ブルーノートはこれまでに山のようなコンピレーションを作ってきた。作っても作ってもどれも違うものになるし、ブルーノートのカタログがいかに豊かで、奥深いものなのかを思い知らされる。
CDサイズのたった70分に、このレーベルの魅力をすべて収めるなんて不可能だ。

そんな作業にブルーノートの社長ドン・ウォズがみずから挑んだ。レーベルの創立85周年を記念した『Blue Spirits: 85 Years of Blue Note Records』は彼らしい解釈で、ブルーノートの歴史を切り取った2枚組。現在の視点からブルーノートを聴くための最良の入門編にもなるだろうし、再検証をさりげなく促しているのもさすがだ。

そこで今回は、このコンピレーションを切り口に、ドン・ウォズが今考えているレーベル観や社長としての運営論について話を聞いた。今、ブルーノートは再び最盛期を迎えている。そんな状況を作り出したドンに、その内実をたっぷり話してもらった。

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―『Blue Spirits』の選曲は、どんなことを考えて選んだのでしょうか?

ドン:とにかく大変だった。君(柳樂光隆)もブルーノートのコンピレーションを作ったことがあるからわかると思うけど、もし鳥越(ユニバーサル ミュージックのA&R)からの電話が1週間遅かったら、また違う選曲になってただろうね。あれが”あの週の僕の気分”だったということだ。

2枚のCDに収めるなんて不可能だよ。でも、なんとなくの”感じ”は伝わると思う。
聴き手それぞれの体験になってほしいと考えたんだ。いろいろ混ぜすぎて、誰一人として満足できない、というのは避けたかった。それで、1枚目はトラディショナルな古めの曲で一貫した雰囲気を出そうとして、曲順にもすごく気を使った。気分を上げるような、メリハリのある、一つの体験として聴けるような曲順を考えた。そして、それと同じことを2枚目では現代の曲でやろうと思ったんだ。選曲には本当にこだわったので、ぜひアルバムを通して聴いてほしいね。もちろん、ランダムでストリーミングしても構わないけど。

―ブルーノートはいい曲しかないので、CD2枚にまとめるのは大変ですよね。

ドン:大変なんてもんじゃないよ(笑)。でも、この2枚を聴けば、なぜブルーノートが歴史上、最も素晴らしいジャズレーベルなのかがわかるはずだ。それは1939年の誕生以来、今日に至るまで続く理念なんだ。ブルーノートのアルバムを際立たせる特徴の一つは、ブルーノートが契約するアーティストは全員、過去の歴史を徹底して学び、音楽の基本をマスターしたうえで、その知識から全く新しいものを作り出したという点だ。
つまり彼らは限界を押し広げたんだよ。ブルーノートには、ジャズの歴史の博物館のようなレーベルになってほしくない。常に革新的でいてほしいんだ。今回の2枚を聴けば、過去85年間に出たブルーノートのアルバムに脈々と続く実験精神と革新性を感じてもらえるはずだよ。

「音楽を愛する人間が最後に残る」ブルーノート創立85周年、社長ドン・ウォズに学ぶレーベル運営論

Photo by Myriam Santos

―実にあなたらしい選曲だと思う曲がいくつかあるので、それについて聞かせてください。カサンドラ・ウィルソンの曲を選んでいますよね。ブルーノートの歴史において彼女はどんな存在だと思いますか?

ドン:非常に急進的なことをしてのけたと思う。誰もがよく知る曲を、独自の方法で生まれ変わらせ、その曲に対する新たな解釈を作り出したんだ。唯一無二のシンガーであり、いくつもの音楽スタイルを組み合わせた。その影響力は絶大だったと思う。カサンドラ・ウィルソンに大きな影響を受けた1人にノラ・ジョーンズがいる。彼女がブルーノートに持ってきた最初のデモテープにはハンク・ウィリアムズのカバー(「Cold Cold Heart」)があった。
言ってみりゃ、カントリーソングだよ。「君はジャズシンガーなの? ポップス? カントリー? ハンク・ウィリアムズ?」と怪訝がられた彼女は「カサンドラ・ウィルソンも歌ってたじゃん。ジャズシンガーがカントリーを歌っちゃいけないなんてことはないから」と答えたという。実際、1stアルバムを作り始め、ノラがプロデューサーにクレイグ・ストリートを指名したのは、カサンドラ・ウィルソンのハンク・ウィリアムズ楽曲をプロデュースしたのが彼だったからだ。彼なら意図を理解してくれると思ったからさ。音楽の歴史にとって、ブルーノートにとって、ノラ・ジョーンズの1stはゲームチェンジャーと呼べる1枚だったわけだが、カサンドラ・ウィルソンの存在がなかったら、違うものになっていたと思うよ。

―ステフォン・ハリス「Black Action Figure」を入れた理由はなんですか?

