日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2023年2月はGLAYのTAKUROを1カ月間に渡り特集していく。


田家:FM COCOLO J-POP LEGEND FORUM案内人・田家秀樹です。今流れているのは去年の12月14日に発売になりましたGLAYのTAKURO さんの3枚目のソロアルバム『The Sound Of Life』の1曲目「Sound of Rain」です。ピアノで作ったアルバムで、ギターもナイロン弦を使っております。とっても柔らかいデリケートなアルバムです。今月の前テーマはこの曲です。

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今月2023年2月の特集は、GLAYのTAKUROさん。
GLAY のデビューは1994年、来年が30周年。平成の音楽シーンのど真ん中を駆け抜け、歴史に残る数々の記録を打ち立てたモンスターバンドのリーダー、そしてギタリスト。人々に愛される名曲の数々を産んだ希代のソングライターであります。1971年生まれ、昭和世代ですね。今51歳、今年52歳です。

先週までは令和になってから発売になった新作アルバムの話を伺ってきましたが、実はこれまでのアルバムも完全版のBOXシリーズ、アンソロジーというシリーズで出ていて、ベスト盤も発売になりました。
さらに新曲も発売されていますね。今週はそんなアルバムの中の曲や新曲の話、さらに2023年以降、もうすぐ始まるツアーのことなどもお聞きしようと思います。もうすぐですねツアー。

TAKURO:楽しみですね。めちゃめちゃメンバー盛り上がってます。

田家:ホールツアーなので、アリーナツアーやスタジアムツアーのような大仕掛けなものではないんでしょうけど。


TAKURO:じゃないですけど、前回『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』が20周年記念ってことで高校生のコーラスの子たちとかストリングスの人たちとやったときに、ものすごい手応えがあったんですよ。今必要な愛情だったり、寄り添う優しい気持ち、関わる人たちみんなの温かい思いが詰まっていて、そんな素晴らしい若者たちの命をきらめきみたいなものがスパークした。自分でも最近のGLAYのライブのある意味最高点だなと思ったとき、来年からはもうロックやろうとすっぱり決まりましたね。ギターをガシガシ鳴らすロックバンドとしての矜持を見せつける。そんなときが来たのかもしれないなって。優しさロックとしては、ちょっと1回鎧を脱ごうと。


田家:あははは。

TAKURO:イメージとしては2003年の第1回HIGHCOMMUNICATIONS TOURのソリッドさ。長年温めてきた「THE GHOST」の存在するようなしないような、ある意味ロックスターの魅力であるミステリアスな部分とかも含めて、大きな仕掛けとかはないけれど、眼光鋭く駆け抜けたいっていうのが今回のツアーのコンセプトですね。

田家:令和になってから、オリジナルアルバム以外にベスト盤も出ておりまして、『REVIEW II -BEST OF GLAY-』、CD4枚組。メンバー4人が自選した57曲。TAKUROさん選曲にこの曲が入っていたので、ツアーで聴けるかなと思いながらにはなるんですが。


TAKURO:ないですね。

田家:あははは。

田家:2020年3月に発売になったベスト盤『REVIEW II -BEST OF GLAY-』からTAKUROさんが選ばれた曲の中に入っておりました。

TAKURO:他のメンバーが割と自由に選ぶということなので、僕はベスト盤としての役目であるみんなが知ってる曲、カラオケでよく歌われる曲10曲とかそんな感じで選んだ気がしますね。みんな歌ってくれているのがとても嬉しかったので。

田家:この曲がTAKUROさんにとってどんな曲か、散々いろんなとこで聞かれてきたでしょうから。


TAKURO:「pure soul」と兄弟、同じ時期、同じタイミングで出来た。あと、この曲を今でもすごく大切にしてくれている人たちがたくさんいる。楽曲に関しては、よくできているとも思わないし、特別だとも思わなくて。俺の考え方が変なんでしょうけど、なんでみんなこんなに好きなんだろうとは思う(笑)。もっと他に好きな曲いっぱいあるんで。

