ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズと並び、2000年代NYのインディロックを牽引したインターポール(Interpol)も、デビューから早20年余り。彼らはいまも非常に熱心なファンベースを抱えているが、その一方でバンドの歴史や変遷を詳しく知らないという若いリスナーも増えてきたことだろう。
そこで、11月29日(水)に梅田クラブクアトロ、11月30日(火)に神田スクエアホールで開催される来日公演を前に、デビューアルバムから昨年リリースされた最新作『The Other Side of Make-Believe』に至るまで、バンドの歴史をアルバム単位でギタリストのダニエル・ケスラーに振り返ってもらった。この決定版インタビューは、全アルバムの曲を漏れなく演奏するという来日公演の予習に最適であると同時に、誰でも「今のインターポール」に追いつける唯一無二のテキストになっているはずだ。

※11月2日追記:東京公演は機材輸送の事情により日程・会場変更(文中に反映済み)

インターポール20年の歩みを徹底総括 NYの象徴的バンドがアルバム全7作を振り返る

左からサム・フォガリーノ(Dr)、ポール・バンクス(Vo, Gt, Ba)、ダニエル・ケスラー(Gt, Key)
Photo by Ebru Yildiz

1. 『Turn On The Bright Lights』(2002年)

―『Turn On The Bright Lights』は2000年代のベストアルバムの一枚として必ずと言っていいほど名前が挙がる歴史的名盤です。アルバムに収録されている「PDA」や「Roland」などは90年代後半にその原型がすでに出来ていましたが、当時はインターポールのようなサウンドを出しているバンドは他にまったくいませんでした。その時点で、自分たちがやっていることがかなり特別でユニークだという自覚はあったのでしょうか?

ダニエル:そんな自覚はなかったよ。でも、このアルバムのことを「名盤」と言ってくれたのは嬉しいね! 他の駆け出しのバンドやアーティスト同様、当時は俺たちにとっても大変な時期で、バンド活動をやりたいという気持ちはあったけれど、それを後押ししてくれるような反応も感じられないし、ライブに来てくれる人もそんなに多くなかった。自分たちの活動に興味を示してくれるレコード会社もいない。そういう状況だと、「この活動を続けているのは、自分が大好きなことだからなんだ」という思いが基盤として確立されるんだ。自分の活動を信じて、自分のためにやる。そういう思いだったよ。俺たちは、最初のレコードを出すまでに5年間バンド活動を続けていた。だから、俺たちの活動がオーディエンスに受け入れられるようになるなんて、全く想像していなかったんだ。


―周りのバンドと違うサウンドを出しているな、という感覚もありませんでしたか?

ダニエル:当時はインターネットの黎明期くらいだったから、SNSもない時代で、周りでどんなことが起こっているかよく分からなかったんだ。自分が住む都市のことについてさえも。だから、自分たちが特別なことをやっているという自覚はなかった。俺たちはバンドとして音楽を作り始め、そこには素晴らしいケミストリーがあり、それを活かして音楽をやっていただけなんだ。そのケミストリーがあったことに関しては恵まれていたと思うけどね。

―90年代後半のニューヨークでは、60年代のソウルミュージックなどがかかるクラブイベントと、80~90年代のイギリスのロックがかかるクラブイベントが人気だったと聞きます。のちにデビューするバンドのメンバーたちも通っていたみたいですが、当時そのようなクラブには顔を出していましたか? また、そういったクラブに刺激を受けたりしましたか?

ダニエル:そうだね。当時は夜、遊びに行くとしたら、みんなそういうクラブに行っていた。俺の場合、そこからインスピレーションを受けたというよりは、若者として、そういうシーンに遊びに行って、自分と同じような考えのキッズたちがそこにいるというのが良かった。それは今の時代でも同じかもしれないけれど、当時はSNSやネットも普及していない時代だったから、似たような考えや価値観の人に出会うためにはそういうところに行くしかなかったんだ。

―具体的にどんなクラブだったんですか?

ダニエル:一つはShoutというクラブで、ノーザンソウルのようなイギリスらしいヴァイブスのパーティを何年もやっていたところだった。もう一つは、Don HillsというクラブでTiswasというパーティがあって、ブリットポップとかがプレイされていた。
それにバンドのライブも時々あって、俺たちもそこでライブをやったことがある。のちのニューヨークのシーンの一員となった多くのバンドが、Tiswasとかでデビュー前にライブをやっていたと思うよ。だから、そういうクラブイベントは人気だったし、音楽が好きな人たちで、クラブ遊びが好きな人たちはそういうところに行っていたね。

『Turn On The Bright Lights』ドキュメンタリー映像

―「『Turn On The Bright Lights』は9.11直後のニューヨークの空気感を完璧にキャプチャーしたアルバム」という当時のメディアからの評価に対するあなたの所感を教えてください。