ドン:素晴らしい曲だからさ。特にこの曲を収録したアルバムでのステフォンは恐れを知らず、ガイドライン内に留まるのではなく、壁を崩そうとしている。これに限らず、ブルーノートで彼が残した作品はどれも革新的だね。聴けば彼だとすぐにわかるのは、彼みたいなことをする人間が他にいないからだ。音楽に対して、いかにパーソナルにアプローチするか……このアルバムの全員に共通して言えることだが、誰もが自分の”声”を持っているよ。声は歌うためだけじゃない。
強烈な個性を持つ優れたストーリーテラーのことを言うんだ。ステフォン・ハリスがいなかったら、今日のジョエル・ロスはいなかっただろうからね。

―ステフォン・ハリスはロバート・グラスパーの1つ前の世代として、グラスパーたちがやることを準備した人でした。でも忘れられがちな存在ですよね。

ドン:同感だ。だから、彼を入れたかったんだ。他のミュージシャンへの影響はものすごく大きい。何もヒップホップとジャズの要素を一緒にしたミュージシャンは、ロバート・グラスパーが初めてではない。ステフォンも、ロイ・ハーグローヴもやっていた。ただし、ロバートが『Black Radio』でやったようなことをやった人間がいなかったんだ。彼は自分の方法を見つけ、それが音楽の世界を一変させた。どんな高校、大学のジャズ・プログラムでもロバート・グラスパー編曲の「Afro Blue」が演奏される。
誰もがあれをグラスパーの曲だと思っている。まだコルトレーンを知らないからね。作曲者であるモンゴ・サンタマリアもまだ知らない。でもグラスパーのバージョンは知っている。そうやって彼は若いミュージシャンのジャズのアプローチ方法を変えたんだ。ロバートがいなかったら、ドミ&JD・ベックもいなかった。でもドミ&JDがやってることはロバートとは違う。ロバートはあくまでも道を切り拓いたんだ。

―改めてブルーノートのカタログを隅々まで見て、悩みながら選曲してみて、ブルーノートに関して、発見したこと、もしくは気付いたことはありましたか?

ドン:知ってたはずなのに、すっかり記憶から消えて忘れてしまっていた作品を、40年ぶりに聴いて思い出した、ということはしょっちゅうだったよ。ホレス・シルヴァーの『The Jody Grind』も久しぶりに聴いた。『The Cape Verdean Blues』『Song For My Father』に続くアルバムで、彼のものでは最もファンキーな、いわばハードバップのファンキーな一面が表れたアルバムだ。決して人気が高いと言えないが、本当にいいアルバムだし、バンドもジェームス・スポールディング、ウディ・ショウと最高なんだ。
「なんでもっと人気が出ないんだ?」と不思議だったので、Tone Poetシリーズ(2019年に立ち上がった、ブルーノート作品の180g重量盤LPリイシュー企画)をやってるジョー・ハーリーに電話をして確認した。話にはあがったらしいんだが、やはりTone Poetで出してはいなかった。そんな驚きもあったよ。

―なるほど。

ドン:偉大なる故マイケル・カスクーナ(ブルーノート研究の第一人者、2024年4月に死去)はブルーノートで行なわれた全セッションをカタログ化していた。彼の本を読んだことがあるかな? 1000ページ近い大著だ。たまに僕はそれを開くんだが、どのページを開いても必ず何か面白いことが書かれている。驚くこともね。

例えば、ウェイン・ショーターが「Speak No Evil」のセッションの1カ月前、エルヴィン・ジョーンズの代わりにビリー・ヒギンスをドラムに据えて、一度レコーディグをしていただなんて、僕は知らなかった。「Speak No Evil」には別バージョンが存在するんだ。同様に、ハービーが『Maiden Voyage』の曲を違うバンドで録ったバージョンも存在するらしいが、誰も聴いたことがない。今、テープを探しているところだ。聴いてみたいじゃないか。まるで別の宇宙が存在するようなものだ。

