9月29日、30日の2日間で開催された『A NEW MY TERRITORY』を観たが、シアトリカルな演出の中、生ならではの即興性を大事にし、数多ある配信ラブとは全く異なる表現をクリエイトしていた。
そこで、今回は清春にライブ配信における表現のこだわりと、配信という形式のメリットやデメリットについて語ってもらった。話していくうちに清春の持つ価値観と社会とのギャップなど、話題は意外な方向へと進み出し……清春節が炸裂した。
-コロナ禍以降の清春さんは、『THE TEST』という配信ライブを3回やった後、『A NEW MY TERRITORY』という配信をさらに2回行いました。このネーミングを途中で切り替えた理由というのは?
『THE TEST』に関しては、読んで字の如く試験という意味だったんです。この配信という新しいツールへの試乗運転というか。ここで何が出来るのかっていう。それで、2~3回やってみて”出来る”と確信したので、『A NEW MY TERRITORY』に移行した感じですね。『THE TEST』でゲストギタリストにK-A-Z君を入れたり、場所を変えたり、カメラのレンズや照明、カメラワークなど色々試行錯誤した結果が今に繋がっています。
−試験は清春さんの中で及第点で終えられたと。
そうですね。車で言えば、運転は出来るくらいのレベルだけど。あとは、今後いかに道を覚えたり、乗り心地を良くしていくかというところです。
-『A NEW MY TERRITORY』になってからはゲストにK-A-Zさんやチェロ奏者のロビン・デュプイさんを迎えていますが、回を重ねる毎にシアトリカルというか演劇的で、緻密な世界を生で創り上げている独自の表現にいきついていますね。
カメラに向かってコール&レスポンスを求めるとか、MCを入れるとか、そういったバンドスタイルの配信は『THETEST』の段階から排除していました。音がすべてクリアに聴こえればいいけど、ガチャガチャしているロック系の音楽では難しいだろうなと思って。どちらかというと、歌を使ったパフォーマンスという趣向ですね。
-あくまでもパフォーマンスをしっかり見せる場所だと。
やっぱり、メディアなどではどうしても”配信ライブ”って言われちゃうじゃないですか。これが僕はすごく悔しくて。確かに生配信でその場で演奏しているという意味では合っているんだけど、多分、世の中の人が思っているような”配信ライブ”とは違っていると思うんです。だから、何か他に良い呼び名がないか考えているところ。"あぁ、そういうことをやってるんだ”って一発で伝わるような。”生配信・生演奏だけど所謂ライブ感はまったくゼロです。
「ライブの代わり」ではない
―ネーミングを変えないと伝わらないくらい他とは違う、新しい表現ですよね。
うん。決してライブが出来ないからってその代わりのものをやっているわけではないというのが伝わりにくいのがジレンマ。
-”歌を使った生パフォーマンス”というのが言葉としては今のところ一番近いんですかね。”ミュージカル”という言葉だと用意されたセリフやストーリーを演じていることになるけど、『A NEW MY TERRITORY』は別に脚本があってそれに沿ってやっているわけではないし。
即興性が強いですね。同じ音楽の表現でも、ミュージカルやMVって、まず監督や演出家がある程度用意した中で表現するじゃないですか。でも、うちの場合は自分が今伝えたいことというか、その時思いついたことを表現して、それにチームが着いてくる感じなんですよ。カメラワークにしても何にしても。さらに演じてるパートもあったりするから、ライブの舞台監督とも違う。新しい表現ジャンルなんじゃないかなと。
−即興で踊るコンテンポラリーダンスや舞踏に近い感じですかね?
うん、近いかも。それの音楽バージョンという感じ。で、完全に画面の中というか、画角の中での作品ですよね。
−まさにライブの代わりではないですね。
僕にとっての配信というのは、このコロナ禍というか、この数カ月を乗り切るためのものではないんですよ、もはや。まったく新しい積み上げをしていこうとしているんです。ZAIKOというプラットフォームを使っているんですけど、ZAIKOの中には音楽以外にもお笑いとか、いろんなジャンルがあるんです。だから、極端な話、区分けは音楽じゃなくてもいいのかなとか思ったりもします。
-本当はもっと抽象度が高いものをやろうとしている?