ダニエル:メディアがそういうことを言っていたのは覚えているよ。でも、俺たちがこのアルバムの楽曲の大部分を書いたのは9/11より前で、9/11のすぐ後、2001年の10月にレコーディングに入ったんだ。だから、ある意味、このアルバムは当時のサウンドトラックというか、背景(backdrop)になったんじゃないかと思う。うん、メディアがそういう風にアルバムを評価するのも理解できるよ。例えば、あのアルバムの「NYC」という曲は、あの事件以前に書かれたもので、あの事件とは何の関係も無いんだけど、コーラスの「New York cares(ニューヨークは心配しているよ)」という部分を聴いた人は、あの事件と何かつながりがあるんじゃないかと思ってしまうかもしれない。その考え方は俺にも理解できる。

―リリースから20年以上経った今も、『Turn On The Bright Lights』が人々の間で語り継がれるアルバムになったことをどのように感じていますか?

ダニエル:ものすごいことだと思うよ。すごく嬉しいし、色々な意味で感動させられる。
俺たちは『Turn On the Bright Lights』をリリースするまでに、5年間バンド活動をやっていた。さっき君が言った通り、「PDA」は俺たちが最初に書いた曲で、1997年か1998年に書いた曲だね。だから、(デビュー前の)俺たちはバンドとしての方向性を探っていたわけではなくて、既に自分たちのやりたいことは決まっていた。俺たちは最初からバンドとしてのアイデンティティが確立されていて、何も変わっていないんだよ。

―ええ、初期のデモ音源を聴いても、既にインターポールらしさは完成されていたと感じます。

ダニエル:でも、俺たちには、ライブをやってもあまり人が集まらず、レコード会社からも興味を示されないという5年間があった。俺たちを受け入れてくれるようなオーディエンスが現れるなんて、期待してなかった。だから、当時、俺の夢はアルバムを一枚作るということだったんだ。『Turn On The Bright Lights』を作って、Matadorという今も所属している素晴らしいレーベルからリリースできた時点で、俺の夢は達成された。それ以降のことは何も考えていなかったよ。だから、20年後にこうやって、君にそんな質問をされていること自体がものすごいことだと思う。

それに今、18歳、19歳くらいの子たち、アルバムが出た当時はまだ生まれていなかった子たちがこのアルバムに共感してくれているというのは本当に素晴らしいことだと思うんだ。
それがアートの素晴らしいところで、自分が創造した作品が世代を超えて共感されるということはアーティストにとって非常に嬉しいことだよ。個人的にもあのアルバムの曲は今でも大好きだし、ライブで演奏するのも大好きなんだ。自分でも、今の時点であのアルバムに共感できることは素敵なことだと思っている。

インターポール20年の歩みを徹底総括 NYの象徴的バンドがアルバム全7作を振り返る

インターポール、2002年撮影。左からサム・フォガリーノ、ダニエル・ケスラー、カルロス・デングラー(Ba, Key:2010年脱退)、ポール・バンクス(Photo by Wendy Redfern/Redferns)

2. 『Antics』(2004年)

―『Antics』は1stで確立した美学やスタイルをある程度継承しつつも、演奏は格段にダイナミックになり、より幅広いリスナーに訴えかけるキャッチーなソングライティングが目を引きます。一体どのようにして短期間でこのような成長を達成できたのですか?

ダニエル:『Antics』と『Turn On The Bright Lights』の間には2年という期間しかなく、『Turn On The Bright Lights』をリリースした後は、ずっとツアーをしていたんだ。俺個人としては、次に何をしようとか、何をするべきかということを考えすぎないように意識した。俺たちは、『Turn On The Bright Lights』のツアーの合間に作曲をしていたんだ。音楽業界では「2枚目のスランプ」という表現があって、2ndアルバムはあまり良くないものになりがちということが、よく言われている。だから、俺たちはそういうプレッシャーやストレスをあまり意識しないように作曲を続けていたよ。とにかく前に進もうという一心で。外の世界を気にせず、自分たちの活動を続けて行く。
それが功を成したんだと思う。

―では、あなた自身も『Antics』での音楽的成長を実感している?

ダニエル:『Antics』は、『Turn On The Bright Lights』が進化したアルバムだと思うし、バンドとしても上達しているというか、作曲プロセスもよりディープなものになり、考え過ぎずに、自然な進化を遂げていった。その結果として、『Antics』が出来たんだと思う。今でも『Antics』からの楽曲を聴くと、『Turn On The Bright Lights』から進化したバンドということが俺には聴き取れる。曲のパートが複雑になっていたり、トリッキーな変化が加えられていたり、バンドとしての成熟と経験が感じられるんだ。

―「2枚目のスランプ」の話がありましたが、絶大な評価を受けた1stのあとで、それについて考え過ぎないようにするというのは、実際のところ簡単ではなかったのではありませんか?

