80年前の曲が「いまの時代」を物語っている
昨年、ノース・キャロライナのラッパー、ラプソディは自分のニューアルバム『イヴ』の導入にあたるトラックを探していた。同作は黒人女性の歴史と力にまつわるコンセプトアルバムだ。プロデューサーが提案したのは、彼女があまり深くは知らない曲だった。ニーナ・シモンによる1965年版の「奇妙な果実」。南部での黒人に対するリンチを簡潔に、しかし生々しく描いた「奇妙な果実」は、アメリカの最も早い時期の、最もショッキングなプロテストソングのひとつで、この国の歴史に刻まれた、黒人の人びとに対する幾千もの人種差別的なテロ行為へと注意を惹きつけることとなった。そのヴァースのひとつは、こんなふうに歌われる。
”黒人の亡骸が南部の風に揺れている/奇妙な果実がポプラの木々にぶらさがる/気高き南部ののどかな眺め/飛び出した目玉にねじれた口元”
「聞いてすぐ、これをイントロにすべきだとわかった」ラプソディは語る。彼女は「ニーナ」という曲で、この曲のサンプルを中心的に用いた。「私たちの歴史のなかでも、あの時期のことについて聞くのにずっと興味があった。それに、私たちが暮らすこの現実を語るアーティストたちにも惹かれてきた。80年も経っているのに、あの曲はいまの時代を物語っている。91語もあれば十分なんだ。
2020年、ブラック・ライヴズ・マターの抗議運動が全国的なヘッドラインに舞い戻ると共に、80年以上も前に書かれたある曲が驚くほどの新たな重要性を帯びだした。ローリングストーン誌のチャートにも協賛するデータ分析会社、Alpha Data社によれば、今年の上半期、ビリー・ホリデイによる1939年録音の「奇妙な果実」――最初の、そして最も有名なバージョンだ――は2百万回以上ストリーミング再生されたという。先月、SiriusXMでの番組内で、ブルース・スプリングスティーンは「奇妙な果実」をプロテストソングのプレイリスト内の一曲に選び、またあるインタビューではこの曲を「素晴らしい音楽作品で、時代のずっと先を行っていた。未だに今日の議論の深い、深い、とても深い急所を突いている」と評した。
ベテランR&Bシンガーのベティ・ラヴェットは、警察によるジョージ・フロイド殺害を受けて「奇妙な果実」の新録カバーを繰り上げリリースした。「一日中あのニュースを見ていたら、いつしか『非武装の黒人男性』から『リンチ』へと表現が変わりはじめました」先月、彼女はローリングストーン誌に語ってくれた。「だからレコード会社に電話して、私たちはまるでこの物語を何度も何度も何度も語り続けているみたいだって話したんです」
映画監督のリー・ダニエルズは、次回作でこの曲にまつわる物語を改めて語り直すつもりだ。タイトルは『The United States Vs. Billie Holiday』で、パラマウント・ピクチャーズによる配給が決まったところだ。ホリデイを演じるのはアンドラ・デイ。女優としてのみならず、R&Bアーティストとしてのキャリアでも知られている。3年前、デイも「奇妙な果実」をカバーした。大量投獄を終わらせるために活動する非営利団体、イコール・ジャスティス・イニシアチヴへの関心を高めるために制作されたものだ(ホリデイは別の新作ドキュメンタリーの題材にもなっていて、ジェイムス・アースキンの『Billie』は11月に公開される)。
「『奇妙な果実』はいまなお重要な曲。なぜなら黒人たちは今なおリンチされ続けているのだから」デイは語る。「南部の風だけじゃない。もっと洗練されたかたちになってる。至るところで目に入るでしょう」
「最初は不安だった」作曲の背景とビリー・ホリデイとの邂逅
「奇妙な果実」をめぐる物語はドラマと驚きの連続だ。作家のデヴィッド・マーゴリックの著作『ビリー・ホリデイと《奇妙な果実》―”20世紀最高の歌”の物語』や、ジョエル・カッツによる2002年のドキュメンタリー『奇妙な果実』、また研究者のナンシー・コヴァレフ・ベイカーによる研究で詳述されているように、この曲はもともとブロンクスに住む白人のユダヤ人教師が書いたものだ。エイベル・ミーアポルは、デウィット・クリントン高校で1927年より英語を教えていた人物で、熱心な共産主義者であり先進的な思想家、そしてまた兼業のライターであり詩人でもあった。