田家:その辺が作った人と聞いてる人のある種の受け止め方の違いだったりするのかもしれないですが、もうすぐ始まるツアーではこの曲はないという(笑)。

TAKURO:今のところセットリストに入ってないなあ。皆様の声がJIROの方に流れていけば、JIROがある日やっぱやろうって言うかもしれません。

田家:なるほどね。リクエストはJIROさんの方に送ってください(笑)。

TAKURO:俺たち振り返ると本当にヒット曲とか代表曲をやんないんですよ。周年のドームとかになったらやるんでしょうけど、その時にやりたいことがいっぱいあって、そうなるとヒット曲って逆に邪魔になるんですよね、悪目立ちするというか。コンセプトに合わないってことで外されがちなんですけど、この曲があったおかげでいろんないい景色を見せてもらったので。俺の曲がどうこうよりも、メンバーをはじめとする佐久間正英さんとかのアレンジ、この曲を売ってGLAYを有名にしてやろうと思ってくれた当時のスタッフとか、そういう人たちとの総合力なので。そういう意味では素晴らしいチームが生み出した輝かしい結果とも言えますね。

田家:これは一時期、TAKUROさんが自分の曲の中で一番納得できた曲だってお話されていましたよね。

TAKURO:いま聞いても、いわゆるJ-ロック、ジャパニーズロックの要素が全部詰まってるような。それこそロスに引っ越しをして、いわゆるBTSを代表とするようなK-POPがロスでスタジアムでやるのを体感して。いまだスタジアムでのライブもできない日本のミュージシャンたちとの差みたいなもの。ある種、自分たちの罪として、この90年代のGLAYのJ-POPも思うところもありますよ。たまに日本に帰ってきて聴く今の流行っている音楽は、俺たちが先輩たちから受け取ったJ-ロック、J-POPの要素を正しく受けてくれて、そこで派生して、ますます世界との距離は開いていると感じます。低音の付け方一個にしてもね。それを長いことちょっと悲しく思っていたんですよ。やっぱり悔しいし。アジアの人たちが諸外国で活躍しているのを、日本ではいろいろ挑戦するけれどなかなか太刀打ちできないから。それをずっと考えてくと、これからは官民一体で業界と国がちゃんとを国策として輸出していく必要があるし、それはアニメだけじゃなくて日本のある意味独自のカルチャーとして。ただ、今流行ってる音楽を聞くと、本当にすくすくとJ-ロック、J-POPとして進化を遂げているのを感じる。これお寿司に近いんじゃないかなと。

田家:なるほど。

TAKURO: 80年代って世界でお寿司は食べられてなかったけど、海外に寿司職人が渡っていって地道な努力によって、ある時全世界で大ブレークするじゃないですか。だから俺はJ-POP、J-ロックがこのまま突き進んでいった方がいいと思って。変にK-POPに寄せず、今メインストリート行ってる人たちがまた一つのきっかけとなって、次の世代、その次の世代ってなったときに、どこにもない独自の音楽としてのJ-POP、J-ロックが世界で花開くんじゃないかという考えに近年変わってきましたね。

田家:お寿司みたいなもんだっていうのは、今のシティポップもその一つですよね。日本発の洋楽、日本でしか作れなかった洋楽なんだって。

TAKURO:先人たちの美味しいところも隠し味として入れているから親和性は高いじゃないですか? 「真夜中のドア~stay with me」とか竹内まりやさんの「プラスティック・ラヴ」とか。ああいう丹精込めて作った作品が、ときを超えて伝わっている。当時8歳ぐらいのうちの娘がスキー場で鼻歌で「stay with me」を歌ったとき、びっくりしたんです(笑)。それ俺が中学校ぐらいの曲だけど?って言ったら、TikTok経由でクラスで流行ってるって。ロスですよ。日本じゃないんだよ。当時の達郎さんはじめとするシティポップの人たちは、自分の憧れだ何だかんだを全部自分の解釈でやって、その時は当然諸外国には届かなかったけど、今こうやって届いている。これがきっかけもあったかな。だからよりJ-POP、J-ロックを愛しく思うし、信頼するし、自分たちもその中の一旦を担いだものとして今後作るアルバムもドPOPとドJロックで突き進んでいこうって決心もつきました。

