AC/DCが『ロック・オア・バスト』ツアーを打ち上げた2016年9月、バンドは永遠に終わったかのように思われた。リズムギターを担当していたマルコム・ヤングは2年前の2014年、痴呆症の悪化によりバンドを脱退せざるを得ない状況だった。また、ドラマーのフィル・ラッドがニュージーランド当局に「殺人教唆の疑い」で逮捕され、ツアーに参加できなくなった。さらにシンガーのブライアン・ジョンソンの難聴が悪化したため、最後の23公演はアクセル・ローズが代役を務めた。そしてベースのクリフ・ウィリアムズは、もうたくさんだと言って引退を宣言した。
しかし最後のオリジナルメンバーとしてステージに立ち続けたアンガス・ヤングが、バラバラになったピースを4年間かけてつなぎ合わせた。ジョンソンも謎の新技術により聴力を取り戻し、バンドに復帰することができた。
そうやって『バック・イン・ブラック』期から残った4人のメンバーにより、ニューアルバム『パワーアップ』が制作された(闘病の末に2017年に死去したマルコム・ヤングに代わり、2014年からヤングの甥のスティーヴィー・ヤングが加入している)。「長い、長い道のりだった」とアンガス・ヤングは、オーストラリアの自宅での電話インタビューで語った。「全員が復帰して、俺たちの新しいロックンロールを世界へ届けられるのは喜ばしいことだ。
ニューアルバムは、2018年後半から2019年の前半にかけてレコーディングされた。アルバム制作にあたり、アンガスはバンドの未発表曲からアイディアを得て各楽曲を形にしていったことから、全ての曲のクレジットはアンガス&マルコム・ヤングとなっている。「『パワーアップ』は、兄のマルコムに捧げた作品だ」とアンガスは言う。「『バック・イン・ブラック』がボン・スコットへのトリビュート・アルバムだったようにね」
ブライアン・ジョンソンの苦悩(1)
『パワーアップ』への道のりは、『バック・イン・ブラック』以降にAC/DCが経験した中で最も厳しいものだった。『バック・イン・ブラック』は、当時シンガーだったボン・スコットの死の直後から制作が開始された。アルバムのレコーディング直前に加入したブライアン・ジョンソンは、以降36年に渡ってバンドのシンガーとしてステージに立ち続けた。
ところが『ロック・オア・バスト』ツアー(2015~16年)中に、聴力が急激に悪化した。
「とても深刻な状況だった」とジョンソンは、英国からの電話インタビューで証言した。「ギターの音がほとんど聞こえなくなっていた。難聴の中でも酷い部類だった。体が覚えている口の形とマッスルメモリーを駆使してどうにか歌えている状態だった。バンドのシンガーとしてオーディエンスの前でパフォーマンスを続けるにはとても厳しい状況で、バンドにとっても最悪だった。
ファンのほとんどは、何が起きているか理解できなかっただろう。しかし間近でジョンソンの姿を見ているメンバーにとっては、辛い状況だった。「彼はイヤモニを外して頭を激しく振っていた」とウィリアムズが、ノースカロライナにある自宅からの電話で語った。「彼は音程も取れなかった。彼にとって本当に厳しい時期だったろう」
バンドはツアーの残りの日程をどうにか乗り切ろうとしたが、ジョンソンにドクターストップがかかってしまった。「医者が言うんだ。”聞こえないものは聞こえないんだよ”ってね」と、ジョンソンは言う。「クリフとアンガスは、俺の耳をこれ以上悪化させたくないと判断した。死を宣告された訳ではないが、最悪だった」
ジョンソンの活動の継続が難しい状況になった時、残りのメンバーは厳しい選択を迫られることとなった。「ブライアンには、完全に聴力を失うリスクがあった」とアンガス・ヤングは言う。「状況を公表して何らかのメッセージを出すまでに、2、3日しか猶予がなかった。間際まで隠してファンをがっかりさせたくはなかった」
ブライアン・ジョンソンの苦悩(2)
2016年3月7日に、バンドはプレスリリースを出した。
特にコメントの最後の部分を受けて、AC/DCファンの間に衝撃が広がった。1980年に加入して以降、ジョンソン抜きでのライブは1度もなく、新たなシンガーを迎えるなどという状況は、全くの予想外だった。それから1カ月後、バンドはさらに大きな爆弾を落とすこととなる。
AC/DCは、「ブライアン・ジョンソンの長年に渡るバンドへの貢献と献身に感謝する。彼の聴力の問題が改善されることを願う。アクセル・ローズが我々をサポートしてくれることを約束した」という内容のプレスリリースを出したのだ。
