全国劇場にて順次公開がスタートしたドキュメンタリー映画『マイルス・デイヴィス クールの誕生』。同作の監督を務めたスタンリー・ネルソンのインタビューに続いて、今回は作品にも登場する甥のヴィンス・ウィルバーンと息子のエリン・デイヴィスが、映画にまつわるエピソードと、ひとりの人間としてのマイルスを語ってくれた。


―まず、スタンリー・ネルソンから今回のドキュメンタリー映画製作の話を受けたとき、どう思いましたか?

エリン:最初に会った時、自分が手がけた映画を観てくれと渡されたんだ。『The Black Panthers』(ブラックパンサー党の物語を追ったエミー賞受賞作)と、もう1本は『Marcus Garvey』(ジャマイカ出身の黒人運動指導者、マーカス・ガーベイを追ったドキュメンタリー)だったかな、ヴィンス?

ヴィンス:『The Black Panthers』ははっきり憶えている。

エリン:その後、理由は分からないが、企画そのものが流れてしまった。でも数年経って、また連絡があったんだ。映画『マイルス・デイヴィス 空白の5年間』が完成したあとだ。アメリカン・マスターズ、BBC、イーグルロックと話がついた、と。イーグルロックが関わってくれたのは嬉しいことだったよ。スタンリーと話をして、とてもいい印象を受けた。すごく真面目な男で「マイルスへのラヴレターにする気はない」と言っていた。でもいい意味でラヴレターなんじゃないかなと思う。真実を語る、というのは愛があってこそのことだから。

ヴィンス:その通りだね。
最初と数年後、そのどちらのミーティングでも、僕ら家族はスタンリーに強いつながりを感じることができた。彼なら任せられる、正しく作ってくれると思えた。実際にそうなったと思うよ。

音楽を突き詰めたマイルス・デイヴィス、家族だけに見せた「親」としての素顔

左から:スタンリー・ネルソン監督、甥のヴィンス・ウィルバーン、息子のエリン・デイヴィス(Photo by Corey Nickols)

―あなた方が考える、アーティスト=マイルス・デイヴィスの魅力はなんでしょう? 亡くなる寸前までバンドで仕事をしていたヴィンスはどう思いますか?

ヴィンス:その進化ぶりじゃないかな。決して現状に満足せず、常に音楽を動かしたい、音楽を変えたい、進化させたいと願っていた。そして、リスナーはそれを聴きたい・見たいと思ったんだと思う。私だけでなく、エリンも一時期バンドの一員だったんだ。そして、エリンと私はマイルスとマリブの家で一緒に暮らしていた。その時に見たマイルスは、誰よりも早く起きてきて、誰よりも遅くまで起きていた。そんな生活の中で最優先は常に音楽だった。そんな人だったよ。ファンにとってマイルス・デイヴィスのコンサートに行くこと、マイルス・デイヴィスのレコードを買うことは一大イベントなんだ。
人生が変わるような瞬間を経験するんだ。甥である私もそうなんだから! エリン、君はどう?

エリン:昔、友達がコンサートを観に来て「あの曲のあのマイルスがすごかった!」と興奮していたことを憶えている。とにかくすべてが観る人達に印象を残す、そういうアーティストだったと思う。コンサートやフェスティバルで客席を見ると、みんな泣いていたよ。大きなロック会場でもサッカー場でも、小さいところでもだ。ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムみたいな全米一大きなスタジアムでも、東京で1週間やった時(1990年の目黒ブルース・アレイ・ジャパン)も、会場の大きさに関係なく、同じように人の心に届く演奏ができる人だった。

遺族としての視点から見たマイルスの素顔

―一方で、甥・息子の視点から、マイルスはどんな人物でしたか?

エリン:偶然なんだけど、私の義父は日本人なんだ。ヤスオと言って、川崎に住んでいる。子供の私に野球のボールの投げ方を教えてくれたのは彼だった。野球、フットボール、自転車……そういうことすべて。でもマイルスと一緒に暮らし始めたら、彼との関係はそれとはまるで違ってた。父と息子ではあるけれど、仕事場では「パパ、パパ」みたいになるわけには行かなかった。
バンドの一員の時も、クルーとして働いていた時も、雇われている従業員という感覚だった。それを私も望んでいたしね。それでもやっぱり、私のことは特別に扱ってくれたから(笑)。

―父親としてはどう見ていましたか?