1930年代のある時期のこと、ミーアポルはリンチの様子を写した写真と出会った。おそらくは雑誌のなかでだろう。当時、リンチは驚くほどありふれていた。昨年、歴史学者のチャールズ・セガンとデヴィッド・リグビーによって行われた最新の研究によれば、1883年から1941年まで、アメリカでは4467人――そのうち3265人が黒人――がリンチされていたという。こうしたおぞましい現場の写真は絵葉書になった(”連中は吊るされた死体の絵葉書を売っている”というボブ・ディランの「廃墟の町」の一節はこうした慣習を指している)。
【画像を見る】「奇妙な果実」のモチーフとなった黒人リンチの写真(閲覧注意)
ミーアポルは音楽の教育を受けていなかったが、独学の作曲家でありピアニストだったこともあって、ほどなくこの詩に幽霊のような、瞑想的なメロディをつけた。「奇妙な果実」と改題したこの曲は何度か演奏されており、たとえばマディソン・スクウェア・ガーデンではシンガーのローラ・ダンカンが歌っていた。この曲がホリデイのレパートリーになる前のことだ。ホリデイはその後、ニューヨークのカフェ・ソサエティ・クラブでこの曲を演奏していた。ホリデイはただ歌っただけではない。彼女は歌の中に住まった。それゆえに歴史に残る録音の機会を得たのだ。
ホリデイは、聴衆がこの曲を聞きたいと思うか、すぐに確信を持てなかった。「私は、みんながこの曲を嫌うのでないかと恐ろしかった」。回想録『奇妙な果実―ビリー・ホリデイ自伝』に彼女はこう記した。
議論を呼ぶことを恐れ、ホリデイの所属レーベルであるコロンビアは、この曲のレコーディングを行わなかった。ホリデイはコモドールというもっと小さなレーベルに出向き、1939年に録音した。まばらで慣習から逸脱した編曲と鮮明な歌詞を通じて、彼女による「奇妙な果実」の録音はセンセーションを巻き起こし、同年にコモドールからリリースされた一枚はホリデイのヒット作になった。
ホリデイの「奇妙な果実」が引き起こした反応
音楽として考えると、「奇妙な果実」はカテゴリー分けしがたい。「これはブルースだろうか?」ミーアポルの息子であるロバートが問う。
ひとつ、疑いようのない事実がある。ホリデイが綴っているように、この曲を歌うには、「自分の持てる力すべて」が必要だった。カサンドラ・ウィルソンはこの曲を2バージョンにわたって録音しており、最初のバージョンは1996年のもの。彼女もホリデイに同意する。「問題は、歌うのが難しいっていうことではなくて」と彼女は語る。「感情を出し切ってしまうこと。生で演奏するときには、いつも最後の曲として演奏する。
ホリデイの「奇妙な果実」は幅広い反応を引き起こした。ポジティヴからネガティヴまで、好意的なものから激昂まで。ホリデイのバージョンはミーアポルにも影響を与えた。彼はこの曲をルイス・アランという偽名で出版していた。自分と妻であるアンの、死産した子どもたちの名前からとった筆名だ。ホリデイのバージョンが音楽界に衝撃を与えるとすぐに、ミーアポルはニューヨーク州議会のラップ=クーデル委員会で証言することになった。州の公立学校や大学にいる、共産主義者の影響を疑われる者を調査する委員会だ。ロバート・ミーアポルは、共産党の指示でこの曲を書かされたのか、などと父が訊ねられていたのを回想しつつ、父は公聴会を「とても愉快だ」と感じていたようだと語る。
ミーアポルが驚いたのは、ホリデイが自伝のなかで、彼が詩に音楽をつけるのを彼女が手伝ったとほのめかしていたことだ。ミーアポルの家族によれば、これは事実と異なる。しかしエイベル・ミーアポルは告発せず沈黙を貫いた。「彼はレイシストたちにビリー・ホリデイを攻撃する材料を与えたくなかった」とロバートは語る。「だから彼は、彼女が作品について間違ったことを言っているのを一度も公に批判しなかった」。自伝の出版社に勧められて、後にホリデイは次のようなステートメントを発表した。いわく、「奇妙な果実」はたしかに「ルイス・アランによるオリジナル作品」であり、彼が「唯一の作者」である、と。