いずれのプレスリリースにもジョンソン自身からのコメントがなかったため、彼がバンドの対応に不満を持っているのではないかという噂が巻き起こった。3日後、ジョンソン自身が声明を出した。「バンドからのプレスリリースで、ファンに対する自分の本心が伝わったとは思えないし、伝え方にも問題があったと思う」という書き出しで、自身の健康状態についての詳細を語った。「聴力がやがて改善し、ライブのステージへ復帰できることを願っている。
ジョンソン抜きでツアーを続行するというバンドの決断を、冷淡だと捉えるファンもいた。しかしアンガス・ヤングは、バンドにはこの厳しい選択肢しかなかったと主張する。「あらゆるシナリオを想定したが、どれも最善の方法ではなかった」と彼は言う。「ツアーをキャンセルすべきかとも考えたが、そうすると法的問題などあれこれ出てくる。マネジメントからは”もしも続ける気があるなら”ということで、代役候補者のリストを提示された。そこに思いがけずアクセル・ローズから連絡があり、サポートを申し出てくれた。とても喜ばしいことだった」
「ツアーをキャンセルすることもできたが、いずれにしろ、どの選択肢を取っても厳しい決断だった」とヤングは続けた。
ジョンソンはしばらくの間、公にコメントするのを避けてきた。しかし2019年、彼はダン・ラザーの番組で口を開いた。「まるで戦場で撃たれたようだった。次はお前だって感じでね。
現在のジョンソンは、ややニュアンスを変えている。「何もかも良く受け止めることができなかった。でもそれは過去の話。バンドを続けていれば、多少のでこぼこ道もあるさ」
ジョージとマルコムの死がもたらした再会
アクセル・ローズのサポートにより2016年の『ロック・オア・バスト』ツアーを終えたAC/DCだが、ウィリアムズはこれで最後だと宣言した。「はっきり言って、最後まで大変なツアーだった」とベーシストは言う。「話しても仕方がないので詳しくは言わないが、健康状態に問題を抱えていたんだ。ツアー中も酷いめまいがしていた。もう潮時かと感じた」
2016年9月20日、フィラデルフィアのウェルズ・ファーゴ・センターでプレイした曲「悪魔の招待状」を最後に、バンドはツアーを締めくくった。最後の一発を撃ち終えたバンドは、そこから先の見えない未来へ向かって歩み始めた。スティーヴィー・ヤングは、ツアーで素晴らしい仕事をした。
オーストラリアへ帰国したアンガスは、長い休暇の間に、それまで何年もかけて兄マルコムと一緒に書いた膨大な数の未発表曲を見返し始めた。中でも2008年のアルバム『悪魔の氷』の前後に作られたものが多かった。「当時の未完成の作品には、素晴らしい楽曲のアイディアが詰まっていた」とアンガスは言う。「当時マルコムは、”これらの曲はとりあえずキープしておこう。今は完成させてもボツになるだけだ。次の機会のために取っておこう”と言ったんだ。その言葉がずっと俺の中に残っていた。これら未発表曲を聴き返してみて、”こいつらを完成させて世に出すなら今しかない”と思ったのさ」
ところが2017年10月、アンガスとマルコムの兄であるジョージが亡くなったため、作業は一時中断した。ジョージ・ヤングはオーストラリアの伝説のロックバンド、ザ・イージービーツのギタリストで、AC/DCの7枚のアルバムをプロデュースした。それからわずか3週間後、マルコムもこの世を去った。「ジョージは、特に初期のAC/DCにとって欠かせない人だった」とアンガスは振り返る。「ジョージとマルコムは、いつでも頼れる人たちだった。レコーディングだけでなく何に関しても、いつも2人に相談していた」
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2人の兄の相次ぐ死は、アンガスにとって大きな衝撃だった。同時に、ブライアン・ジョンソン、クリフ・ウィリアムズ、フィル・ラッドがマルコムの葬儀に参列するためオーストラリアを訪れ、バラバラになったバンドを再びつなぎ合わせるきっかけにもなった。特にアンガスとラッドは、『ロック・オア・バスト』のセッション以来3年ぶりに顔を合わせた。
「ラッドは元気そうだった」とアンガスは言う。「健康状態も良さそうに見えたし、精神的にも安定していた。セラピーに通って、上手く行っているようだった。とてもよかった」
ブライアン・ジョンソンに起きた奇跡、そして再始動