でも残念ながら「ちょっと下に行って探してくる」と言えるほど簡単な話じゃなくて、アメリカの反対側の保管庫の山の中……いや、実際に山奥にあるんだが……火や温度に損傷されないよう、湿度が保たれた保管室のテープの山に埋もれてる。探すのに時間はかかるだろう。見つけてもすぐにテープレコーダーにかけられるわけじゃなく、テープを焼いて酸化物の裏側が剥がれないように注意深く扱わないと。経年劣化もあるので、再生できる回数は限られている。他にも保管庫にはたくさん眠っているはずだ。

―大変な作業になりそうですね……。

ドン:1984年にマイケル・カスクーナがブルーノートの旧譜を出すようになった時も、全部が出せていないのは、それらの(質が)劣っているからではなく、あまりに量が多すぎたからだと思う。ウェイン・ショーターなんて1964年から1966年だけで、10枚近いアルバムを録音してるんだ。全部出せるはずがない。マイケルは頑張ったが、それでもまだ世に出ていないもの、世に出すべきものがたくさんあるんだよ。

そんな中で最大の発掘は、4年くらい前にリリースしたアート・ブレイキー『Just Coolin』だ。最初に世に出たのは、このスタジオ盤を録った1カ月後、同じ曲をライブでやったバージョンだったわけだが、きっと「ライブ・アルバムの方がいい」とスタジオ盤は忘れられてしまっていたんだろう。なので、もし本気で保管庫を探し尽くしたら、そこにはまだまだサプライズがあると思うよ。

ジャズとヒップホップは相思相愛

―これはあまり語られないことですが、ブルーノートの偉大さの一つに「コンピレーションで自身の新たな価値を再提示してきたこと」があると僕は考えています。こんなにたくさんコンピレーションをリリースしてきたレーベルは他にありません。そのことについて、どんな印象を持っていますか?

ドン:一般的に、人々はジャズを誤解していると思う。平均的な人たちはジャズを怖がっている。3年間、大学でジャズの音楽論を勉強しないと、ジャズを楽しめないと思っている。それは全く正しくないわけで、何も知らなくたって何だって楽しめるのが音楽だ。曲を聴いて、グッとくるかこないか。こなければ別の曲を聴いてみろ。そっちの方が君に向いているのかもしれない。

―間違いないです。

ドン:ブルーノートには何千枚というアルバムがあり、そのどれもが違う1枚だ。コンピレーションは音楽に対する恐怖心を取り払ってくれるのだと思うよ。ジャズに限らず、音楽リスナーを集めてリサーチをすることがある。「ジャズはお好きですか?」「ジャズは嫌いだ。ジャズは大学教授の音楽だ」……でもリー・モーガンの『The Sidewinder』を聴かせると「ジャズは嫌いだが、これはなんだ? ジャズがこんなだとは知らなかった。これは好きだ」と言うんだ。そんなふうにコンピレーションは、さらに聴いてみようと思わせる、音楽の入り口を提供する。今回のコンピレーションを聴いて、気にいる曲が1曲もないことはありえないよ。誰もが最低1曲は好きな曲を見つけられる。時代を超えて色々な音楽が入っているからね。「この『Ceora』って言うのはなんだ? リー・モーガン?」……そしてそこからさらに知っていくんだ。

―ブルーノートに関しては、ジャイルス・ピーターソンのようなDJが影響力のあるコンピレーションを作ってきました。それも重要だったと思うんですよ。

ドン:前もってプランを立てて起きたことではないんだが、ブルーノートのアルバムには最高のドラムブレイクを持つ曲が多かったということさ。ヒップホップが最初に生まれた時、若者の多くが楽器は買えないがターンテーブルは持っていた。彼らが行き着いた先が、最高のグルーヴのドラムブレイクを持つブルーノートのアルバムだった。ヒップホップのルーツがどこにあったか、それをそれらのコンピレーションは示している。つい先日、ラリー・マイゼルの80歳の誕生日で、ア・トライブ・コールド・クエストのアリ(・シャヒード)とエイドリアン・ヤングに会ったんだ。

『Jazz Is Dead』の?

