こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのはエルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight?」。1960年11月発売で6週間全米チャート1位になりました。今日の前テーマはこの曲です。このセリフや歌詞をノートに書いて覚えた中学生でありました。2学期の期末試験の前の日にこの曲が「S盤アワー」というラジオのチャートで1位になったんですね。
エルヴィス・プレスリーは1977年8月16日に42歳で他界しました。今年は45回忌です。2ヶ月連続でライブ盤特集を続けてきましたが、個人的な原点であり、世界のロックの始まりでもあるエルヴィスに戻ろうということで、バック・トゥ・エルヴィス。そういう1ヶ月になります。
先週は1950年代の話をしました。メンフィスのローカル・レーベル、サン・レコードからメジャーのRCAレコードに移ったんですね。週給35ドルのトラックの運転手が一躍世界のスーパースターになった。「ハートブレイク・ホテル」の印税で、お母さんにピンクのキャデラックを買ってあげた。そんなエピソードがありましたね。先週お聴きいただいたときに、どこの不良の音楽と思われた方がいらっしゃったかもしれませんが、彼は実はとても母親思いの若者でありました。
今週は50年代から60年代に行くんですが、イメージが使用前使用後のように変わります。1曲目は、58年4月に発売になった「思い出の指輪」。原題が「Wear My Ring Around Your Neck」。
今週も笑いが止まりませんね(笑)。この曲はわずが2分15秒しかないんですよ。でもイントロのキャッチーさと畳み掛けるようなメロディの展開、さあどうだというようなダメ押しのサビ。
1958年7月公開の映画『キング・クレオール(邦題;闇に響く声)』中の曲を2曲お聴きいただきました。1曲目は先行シングルで発売されて全米1位になった「冷たい女」=「Hard Headed Woman」。そして2曲目は「Trouble」。映画の中の1曲ですね。「Trouble」は内田裕也さんのオハコだったんですね。今お聴きのように、かなりドスの効いた歌ですね。「もしお前がトラブルを探しているならいいところに来たぜ」という歌なんです。裕也さんはお好きだったんでしょうね。よくこれを歌っていたんですが、これを歌う裕也さんを観て、気持ちはわかるけど下手だよなと思っておりました(笑)。
『キング・クレオール』はジャズのメッカ、ニューオーリンズを舞台にした映画なんですね。ニューオーリンズとロックというアーシーさというんですかね、どろっとした感じがロックになって歌われるとこうなるという。これはエルヴィス・プレスリーにしか歌えない歌だなと当時も今も思いますね。主人公は酒場で働きながら学校に通う青年なんです。でもお客さんとのトラブルがあって、飲み屋で喧嘩になっちゃったりするんです。ステージで歌うことになって、それを観ていた業界の人が、君は歌手になりなさいって言うストーリーですね。お父さんへの反抗とか、どん底から這い上がっていくという青春ドラマで、これは改めて知ったんですけど、「闇に響く声」の脚本はジェームス・ディーンを想定して書かれたんだそうですよ。エルヴィス・プレスリーとジェームス・ディーンというのは1950年代後半のアメリカを象徴する2人だって片岡義男さんも書かれておりますけど、50年代のアメリカの世代の亀裂のようなものを2人が象徴していた。ジェームス・ディーンは親への反抗みたいな部分を演技で表して、エルヴィスは歌で体で表現した。この頃のエルヴィスはジェームス・ディーンがシャウトしているような感じがあったんですね。内向的な陰りのある好青年というのが当時のエルヴィスでありました。そういう歌を2曲お聴きいただきます。
今月5週間は自分で口ずさめる歌だけお送りしています。この「One Night」というのはルイジアナ州出身のR&B歌手スマイリー・ルイスのヒット曲だったんですね。さっきのニューオーリンズとかルイジアナとか、そういうローカリテイのある曲をエルヴィスがカバーしていたことになりますね。「One Night」はもともと先週ご紹介した『さまよう青春』という映画の挿入曲候補でレコーディングされたんだそうです。でも映画のプロデューサー、ハル・B・ウォリスという有名なプロデューサーが、この歌は野卑で淫らだということでボツにした。でもエルヴィスがやっぱりこれを歌いたいんだということで歌詞をちょっと変えてソフトにして再録音したのがこれです。野卑で淫らだったんですね、当時のエルヴィスは。