当初ドラマーのラッドにかけられた罪はかなり重そうに思われた。しかし最終的に嫌疑の多くは取り下げられ、8カ月間の自宅軟禁という寛大な判決が下された。「俺がメンバーを代表して、フィルを養護する証言をした」とジョンソンは語った。「俺たち全員は、完全にフィルの味方だ。当時起きたことは、俺たちの知るフィルとは全く違う。何かの間違いだ。今では彼も元気を取り戻し、何もかもが上手く行っている」

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一方でジョンソン自身の状況は、より複雑だった。もしも彼の聴力の問題が続いていたなら、アンガスとの関係を修復するのは容易でなかっただろう。ところが彼は、実験的な治療を施す専門家を見つけた。ジョンソンは多くを語りたがらないが、その謎の専門家が3年間に渡り毎月彼の自宅を訪れて、治療法を模索したという。
「初めて専門家が自宅に来た時、彼は車のバッテリーのような物を持ってきた」とジョンソンは言う。「”それは何だ?”と聞くと、”これからこれを小型化するんだ”と言った。それから2年半、彼は毎月通って来た。ワイヤーに繋がれて、コンピュータの画面を見ながら何かの音をただ聞いている、退屈な時間さ。でも効果はあった。ただ言えるのは、頭蓋骨の構造を利用して受話器代わりにしているということ。明かせるのはここまでだ」
不思議なことに、耳の中に埋め込まれた謎の機器のおかげで、ジョンソンは再び歌えるようになった。「俺たちは彼の状況に関する説明を受けた」とアンガスは言う。「とても良いニュースだった。ブライアンの人生にとってどれだけ重要なことか、俺は理解している。他のメンバーも同じだ」
ラッドとジョンソンが再びAC/DCに合流すると、ウィリアムズが復帰するまでにそう時間はかからなかった。「古いバンドが再結成するようなものさ」と、ベーシストは言う。「最初からやり直すのでなく、40年以上も一緒に続けてきたバンドのように、上手く行くだろう。俺はこのチャンスを逃したくなかった」
ブレンダン・オブライエンとの制作、楽曲への手応え
2018年8月、彼らはバンクーバーにあるウェアハウス・スタジオに集結した。プロデューサーは、『悪魔の氷』(2008年)や『ロック・オア・バスト』(2014年)も手掛けたブレンダン・オブライエンだ。「ブレンダンは一緒に仕事している時に、こちらにも常に役割を与えてくれるのが、いいところだ」とアンガスは言う。「彼自身も楽器の才能がある。ベースやギターが弾けるし、ドラムも少し叩ける。それにピアノもできる。彼は、俺たちの音楽性を広くカバーしてくれる。自分の音楽的な知識を駆使できるミュージシャンと一緒に仕事をしているようなものだから、こちらとしても好都合だ」
アルバム制作のセッションが始まるまでに、ヤングはレコーディングしたいと目星を付けた12曲を用意していた。どの楽曲も、1973年に確立されたAC/DCの基本路線から外れていない。スタジアムでオーディエンスが熱唱できる、ラウドなギターサウンドのアンセム的な楽曲で、「デーモン・ファイアー」や「ウィッチズ・スペル」といった悪魔的なタイトルが付けられている。いつものように、アルバムにはバラードやラヴソングなどは含まれない。
先行リリースされたシングル曲「ショット・イン・ザ・ダーク」が、典型的な例だ。「AC/DCらしい堂々としたロックンロールで、コーラスもAC/DCそのものだ」とアンガスは言う。「タイトルがちょっと意味深なのは、俺たちが酒好きだからかもしれないな。レコード会社がこの曲を聴いて、とても強烈なインパクトのある曲だから真っ先に出すべきだと言ってくれたのが、とても嬉しかった」
「マネー・ショット」は、歌詞を見ても明らかにポルノ映画のクライマックスを歌っているように聴こえる(訳註:マネー・ショットには、ポルノ映画で最も重要な射精シーンの意味もある)。しかしアンガスによると、そのような意図はなかったという。
「カメラマンに”こうポーズを取れば金になる”と、よく言われたのさ。”それがマネー・ショットだ”ってね」とアンガスは説明する。「曲を仕上げている時に、そんなエピソードをブレンダンに話したんだ。すると彼は”マネー・ショットは誰でも知っている”と言うんだ。俺は”へぇ、そうか”という感じだった。だからポルノを歌った訳ではない。偶然さ」
「スルー・ザ・ミスツ・オブ・タイム」からは、バンドがいつになく内省的になっている印象を受ける。”暗い影が/壁に映る”とジョンソンは歌う。”絵画がある/掛かっているものもあれば/外れて落ちるものもある”