ドン:ああ、その2人さ。彼らは言ってたよ。「ラリー・マイゼルが兄弟で作ったアルバムがあったから、自分たちはそれをサンプリングして、ヒップホップのレコードを作れた」とね。そういったことは意図的に起こることじゃない。誰も30年後、どうなっているかなんてわからない。でも事実として、ヒップホップの深いルーツにブルーノートがある。だからマッドリブやジャイルズらDJたちはそこに惹かれ、好んでリミックスした。マッドリブが『Shades of Blue』を作ったのも、かつてのミュージシャンたちに”借り”があると思ったからだ。

―『Shades of Blue』だけでなく、最近ではマカヤ・マクレイヴン『Deciphering The Message』のように、アーティストが自由に扱えるサンプリングソースとしてレーベルの音源を委ねていましたが、これもまた珍しい例だと思います。

ドン:大好きな作品だよ! マカヤには僕から連絡をして「どうかやってくれ」と頼んだんだ。素晴らしいことだと思う。そうやってジャズの新しいファンが開拓され、やがてウェイン・ショーターまで浸透する。「あのループの起源は?」と皆、知りたいと思うようになるんだ。

―ブルーノートはDJやサンプリングに寛容ですよね。

ドン:DJたちには感謝しているんだ。彼らがブルーノートの音楽を、そして多くのミュージシャンを生かし続けてくれたわけだから。ルー・ドナルドソンの「Ode To Billy Joe」からのブレイクビートで彼は食えていると思うし、ロニー・フォスターもあの1曲(「Mystic Brew」)が100万回はサンプリングされている。ロニーは今もブルーノートだよ。彼と契約し直したんだ。ジャズの連中たちにヒップホップの連中は本当良くしてくれた。というか、相思相愛なんだ。

―とはいえ、これだけ長い歴史がありながら「音源すべてを自由に使ってアルバムを作ってください」なんて寛容さをもつレーベルは他にない気がします。

ドン:たしかに。でもDJたちが僕らに良くしてくれてるんだよ。だから僕らが寛容だとは特には思わない。若い人たちが音楽を愛してくれて、そこから新しい何かを作りたいと思ってくれることに感謝している。そもそも、それがレーベルの伝統なんだ。すでに存在するものの中から、新しい何かを生み出す。その手法はリミックスでも、オーネット・コールマンのハーモロディックのように演奏を始めるのでも同じこと。ソニー・ロリンズは僕に「ビバップ時代に最も近いと感じるのはヒップホップだ」と話してくれた。メンタリティが一緒だと。もしチャーリー・パーカーが今生きていたら、ヒップホップをやっていただろうとね。

大切なのは国やジャンルでなく「魂の物語」

―コンピレーションを作って文脈を提示したりするのもそうですが、ブルーノート・オールスターズとしての作品を定期的に制作したり、いろんな手法でレーベルのブランディングを推し進めている。残された音源の価値を高めることに、ここまで力を注いできたレーベルは他にないように思います。

ドン:僕らの仕事は、なるべく多くの人に音楽が聴かれるようにすることだ。だからミュージシャンはブルーノートと契約する。僕らは、レコードを作るのを助け、制作費用を出し、音楽に多くの注目が集まるようにする。リリースして半年で仕事が終わるわけじゃない。80年前に録音された音楽に対しても同じことをしている。レーベルとはそうあるべきなんだ。そのことに気づいてくれて、いい仕事をしていると思ってもらえるのは感謝する。でもそれが僕らの仕事なんだよ。僕が社長として雇われたのもそれをやるためなんだ。

ただし! 生涯通じてのブルーノート・ファンとして言えることが一つある。ブルーノートというブランドには、確かに特別な何かがあるよ。クールな気分にさせられるんだ。

―ははは、たしかに(笑)。

ドン:レコードを聴いているだけで、クールになれるのさ! マーケット・リサーチでブルーノートに対するイメージを尋ねると、大抵返ってくるのは「integrity(高潔さ)」「intelligent(高度な知性)」「cool」の3つだ。悪くないね。でもそれは僕の功績じゃない。85年以上かけて培われたものだ。そのイメージを壊さずにこれたことは誇りに思うよ(笑)。

「音楽を愛する人間が最後に残る」ブルーノート創立85周年、社長ドン・ウォズに学ぶレーベル運営論

Photo by Myriam Santos

―ブルーノートはラテンジャズとの関係も深いレーベルで、アメリカにおけるアフロキューバンジャズを語るにはブルーノートの名作は欠かせません。アロルド・ロペス・ヌッサ、アルトゥーロ・オファリルと近年になって契約したのも、そこから連なるものと言える気がしますが、どうですか?