50年代、60年代と使用前使用後のように変わると申し上げましたが、その間に何があったか。入隊なんです。「闇に響く声」というのは、陸軍に入隊する召集令状がきて、でも映画の撮影が始まるからといって入隊を60日間送らせて撮影されたものなんですね。1958年3月に彼は二等兵として陸軍に入るんです。
エルヴィス二等兵の軍籍番号というのがありますね。53310761。この数字を高校のとき覚えてたということを改めて思い出しました。最後の下四桁は今でも覚えていましたけど。陸軍入隊中はヨーロッパ西ドイツに駐留していたんですね。
60年代最初のシングル。1960年4月発売「Stuck on You」=「本命はお前だ」、そして2作目のシングル1960年7月発売「Its Now or Never」。
J-POP LEGEND FORUM "番外編""全てはエルヴィスから始まった"パート2。サブタイトルをつけるとすればロックからポップへ。そういう時期ですね。1960年4月発売、除隊第一弾シングル「Stuck on You」=「本命はお前だ」。そして2作目1960年7月発売「Its Now or Never」。イタリア民謡「オー・ソレ・ミオ」のカバーということになりますね。当然のように両方とも1位でした。
お分かりいただけましたでしょうかね。50年代の曲と、60年代になってからの2曲、明らかに違う。何が違うか。さっきの言葉を使えば、野卑な淫らさというのが消えました。激しさというのもかなり薄くなっていますね。聴いた感じが変わったのは、レコーディングが変わっているんですよ。さっきまでお聴きいただいたのはモノラルなんですね。ここからステレオになるんです。やっぱりポップ・ミュージックはそういうハードウェア、テクノロジー、録音技術の変化とともに変わるという良い例ですね。聴いた感じが全然違いますね。バランスがよくなっている。
写真も50年代のエルヴィスの、どこか斜に構えたジェームス・ディーンを意識したような感じが全然なくて、目元もキラキラして、涼しげな笑顔がきれいな好青年というそういうジャケットのアルバムが出ましたね。さっき「闇に響く声」、50年代最後の映画の話もしましたが、この2曲のあとに映画が公開されるんですね。それが変身エルヴィス、ニュー・エルヴィスというのを証明しておりました。60年11月に公開された映画が『G.I. Blues』。その映画の中で歌われた曲を2曲お届けします。タイトル曲「G.I. Blues」と50年代に歌っていたロックンロールのスタンダード「Blue Suede Shoes」。
1960年11月に公開になった映画『G.I. Blues』からタイトル曲「G.I. Blues」、そして映画の中で歌われた「Blue Suede Shoes」。「Blue Suede Shoes」を日本で1番たくさん歌われた方、内田裕也さん。「Blue Suede Shoes」は1956年に先週お話したサン・レコードの最大のスター、カール・パーキンスの歌ったヒット曲なんですね。エルヴィスも自分でも最初のアルバムでカバーしていましたし、シングルにもしています。でも当時の「Blue Suede Shoes」と比べると、どこか垢抜けている、余裕で歌っている感じがあって、それがまた素敵なんですけどね。あくが抜けたという感じですか。悪っぽさがなくなっていますね。それが青年になったということだと思うんですけど、『G.I. Blues』という映画は半分以上実話でありました。駐屯地での恋。でも「G.I. Blues」はアメリカではシングルカットされなかったんです。日本では坂本九さん、ささきいさおさん、フランツ・フリーデル、ほりまさゆきさん、たくさんの人が歌っていました。エルヴィスの曲の中でも1番カバーされている曲ではないでしょうか。「G.I. Blues」が出て、こんな青年になったんだと、彼に対しての認識を変えた。特にアメリカはそうだったでしょうね。映画の中から続けて2曲お届けします。YMOもカバーしていた「ポケットが虹でいっぱい」、そしてドイツ語も出てきます。「Wooden Heart」=「さらば故郷」