田家: 「BE WITH YOU」がそういう突破口になるときが来るかもしれない。

TAKURO:僕らが生きている間かどうかは知らないけれど、丁寧に作った作品たちばかりなので。いつか後輩たちがどんどん畑を広げていった先に、90年代の音楽がまた聴かれるってことがあるかもしれないすね。

田家:2021年4月に発売になった『ONE LOVE Anthology』から「君が見つめた海」。オリジナルの『ONE LOVE』は2001年11月に出た6枚目のアルバムでした。オリジナルアルバムが『NO DEMOCRACY』『FREEDOM ONLY』とあって、アンソロジーアルバムが『HEAVY GAUGE』『ONE LOVE』『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』3枚あって、ベスト盤もあるという。ソロアルバム『The Sound Of Life』もあって令和になってから、5年間で7枚。

TAKURO:アンソロジーに関しては、完全に俺の趣味ですもんね。老後の楽しみシリーズとメンバーが言っていますけど、新しいビジネスモデルとして大成功したんじゃないかな。曲を作ってそのまま放置っていうのが大体のアーティストでしょうけど、自分自身の手で権利を手に入れたことによって、自分の責任のもと、いろんなことができる。事務所設立が2005、6年で、そこからいろいろと模索してGLAYを大事にしながらちゃんとした経済活動ができるにはどうすればいいか考えていたときに、自分の趣味だったGLAYのデモテープを聞きながら飲むっていう、それをファンの人たちと共有できたらと。

田家:ボックス版としてね。

TAKURO:アーティストがこれからもアーティストらしい活動をするために、経済的な意味でもしっかりしていかなきゃいけない。その中の一つがこのアンソロジーシリーズですね。曲をより理解してもらう。そして次なる活動のお金も生み出すっていう。本当にアンソロジーは僕の自慢のプロジェクトです。

田家:改めて「君が見つめた海」をTAKUROさんがどう思ってらっしゃるだろうと。

TAKURO:ちょっと切ないですよ。95、6年か。祖母が亡くなったんですけれども、僕は子供の頃から片親で家に誰もいなかったので、おばあちゃんと一緒に過ごすことが多くて。ついこの間、うちの息子とあなたのおばあちゃんはねって話す機会があって。どんな人だったかって聞くから、いろいろ思い出していくうちにいろいろ思い出しますね。本当に死ぬ間際に、生まれた町に帰りたいって。函館から2時間ぐらいの上ノ国っていうとこなんですけど。それがやたら印象的ですね。やっぱり人は最終的には生まれた場所に帰りたいものなのかなって。ある種の課題を僕に残して。あと最後は病院に入って徐々に弱っていく様、人が生まれて人が死んでいく様みたいなものをリアルに見せてくれたおかげで、死というものの考え方が明確になるというか。ただただ恐れるものではないっていうメッセージを残して旅立っていったので、あの辺から僕の死生観も変わった気もするし。

田家:『NO DEMOCRACY』『REVIEW II -BEST OF GLAY-』の中にあった「SAY YOUR DREAM」とか、TAKUROさんが書く曲の中に生と死みたいなものがずっと流れている。それが段々色濃くなってきているのは、そこから始まっている的なことがあるんでしょうか。