ダニエル:俺は批評に対して繊細なわけではないんだけど、普段の生活でも、雑音を遮断するのが苦手な方なんだ。だから、とにかく今までやってきたことを変えずに、今まで通りやるように自分を集中させたね。純粋なソングライティングや、バンドメンバー同士から受けるインスピレーションに不要な影響を与えたくなかったから。そもそも人々が俺たちに興味を持ってくれたのは、1stアルバムのおかげなんだから、俺たちは今までやってきた通りのことをやることに集中すればいいと思った。それが、俺たちの次の作品に興味を持ってくれる人たちに対して、俺たちができるベストなことだから。そういうことを念頭に置いていたよ。

―ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズをはじめ、同時期にデビューしたインディロックバンドたちとは当時から交流が深かったと思います。
考え方やバンドとしての姿勢など、互いに影響を与え合うことはありましたか?

ダニエル:俺たちがバンド活動を始めた頃、特にレーベル契約を結ぶ前は、ヤー・ヤー・ヤーズの存在を知らなかったし、ストロークスもまだ世界的な人気が出ていないという時代だった。だから、彼らの存在も知らなかったんだ。SNS以前の時代では同じ都市にいても、ストロークスのような素晴らしいバンドが5ブロック先にいるということが分からなかったんだよ。だから、ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズ、TV オン・ザ・レディオ、ザ・ウォークメンなど数々の素晴らしいバンドの活躍によって、ニューヨークのインディシーンが脚光を浴びた時に初めて、「こんなにたくさんのインディロックバンドがニューヨークにはいて、みんなそれぞれ違った独特の活動をしているんだ」と気づかされたんだ。

―彼らのようなバンドがいることを知って、率直にどう思いましたか?

ダニエル:みんなそれぞれ違ったサウンドだけれど、みんなすごくクールで、各々がさまざまなインスピレーションを受けて、独特の表現をしている。そんな現象が起こったことがすごいことだと思うし、今のこの世界で、同じことがまた起こるかどうかも分からないね。とにかく、ニューヨークのインディロックのシーンが脚光を浴びて以来、俺たちは、ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズの比較対象としてよく挙げられてきた。それは嬉しいことだよ。そのおかげで、俺は彼らとも知り合いになれたし、ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズの音楽も好きになった。ザ・ウォークメンやTV オン・ザ・レディオ、その他数多くのバンドも。バンドメンバーの2人も同じ思いだよ。今ではストロークスやヤー・ヤー・ヤーズのメンバーたちとは近しい友人で、そんな関係性が築けたのも素晴らしいことだと思う。アーティストとしても、ファンとしても。そして、この20年間、シーンの一員として語られるバンド同士としてもね。 

3.  『Our Love To Admire』(2007年)

―最初の2作はライブバンドとしてのインターポールを的確にとらえたアルバムだったのに対し、『Our Love To Admire』はキーボードやオーケストラが前面に押し出され、よりサウンドが複雑で濃密になりました。その結果、壮大なスケール感も生まれています。このタイミングで新しい挑戦が必要だと感じたのはなぜだったのでしょうか?

ダニエル:アーティストとして、人間として、自然な成長だったんだと思う。無理矢理そうしたとか、意図的にそうしたわけではないからね。バンド内で話し合いはあったけれど、曲を拡張したいという思いと、同じことをやらないようにしようという意識があっただけなんだ。『Our Love To Admire』では、ソングライティングにおいてさらに深いところを追求したり、複雑なものにしたいという願望があり、今までとは違ったインストゥルメンテーションを起用することによって、サウンドを拡張したり、音楽の幅を広げられないかと思った。でも、無理強いした感じは一切なくて。インターポールでは毎回そうなんだけど、まずはアイデアがあり、そのアイデアからインスピレーションを受けて、それが形になっていくんだ。『Our Love To Admire』ではその流れが顕著に感じられると思う。特に「Pioneer To The Falls」は、美しいオーケストラが起用されていて、バンドとしての成熟も感じられる。この曲を聴くと、いまでも当時のことがはっきりと思い出されて、リハーサル室や、その時の自分の感情とかが浮かんでくる。とても素敵な感覚だよ。

―「Pioneer To The Falls」は野心的な曲ですが、同時にあなたのギターのフレーズには変わらぬインターポールらしさも宿っているように感じます。

ダニエル:俺はミュージシャンとしては変わっていない。感性も同じだし、嗜好も変わっていない。だから、このアルバムで俺のギター演奏を聴いた人は、そこに「俺らしさ」のようなものを聴き取ることができると思う。俺は別に「自分らしさ」から意識的に逃れようとしているわけではないからね。でも、人として成長したいし、経験も積みたいと思っているだけなんだよ。

―1stからほぼノンストップだったツアーの疲れもあって、当時のメンバー間の関係は決して良好ではなかったと、のちにポールとサムは語っています。そういったバンドの空気感はアルバムに影響を与えたと思いますか?