エリン:例えば、シェリルやグレゴリーやマイルス4世など他の子供とは、ちょっと違う経験だったと思う。彼らが子供から大人へ育った時期は、父はマイルス・デイヴィスという大スターになって行く時期だった。でも私が会った時には、すでに彼は大スターのマイルス・デイヴィスだった。その意味で、マイルスは私と、そして私のために、いろいろなことをしてくれたんだ。他の子供たちにはできなかったことを。だからと言って火の起こし方を教えてくれたとかそういうんじゃないよ。ボクシングは教えてくれたね。家にボクシングの一式があったんだ。ピアノも教えてもらった。
AKAIの4トラックのテープマシーンがあって、それでマイルスがデモテープを作るのを手伝ったりもした。あのAKAI、今も持っていたかったよ。そんな風に、普通に他のミュージシャン仲間とやるようなことを、私ともしてくれたんだ。ヴィンスほどではなかったかもしれないが。自宅の4トラックのデモ制作でも、私を信用してやらせてくれたことが嬉しかった。それが父と息子としての一番大切な思い出だ。ボクシング以上にね。

―ヴィンスはどうですか? 甥と叔父の関係はどうでした?

ヴィンス:バンドの中で身内贔屓はなかったよ。プレイできるか、彼の要求に応えられるか、それだけだった。息子、甥、いとこ、兄弟……ではなく、音楽が一番だった。でもバンドを離れたら、それはまた違う話だ。特に、バンドで彼の欲しい演奏をしたあとにはね! でもエリンも言っていたように、どんな時も私たちのためにそこに居てくれた。
それは一般の人たちには見せなかった顔だ。エリンと3人で一緒にボクシングや他のスポーツを観たり、叔父は私たちのためによく料理をしてくれたんだけど、食べ終わった後の大量の食器の後片付けは、いつも私とエリンがやらされた……。

エリン:(笑)。

ヴィンス:一緒に絵を描くための道具を買いに行ったりもした。そんな叔父としてのマイルスが大好きだったし、会えないのが本当に寂しい。同時に、バンドではミュージシャンとしてのスーパーヒーロー、マイルスがいた。私やエリンはあくまでもミュージシャンとして、要求に応えなければならなかったんだ。身内だったからじゃない。でも、愛はどちらの側からもあった。つまり、叔父として、エリンには父親としての彼からの愛、それとバンドリーダーとして、僕らサイドマンに注いでくれる愛。その両方があったよ。

音楽を突き詰めたマイルス・デイヴィス、家族だけに見せた「親」としての素顔

Courtesy of Eagle Rock Entertainment

―日本のマイルス・ファンへのメッセージをお願いします。


エリン:映画のプロモーションのための来日が叶わなくなったのは、とても残念だよ。とても行きたかったんだ。日本のファンのことは心からリスペクトしているし、たくさんの愛を感謝してる。僕は1990年に行ったのが最後だが、今も日本での素晴らしい思い出はたくさん残っているよ。またなるべく早く行きたいね。

ヴィンス:日本のファンはいつも僕の心にいる。1983年、まだバンドに加入する前に、叔父に付いて日本に行った。マイルスとギル・エヴァンスでのコンサートの時だ。その次に行ったのは、バンドの一員としてだった。85年と86年だ。数年前には自分のバンドで、ビルボードライブで演奏した。『マイルス・デイヴィス 空白の5年間』のプロモーションでも日本に行ったよ。エリンも私もスタンリーもまた行けることを本当に楽しみにしていたんだ。スタンリーを日本のクールな場所に連れて行ってあげる予定だったのに。日本の皆さんのホスピタリティを私もエリンもよく知っているからね。日本のことを考えるだけで心が温かくなるよ。今回行けなくて本当に残念だ。

※7月29日、Zoomにて取材。通訳:丸山京子

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音楽を突き詰めたマイルス・デイヴィス、家族だけに見せた「親」としての素顔

『マイルス・デイヴィス クールの誕生』
監督:スタンリー・ネルソン
出演:マイルス・デイヴィス、クインシー・ジョーンズ、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、ジミー・コブ、マーカス・ミラー、マイク・スターン、カルロス・サンタナ、ジュリエット・グレコ etc.
配給:EASTWORLD ENTERTAINMENT 協力:トリプルアップ
日本語字幕:落合寿和 2019年/米/115分
2020年9月4日(金)、アップリンク渋谷・吉祥寺ほか全国順次ロードショー
日本公式サイト:https://www.universal-music.co.jp/miles-davis-movie/
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