Rolling Stone Japan初登場、シンガーソングライター「灯橙(ルビ:とうだい)あか」。大学在学中の2018年から自身のYouTubeチャンネルでカバー動画などをアップしながら作曲、ライブ活動を行ない、同年からオリジナル曲の配信リリースを開始する。
2022年にはフルアルバム『The Labeling』をリリース。2023年は全国4カ所を回るワンマンライブツアーを敢行。週1回のYouTubeチャンネル更新と、コンスタントなリリースで着実にファンを増やしている。

今回のインタビューの主眼は、「小説の主題歌」という一風変わった試みから生まれた彼女の最新シングル「今夜、死にたいと思った。だから、歌いたいと願った。」の制作背景に迫ることだった。しかし、偶然にも彼女の生い立ちと小説の世界観に、かなり近しいものがあったので、まずは、その来し方を掘り下げたい。


―ご出身は長野県とお聞きしました。どんなところで育ったんですか?

実は、小学校1年生までは東京にいて、2年生のころに長野県の学校に転校したんです。そこから高校までが長野です。家の周りは田んぼとおうちがあるようなところで、車がないと生活できないような地域でしたね。

―小学校のときのクラスの立ち位置はどんな感じだったんでしょうか。

あまり目立つタイプでもなく、かといって地味かといえばそうでもなかったです。
勉強もスポーツも好きで、今よりも明るかったかもしれないですね。

―友達は多かったほうですか?

うーんと、4年生くらいまではあまり気にしてなかったんですけど、小学5年生から徐々に少なくなってきたような気がします。周りが変にませてきたのに馴染めなかったというか……(笑)。転校してきた時から、前の学校より男女がはっきり分かれているなあと思っていたので、薄々やりづらさは感じていましたが、高学年になってその感覚が強くなりました。

―年頃の子どもによくあるやつですね。なんとなくわかるような気がします。


普通に仲良くできたらいいのに、と思っていましたね。

―音楽とはどういうふうに出会っていくんですか?

4年生のときに、親が車でMDを流していたんですけど、そこで絢香さんの「三日月」を聴いたとき、すごくいいなと思ったんです。言語化できないけれど、メロディー、歌詞も本当によくて、これを自分で歌いたい、と思ったのが最初です。

―リスナーとしての人生が始まると同時に、シンガー的な芽生えもあったわけですね。

そうですね。さらにそこから転じて、今度は自分で歌を作ってみたいと思うようになりました。


―ソングライターとしての芽生えも同時に起こったと。歌を作るというのは、具体的にどうやって?

親に簡易的なボイスレコーダーを買ってもらって、そこに自分が思いついたフレーズをちょっと歌って録音したりして遊んでました。誰に見せるわけでもないんですけど、歌詞もノートに書いたりしてました(笑)。

―先ほどの話にあった、ちょうど学校で周りに馴染めなくなってきた小学校5年生というタイミングとも重なります。

今思えば、それがひとつの拠りどころみたいなものだったのかもしれませんね。

―ちなみにそのノートは、今でもとってありますか?

実家に行けばありますよ。
当時と同じ、机のカギ付きの引き出しに入ってます(笑)。

―中学校はどんな感じでしたか?

あまり馴染めていたとは、言えないですかね……(笑)。新しい人間関係が始まるときって、最初はすごく頑張っちゃうんですよ。明るく振舞って、周りに話を合わせちゃう。そうすると、流れでちょっと派手めなグループに入るんですけど、やっぱりついていけなくなっちゃうんです。

―部活とかには入っていたんですか?

小学校高学年のころから合唱クラブに入っていたので、中学でも合唱部に入りました。
あとは、姉も歌を歌うのが好きで、先に合唱部に入っていたというのもありました。

―お姉さんとは中学校3年生と1年生という関係だったんですね。合唱部でなにか印象に残っている思い出はありますか?

3年生の文化祭で、私がアコギで伴奏をして、みんなで歌うというのをやりました。

―合唱で伴奏がアコギって珍しいですよね。

はい。でも、うまくいったと思います。部員が30人くらいいたので、ギターにはマイクを立てて音を拾いました。

―曲はなにをやったんですか?

スピッツさんの「チェリー」です。

―そもそもギターを始めたのはいつだったんですか?