ダニエル:個人的には、アルバム自体に影響があったとは思わない。芸術性や表現力において、『Our Love To Admire』はすごく良い作品になったと思うから。制作過程において、複雑な時があったりしたかもしれないけど、俺たちが作っている音楽の方向性を変えるというようなことはなかった。当時の背景としてそういうのがあった、くらいだね。

―実際に一緒に演奏するときに、ちょっとギクシャクしてしまうようなこともなく?

ダニエル:むしろ、俺たちが実際に一緒に作曲をして演奏をしていると、なぜ俺たちが一緒にバンドをやっているのかという理由が明確になるんだ。その場には、言葉に表せない特別な雰囲気が宿るんだよ。そして、それが曲にも現れる。「Pioneer To The Falls」とかを聴くと、それが感じられるんだ。その感覚があると、俺たちにはとても特別な、言葉にできない何かがあると改めて気付かせられるんだよ。

―最近のライブでは『Our Love To Admire』の曲を比較的たくさん演奏している印象です。今の自分たちにフィットするところがあるのでしょうか?

ダニエル:そうだね。最近は、「No I In Threesome」とか、しばらくライブで演奏していなかった曲をまた演奏するようになっていて良いことだと思う。確かにフィットするところはあるね。7枚もアルバムがあるというのは、自分で言葉にしても信じられないことなんだけど、バンドの(7枚のアルバムという)それぞれの章から曲を選び、それをつなげてみると、その出来上がったもの自体が、ある一つのプレゼンテーション、ある一つの記録になるんだ。そして、その出来上がったものは、いつでも、非常に良くフィットしている。でも、バンドの違った章からの曲だから、曲と曲には明らかな違いがある。人の人生と同じようにね。人もさまざまな人生の章を生きていて、その都度、さまざまな経験を通して、さまざまな願望が生まれ、以前とは少し違った人間になっていくものだから。

俺は、バンド活動を始めた初期から、特に『Turn On The Bright Lights』を作っていたときからずっと思っていたことがあって。それは、自分が作るアルバムは、自分にとってタイムレスなものにしたいということだった。自分がいつ聴いても、大好きだと思えるような、共感できるような、何も後悔しないようなものにしたいと思っていて。で、自分が今まで作ってきたアルバムは、確かにそう思えるんだ。だから、それぞれのアルバムから曲を取って、全部をつなぎ合わせても、自分で共感できる。それは素晴らしいことだと思う。それはある意味、それぞれの曲に合わせたスーツやコスチュームがあるようなもので、その瞬間だけ今の自分とは違う自分になるような感覚がある。それはアートの素晴らしいところだと思うね。

インターポール20年の歩みを徹底総括 NYの象徴的バンドがアルバム全7作を振り返る

Photo by Atiba Jefferson

4. 『Interpol』(2010年)

―セルフタイトルの『Interpol』は前作での新しい挑戦をさらに推し進め、インターポール流の重厚なウォール・オブ・サウンドを確立させたようなアルバムです。ここでアルバムをセルフタイトルにしたのは、初期とは異なる新しいスタイルを完成させたという達成感と関係しているのでしょうか?

ダニエル:いい質問だね。バンドのキャリアにおいて、「セルフタイトル」のカードを切れるのは一度しかないから(笑)このアルバムをセルフタイトルにするのが、俺たちにはしっくりきたんだ。それまでは、『Turn On The Bright Lights』や『Our Love to Admire』といったかなり壮大なタイトルをつけてきたから、今回は可能な限りシンプルでミニマルなタイトルにして、実際の音楽に全てを語ってもらおうと思った。そういう思いが強かったんだ。

―ミニマルなアルバムタイトルとは対照的に、そのサウンドはかなり冒険的です。

ダニエル:あのアルバムは俺たちにとっても、変わったアルバムで、実験的とは言いたくないけれど、オーケストレーションなどにおいて『Our Love To Admire』よりもさらに深く追求して、自分たちが今までやってきたこととは全く違うことを試みたアルバムだった。実際、当時のソングライティングには成長が感じられたと思う。ポップな曲やキャッチーな曲ではなく、よりエモーショナルで、特定のムードを捉えようとしていた感じがあるからね。キーポイントとなったのは、このアルバムでは、オーケストラを起用したり、サウンドを拡張したりして、あらゆる可能性に対してオープンにしていたということだと思う。

―このアルバムでは、前作よりもさらにキーボードやオーケストラが大きくフィーチャーされていて、ギターは控えめなくらいですよね。ギタリストであるあなたはどう感じていましたか?