TAKURO:最終的に人間が一番興味があるものって、生き方と死に方じゃないですかね。

田家:そう思いますよ。

TAKURO:それをずっと考え続けて曲にしてきたので、息子からのおばあちゃんへのある種の質問みたいなものは、強力に生の輝きを見せてくれて。3歳4歳の俺に戦争が終わった日はこうだった、みんな外に出たらもう地面に膝ついておいおい泣いていたと。でも私は終わってやったと思ったと。すごくリアルだった。自分より先に、俺の親父である自分の息子を亡くすわけで。自分の子供が自分より先に死ぬことほど悲しみはないなと今は想像しているけれども、それを乗り越えていつも笑顔でしたからね。耐え難い悲しみだっただろうに、最後の最後まで優しい笑顔を残して生きてきた人だなって。その強さは何なんだろうとか。人間代表としてのおばあちゃんみたい人がいて、生の秘密みたいなものを生涯書いていきたい。喜びとか克服とか。そういったものが曲を書く強力な動機にはなっています。

田家:2月8日に発売になりました『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』のアンソロジーから「Father & Son」。アルバムは2002年に出たオリジナルアルバム『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』に入っておりました。当時31歳ですね。

TAKURO:さっきも言いましたけど片親だったので、3歳までの親父のおぼろげな記憶で曲を書きましたね。まだ自分自身独身でした。家庭みたいなものへの憧れがあって。GLAYをやってるのは一番はバンドが楽しいからなんだけども、その向こうには小さな幸せを積み重ねて生きていきたいっていう、それしかないんじゃないかと思います。大きな幸せというよりは本当に小さな「Father & Son」を地で行くような。昨日は休みだったので、箱根の神社にお参り行きたいって言うから行ったんです。わいのわいのと途中でお話をして最近の悩みなんか聞いて、俺も悩みなんか聞いてもらったりして。多分一生忘れないと思うな、あのドライブを。バンド云々とか音楽云々とかそういうことじゃなくて、ああいう日々の積み重ねが欲しかった。子供の頃から本当に喉から手が出るほど欲しかったものは、こういうことなんだっていうのをすごく感じる。

田家:『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』当時のインタビュー中に「このまま30代に入ってしまっていいんだろうかという気持ちからこのアルバムを作った」という話がありましたね。

TAKURO:いろんな意味で30って節目で。何度も言うけど、ヒット曲を作るということは総合力なので。よく当時同期ぐらいのミュージシャンはみんな悩んでいましたよね。解散するやつ多かった。20代後半の大人として成長していく時期に、足並みなんか揃うわけないもん。小さなスタジオで4小節をどうどうこうなんて言ったら気が合わないやつは出てくるわ、やる気も削がれるだろうし、それでバンドが解散していく中、自分たちは続けることを選ぶんだけれども、あり方として20万人ライブの次に22万人ライブなのか30万人ライブなのかって質問が飛び交うとき、どうもメンバーはピンときてなかった。自分たちはどう生きるべきか。ビートルズも俺たちが30代のときには解散していたし、それ以降のお手本となるバンドがなかなかいない中、GLAYはやっぱりGLAYらしく生きていくしかないなって。その頃かな、もうロックから学べることは全部学んだので、もう僕ら卒業しますみたいな気持ちでしたよ。今でもそう思うし。

田家:で50代になって、今年52歳。バンドは来年30歳になります。

田家:2022年9月去年の9月に発売になりました60枚目のシングル「Only One, Only You」。これは『The Sound Of Life』と同時期に作っていた曲だった。

TAKURO:本当に同時進行でしたね。『The Sound Of Life』のレコーディングをやりながら日本に「Only One, Only You」のデータを送るとかそんな感じで。

田家:同時進行での、自分の時間の使い方とかメンタル面とかクリエイティブのある種の要素の配分だとかっていうのはあるんですか。

TAKURO:曲自体の骨格が決まれば、あとはギターフレーズの話ですね。『The Sound Of Life』に関しては、どこまでいってもプロデュース的なところじゃないですか。もう曲ができていたのでJIROに渡して、そのやり取りの中でもっとこうした方が良いという演出家としての仕事と、大好きなギタリストとしての仕事をして。それはお互い気分転換にもなるし。この曲がリリースされる4カ月後までには戦争が終わってくれたらもう俺の勝ちだってことで、俺の祈り勝ちだみたいな感じの思いでしたけど、残念ながらシンクロしてしまうような内容になりましたもんね。