中学校2年生のときです。そのころからあい変わらずシンガーソングライターになりたいという夢を持っていて、”ギターは弾けたほうがいいんだろうな”と思ってたんです。そこで両親に、知り合いにギター持ってる人とかいない?と聞いてみたら、運よく親戚に使っていないモーリスのアコギを持っている人がいたんです。それを譲ってもらったのが最初です。

―最初はどうやって練習したんですか?

教則本を買ってきて、そこにコードが載っていた曲をひたすら練習してました。最初に覚えたコードはCですね(笑)。

―Cは開放弦も含まれるのでけっこう難しかったのでは。

難しかった。指にばんそうこう貼りながらやってました(笑)。

―楽器って、1曲弾けるようになるとどんどん上達していくものなのかなと思うんですけど、ギターも楽しくなっていきましたか?

楽しいというより、子どもっぽいですけど、ギターに関しては誰かに褒められたりするのが嬉しかったです(笑)。だから、目標がないと続かないと思ったので、文化祭の発表でギターの伴奏っていうのを考えたんです。

―なるほど。なんというか、すごくしっかりしてますよね。高校ではどうでしたか?

高校でも引き続き合唱部に入りました。

―高校に入ると軽音部があったりすると思うんですけど、バンドをやりたいとは思わなかったんですか?

あったんですけど、合唱の経験のほうが長いし、何より勇気が出なくてそっちをやろうかなと思ったんです。あっ、でも高校1年生のときにヤマハの3万円のアコギを買ったんです。というのも、きっかけになった絢香さんも、作曲のときだけピアノを使うというスタイルだったので、自分もアイデアを膨らませるためにギターでコードを弾けたりしたらいいなと思って。

―いよいよ曲作りが本格化していくわけですか。

いや、それが全然で……依然としてボイスレコーダーに自分の声を吹き込んでました(笑)。

―アイデアはあっても、それを形にするという作業までは進まなかったんですね。

うん。なんというか、やり方がわからなかったし、とにかく自分が音楽をやるということに対して、ずっと自信がなかったんです。シンガーソングライターになりたいという夢も、ほとんど他人に言えなかったですし。私、高校まではずっと周りの顔色を伺って生きていたんです。このあと大学に進みますけど、音楽がやりたかったから本当は進学したいとも思っていなくて。でも一方で、”大学生になれば自由に生きられるだろう”とも思っていたんです。

―関西の大学に進学して、ひとり暮らしを始めるんですよね。ご両親の反対とかはなかったんですか?

そこはなかったですね。大学に進学して欲しいし、ひとり暮らしは経験するべきだっていう意見でした。

―で、バンドを始めるんですね。

はい。やりたいことを一気にやり始めた感じでした。相変わらず作曲に対する自信はなかったんですけど、このタイミングしかないと思って、オリジナル曲オンリーの軽音サークルに入ったんです。そこで5人組のバンドを組みました。

―そこで人生初めての作曲ということになるんですか?

はい。入って3カ月後に発表があったので、いよいよやらなきゃという状況になって、1曲作ったんです。「そらのいろ」という、キーがAmの、ちょっと暗い曲でした。大学生活が始まって、初めてひとり暮らしを始めたときの不安みたいなものを歌った曲でした。メロディーはなんとなく覚えているけど、歌詞とかは忘れちゃいましたね(笑)。

―ライブハウスにも出始めたりしたんですか?

しました! 同じサークルのなかにシンガーソングライターの同級生がひとりいて、ライブハウスに出て活動しているというのを聞いて、すごい!と思ったんです。それでどうやったら出られるのかを聞いて、私も出るようになりました。最初に出たのは、京都のTRUSTというライブハウスでした。それから月に2回くらいは京都、大阪で出たりしてました。そのころからYouTubeにカバー動画やオリジナル曲を上げていったりして、今の活動に繋がっていく感じですね。

小説の登場人物の絵を描いてスタートした作曲

最新曲「今夜、死にたいと思った。だから、歌いたいと願った。」は、小説の世界観を題材に音楽を制作する「オトトモジ」というプロジェクトから生まれた。今回題材となったのは、『今夜、死にたいきみは、明日を歌う』という小説だ。これを題材に、どのようにして作曲に向かったのだろうか。