1953年には、ミーアポルはロサンゼルスに引っ越し、フルタイムのソングライターに転身した。彼の最も知られた作品には、他にも反偏見を歌う「ザ・ハウス・アイ・リヴ・イン」がある。フランク・シナトラの歌唱で不朽となった一曲だ。その際、ミーアポルの名前は再びニュースのヘッドラインに登場した。彼と妻が、ロバートとマイケル兄弟と養子縁組したのだ――彼らはジュリアスとエセルのローゼンバーグ夫妻の息子たちだった。この夫妻は、ソ連にアメリカの原爆に関する機密を漏らしたとされ、同年に合衆国政府から処刑されたのだ(ローゼンバーグ事件:夫妻は双方無罪を主張し続けた)。ゴシップ・コラムニストのウォルター・ウィンチェルは、マッカーシズム吹き荒れる時代にのっかり、赤狩りの噂を次々に書き立てたひとりだ。彼は記事にこんなことを書いている。「エイブ・ミーアポルはローゼンバーグの子どもたちを家にかくまい、アカの会員名(ルイス・アラン)を持っている。この男が『奇妙な果実』を書いたのだ(原文ママ)」。
ロバート・ミーアポルは、ミーアポル家に引き取られたとき7歳くらいだった。彼によると、生みの両親が「奇妙な果実」に親しんでいたかははっきりしないという。記憶によると、ローゼンバーグ夫妻のレコードコレクションには、ホリデイのアルバムは一枚もなかったし、クラブに出かけることもそうなかった。しかし、死の前に獄中から送られた手紙のなかで、この曲に言及したことがあったとも語る。「私にしてみれば、彼らがあの曲を知っていたのは明らかだ」とロバートは言う。「彼らの政治信条を考えれば、(むしろ知らないほうが)びっくりだ」。
カバー/サンプリングが示す普遍性
ホリデイは長年この曲を歌い続けたが、とりわけ1959年に彼女が亡くなって以降、「奇妙な果実」はやや下火になった。ニーナ・シモンが彼女のバージョンを録音したのは1965年、次いで1972年の伝記映画『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』で、ホリデイ役を演じたダイアナ・ロスがこの曲を歌った。しかし70年代には、ミーアポルは自分が最も誇るこの曲の行く末を案じていた。息子のロバートはこう回想する。「彼がこう言ってたのを覚えてる。『お前たちにはもっと楽させたいのだが。あの曲がもっと聞かれたら、使用料がもっと入るだろうにな』と」。

1964年撮影のニーナ・シモン(Photo by Getty Images)
1980年には新しいバージョンが登場した。UB40が「奇妙な果実」をレゲエのグルーヴで作り直したのだ。また、友人であるピート・シーガーが、アルツハイマーを発症し養護施設に入っていたミーアポルを見舞って、テープに録音したこの曲を聴かせたのもこの年だった。自分の曲はいますぐにでも忘れ去られてしまうのではないかという思いのまま、ミーアポルは1986年、83歳で亡くなった。自宅での追悼集会では、旧友が「奇妙な果実」を演奏した。
ほかにもカバーはいくつか登場した。たとえば、スージー・アンド・ザ・バンシーズが1987年に発表した、ストリングスたっぷりのカバー。90年代の初頭には、トーリ・エイモスが簡素なカバーをリリースし、またジェフ・バックリィはニューヨークのクラブSin-éでのライヴセットでこの曲を定期的に演奏した。
そして1996年には、カサンドラ・ウィルソンがアメリカ南部を主題にした曲を集めたアルバム『ニュー・ムーン・ドーター』にこの曲を収録している。彼女が「奇妙な果実」を収録しようと思ったのは、2つの理由からだという。彼女の母親がかつて、リンチを目撃したときのことを教えてくれたことがひとつ。そしてまた、ウィルソンが奴隷制という主題を音楽ビジネスのあり方に結びつけたことがもうひとつ(その3年前、プリンスが顔に「奴隷(slave)」と描いてワーナー・ブラザーズからの扱いに抗議したのは周知の通り)。「奴隷制は過去のものなんかじゃない」と彼女は言う。「音楽ビジネスは奴隷制と同じ要素をたくさん持ってる。だから、私はなにかを予測していたのかもしれない」
『ニュー・ムーン・ドーター』はグラミー賞の最優秀ジャズ・ヴォーカル部門を勝ち取ることになった。ロバート・ミーアポルは、ウィルソンのバージョンがこの曲への関心を再び高める助けになったと考えている。