田家:『The Sound Of Life』が言葉がない作り方で、その分こちらの言葉に対して思うことがたくさん増えてきたり、言葉に力が入ったりっていうバランスはあったんですか。

TAKURO:あります。「Only One, Only You」に関しては、何周期かに現れる自分の遺書的な、遺言的な、それこそ自分の子供たちはじめ、後世に残る人たちに何か迷ったときに気づけるようなヒントになるような言葉を残したいなって思いで書いています。言葉はいいですよね。100年後へのメッセージも容易にできるじゃないですか。その当時の人たちが何を思ったか後の連中が知ることができる。こんな画期的な発明は本当にないですよね。1000年だって越えられる。GLAYの曲としての体が100年後200年後どんなメディアで聞かれるかわかんないけれど、少なくとも文字で書かれたGLAYの歌詞は1000年後にも誰かに手渡せるかもしれない。その責任があるから生半可なことは書けない。ちゃんと自分が今いる時代、感じたことを後世に残したいっていう気持ちは他より強い曲ですね。

田家:夏目漱石が100年後を意識して小説を書いていたと読んだことがあるんですけど、TAKUROさんも何年後っていうのは、どの辺から思い始めたんでしょう。 最初からずっとそういう自分の作品の残り方みたいなことは頭にありました?

TAKURO:いや全然。だって「Father & Son」とか「THINK ABOUT MY DAUGHTER」とか、子供いないのに書いているもんね。やっぱり自分の親父が亡くなった38を数年後に控えていて、かつ自分が父親になったとき、こいつが50歳のとき俺はいないかもしれないなって。強力にときの流れの意味みたいのを把握したとき、意外にいられる時間は少ないかもしれないなと思って。俺がいなくても迷ったときに何か人生のヒントになるようなもの。それを時々語ることも大事だし、こうやって曲として繰り返し聞いてるうちに何かヒントになればなって。自分の父親がそれしてくれなかったので、せめて自分の子供たちにしてあげたい気持ちはあって。人間は何度も間違えるし、2000年前からそんなに大して成長してると思えない。やっぱり3歩進んで2歩下がるようなことでしょ?今ある正しいことが100年後に正しいとは限らないし、それはもう歴史が証明してくれてるから。だからこんな考えがありました、こんな事象がありましたっていうのを未来の人が受け取ってくれればいいなとは思いますけどね。

田家:コロナ禍と戦争が起きている中で、こういうバンドがこういうことを日本で歌ってました、という証しが、令和になって発売されたGLAYの作品なのかも知れません。もう1曲新曲をお聞きいただきます。ツアーのタイトルです。 「THE GHOST」。

田家:「Only One, Only You」もそうですけど、ギターバンドって感じじゃないですもんね。

TAKURO:ギターバンドって感じじゃないですね(笑)。

田家:でもGLAYっていう。

TAKURO:JIROが今70年代のR&Bに凝っているから、ギターはロックじゃなくてR&Bのアプローチでっていうリクエストがあったので、私達も頭抱えまして。自分たちの個性を失わないように、かつJIROのリクエストに応えられるように、その隙間をつきました。

田家:そういう4人4様感というのがどんどん強くなってくるでしょう?

TAKURO:種子を巻いて丁寧に育てて、まあ皆さんすくすくと。嬉しいわぁ(笑)。

田家:「限界突破」はTERUさんの詞曲なわけで、これもTERUさんっていうのがはっきりあるという。

TAKURO:TERUのポップなハードロック要素が強く出た曲ですね。

田家:ツアータイトルがあってこの曲になったんですか? この曲があってツアータイトルになったんですか?

