ジャーニーの元フロントマン、スティーヴ・ペリーが2018年の復活作『Traces』(全米チャート6位)を再構築した『Traces (Alternate Versions & Sketches)』を12月4日に世界同時リリース。すでに次回作も構想中だという彼が、現在の心境を語ってくれた。


4月にビーチ・ボーイズの1963年の曲「イン・マイ・ルーム」のロックダウン版を発表後、スティーヴ・ペリーは公の場に出ることがなかった。しかし、それ以降は新たな音楽制作で忙しくしていたのだと、彼はローリングストーン誌に語った。「自分のスタジオがあるから、そこでいつも曲作りとレコーディングをしているよ。たくさんの曲ができあがっているし、本当にいっぱいある」。

まずリリースされるのが、2018年にリリースされたカムバック・アルバム『Traces』のアコースティック・バージョン。「『Traces』収録の8曲をアコースティックでやってみたんだ。これは本当に自信作だよ。タイトルは『Traces Alternate Versions and Sketches』。アナログ盤はアビーロードでカットした。サウンドにとても満足しているし、曲・歌詞・コードのシンプルさも気に入っている。つまり、余計なものを全部削ぎ落としたんだよ」とペリーは語る。

彼が公の場から姿を消したのは1998年。
ペリーは股関節の負傷で第一線から退き、ジャーニーは彼の後釜となる新ヴォーカリストを探し始めた。「バンドでは楽しい時間を過ごしたし、自分がその一部を担ったすべての歴史をとても喜ばしいと思っている。自分が提供できた音楽面での貢献も誇らしいよ」と彼は言う。

2012年に恋人のケリー・ナッシュを乳がんで亡くしたあと、彼は音楽に舞い戻った。「彼女に約束したんだ、もう冬眠状態に戻らないとね。彼女の身に何が起ころうと絶対にそうしないと、彼女に約束させられた。そうしないとすべてが無価値になると彼女は思っていたから。だから”もう冬眠しないでね”が彼女の遺言だし、その約束を守ったんだ」とペリーが説明する。

イールズとの共演、ライブ復帰への想い

2018年に『Traces』をリリースし、これをサポートするためのメディアツアーを行ったが、そこでライブ演奏を行うことはなかった。ペリーが最後にツアーを行ったのは1995年で、その後彼が観客の前でパフォーマンスしたのは2014年にイールズのライブに参加した3回だけだ。

当時を思い出してペリーはこう語る。「E(イールズのフロントマンであるマーク・オリバー・エヴェレット)と仲良くなって、彼が『いつになったら俺たちのツアーに参加して2曲ほど歌ってくれるんだよ?』と熱心に誘い続けてくれた。
いつも笑ってごまかしていたけど、イールズというバンドが大好きで、彼のリハーサルには毎回行っていたんだよ。彼が『今年はやってくれる?』と言うものだから、『わかった、何をやればいい?』と答えた。けっこうな数の曲を準備して、歌いやすいようにキーを下げてもらったよ」

最初にイールズのライブに登場したのが2014年5月25日で、場所はミネソタ州セントポールのフィッツジェラルド・シアターだった。ライブの最後で登場したペリーが歌ったのはイールズのオリジナル曲「Its a Motherfucker」で、続けて「オープン・アームズ」と「ラヴィン、タッチン、スクウィージン」を披露した。

あの夜を思い出しながらペリーは「うわぁ、どうしよう」と言う。「人の前に立つ感覚をすっかり忘れていた。ステージ上の自分の声が自分のものじゃないということを忘れてしまっていた。スタジオでは80~90%の声を出せるけど、残りの10~20%は観客の前で歌って初めて出るんだ」と続ける。

イールズに参加した3回のライブがきっかけで、彼が再びツアーに出るかもしれないというファンの期待が高まった。ところが今のところ、ツアーはまだ実現していない。ただし、ペリーは現実的な選択肢としてツアーが存在すると言う。「常に頭の片隅で考えているし、みんなの前で歌いたくて心が血の涙を流すんだ」と。


ジャーニーについて今思うこと

そんな彼が躊躇する理由は、ツアーが与える肉体的な負荷だ。「過去のツアー中にケガをしたことがあったんだ。ツアーというのは大変な仕事だよ。人はその大変さを理解しない。まるでスポーツ選手みたいなんだよ。最近ベースボール観戦をするんだけど、いつもケガ人が出る。選手の腰や首が動かなくなるんだ。ツアーは若者の特権なんだけど、恋しいと思うところもある」

ペリーがツアーをしなくなってかなりの年月が経つが、その間ジャーニーは活発なツアーバンドとして再生した。2008年にアーネル・ピネダがヴォーカリストになってからは特に精力的なのだが、それとてメンバー同士の内紛が常に付きまとうギクシャクしたツアーだ。今年初めにジャーニーからドラマーのスティーヴ・スミスとベーシストのロス・ヴァロリーが抜けた。バンドの著作権に関する意見の不一致が原因だった。

この話題になると、ペリーは「どんな問題なのか、まったく見当がつかない。
1998年5月にバンドを抜けたから」と答える。

ファンはまだ彼がジャーニーに在籍していると見なして、どんな形であれ、彼のバンド復帰を望んでいると告げると、彼は笑ってこう言うのだ。「みんながロックンロールをどう考えているのか、自分にはわからないよ。ロックンローラーが小さな羊飼いのように優しくて思いやりのある存在だと? そんなことはない。マザーファッカーみたいに頭を振るのがロッカーだよ。でも、そうやって美しい楽曲が生まれるんだ、『オープン・アームズ』や他の曲のようにね」

それでもファンは1981年当時のバンドの再降臨というファンタジーを絶対に手放さないだろう。ステージを降りても一緒に「Kumbaya」を歌っていた仲良しバンド時代に戻って欲しいと願うのだ。「みんな何を根拠にそんなことを考えているのか、理解できないよ。あの頃のジャーニーは『Kumbaya』とは無縁だった。前にシカゴ・ブルズが『Kumbaya』を歌っていたっけ? それもとビル・ウォルシュ時代の(サンフランシスコ)49ersだったっけ? って、そういう話じゃないだろ?」

現在のペリーは、ゴタゴタ続きのジャーニーとは離れたところで、自身のソロ活動に全神経を向けている。「今回のアコースティック・バージョンで『Traces』の章を終えるつもりだ。そして、来年には次の章を幕開けするよ」と。


From Rolling Stone US.

スティーヴ・ペリーが語る再起までの道のり、ジャーニー復帰待望論に思うこと

スティーヴ・ペリー
『Traces (Alternate Versions & Sketches』
2020年12月4日(金)リリース
視聴・購入:https://jazz.lnk.to/StevePerry_Traces_AVPR
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