど、ジャベドの物語に沿う形でしか曲は使わないというルールを自分で作ったのよ。ジャベドの物語を進めてくれるもので、筋書きとも合っているのなら使うけど、そうでなければ使わなかった。かなり規律を重んじる形で取り組んだわ。それでも結果的に全部で19曲も使ったわけだからね。うまくいったということじゃないかしら。
─その19曲の中で、特に気に入っている曲とシーンのマッチングは?
チャーダ:それなら絶対に嵐のシーンの「プロミスト・ランド」だわ。

グリンダ・チャーダ監督とブルース・スプリングスティーン(©Bend It Films)
─確かにあのシーンは、ジャベドの興奮と音楽がマッチして、とても印象的でした。そして、本作のタイトルを、数あるスプリングスティーンの曲の中から「光で目もくらみ/Blinded By The Light(原題)」にした理由も教えていただけますか?
チャーダ:「明日なき暴走/Born To Run(原題)」が使えたらよかったんだけど、ブルース自身の自伝著書も『Born To Run/ボーン・トゥ・ラン ブルース・スプリングスティーン自伝(邦題)』というタイトルだったから、残念ながらあきらめるしかなかったの。結果、『Blinded By The Light』にしたわけだけど、”blinded”という言葉は、目の前にあるものが見えていないジャベドをうまく言い当てているとも思えてタイトルに選んだのよ。ブルースは、基本的に私たちにやりたいよう好きにやらせてくれたわ。要所要所で大丈夫かどうか彼に確認しながら進めたけど、判断や決断を下すのはすべて私たちだった。私たちサイドのみんながこのタイトルを気に入ったの。 「何が起きているのか完全に把握できていない」という危うさもあっていいと思ったの。
アートには寛容や連帯感を強める力がある
─ジャベドはスプリングスティーンの曲を聴きながら色々な体験をして成長していく。その過程で、次第に見えてくるものがある。それは、父親の立場や価値観だったり、自分を取り巻く社会の状況というものだったりするわけですが、彼と同じように移民の子供として育っている監督にも、似たような経験はありましたか?
チャーダ:『ベッカムに恋して』の方が私自身の話に近いわ。あの映画は私と私の両親についての話。私はサッカーをやっていたわけではないけど、規則も破ったし、親の世代とは違う生き方をしたいと思っていた。

© BIF Bruce Limited 2019

© BIF Bruce Limited 2019
─本作は、私も含めて、好きなものがあって、好きなものに影響されて自分の道を歩んできた人間にとっては、好きにならずにはいられない映画だと思うのです。先ほど、お父様からの理解は得られていたというお話でしたが、自身の道を模索するにあたり、あなたの背中を押してくれる音楽なり映画なり本なり、というものは存在したのでしょうか。
チャーダ:私にとっては2トーンね。ザ・スペシャルズと2トーン・シーンよ。2トーンは私にとって啓示のようなものだったわ。
─映画には、1987年の時代背景、例えばレイシズムやいき過ぎたナショナリズムの話も盛り込まれていますが、これが過去のことには思えない。むしろそれがより表面化している昨今であるとすら思えます。こうした背景部分は映画のオリジナルなのでしょうか? それとも、少なからず原作にも書かれていたことですか?
チャーダ:映画化にあたって付け加えたものも多少あるわ。というのも、原作が何年もの期間をまたいでの話なのに対して、映画は2年間に起きた物語になっているから。だから私たちで凝縮してより簡潔なものに書き直したの。さらに、私の実体験を盛り込んだ部分もある。例えばジャベドの妹の話。パーティでバングラ・ビートに乗って踊るシーンね、あれは私が入れたのよ。アジア系ならではの要素を入れたのは私の判断。原作にはなかったアジア系の部分をバランス良く取り入れたの。

© BIF Bruce Limited 2019
─最後の質問になります。グローバル化で世界が一つになっていくのかと思いきや、実はその逆を行っているんじゃないかと思うことが多々あります。不寛容や無理解が方々で見受けられる。そんな時代にあって、映画や音楽、演劇といったアートにできることがあるとしたら、どんなことだと考えますか?
チャーダ:今、私はそうは思わないわ。なぜなら今回のCOVID-19の教訓として、「みんな同じ船に乗っていて、みんな繋がっているのだ」ということがはっきりと浮き彫りになったわけだから。不寛容な右翼だろうと、お互いを頼らないといけない状況に私たちは今直面している。誰もが医師と看護師を頼らないといけない。世界中のどの地域も同じ。イギリスではみんながNHS(国民保険サービス)を称賛している。しかもそのNHSに従事する人たちの大半が移民や移民の子供よ。医師や看護師たちはインドやパキスタン、カリブ諸島、アジア出身者ばかりなの。だから今回のCOVID-19をきっかけに人々の考え方が大きく変わると思う。既にSNSにそれが現われているわ。SNSを通して人々は互いに話をし、助け合い、これまでにないくらい繋がっている。私のところにもイタリアからWhatsAppが届くのよ。私自身はイタリア語を話さないけど、イタリアから必死の経験談が届いて、誰かがそれを訳してくれる。そうやって世界中の人たちが繋がるという素晴らしいことが、今まさに起きている。私はそう考えるわ。そして生きていく上で本当に必要なのは、シンプルなものなんだ、ということにみんな気づいてきている。そのシンプルなものに到達するまで、私たちは決して遠くはないはずだって。つまりそれは何かというと、人と繋がりを持つことであり、必要なだけの食べるものがあって、飲む水がある。それと精神を満たしてくれるもの。今本当に大事なのはそこよ。
─そんな中でアートができることは?
チャーダ:先週末、『カセットテープ・ダイアリーズ』が米HBOで放映されたんだけど、これだけ多くのメッセージをもらったのは生まれて初めてよ、というくらいにメッセージが届いたの。「2時間、世界で起きていることを忘れることができた」「すべてを忘れて人情味のある映画を堪能できた」って。アートには寛容や連帯感を強める力があるはずよ。70年代にひとりの若者がニュージャージーで書いた曲の数々が、何年も後になってパキスタン系の青年とイギリスのルートンで出会うという話にだって、それが出来たのだから!!

© BIF Bruce Limited 2019
『カセットテープ・ダイアリーズ』
【監督】グリンダ・チャーダ(『ベッカムに恋して』)
【脚本】サルフラズ・マンズール、グリンダ・チャーダ、ポール・マエダ・バージェス
【原作】サルフラズ・マンズール「Greetings from Bury Park: Race, Religion and Rock N Roll」
【作曲】A・R・ラフマーン
【出演】ヴィヴェイク・カルラ/クルヴィンダー・ギール/ミーラ・ガナトラ/ネル・ウィリアムズ/アーロン・ファグラ/ディーン=チャールズ・チャップマン/ロブ・ブライドン/ヘイリー・アトウェル/デヴィッド・ヘイマン
配給:ポニーキャニオン (2019年 イギリス 117分)
原題:Blinded by the Light
日本語字幕:風間綾平
字幕監修:五十嵐 正
©BIF Bruce Limited 2019
2020年7月3日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他にて全国ロードショー
http://cassette-diary.jp/