「俺たちは長い間一緒にやってきた。一生一緒にいるようなものさ」とアンガスは言う。「他の音楽に浮気したりせず、ずっとロックをプレイし続けている。自分たちがベストを尽くせる音楽を続けてきた。この曲には美術館のような雰囲気を感じる。例えばモナリザは、絵画の中でも永遠の傑作だ。この曲は、ロックのモナリザだと思う」
5人のメンバーはバンクーバーに集まったが、特にジョンソンとオブライエンはヴォーカル・パートに納得がいくまで取り組んだ(ジョンソンは、1988年のアルバム『ブロウ・アップ・ユア・ヴィデオ』以降、楽曲制作に関わっていない)。「俺は他の誰かが書いた歌詞を歌いながら、作詞家が思い描いた通りの曲に仕上げたいと思っている」とジョンソンは言う。「歌ってみては聴き返し、”ブレンダン、このテイクはあまりよくない。俺はもっと上手く歌えるはずだ”と言って歌い直してみる。すると”これはいい感じだ”というように、ブレンダンが常に判断基準になってくれるのさ」
マルコム最後の楽曲を届けるために
アルバム『パワーアップ』は、マルコム・ヤングがこの世を去ってから初めてレコーディングされた作品だ。しかし制作中もメンバー全員が、彼の存在を感じていた。「家でギターを取り上げて弾き始めると、まず頭に浮かぶのは”マルはこのリフを気に入ってくれるかな”ということだ」とアンガスは言う。「そうやって良い悪いを判断しているのさ」
「いつもマルコムがそこにいるような気がする」とジョンソンも言う。「アンガスもよく言っているが、バンドは彼のアイディアから始まった。何でも彼の意見を聞いて決めていた。彼は常に俺たちの心の中にいる。俺もいつでも彼のことを考えている。スタジオでも彼が見守っている気がして、手を抜いたプレイはできない。」
「マルのいないAC/DCは、AC/DCではない」とウィリアムズは言う。「どんな形でも彼はここにいる。常に一緒だ」
1988年のツアー途中に代役を務めたスティーヴィーは、2014年に再びバンドに加入した時も自然に合流できた。「スティーヴィーは、小さい頃からマルと同じような音楽スタイルで育ってきたから、素晴らしい仕事をしてくれた」とアンガスは言う。「まるでマルコムがフルヴォリュームのバカでかい音でプレイしているように、2台のギターが聴こえてくるんだ。」
アルバムの大部分は、2018年の夏に6週間かけてレコーディングされた。その後バンドは、2019年に入っても手直しを続けた。当初は2020年初頭にリリースする予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大により計画変更を余儀なくされた。「このような状況だが、無事にリリースされることを願う」とアンガスは言う。「パッケージやミュージック・ビデオなどについてアイディアを練っている時に、コロナウイルスの感染拡大が始まった。全てが一時停止した感じだ」
コロナ前にはツアーも予定されていたが、メンバーはジョンソンの耳の状態を見ながら慎重に進めたいと主張した。「俺たちは”小規模のコンサートをいくつかやったところで、面白くないだろう”と考えていた」とジョンソンは言う。「(打ち合わせ後に)皆がそれぞれの家へ帰って2日後に、大混乱が始まった。中国、ヨーロッパ、そして世界中へ山火事のように広がり始めた。ツアーどころではなくなってしまった。」
コロナ騒ぎの前にバンドは、かろうじて1度だけライブのリハーサルができた。「全員が絶好調で、素晴らしかった」とジョンソンは証言する。「少年時代に戻ったようにワクワクしたよ。」
メンバーは早くコロナ騒ぎが収まって、『パワーアップ』ツアーに出たいと願っている。しかしとにかく今はAC/DCが現役バンドとして復活し、マルコムの最後の楽曲を世界中に聴いてもらえることを喜んでいる。「手術後に彼を見舞いに行った時、彼はまだ話すことができた。彼は”心配するな。いつでもお前のために戦ってやるよ”と言ったんだ。彼はいつでも俺たちを支えてくれていた」とアンガスは振り返る。
「彼はAC/DCの全てだ」とアンガスは続ける。「バンドを始めた頃、俺が”これからどうする?”と聞いたら彼は、”俺には夢がある。荒々しい本物のロックンロールをやるんだ”と答えたのさ」
From Rolling Stone US.

AC/DC
『PWR UP』(邦題:パワーアップ)
2020年11月13日(金)世界同時発売
¥2,500+税
●高品質Blu-spec CD2仕様
●日本盤のみ歌詞・対訳付
視聴・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/PWRUP