スーパーヒーローになる前のチャドウィック・ボーズマンは、映画スターだった。ボーズマンには、言葉で言い尽くせないような何かがあった。それは、まるで映画館のスクリーンの下から6メートルほどの高さに投影された、リアルで共感できると同時に偉大な彼の姿を前に人々が涙を流し、怒りに我を忘れ、恋に落ちる瞬間を愛さずにはいられないような、スターとしての素質が最初からボーズマンには備わっていた。私たちの多くにとってすべての始まりは、黒人大リーガーのジャッキー・ロビンソンの半生を描いた映画『42~世界を変えた男』(2013)だった。ブライアン・ヘルゲランド監督がボーズマンを同作に起用した当時、彼はまったくの無名俳優というわけではなかった。というのも、ホームドラマ、警察物、『ER緊急救命室』、『JUSTIFIED 俺の正義』など、すでに数多くのテレビ作品に出演していたのだから。とはいっても、彼の名前はお茶の間にまで浸透しているわけではなかった。そんなボーズマンを野球界に立ちはだかる人種の壁に挑むブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)の選手役に起用するのは、ギャンブルだった。
ボーズマンは、のちにアイコニックな実在の人物を複数演じることになるのだが、当時35歳のボーズマンが披露した最初の文化的アイコン、ロビンソン役の演技を見ると、彼にはカリスマ、センス、そして一種の自信が備わっているのは明らかだった。人種差別的なヤジにさらされ、野球愛と自身に向けられる憎しみとの折り合いをつけようと苦悩する偉大な大リーガーの葛藤をボーズマンは演じた。彼は背番号42にふさわしい運動能力と優美さをもってこの役に挑み(執筆および俳優としての活動に目を向ける前、ボーズマンは高校野球選手だった)、グランド、ロッカールーム、公の場での隙のないロビンソンを演じ切った。『ブラックパンサー』に主演するずっと前からボーズマンは、心のなかの混乱を隠すためにロビンソンが被らざるを得なかったストイックな仮面のような表情を取得していたのだ。
チャドウィック・ボーズマンは、4年の闘病生活の末、米現地時間8月28日に43歳で他界してしまった。米南東部サウスカロライナ州のごく普通の青年だった。ボーズマンには、人種差別の傷痕が根強く残る国でアフリカ系アメリカ人として成長した自らの経験があり、芸術という夢を応援してくれる愛情深い家族がいた。10代の頃にストーリーテリングに魅了されたボーズマンは、ハワード大学(訳注:首都ワシントンに所在する私立大学で、米国屈指の名門黒人大学)で監督業を学ぶため、ディレクティング・プログラムに志願する。そして夏にはオックスフォード大学に交換留学し、演技を学んだ(のちにボーズマンは、彼の友人であり、師でもある女優のフィリシア・ラシャドが知人に頼んで海外留学費を援助してくれたと明かした。学費を支払ったのは、デンゼル・ワシントンだった)。卒業後はニューヨークに移住し、その後はロサンゼルスを拠点に駆け出しの俳優として生計を立てながら、常に執筆活動を続けていた。『42~世界を変えた男』で有名になり、『ジェームズ・ブラウン~最高の魂を持つ男』(2015)でジェームス・ブラウン役に抜擢されてからも、NFLを描いたスポーツドラマ『ドラフト・デイ』や映画『キング・オブ・エジプト』(2016)といった作品に出演する合間を縫って演劇の脚本を執筆し続けた。「俺たちのカルチャーには、語られていないストーリーが山ほどあるんだ。なぜなら、それが本当だとハリウッドが信じてくれなかったから」とのちにボーズマンは語っている。「アフリカ系アメリカ人が活躍する歴史の断片を覗くのは、すごくクールだと思う」。