そしていまや、この曲は60組以上のアーティストたちによってカバーされている。近年の例ではアニー・レノックス、インディア・アリー、それにファンタジアの名もある。また、この曲がヒップホップで取り上げられてきたのも印象的だ。過去20年以上に及んで、キャシディの「Celebrate」やピート・ロックの「ストレンジ・フルーツ」といった曲がこの曲をサンプリングしてきた。ラプソディの「ニーナ」もそこに含まれる。
ラプソディは、ヒップホップのアーティストはこの曲の歌詞にも、この曲を歌ったホリデイやシモンのようなソウルフルなシンガーたちにも惹かれているのだと考えている。またある者は、この曲の冷ややかなメロディに潜む政治的な怒りこそ、今日いっそう共鳴しているもうひとつの理由ではないかと示唆した。「ヒップホップ世代がこの曲を胸に迫るものと感じているのだとしたら、彼らはこの曲を悲しげだとは捉えていないはず」マイケル・ミーアポルは言う。「エイベルは死者を悼んでいたわけではなく、殺人を行っていた南部の人々を告発していた」。ウィルソンも同意見だ。「とても怒りに満ちた曲。”飛び出した目玉にねじれた口元”。すごく、めちゃくちゃ描写的だ。こんなふうに聞こえる歌詞がほかにどれだけあるだろう?」
「奇妙な果実」再評価を決定づけたカニエ・ウェスト
7年前、カニエ・ウェストは「奇妙な果実」に最もきらびやかな光を投げかけた。彼は「ブラッド・オン・ザ・リーヴズ」にシモンのバージョンを取り入れ、『イーザス』で最も心を掴む瞬間のひとつをつくりだしたのだ。イーロン・ルットバーグは作家、ディレクター、ソングライターとして、この曲でウェストとコラボレートした一人。彼によると、「ブラッド・オン・ザ・リーヴズ」は、バスケットボール選手を現代の奴隷に位置づけるという議論の一部から生まれたのだという。「これはすごくパワフルだと思った」彼は回想する。「みんなすべてを持っている。けれども、渇望し続けている自由だけは持ってない。そういう着想だった」。
結果完成したのは、プロフェッショナルとしての問題、また私生活上抱える問題の双方にさいなまれるアスリートによって語られる一曲だった。「リスナーに富豪の人格と私的なトラウマを理解してほしいというのは、ありえない頼みだ。けれど、それはこのもっと大きな闘いに通じてもいる」ルットバーグは付け加える。「『奇妙な果実』は、恐怖を真正面から見つめたときに抱く感覚を表現する方法を探す歌だ。ニーナや原曲を汚したかったわけじゃない」
ミーアポル家は当初、ウェストの曲には困惑したと認めている。「ロバートと私は、『どうなってるんだこれ?』という感じだった」マイケルが回想する。ロバートは加えて、「そこから議論が始まった。みんなニーナ・シモンについて話し、この曲をカバーしはじめた。エイベルならちっとも気にしなかっただろう」

カニエ・ウェスト(Photo by Lloyd Bishop/NBCU Photo Bank/Getty Images)
Alpha Dataによると、今年の上半期、ウェストの「ブラッド・オン・ザ・リーヴズ」は、ホリデイのオリジナルの4倍近くストリーミング再生されたという。ミーアポル家は引き続き、この曲の使用料を受け取っている。著作権法が幾度か変更されたおかげで、「奇妙な果実」の歌詞とメロディは、1939年の著作権登録から98年後の2033年まで、パブリックドメインにならずに済む。この曲は過去22年間で30万ドルの使用料を生んでいる。ロバート・ミーアポルの収益の一部は、エイベル・ミーアポル記念ソーシャル・ジャスティス文学賞の設立に使われた。2017年、最初の受賞者は、ポエトリー・スラムの全国大会を複数回制した黒人詩人、パトリシア・スミスだった。
「奇妙な果実」が新たに重要性を帯びだしたという事実は、「悲しい、とても悲しいコメンタリーだ」とマイケル・ミーアポルは語る。「ジム・クロウ法を廃絶したのは1964年と65年だったはず。『最後の反ユダヤ主義者が死ぬまで、私はユダヤ人であり続ける』という言い回しがあるけれど、同じように、最後の人種差別主義者が死ぬまで、『奇妙な果実』は重要であり続ける。その最後の人種差別主義者がいまや合衆国大統領とはね」
●白人アクトが黒人を踏み台に ポップミュージックにおける「搾取と強奪」のシステム
From Rolling Stone US.