ダニエル:『Turn On The Bright Lights』は、(ギター)バンドがライブ演奏しているというサウンドだった。実際にそうだったし、それが俺たちのやりたいことだった。『Antics』もそれと同じようなサウンドだったけれど、バンドとしての経験値が少し上がって、レコーディングの技術も上達していて、ソングライティングも1stよりは発達したものになっていた。4枚目のアルバムでは、制限を課さずに、ルールも定めないで、多少奇抜なものでも、自分たちが良いと思うものなら、また、バンドのファンベースにとって魅力的に感じられなくても、自分たちが魅力に感じるものであれば、やってみようという姿勢だった。だから全てを受け入れよう、全てのサウンドを受け入れよう、つまり、ギターだけでなくあらゆるサウンドを受け入れて、しかもギターをミニマルに使うことに対して躊躇わずにやってみよう、というマインドがあったんだ。

5. 『El Pintor』(2014年)

―『El Pintor』は前2作で手に入れた音楽的深みを保ちつつ、ダイナミックなロックバンドのサウンドに回帰したようなアルバムです。初期2作の方向性と、続く2作の方向性を掛け合わせ、さらに前へと推し進めたような印象ですが、あなたにはどんなビジョンがあったのでしょうか?

ダニエル:アルバムのサウンドについての今の説明は的を射ていると思うね。いつもそうなんだけど、俺の場合は作曲をするときは、色々と考えるよりも、とにかく行動するようにしているんだ。「これをやったら良さそうだな」とか考えたりしない。俺はコンセプチュアルなソングライターではないんだよ。バンドとしても、俺たちは自分たちのアイデアをお互いに投げ合って、お互いのエネルギーを感じ取りながら、作曲するという方法を取っている。だからこのアルバムでも、シンプルな作曲方法に戻って、複雑でなく、ただ気持ちが良い感じのもので、自然に思いつくアイデアから作り上げていこうとした。そういう意味では、初期2作の感じがあると思うね。それに加えて、バンドの成熟度がある。もうこの時点で、俺たちはインターポールを15年やっているからね。その期間で色々なことを学び、作曲の仕方やお互いとのコミュニケーションの取り方も上手くなった。そういう成長が自然に表れていると思う。だから、初期2作と続く2作の要素の両方が少しずつ入っていると思う。

―このアルバムがリリースされた2014年は、2000年代初頭に始まったインディロックの熱狂も落ち着き、ラップやR&Bやポップが覇権を握りはじめた時期です。そういった状況の変化をあなたはどのように捉えていましたか?

ダニエル: ポピュラーミュージックに関しては、サイクルで回っているから、ロックが人気な時期もあれば、それに取って代わるものが登場する時期もある。ずっと時は移り変わっていて、今でもラップやR&Bが最も人気を博している。それは当時も今も変わらないことだ。でもそれに対して、自分ができることは限られている。とにかく、俺が大切にしているのは、曲や、曲に込められた感情であって、俺たちの音楽を聴いた人もそこに共感してくれたらいいと思うだけなんだ。

―では、状況の変化自体にはそんなに気を取られなかった?

ダニエル:特に考え過ぎたりはしなかったよ。結局、自分にとって自然に感じることしかできないわけだから。アーティストにはそれぞれ異なった活動の仕方があるけれど、俺の場合は、自分にとってしっくりくることや、シンプルなことしかできないんだ。アーティストによってはさまざまなスタイルの音楽を作って、それを自分のものだと信じ込んで、しっかりとやっている人もいる。それはすごいことだと思う。でも、俺は自分に合っていることしかやらない。俺は今でもクラシックギターで、時にはピアノでもするけど、作曲をするという非常にシンプルなやり方でやる。このやり方じゃないと、自分の心が動かされないんだ。それが俺の変わらないところだ。

だから、質問に簡潔に答えるなら、外の世界で起こっていることに対して、「インターポールがどうフィットするのか?」とか、「俺たちがこうやったらうまくいくだろうか?」とか、そういうことは深く考えたことがない。「これは自分が純粋に感じることで、真摯に感じることだ」ということを表現し、それが、俺たちの音楽に興味を持っている人や、インターポールを好きな人たち、好きだった人たちに伝わるといいなと思うだけなんだ。

―前作がセルフタイトルで、このアルバムのタイトルはバンド名のアナグラムです。このようなタイトルにした意味合いを教えてください。

ダニエル:特に深い意味合いはなくて、アルバムのカバーアートが既に出来上がっていたんだ。ポールはあのアルバムアートをすごく気に入っていた。手のイメージと色の感じが、まるで一つの美しい芸術作品のようで、俺も大好きだよ。ポールはメキシコとスペインに住んでいたから、スペイン語が上手で、彼が『El Pintor』というタイトルを提案したんだ。俺たちもいいなとすぐに思った。『El Pintor』がインターポールのアナグラムになるということは、ポールに指摘されるまで気付かなかった。だから、即決だった。それに『El Pintor』(The painter=絵描き)というタイトルのイメージも面白い。「インターポールによる『The Painter』」と聞くと、その意味について色々なことを連想する。絵描きが音楽を描いているのかとか、そんなことを考えてしまうところが興味深いと思う。