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小説紹介:
『今夜、死にたいきみは、明日を歌う』(此見えこ著、双葉社)
クラスであまり目立たないタイプの主人公「あかり」は、音楽の授業で自分の歌声を褒めてくれた男子生徒に密かに恋心を抱き、ネット上で匿名の歌い手「ともる」として活動を始める。ある日自分の動画が「バズり」、ネットで話題になると、普段あいさつすら交わさないような同級生たちの話題にもなり、教室で「ともる」の話をしている――。そんなあかり(≒ともる)を中心に、縦横に重なり合う5人の高校生の群像劇。
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―小説の主題歌というのは珍しいことだと思います。最初に聞いたときはどう思いましたか?

面白そう、と思いました。物語からイメージを広げて1曲を作るという経験もなかったので。

―小説を読んだ感想はどうでしたか?

主人公のあかりはすごく自分と似ているところがあるなと思いました。あと、5人の登場人物の群像劇なんですけど、全員性格も境遇も違うのに、抱えている葛藤とか悩みに全部共感できちゃうのがすごいなと思いました。

―私も読んだんですけど、灯橙さんをモデルに書いたのかな、とすら思いました(笑)。

本当そうですよね(笑)。作者の此見先生は私が見えてるのかなと思いました。

―さっきの灯橙さんの学生時代の話を聞いて、よりそう思いました。ちなみに物語の続きはどうなると思いますか? 主人公のあかりは歌い手としてネット上でじわじわバズっていくわけですが。

続き読みたいですよね(笑)。あのまま頭角を現していってほしい、と思いました。

―灯橙さんの好きなキャラクターはいますか?

月歩(つきほ)ですね。控えめな性格なんだけど、物語の後半になるにつれて自分を出そうとして変わり始める姿に、頑張れ~と思いました(笑)。

―ありがとうございます。ネタバレになるのでこのあたりにして……。そんな小説を題材にした「今夜、死にたいと思った。だから、歌いたいと願った。」の曲作りについてですが、どうやって小説からイメージを広げていったんですか? 普段の曲作りにはない作業だと思うんですけど。

最初にやったのは、登場人物が抱いている感情を洗い出して、それが誰に向けられているものなのかを、簡潔に整理するという作業を、5人分やりました。

―5人分の整理というのは具体的に。

ノートに書いたんです。歌い手としての「ともる」がいて、そこにこの人物はどう関わっているのか、みたいな。そのなかから、小説のなかの登場人物だけではなく、これは誰もが思うことだよねっていう部分を抽出していき、歌詞に繋げていく感じです。なんとなくのイメージで、登場人物の絵も描きました(笑)。こういう作業は初めてやりましたね。

―そのノートは、とても興味深い資料ですね……。ぜひ、このインタビューが公開されたあと、SNSにアップしていただきたいです。ちなみに、歌詞のなかに小説のキーワードになるようなフレーズも出てきます。

「ぐちゃるイヤホンコード」とかですよね。小説のなかで印象に残った単語や物とかは、書き留めたりしてました。けっこう、何回も読み込みましたよ(笑)。

声色を使い分ける理由

―「今夜、死にたいと思った。だから、歌いたいと願った。」は、イントロからAメロ、そしてサビへの各展開にハッとさせられます。これは、コード進行もそうなんですけど、灯橙さんの声色の使い分けによるものなのかなと思いました。Aメロは可愛い女の子っぽい感じなんですけど、サビでハキハキとしたかっこいい感じになります。

ありがとうございます。まさにそのイメージですね。今回に限らず、私の曲には「僕」と歌う曲もあれば「私」と歌う曲もあって、作るときにどんな人が歌っているのかをイメージしているんです。だから声色も変わってくるのかなと思います。

―この曲を歌うのに最適な誰かを作り上げるわけですね。

年齢とか、見た目もなんとなくイメージします。でも、しっかりイメージしすぎないようにはしてます。なんというか、強すぎるんですよね。聴く人が想像を広げられたほうがいいと思うので。

―今回はどんなイメージだったんですか?

作ったときは主人公のあかりちゃんのイメージで、年齢も中学生~高校生くらいでした。でも、この曲で歌っている感情って、10代の人だけが持っているものではなく、歳を重ねるにつれて深まっていったり、育っていくものだと思ったので、もう少し上の年齢の女の人というイメージもつけ加えました。

―そういう自分のなかでのモデルがいるのといないのでは、全然違うものですか?