ドン:正直な話、両者は別のものだとは思っていないよ。5年間ほど続けたブルーノート・クルーズにアロルド・ロペス・ヌッサは弟とのトリオで参加してる。彼のライブを見ると、彼の人柄も音楽も好きにならずにはいられない。でも「ラテンジャズ・アーティストが必要だ」ではなく、「最高だ。ブルーノートでレコードを作るべきだ!」というだけなんだ。ブルース(・ランドヴァル:1985年のブルーノート復活から四半世紀にわたって社長として活躍)がチューチョ・バルデスと契約したのも、きっとそうだったろう。

僕はアルトゥーロ・オファリルとは良い友人だ。素晴らしい社会活動家でもあり、彼が音楽を作る目的の一つは、この世界をより良い場所にして、人を結びつけることだ。普段から音楽を金を払って聴けない人たちに、音楽を届けようと、たとえば近所のコインランドリー店の前とか、小さなマーケットの前に楽器をセッティングして、コンサートを行うのさ。曲からも演奏からも、そんな彼の美しい心が伝わり、何かを一緒にやりたいと思わせるんだ。でももし彼の音楽が、四分音を使ったアラビアの音楽だったとしても、何ら違いはない。ハートとソウルが美しいというだけ。だからジャンルでは分けないよ。

―なるほど。

ドン:ジョニ・ミッチェルが話していたが、晩年のチャールズ・ミンガスはチャーリー・パーカーとあと数人の音楽しか聴かなかったそうだ。というのも、彼は「真実を語るミュージシャンの音楽しか聴きたくない」と言い、それが見せかけの、強いられて作った嘘かどうかがわかったという。死を前にして、心からの音楽以外、聴く忍耐力はなかったんだ。

僕の思いも、チャールズのそれにちょっと近い。ラテンジャズかどうかとか……確かにンドゥドゥーゾ・マカティニは優れたアフリカンジャズだが、結局は心に触れるものがあるかどうかだ。もしなければ、リリースはしない。あれば、どの国の音楽だろうと関係ないし、人がジャズと呼ぼうが呼ばなかろうが、僕は気にもしない。そもそもジャズって言葉の意味すら、わからないくらいだ。言葉の奥にはある種のスピリットがあるにはあるけれど。たとえば今回のコンピレーションも、カテゴリーとしてはジャズなんだろうが、曲はそれぞれに全然違う。ある種の生き方、考え方……重要なのはその人が魂から真実を語り、物語を語っているかということなんだ。

―今回のコンピレーションでもンドゥドゥゾ・マカティーニの曲を選んでますね。彼のどんなところがお好きですか?

ドン:彼のやることすべて好きなんだが、この1曲(「Amathongo」)にそれが凝縮されている。ブルーノートにいるミュージシャンの音楽の本質は、アフリカから来たものだ。アフリカからやってきた人たちと共にアメリカに渡った。そしてアメリカに住む人間がそれを吸収し、手を加えた。マッコイ・タイナーもその1人。そのマッコイ・タイナーを聴いて育ったンドゥドゥーゾがやっていることは、アメリカ人がアフリカの音楽にやったことを再解釈し、さらなるアフリカの要素を加えることだ。彼の音楽には、アフリカの宇宙論……すなわち、自然への感謝、意識、祖先とのコミュニケーションと密着に結びついている部分がある。それこそがアフリカの哲学であり、彼の音楽の根本だ。アフリカ音楽ではあるけれど、アメリカでの体験を経て、一周して戻ってきたアフリカ音楽ということさ。彼は深い心の持ち主で、ミュージシャンであると同時に哲学者であり、先生だ。そんな彼の精神が音楽にも表れている。世界中で人気があるし、彼を理解するのにアフリカ人でなきゃダメってことはないんだ。