インターポール20年の歩みを徹底総括 NYの象徴的バンドがアルバム全7作を振り返る

Photo by Atiba Jefferson

6. 『Marauder』(2018年)

―『Marauder』はとてもラウドで、プリミティブなサウンドを持ったアルバムです。あなたたちは3、4作目で非常に凝ったスタジオワークを志向して、5作目にもその余波が残っていましたが、その流れを敢えて一旦断ち切って新しい方向に進もうという意図があったのでしょうか?

ダニエル:それは意図というよりは、人間なら誰しもそうであるように、自分が数年ごとに、違う自分になって行くということの表れなんだと思う。俺たちはアルバムが完成したらツアーに出る。ツアー期間中、俺は作曲をしないんだ。俺の脳は、ホテルの部屋では作曲ができないんだよ。で、ツアーが終わった1年半後に作曲を再開するんだけど、その時点では新たな視点でペンを握っている状態なんだ。1年半前の時点に戻って再開するのではなく、今の現時点から再開するということは健全なことだと思う。そうすることによって、真っ白な紙に向き合って、今の自分の立場から作曲を始めることができるから。

―毎回ちゃんと一度リセットをしてから、前に進むことが大事だと。

ダニエル:だから、いつものように、『Marauder』もインターポールが前進して行ったことの表れだと思う。(通常インターポールはアルバムをセルフプロデュースしていて、)3rdアルバムはリッチ・コスティと共同プロデュースしたけれど、このアルバムもプロデューサーのデイヴ・フリッドマンと一緒に制作を行ったんだ。プロデューサーと仕事をするのは、俺たちにとって新しいことだった。このときは、ニューヨーク北部にある彼のスタジオに行ったんだよ。デイヴ・フリッドマンは、フレーミング・リップスやモグワイ、テーム・インパラ、MGMTと言った最高なバンドたちの最高なアルバムを手がけた人だ。そんな人と一緒に音楽を作るとなったら、彼が作業できるだけの余白を楽曲に残しておくべきだと思った。でも、デイヴは俺たちが持ち込んだ楽曲を気に入ってくれたから、曲自体は特に変わらなかったし、デイヴはそのままの感じを残したいと言って、とても荒々しい(raw)サウンドのアルバムになったんだ。

―デイヴ・フリッドマンとのレコーディングで、特に印象深かったエピソードはありますか?

ダニエル:テープに録音したから、あまり最新のテクノロジーは使わなかったんだ。そのような制限があったことが、逆に効果的だったね。テープに録音するということは、テープの分しか容量(尺)がないということだから、ギターをワンテイクで一曲分、通しで演奏しなければいけなくて、それを採用するかボツにするかという選択肢しかない、という状況だった。それがすごくいい感じに作用して、「これらの曲は本当に録音する準備が整っているのか、そうでないのか?」「自分を十分に表現しているのか、していないのか?」という見極めがしやすくなったんだ。

―なるほど。

ダニエル:だから、アルバムを完成させるのにあまり時間がかからなかったよ。とても楽しい方法で、サクサク進められた。それに、デイヴ・フリッドマンは経験のあるプロデューサーだから、彼の中で、俺たちのサウンドをどのように捉えたいかというのが明確にあったんだ。通常のインターポールの制作方法とは違ったやり方だったけど、素晴らしい経験になったよ。

―あなたは曲作りにおいて、他のアーティストの曲よりも映画や旅に影響を受けることが多いと常々話しています。例えば、『Marauder』に具体的に影響を与えた映画があったりしますか?

ダニエル:いい質問だね。でも具体的な映画を今、挙げるのは難しいな。俺たちが作曲をするときは、通常、俺が最初にギターで作曲を始めるんだけど、その曲に仮の名前をつけるんだ。その仮の名前は、その時に自分が観ていた映画であることが多い。でもその後に、ポールが歌詞を書くから、曲の名前もまた別のものになるんだ。だから、自分がその時につけていた仮の名前を思い出すことができれば、この質問に答えられるんだけど、もう名前が変わってしまったから、思い出せないんだ(笑)。

―他のアルバムに影響を与えた映画でもいいですよ。

ダニエル:少し先の話に進んでしまうけど、俺たちの最新作『The Other Side of Make-Believe』には「Toni」という曲があって、これは『Toni Erdmann』というドイツ映画を観ていたことからつけたんだ。最高な映画で、大好きな作品だよ。この仮の名前に関しては、ポールも気に入って、そのまま曲名になった。『Marauder』に影響を与えた映画は思い出せないけど、確かに映画は俺にとって一番の影響であり、旅にも影響されているよ。

7. 『The Other Side of Make-Believe』(2022年)

―『The Other Side of Make-Believe』はミッドテンポの曲が多く、ピアノがリードする曲もあり、これまででもっとも穏やかで暖かみのあるアルバムだと感じます。これはバンドとしての成熟を示すものなのでしょうか? それとも、コロナ禍だからこそ希望や優しさを届けたいという意識の反映ですか?