うん。抽象度も即興性も高いし、ほぼノーリハ。リハーサルを積んでやるものではないと思います。むしろ、”本番が薄まるから練習するのやめよう”って言い合ってやっていますよ。
-そのくらい、その時の瞬発力で思いついた動きとか感情を大事にしている。ライブは作品を作るという感覚ではないし、そういう面でもベクトルが真逆なんだろうな。
ライブでも、作り込んでやっているのはライブ感が無いかというと、それもちょっと違うんですよね。本来、ライブが得意じゃないアーティストには作り込みも出来ないはずなんですよ。でも今は得意じゃないから作り込む人が多くなってる。体ひとつ演奏だけで上手く表現できないから、映像や効果音を貼ったり照明を凝ったりしちゃう。素の状態でやっても成立する人たちが作り込んだらもっとスゲーことになるじゃんっていうのが本当のライブアーティストだと思うんですけどね。こう言うと、これを読んでる人たちはアイドルのライブを想像するかもしれないけど、ロックの中にも全然たくさんいます(笑)。何ならアイドルよりもダメかも。アイドルの人たちはパフォーマンスのためにレッスンやトレーニングを積んでいますからね。ロックバンドのヴォーカリストは、もっとアイドルやダンスグループを見習った方がいいくらい。
-確かに……。
最近は、配信ライブでそれが露わになってきていますよね。人によっては弱いところが全部丸見えになっちゃってる。
-やっている本人たちも気付いているとは思いますが……。
そもそも、リスナーが分かっていないんですよ。”髪型がカッコ良かった”とか”MCが面白かった”とか、未だにそういう評価しているから。
最初は良くても2回目以降は絶対に数字は落ちる
-音楽とは違うところで。
音楽に対する解釈が違うんですよね。それはうちのファンも例外ではなくて、僕は音楽を聴いて欲しい、感じて欲しいって言ってるけど、やっぱり見た目とかを重視して見ている人もいます。それでも応援してくれてる人には感謝ではあるんですけどね。
―何がポイントかっていうのは、強制は出来ないですからね。
そうですよね。もちろん、ちゃんと音楽を聴いてくれている人はいて、アルバムだろうがDVDだろうがライブだろうが配信だろうが手放しで楽しんでくれている人もいるんだけど、現実問題、うちのファンクラブの人数の25%しか配信ライブをまだ見ていないというデータもあって。
-結構どこもそうなんじゃないですか? この新しいツールに対応出来ていない層がいる。
やっぱり、配信だと映像なので、どうにかしたら録画出来ちゃうんですよ。人に送れちゃったりもするし、そういうのもあると思います。それに、配信ライブのチケットって大体平均して3000円~4000円くらいの中、僕は音源ダウンロード付きで7000円にしているので。自分としてはそのくらいの価値はあると信じているんですけどね。結局のところ、誰のためにやっているかということだと思うんです。僕の場合、この配信という新しいツールにも手を出してくれるような人たちのためにやっていて、自分の歌っている姿やパフォーマンス、映像に価値を感じてくれる人たちのためにベストパフォーマンスをするのであって、普段ライブに行かない人たちが配信ならチケット代も安いし見てみようかっていうことにはしたくないんですよ。
-なるほど。
チケット代を安くした方が良いんじゃない?っていう意見もあるよね。だけど僕はそれ全く違うと思ってる。もしチケット代安くするなら、無料にした方がいいですよ。無料でYouTubeで生配信とかすれば良いじゃないですか。結局は、どっちに振り切るかですよね。
―本来は質を求めていくべきだし、特にコロナが表現の世界に与える影響って、不要不急じゃないですけど、「量的な成長」から「質的な発展」へだと思っていて。
そういう物の価値を感じてくれる人たちだけに見てもらえればいいっていうのを言っていく人がいないとこの国の文化、この国の音楽業界はもっと早く崩壊しますよね。今すでに崩壊しているのかもしれないけど。あとは、何事もそうだけど、コンスタントにやっていた方がいいんですよ。最初は良くても2回目以降は絶対に数字は落ちるものなんです。そこで手を変え品を変えをせず、コンスタントに同じものをやり続けることが出来るのが実力のあるパフォーマーだとは思います。
−小手先の変化に頼らず、ずっとやれるっていう。
例えば周年とかでもないのに”今日はファンの選んだベスト選曲でいきます”とか、そういうので苦し紛れにずっとやっているとダメになる。レストランで言えば、同じメニューを出すっていうことが大事。今日はライス無料とか、トッピング無料とか、そういうことを繰り返していると普通の営業が苦しくなるので、ベーシックが一番自信あるんだっていうことを立証していかないと。
−確かに、良いお店ってそういうことしないですよね。
出前すらしないですよ。
全アーティスト生命をかけて今やっていることの意味
−問題は、清春さんがやっている新しいジャンルがまだこの国の人たちに慣れていないことですね。初めての味を食べている状態なので、それをいかにみんなに浸透させていくか。一度体験すれば美味しいじゃんってなると思うんですけどね。そこはどう乗り越えていくべきだと思いますか?
