【画像を見る】レディオヘッド、写真で振り返る「革新的ロックバンド」の軌跡
20年前、レディオヘッドが彼らの最高傑作『キッドA』をリリースした。発売は2000年の10月2日、ラジオで取り上げられなかったにも関わらずすぐにナンバーワンに輝いた(英米でチャート1位)。このエレクトロ・グリッチの傑作は当時議論を読んだが、レディオヘッドが『キッドA』のなかでつくりだした混乱は永遠に美しいまま。その謎は大きくなるばかりだ。
ローリングストーン誌が新たに実施した「歴代最高のアルバム500枚」では、投票の結果『キッドA』は20位という高順位を記録した。もしこの音楽が今日にも時宜を得て聴こえるとするなら、おそらくそれは世界がもっと『キッドA』的になってきたからだ。だから、いつかこれらの楽曲が、ついに古びて聴こえる日が来ることを望もう。『キッドA』は2020年という時代をあまりにも捉えた映画のサントラだ(motion-picture soundtrack)――本作は、危機を耐え抜き、困難の時代を乗り切るためのロボット・ブルースなのだ。
「僕はずっと、ドラム・ギター・ベースのバンドであり続けるのに抗うことにかけては極端なところがあった」とトム・ヨークは2017年、ローリングストーン誌のアンディ・グリーンに語っている。それゆえに、『キッドA』のセッション中は始終軋轢が生じていた。「他のみんなはどうやって参加すればいいかわかっていなかった。シンセサイザーで作業していると、まわりとのつながりが途絶えてしまうみたいになる。
再発明の過程で生まれる、痛みを伴う神経症的な混沌でもって成功に応えたイギリスのロックアクトはレディオヘッドが最初ではない――むしろ、イギリスのバンドはほとんどこの過程を経なければならないほどだ。ただし、バンド名が「schmoasis」と韻を踏む場合を除いて(訳注:オアシスのこと)。しかし常軌を逸しているのは、それがいかにうまくいったかだ。レディオヘッドが好んで使う動詞はいつも、”起こってしまう(happen)”だった。『キッドA』はこの動詞にとりつかれた作品であり、”僕はここにいない、これは起こっていない(Im not here, this isnt happening)”と”これは本当に起こっていることだ(this is really happening)”の両極に引き裂かれている。彼らは未来をたくさんのアクシデントが待ち構える新たな千年紀と捉えていた。ネタバレ注意:彼らは間違っていたわけではなかった。
『キッドA』とR.E.M.の影響
レディオヘッドの素晴らしい2018年のツアーで、トムは「オプティミスティック」を政治的な怒りに満ちた言葉と共にはじめた。「この曲を書いたのは1998年だった。僕とジョニーはどこかの砂漠を移動中だった。覚えてる? でも当時よりも今のほうがもっとこの曲は重要に思える」。
『キッドA』のもっとも明白なインスピレーション源はR.E.M.の1992年のクラシック『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』だった――事実、2000年当時のあらゆるレディオヘッドのファンは、このアルバムを隅から隅まで知っていただろう(特にイギリスでは、R.E.M.は彼らの故郷ジョージア州よりも売れていた)。明らかな『オートマチック~』へのオマージュは「オプティミスティック」などたくさんある。この曲はマイケル・スタイプお気に入りのリズムで歌われている(「ファインド・ザ・リヴァー」や「イグノーランド」、あるいは「モンティ・ガット・ア・ロウ・ディール」も「オプティミスティック」風に歌うことができる)。
『キッドA』にはR.E.M.の物悲しい美しさが注入されている――ただし、マンドリンのかわりにシンセが鳴っている。そして『オートマチック~』のように、『キッドA』は重要な体制の変化と共にある作品だ。レディオヘッドは新しいジョージ・ブッシュの台頭を目撃し、R.E.M.も同じように、その父の凋落を満足げに眺めていた。慇懃に、憎しみを込めて。
ファイル共有とオーディエンスに託した信頼
『キッドA』は、ファンがすでにNapsterで共有されたライブバージョンを通じて楽曲を知っていた注目作の最初の例だ。だから私たちは「ナイヴズ・アウト」や「アイ・マイト・ビー・ロング」、「ピラミッド・ソング」(当時は「Egyptian Song」として知られていた)を収録しなかったことに当時驚かされたものだ。「ダラー・アンド・センツ」も「ユー・アンド・フーズ・アーミー?」もなし? レディオヘッドは新たに到来したファイル共有の時代にも動じなかった――歓迎さえしたのだ。
mp3のライブ音源で期待はうなぎのぼりとなり、レディオヘッドもステージ上で新曲を試しに演奏した。しかし『キッドA』は、より直接的でアグレッシブな曲を収録しなかったことでみんなを混乱させた。まるで、頑固にもベストな楽曲を次の機会のためにとっておいたかのように思えた。『アムニージアック』が2001年の夏にリリースされると、それは『キッドA』を補うもののようだった――同じアルバムの双子の片割れのように。当初は『アムニージアック』のほうを好むファンもいた――もっとハードにロックしていて、ジョニー・グリーンウッドやエド・オブライエンのギターもあったからだ。しかし『キッドA』はその弟の上にそびえ立つほどになり、いまや『アムニージアック』のほうがいささか過小評価されているほどだ。同作は「歴代最高の500枚」のリストに入るだけの得票がなかった(『OKコンピューター』も『ザ・ベンズ』も『イン・レインボウズ』も入っているのに)。しかし詩的な解釈をすれば、『キッドA』のすぐ上位にあるケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』では、「ピラミッド・ソング」がサンプリングされている。