ダニエル:バンドとしての成熟と、今までとは違うことをやろうという試みの表れだと思う。ロックダウンになる直前に、俺はピアノを手に入れて、自宅に置くことができたんだ。それがすごい救いになったよ。2020年の1月か2月のことだったから、世の中の全てがシャットダウンして、外出もままならなく、何もできないという状況。そんな時、ピアノが自宅にあるということは、俺にとって素晴らしいことだった。

―シングルでもリリースされた「Toni」は、特にピアノが印象的です。

ダニエル:「Toni」はピアノで作曲した曲なんだ。そして(外出制限が緩和されて)またみんなで集まって演奏できるようになって、「Toni」の作曲を進めてみたら、インターポールの曲として瞬時に仕上がった。20年間活動してきたバンドとして成熟していて、プラットフォームが確立されていたから、すぐに仕上げることができたんだよ。その時は、バンドのケミストリーとエネルギーが部屋ではっきりと感じられたね。

それに、この曲では、今までの俺たちとは違うことをしているんだ。俺は「Toni」でギターを弾いていないし、ポールもギターではなくベースを弾いていて、サムがドラムを演奏している。だから、バンドの感性は今までと変わらないんだけど、違う立場で、違うことをやろうとしている。いや、やろうとしているのではなく、違うことが起きていたんだ。歌詞に関しては、当時の状況が反映された部分もあったと思う。だから、希望を感じさせるような歌詞も入っているんだろうね。

―ロックダウン中にアルバム制作が始まったので、最初は互いにデータのやり取りで曲を発展させていったそうですが、あなたはこのアルバムの特殊な制作環境がプラスに働いた点はどこにあると思いますか?

ダニエル:データのやり取りをして作曲をしても、やっぱりインターポールらしい曲が出来上がるのがわかったことだね。この制作環境がうまくいくかはわからなかったから、ある種のテストだったんだ。けど、音楽を作りたいのであれば、この方法しかないということが分かっていたし、他の多くのバンドはもう20年くらい前からこの方法で音楽を作っていたということも知っていた。曲をお互いに送る方がやりやすいんだろうね。俺たちはオールドスクールだから、同じ空間で集まって、例えば、俺が曲をギターで弾き始めたら、ポールがベースとボーカルを合わせてきて、サムがドラムを叩いて、曲を作り上げる、という方法で作曲を行ってきた。でも、あの状況で音楽を作りたいのであれば、別の方法を試すしかなかったんだ。

―実際にやってみてどうでしたか?

ダニエル:データのやり取りをやってみて、すぐに分かったのは、俺たちがリハーサル室で一緒にやっている感覚に非常に近い、ということだった。だから、今回の経験で分かったのは、たとえ俺たちが同じ空間でリハーサルをしながら作曲をしても、その仕上がりにあまり違いはなかっただろう、っていうこと。俺たちの間にはケミストリーがしっかりとあって、その純粋なケミストリーが存在するということに改めて感謝したよ。

ロックダウン中は、今までできていたことができなくなって、そのありがたみを全ての人が再認識したと思う。そんな辛い時期を、俺たちは音楽制作という自分の心や感情を表現できる場を通して乗り越えることができた。すごく幸いなことだったと思う。で、ロックダウンが明けてからは、「Toni」とか、再び一緒に演奏して完成させることができた曲もあった。とにかく、あの特殊な制作環境のおかげで、バンドとしてのケミストリーを再確認することができたし、俺たちがバンド活動をやっている理由が改めて明確になったんだ。

『The Other Side of Make-Believe』メイキング映像

―これまでのアルバムはどれも異なるサウンドを持っていて、20年以上の時をかけてバンドが大きく変化と成長を遂げてきたことが実感できます。ただ同時に、1stと最新作を並べて聴いても、一貫したインターポールらしさも感じられます。あなたは人々が感じ取る「インターポールらしさ」とは何に起因するものだと思いますか?