「ポケットが虹でいっぱい」をYMOがカバーしたときに、細野さん、この映画観たんだな。この曲好きなんだなと思いました。それまでのロックンロール・エルヴィスとはちょっと違うロマンチックで素敵な曲、女性ファンが絶対にこの曲に胸をときめかせるだろうなという曲だと思います。
2曲目の「Wooden Heart」はドイツ語の歌詞がありましたけど、ドイツの「ムシデン」という民謡がモチーフになっている。イギリスで大ヒットして、61年のイギリスの年間チャートの2位だった。それまでのエルヴィスのファンとは明らかに違うリスナーが増えた、違うリスナーに届いた。そういう映画であり、そういう曲だったことがよくわかりますね。
映画というのはエルヴィス・プレスリーのキャリアの中でとても重要な地位を占めているわけですが、位置付け方が変わってきているなというのが『G.I. Blues』以降の映画なんですね。1960年代、アメリカのポップミュージックも多国籍化しておりました。イタリアの民謡が歌われておりました。お聞きいただくのは1961年のNo.1ヒット「Surrender」、2曲目はこれは残念ながら4位だったんですが、私は大好きだった曲。「マリーは恋人」。
「Surrender」というのはご存知、ナポリ民謡の「帰れソレントへ」。これは1位になったのは1961年3月なんです。1961年というのは10月にアメリカで『ウエスト・サイド物語』が公開された年ですね。ポーランド系の移民と、プエルトリコ系の移民がマンハッタンで対立するという青春映画、ミュージカルでしたが、移民の人たちの間でのある種の縄張り争いみたいなことがひとつの社会問題化してくる時期でもあったと考えると、エルヴィスがいろんな民謡を歌っていたというのも、音楽でそういう対立を乗り越えようとしたと考えることもできるのではないかと改めて考えたりしました。
FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」番外編"全てはエルヴィスから始まった"Part2。ロックからポップへ。今年が亡後45回忌、エルヴィス・プレスリーの軌跡を辿っています。今流れているのは、番組の後テーマ曲、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。
1960年代のはじまり、日本も高度成長が幕を開けました。黄金の60年代という言葉がしきりに使われた時代。テレビが普及しました。1959年6月から「ザ・ヒットパレード」がはじまって、日本語で洋楽のヒット曲を歌うというカバー時代が訪れるわけですね。漣健児さんという訳詞家が一時代を築きました。日本語で歌うエルヴィスというのが、そういうテレビ番組を通じて入ってきたりするんですね。でも『G.I. Blues』はアメリカで公開されたのが1960年で、日本では61年でしたからね。すぐには公開されないというタイムラグがあった。そんな時代です。
1960年代前半のエルヴィスというのは、当時のポップスファン、僕もそうだったんですが、いろいろなことを教えてもらいました。最後にお聴きいただいた「マリーは恋人」のリズム。ダンダダンダダ、ダンダダンというあれは、ニューオーリンズに伝わる土着的なガンボというリズムですね。ボ・ガンボスというグループがいましたね。「闇に響く声」というのは、かなりそちらに寄った映画で、エルヴィスもそういう音楽を歌う人だった。そういう音楽的な情報は当時、まったく教えてくれる雑誌もなければ、場面もなければ、僕らはエルヴィスの歌を通じて情報より先に音として耳に入っている。80年代、90年代になって、日本でニューオーリンズの歌はこうだと話を聞いたときに、エルヴィスがやっていたなとか、あの曲のリズムだというふうに改めて彼の大きさを知るという音楽体験でもありました。60年代のエルヴィスというのはそういういろんな音楽を紹介してくれたとっても大きな存在で、その中にハワイもあったんです。これが来週です。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210
OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
OFFICIAL Twitter :@fmcocolo765
OFFICIAL Facebook : @FMCOCOLO
radikoなら、パソコン・スマートフォンでFM COCOLOが無料でクリアに聴けます!
→cocolo.jp/i/radiko