う~ん、というか、いなかったことがないんですよね。昔からそうなんです。でも、最初は表現しきれなかった気がする。今もまだまだですけど。

―レコーディングのことについてです。今回からアレンジャーに安部潤さんを招いて行なわれたとお聞きしました。まずは安部さんにデモを渡すところから始まると思うんですけど、どういう状態で渡したんですか?

ギターで弾き語りしたものを渡しました。展開も、最後の転調からアウトロまでの構成を全部自分で考えたものです。ただ、録音はバンドなので、どんな楽器を使って、どんなフレーズにするかなどは安部さんにお任せしています。

―「最終的にこういうアレンジになったらいいな」というのを安部さんに伝えるんですか。

はい。いろんな曲を聴いて、どれがいちばんイメージに近いかというのを考えました。最終的には5曲くらい、「この曲のこの部分」っていうふうに細かくお伝えしました。

―プレイヤーの方々にリクエストを出すことはあるんですか?

ギターに関しては、流して弾くのか、刻んで弾くのかみたいなところはけっこう私からも意見を出して、試行錯誤していただきました。

―シンセが前に出るセクションが多いですけど、メロごとに曲調がガラッと変わるので、合わせ方が難しいのかなと思いました。

そうですね。実は、最初にできあがったシンセのアレンジは「平和すぎる感じ」がしたんです。たとえばAメロはちょっとコードが明るめなので、そこにさらに明るめのシンセが鳴ってしまうと、やりすぎ感が出ちゃうんです。そこのバランスに気をつけて、安部さんといろいろ探っていきました。

―なるほど。そういった面でも曲のテーマみたいなものが強調されていると知ると、より聴くときに深みが増しますよね。そう考えると、MVもいろんな場面で撮影されたシーンがありますが、ご自分で考えたものなんですか?

ビデオは昔からお世話になっている大阪の監督さんがいるんですけど、今回も一緒に話し合って構成を決めていきました。実は、最後の海のシーンは、当初の絵コンテの段階ではなかったんです。

―海のシーンは、けっこう辺りも暗くなってますよね。撮影的にも最後だったんですか?

はい。絵コンテどおりに撮っていったんですけど、「必死感」が足りないなと思ったんです。すがるような感情、というか。それで最後に、近くに海があるから入って撮ろう、となったんです。あそこがなかったら、MVとしてイマイチだったかなと思います。

―ジャケットもあのシーンの写真ですよね。

シンガーソングライター灯橙あかが語る、歌うことで見つけた「拠りどころ」

「今夜、死にたいと思った。だから、歌いたいと願った。」ジャケット画像

そうですね。曲のテーマでもあるんですけど、なにかにすがるような、自分の拠りどころみたいなものを表現したかったんです。うまくいかないことがあっても「これさえあれば大丈夫」っていう。私が感じた小説のテーマにも合っているし、なにより私にとっても歌というのは大切な拠りどころなので。

―ありがとうございます。最後に、ミュージシャンとしての今後の展望を教えてください。

去年まではコロナ禍でYouTubeなどネット中心だったけれど、今年からはライブで皆さんに歌をお届けする機会をいただけるようになってきました。そんな経験を重ねていくなかで、直接歌を届けることの大事さを強く感じてきました。会場の規模も少しずつ広げていって、ライブで魅せられるミュージシャンになっていきたいです。

―具体的に立ちたい場所はありますか?

あの~、ZEPP。ZEPPは行ったことがあるんですけど、あそこに立ちたいです。まだ遠いなとは思いますけど。

―ZEPPといっても何カ所かあると思うんですが……(笑)。

……すみません、どこかは考えておきます(笑)!

<リリース情報>

シンガーソングライター灯橙あかが語る、歌うことで見つけた「拠りどころ」


灯橙あか
「今夜、死にたいと思った。だから、歌いたいと願った。」
配信中
https://linkcloud.mu/6df59064

<ライブ情報>

バンド形式のワンマンライヴ『あのバス停で春を待つ』
2024年1月13日(日)渋谷 DUO music exchange

Official HP:https://toodaiaka81.bitfan.id/