ダニエル:いい質問だけど、それに俺が答えるのは難しいね。誰か他の人が「インターポールらしさ」について答えてくれる方がいい気がする。なぜなら、俺はインターポールというバンドの内部の人間であり、客観的な見方ができないから。

ただ、俺が考えるインターポールっていうのは、色々な材料が入っている鍋のようなもので。もちろん、その材料は(アルバムごとに違う場合もあれば)同じ場合もある。俺はずっと俺という人間に変わりはないし、同じ感情を源流として作曲をしているから。俺は偉大なギタリストだから作曲をするっていうわけじゃなくて――別に俺は偉大なギタリストではないからね――ただ、俺は作曲をする強い必要性を感じるから書いているんだ。自分の中にあるものを表現したいという欲求があり、それがアウトプットできると気分がいい。インターポールのメンバーにはそれぞれ、似たような思いがあると思う。で、それらを一つの鍋に入れて、かき混ぜたり、色々手を加えたりしていると、毎回違うものができるんだ。

―そして、人々はそこになぜか「インターポールらしさ」を感じ取ると。

ダニエル:音楽の面白いところは、なぜ人が音楽に対して、ある反応をするのかというのが解明されていないということだと思う。それは他の芸術形式よりも顕著だ。俺は映画が大好きだけれど、映画は視覚的要素が強く、非常に物理的なものとして作られている。絵画だってそうだ。でも音楽は、人間が感情的な反応を示す芸術様式なんだ。幸せや喜びや、記憶を喚起する。すごいことだと思わないか?音楽を短い言葉で定量化したい気持ちも分かるけれど、それがあえてできない、する必要がないことが音楽の美しいところだと思う。

―ポールは昨年のインタビューで、いま世界でもっとも重要なアーティストの一人としてケンドリック・ラマーを挙げていました。あなたが誰か一人そういったアーティストを挙げるとすれば?

ダニエル:すごく難しい質問だな。難しいし、答えるのが辛い……(笑)。俺はレディオヘッドとそのプロジェクトに関わるメンバー全てに多大なリスペクトがある。彼らは時代に沿った動きをしていて、しかも、それを非常にエフォートレスにやり遂げている。無理矢理な感じがしないし、とても自然だ。彼らのディスコグラフィを振り返っても、1stアルバムから、3rdアルバムの『OK Computer』から『Kid A』、そして今に至るまでそうだし。最近のザ・スマイルとしての活動を見ても、すごく自然で、素晴らしいミュージシャンシップが感じられる。曲もすごく感情が込められていて、真に迫った感じがあるんだ。彼らが自分たちの活動に情熱を感じていることが伝わるし、さっきも話した、「それをやらなければならない」という必要性があるのも伝わってくる。

―確かに。

ダニエル:その感じを30年以上維持するのは、並大抵のことじゃない。その純度というものを尊敬するね。だから彼らが、個人としても、バンドとしても、それを維持できているということに、俺は心から尊敬し、感心する。この目まぐるしく変化し続ける時代において、彼らも進化を続けてきているということに刺激を受けるよ。  

―フェス出演を含め、インターポールは昨年から相当な数のライブをこなしてきて、来日公演はいよいよワールドツアー終盤です。最新作の曲も十分に血肉化されていると思いますが、どんなライブを期待していいでしょうか?

ダニエル:俺たちのアルバム全てから何曲か演奏しようと思っているよ。コンサートという限られた時間の中で、それをするのは、7枚もアルバムがあると結構難しいんだけど。だから、雰囲気やテンポなど色々な側面から考えて、うまくフィットするようにセットを組まないといけない。全てのアルバムの感じを少しずつ再現することが大事だと思っているからね。

それに個人的には、日本は世界の中でも大好きな国の一つなんだ。でも、なかなかライブができなくて、俺も2019年以来、日本には行ってない。本当は、いち訪問者として、日本が大好きな人間の一人として、なるべく頻繁に行きたいと思っているんだけどね。今回はただ日本に行けるだけじゃなくて、ライブもできるという、俺にとっては最高なシチュエーションだよ。パフォーマーとしては、その場、その瞬間を大事にして、オーディエンスと一緒にその場を共有して、つながりを感じて、その場の感覚を十分に味わいたい。ステージで演奏して、オーディエンスと体験を共有できることに対して、自分の方からお金を払いたいくらいだ。だからすごく楽しみだし、あと数カ月で日本でライブができるという機会を与えられたことに、心から感謝しているよ。 

―今日はたっぷりとお話しいただき、ありがとうございました。日本でのライブを楽しみにしています。

ダニエル:素晴らしい質問をありがとう。11月に日本で会えるのを楽しみにしているよ!


インターポール20年の歩みを徹底総括 NYの象徴的バンドがアルバム全7作を振り返る

インターポール来日公演
2023年11月29日(水)大阪・梅田クラブクアトロ
2023年11月30日(木)東京・神田スクエアホール
OPEN 18:00/ START 19:00
チケット:¥8,500-(税込/1Drink別)
※11月2日追記:東京公演は機材輸送の事情により日程・会場変更
公演詳細:https://www.creativeman.co.jp/event/interpol-23/

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インターポール
『The Other Side Of Make-Believe』
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