『キッドA』はおそらく歴史上もっとも有名な、キャリアの危うい転換点の一つだろう。何より奇妙なのは、それがこれほどの人気を博したということだ。
実験に没頭できた時代
2000年は音楽ビジネスにおける最大のピークであり、それゆえビッグネームたちが実験に没頭できた時代であった。そのような実験は、2~3年早くても遅くても無理だっただろう。ガース・ブルックスは、クリス・ゲインズの名前で自分自身をつくりなおした。『キッドA』がリリースされた2週間後には、リンプ・ビズキットが『チョコレート・スターフィッシュ・アンド・ザ・ホット・ドッグ・フレイヴァード・ウォーター』で初登場1位を獲得した。スターたちはここぞとリスクを背負い「自分はいまやシリアスなアーティストなんだ」という動きをとったし、それにしくじっても、まあ、また来年もあるだろう、という感じだった。しかし蓋を開けてみれば2000年はいわば来年のない年だった。
『キッドA』がリリースされたのは、ディアンジェロ『ヴードゥー』のすぐあとだった。あの夏、誰もがお気に入りだった一枚だ。どちらの作品も、聴くにはしっかりとした時間がいる――自分なりの見解をあたためるには、この音楽としばらく共に過ごさなければならなかった。これにいらだつファンもいた。というのもレディオヘッドもディアンジェロも、聴衆をすぐさま満足させる曲を書く手練であることはすでにわかっていたからだ(「プラネット・テレックス」や「ブラウン・シュガー」は一度聴けば好きかどうかすぐ判断できる)。しかしこうした冒険の感覚こそ、その楽しみのひとつだった。オーディエンスはこの風変わりな実験に招かれたことを喜んだ――そしてどちらの場合も、飽くことなく聴き続けてきた。
「ザ・ナショナル・アンセム」は彼らの楽曲中で最も荒々しいスペース・ロックのグルーヴに貫かれており、特にライブバージョンにそれは顕著だ――スタジオ収録のバージョンは、意識的に取り入れられた安っぽいホーンでその魅力が損なわれている。「イディオテック」は、彼らのアマチュア的なエレクトロニカを誇らしげに提示している。オウテカやエイフェックス・ツイン、ボーズ・オブ・カナダ、あるいはファンキ・ポルチーニを耳にする前に『キッドA』を発見した新しいリスナーにとっては、彼らの技能は疑わしいものに思えるかもしれない。
未来に可能性を見る音楽
『キッドA』を織りなす横糸に、今に連なる神話的な名声を呈することとなるひとつの契機があったとしたら、それは2000年の12月12日だろう。アメリカ最高裁が同年11月の大統領選の結果を退けて、フロリダ州を票の集計から除外した日だ(もっと正確に言えば、共和党に依頼された、9人中5人の陪審員がそうしたのだが――偶然にしては出来すぎだ)。心底驚かされる。前代未聞。しかし、白昼堂々と実際に起こったことなのだ。12月12日を目の当たりにしても、『キッドA』にまつわるすべては誇張され、パラノイア的で、ややヒステリックにすぎるとおもうだろうか? むしろ、時代にぴったりなものに聴こえるようになった。こんなことが起こりうるのだろうか? いや、これは実際に起こったのだ(”This was really happening”)。
このアルバムは、90年代の得難い成果である政治的な利益が儚く消え去ってゆくのを見守る悲嘆に満ちたサウンドトラックとなった。Y2K(2000年)の選挙の夜、カウチに座ってジョージ・W・ブッシュが負けたはずの選挙に対してもったいぶった勝利演説をしているのを眺めたあと、私はコメディ・セントラルにチャンネルを変えた――笑いが欲しかったのだ。すると放送されていたのは「サタデー・ナイト・ライブ」の再放送で、1993年のチャールズ・バークレーのエピソード、音楽ゲストはニルヴァーナだった。カート・コバーンが「ハートシェイプド・ボックス」を歌っている最中だ。彼の声をあのタイミングで聴くと、すでにして想像の埒外にあった夜が余計不条理に思える。無為に費やしたものはあまりに多く、あまりにあっという間だった。90年代は終わった。おい、待て、また不満がでてきたんだ(”Hey, wait, I got a new complaint”)。
この音楽にはなにか、不気味にも2000年の秋にぴったりくるところがあった――同じ理由で、2020年の秋にもぴったりの作品になっている。ほんの数週間前にルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなった夜、クエストラヴがソーシャルメディアに姿を表して、3時間にわたるレディオヘッドのDJセットを披露した――彼いわく、「チョップド・アンド・スクリュード、俺たちは騙されてる(※)」。それは悲しみを耐え抜く彼なりの自然な試みだったが、「イン・リンボー」「ツリーフィンガーズ」「オプティミスティック」の物悲しいトーンを伴って、とても力強いものだった。彼のテーマはこうだった。「意気消沈する週末、それでいい!」
※訳注:原文はchopped and (were) screwed、DJの技法であるチョップド・アンド・スクリュードと「騙される」の意のscrewがかかっている。
ある意味、これは『キッドA』と同作の遺産に対する究極のトリビュートだ。それは絶望を取り込んで、怒りへとつなげる音楽なのだから。諦めることを拒絶する音楽。未来の側が拒もうとも、未来に可能性を見る音楽。それが『キッドA』がこれほど多くの人々の琴線に触れた理由だ。20年後の今、それは『キッドA』がこれまで以上にもっと刺激的に――そしてもっと必要に――響く理由でもある。
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