僕らは多分、何区のなんとかって町の人しか知らないみたいな、超美味しいけど人数はあまり入れない焼肉屋さんみたいな感じなんですよ。叙々苑とかみたいな味も美味しくて値段もある程度高く取って全国的に広げた人たちっていうのがサザンオールスターズとかユーミンとかであって。僕の場合はある程度クセのある表現なので、万人には支持されないんですよね。普通の人は美味しい普通の味が好きだから。
−でも、清春さん的には町の知る人ぞ知る名店では歯痒いわけでしょう?
歯痒いけど、絶対毎日のように食べに来てくれる人はいる。最近はそういうやり方もアリだと思ってるんですよね。あの店めちゃくちゃ美味しいから連れてってあげるよじゃなくて、めちゃくちゃ美味しいから誰にも言いたくないんだよねっていうくらいの方が価値があると思ってる。でも全然、叙々苑の方が儲かる(笑)。
−それはそうですね。
そもそも、自分がロックの何が好きなのかを思い浮かべると、やっぱりメジャーなものには興味が無いんですよ、根本的に。これは悔しいから言っているわけではなくて、実際にちょっといかがわしい匂いがするものというか、マイノリティが好きなんです。黒夢が結構世の中で騒がれていた当時あまりテレビに出なかったりとか、カラオケで歌うのは止めてくれって言っちゃったりとか、まぁ若気の至りだったんですけど、本質は今もそうなんですよね。ただ、その本質というかポリシーが評価されにくい時代になってきているなっていうのはすごく感じます。
―なるほど。
例えばビジュアル系って、本来はアングラからメジャーになったサブカルチャーだったんです。ビジュアル系だけじゃなくてロック全般そうかもしれないけど、本来はどこにも行けない、クラスで友達も全然いなくて分かり合える人は学校の外に少数みたいなヤツがクソ!っていう反骨精神を持ってやるものだった。僕らの世代はそういう”普通じゃない”感じが最高にカッコいいと思ってワクワクしていたけど、今は普通が正しいという考え方にはなってる。見た目が爽やかな方が評価されて、普通じゃない風貌の人がカッコいいことをしていても目や耳が届かない。今の日本では普通じゃないことは悪なんです。だから、変わったことをやって世の中に出ようとする人たちが少なくなってきてる。
-この先、どうすれば価値観の転覆を図っていけると思います?
まず、ミュージシャンの皆さんは全員長髪にしてください(笑)。爽やかイケメンとか韓流スターみたいな風貌で音楽やるのをまず止めてくださいって言いたい(笑)。どんだけ普通になるつもりなんだと。
-普通の逆を行くべきですよね。
それくらいのレベルまでいかないと、今逆になっちゃっているものを戻すことは出来ないと思いますね。価値観への反逆っていうか。僕がなぜ少数派をやってるのかというと、これはプライドなんですよ、完全に。他に迎合しないっていうプライド。僕はもう52歳であと何年かしかこれが続けられないわけじゃないですか、残念ながら。だけど、これからデビューする人たちとか、まだ変えられるし、その次の世代にもつなげられるので、やっぱりプライドを持って正しく反逆しようよとは思いますね。それを投げかける人が僕らの世代にしかいないので、老害みたいになっちゃう。だけどまぁ、老害こそがロックなんですよ(笑)。
―それ、良いですね(笑)。配信の話に戻すと、清春さんの配信を見ているファンクラブの25%というのは、清春さんと同じ価値観を持つ”普通じゃない”ものが好きな人たちということになるのでしょうか。
それもあるけど、それだけじゃないと思う。先日、僕がやっているオンラインサロンで配信ライブについて意見を求めたんですよ。そうしたら見ない人の意見として”ライブにこだわっているから”というのが結構あって。でも、ファンが求めているライブって、きっとこの後何年も出来ないですよ。フルキャパでやれるようになったとしても、絶対に出入り口に消毒液はあるし、マスクもしなくちゃいけない。何より、ファンの人達よりもライブにこだわってきた僕がこの形をとっているっていうのは、どういう意味なのか、なんでなのかっていうのを知って欲しい。確かに生でしか伝わらないものっていうのはいっぱいあるし、そんなことは分かりきった上で全アーティスト生命をかけて今やっていることの意味や重大さを知って欲しいなと思いますね。
<INFORMATION>
Full Live Performance & One Take Live Recording
清春『A NEW MY TERRITORY』
10月26日・27日 21:00 start
演奏音源全編ダウンロード可能
http://kiyoharuthetest.zaiko.io

自叙伝『清春』
2020年10月30日発売
四六版/224ページ
発行:シンコーミュージック・エンタテインメント