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アフリカの超文明国家ワカンダのティ・チャラ王を演じる前から、ボーズマンには実在のヒーロー役の演技経験があり、2017年の映画『マーシャル 法廷を変えた男』では、全米黒人地位向上協会の弁護士サーグッド・マーシャルのような著名人を演じていた。それでも、ボーズマンはヴィブラニウム製の戦闘スーツをまとった戦士としてもっとも強く人々の記憶に残るだろう。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)でワカンダ国の国王だった父親を失い、国を任されることになった王子を演じた瞬間から、私たちは特別な何かが生まれる瞬間を目の当たりにしているという感覚を抱いた。悪役やのちに味方となる相手と闘うボーズマンの分身の登場とともに、ブラックパンサーというキャラクターが拡大を止めないマーベル・シネティック・ユニバースのヒーローたちに匹敵する存在であることに瞬時に気づかされるのだ。素晴らしいカメオ出演でありながら、まだ名脇役とは言えないものの、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のすべての出演シーンでボーズマンは魅力を最大限に発揮している。彼のすべての行動は、同作の外ではより壮大で興味深い物語が展開されていることを終始ほのめかし、観終わる頃にはブラックパンサーが主役の作品が楽しみで仕方なくなる。ボーズマンは訓練を通じてアフリカの戦闘スタイル(ボクシングのようなダンベ、棒を使うズールー、カポエイラ・アンゴラなど)を身につけ、アフリカの多種多様な文化を学び、リサーチのために現地を訪れ、キャラクターにふさわしいアクセントを取得するために努力を惜しまなかった。2018年の映画『ブラックパンサー』の監督と脚本の共同執筆を手がけたライアン・クーグラー同様、ボーズマンは研究と役作りに多くの時間を費やした。MCU作品であるかどうかにかかわらず、ボーズマンは単独のキャラクターを描いた映画が一部の人々のあいだではリスキーだと思われていたことを承知していた。だが、結果的に『ブラックパンサー』は世界的ヒット作となった。
『ブラックパンサー』の成功においてどれほどボーズマンの演技が重要だったかをセンセーショナルに述べるのが難しいのと同様に、アカデミー賞にノミネートされた同作に対するボーズマンのリアクションがいかにドラマチックだったかを見過ごすことも困難だ。
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『ブラックパンサー』の公開当初、試写会で熱狂する人々や映画の公開をいまかいまかと待ち望んでいた人々にサプライズを仕掛けるボーズマンの動画はネット上に広まり、こうした動画を見ずにSNSをチェックするのは不可能だった。同作屈指のアンバサダーとなったことで、彼自身も伝説的な人物とみなされるようになった。もちろんボーズマンは、このキャラクターが人々にとって何を意味し、ティ・チャラ王の物語がそれにふさわしく壮大なものとして描かれたことの重要性を十分に理解していた。いまでこそ私たちは、ボーズマンが『ブラックパンサー』という革新的な映画とポスト・ブラックパンサーのアベンジャーズ作品に携わり、レッドカーペットの上を歩き、手術の治療の合間を縫って公共の場に姿を見せていたあいだもずっとがんと闘っていた(2016年にがんと診断)ことを知り、彼のさらなる偉大さを痛感しているのだ。
数ある”ドッキリ企画”のなかでも筆者のお気に入りは、ジミー・ファロンが司会を務めるトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジミー・ファロン』の場面だ。
ボーズマンには俳優としての限りない可能性があり、私たちはまだまだ彼の演技を観ていたかった。ティ・チャラ王(『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のクライマックスで姿を消したティ・チャラが『アベンジャーズ/エンドゲーム』の壮大なバトルの前に再登場したときの観客の熱狂ぶりを思い出してほしい)のその後も観たいし、スパイク・リー監督の最新作『ザ・ファイブ・ブラッズ』(2020)で黒人のベトナム帰還兵たちにインスピレーションを与えた故”ストーミン”・ノーマン隊長のような役をもっとたくさん演じてほしかった。数カ月後に公開を控えた、ジョージ・C・ウルフが手がけた米劇作家オーガスト・ウィルソンの戯曲『Ma Raineys Black Bottom』の同名の実写版映画で、ボーズマンはレヴィー役を演じている。戯曲を読んだことがある人はご存知のとおり、これはなかなかの役どころである。それに、愚か者、工場労働者、ヒーロー、悪役、弁護士、医師、兵士、芸術家、活動家、犯罪者、大統領の役をもっともっと演じてほしかった。