TAKURO:これはストーリーがありまして。日の目が当たらない曲たちをやるというのもコンセプトなんですけど、「THE GHOST」を新たに書いてたんですよね。でもJIROの曲をもらったとき、GLAYの新しい新機軸を強烈に印象付けたいなと思ったので、「THE GHOST」っていうコンセプトの曲は捨てて、詞をJIROの方に当てはめて書き直して。JIROが打ち出すGLAYがもたらしてくれた新しい風みたいなものをファンの人に届けるためにツアータイトルにしようと。「The Ghost」と結ぶことによって、2023年のGLAYのあり方を強力に印象付けたかった。珍しく今年多分年に2枚出ると思うんです。何年ぶりかってぐらいに年2枚のシングル。

田家:エピソード2があるんですね。

TAKURO:それは来年の30周年に勢いづけるために、往年のGLAYと今のGLAYをゴーストって言葉で繋ぐ作品になると思います。

田家:なるほどね。ゴーストの中にはそういう”往年の”というニュアンスもあるんだろうなと思ったりもしたんですよ。

TAKURO:亡霊だとか、目に見えないけど確実にいるものとか。GLAYのいろいろある顔の一つが独り歩きしてるから、そうでないロックバンドとしてのプライドみたいなものもきっちりと見せつけていきたいなと。それをゴーストでまとめました。

田家:30周年はもっと違う形で。

TAKURO:どうなんでしょうね? 何より一緒に祝いたいって言ってくれるファンの人がたくさんいるから、その人たちの気持ちをまず最優先にしたいので、いろいろ考えます。HISASHIがHISASHIフェスやりたいって言っていたな。去年の夏のライブで、2024年フェスやりますって言って。それGLAYフェスじゃないからなって言って(笑)。そうやってTERUがヴェネツィアでやりたいとか、HISASHIがそういったフェスやりたいとか、そういう思いつきが実はめちゃめちゃ原動力だったり推進力になったりするのを知っているから、またそんな勝手なこと言ってと思いながら、俺もJIROもこの大喜利に素敵な答えを見つけてあげたいって気はしています。

田家:ここから始まるツアー楽しみにしています。

TAKURO:ありがとうございました。

流れているのは、この番組の後テーマ竹内まりやさんの「静かな伝説」です。こうやって最近の作品を軸にしてTAKUROさんの話をじっくり伺うと、改めてGLAYというバンドがいかに稀有なバンドかということがおわかりいただけたんではないかと思いますね。4人4様なんですね。本当に民主主義的なバンドである。2000年代まではそうじゃなかったですね。TAKUROさんの色が濃かった。GLAYといえばTAKUROメロディーというTAKUROさんの曲がイメージを作っていて、それをTERUさんが歌うっていうのがGLAYだったわけです。

日本のバンドのほとんどが、1人飛び抜けた才能の持ち主がいてその人の才能によって成り立っている。そういうバンドの限界を当時から誰よりも知ってたのがリーダーのTAKUROさんなんですね。最初のうちはアルバムの中に他のメンバー曲が入ってくるようになって、そういう人たちが自分で詞も書くようになって、2006年からは4曲入りのシングルを作り始めました。G4。4人4様ですね。令和になってからのアルバムは、TAKUROさんが主体ではあるんですけど、メンバーのTERUさんの書いたシングルとかが出てくるようになってきている。

そういう中で『The Sound Of Life』があったわけですね。TAKUROさんはTAKUROさんで全く自分の違う世界を表現として作り上げた。ここから他の3人がそういう1人1人の世界を作り始めていくとしたら、このスケールはどこまで広がるんだろう。でも4人で音を出す、4人でバンドをやることの楽しみを誰よりも知っているバンドになっている。今までにない前代未聞のロックバンドが、ここからまた始まっていくんだということを確かめられた、確信を持てた、そんな4週間だったと思います。ツアー、30周年楽しみです。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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