ミシェル・ンデゲオチェロとの契約も近年の大きなトピックでした。彼女はずっと素晴らしいんですが、ブルーノートとの契約以降、再びピークを迎えているように思えます。

ドン:彼女とは30年前からの知り合いだし、仕事もした。彼女の作品は全て聴いている。僕もベースを弾くんでね。彼女は歴史上、最も優れたベーシストの1人だと思う。彼女は深く掘り下げるんだ。彼女のグルーヴもトーンも本当に深みがあって……ベースを弾くことに関して、彼女に根掘り葉掘り聞いたことがあるよ。無料レッスンを受けさせてもらうチャンスだ、とばかりにね(笑)。

元々、周囲は彼女をポップスターに仕立てようとした。デビュー当時はMTVの常連だった。でも彼女はそのことで自分を決めつけさせることなく、ポップスの限界に挑戦し、音楽的に勇敢で独創的な選択をし続けたんだ。どんな時も。彼女の作品を聴けば、すべてそうだ。今まで聴いたことのない音がそこには常にある。

今回のコンピに収録した「A Consequences of Jealousy」はロバート・グラスパーの曲で彼女が歌っているものだが、この『Black Radio』は僕がレーベルの社長に就任して最初に出した作品の一つだった。あるプレス向けのイベントで、僕がミシェルとロバートにインタビューをして、曲をかけるということをやったんだ。あの曲がかかった瞬間、それまでにも聴いていたにも関わらず、まるでLSDでもやったみたいにぶっ飛んだんだよ。あんなのは初めてだった。彼女のボーカルは全てを超越していて、神秘的で美しかった。イベントが終わって、引っ込んだ裏のキッチンで僕は彼女に言った。「ブルーノートでレコーディングしてくれ。君みたいな人はいない」。彼女も興味を示してくれたが、別のレーベルと契約をしていて無理だと言うから「その契約が切れたら連絡をくれ」と言っておいた。それから数年後、契約が切れた時点で連絡をくれたんだ。彼女のなかで、3枚のアルバムのプランもすべて出来上がっていた。僕は「いいね」と言った。

ミシェルに口出しなんてしない。誰もできない。すべて彼女の表現の自由。というか、ブルーノートのアーティストはすべてそうだ。少なくとも僕から彼らに何かを言ったことは一度もない。信頼できるアーティストを契約したなら、彼らが自分でいられる自由を与えるだけ。ミシェルが新しい高みの偉大さに達したという君の意見に、僕も同感だよ。ここ2枚のアルバムはとにかく凄い。日本でも彼女のジェイムス・ボールドウィン(に捧げるアルバム)のライブが実現してほしい。本当に素晴らしいんだよ。きっと行くと思うがね。

リスナーを信じること、音楽を愛すること

―「音楽を売る」という話になると、最近はTikTokやInstagramへの対応、アルゴリズムの攻略などが盛んに語られますよね。ブルーノートが扱っている音楽は、必ずしもそういった状況と相性がいいわけではなさそうな気がしますが。

ドン:確かに、TikTokはブルーノートに何もしてくれてない……。

―ですよね。

ドン:若手のドミ&JD・ベックはうまく活用してると思うけどね。でも何より、まずはいい音楽を作らないと。考えるべきはそのことだ。先にInstagramやTikTokのことを考えるな。”15秒聴いたら次に移られる”ことを考えるな。そうではなくて、自分に作れる限り最良の、心からの音楽を作ってほしい。そうしたら、あとは僕ら(レーベル)がやれる限りのことをして、人々に探してもらえるようにするから。TikTokやInstagramにアップすることも含めてね。

実際、ブルーノートのInstgramにも50万近いフォロワーはいるし、情報を届ける手段として悪くはないと思う。NYまで飛行機で行ってテレビ番組に出るよりも楽だし、ずっと直接的だ。なので、僕は決して否定的ではないよ。ただ、それに合わせて音楽を作ってはならない。今の時代、レコードが25000枚売れれば凄いって言われることを考えれば、10秒で42万5千人に届けば、御の字じゃないか!

―「とにかくいい音楽を作ってくれればいい」と。つまり、あなたはリスナーを信用しているってことですか?

ドン:ああ。100%信じている。ブルーノートで働くようになる前から、僕は40年間プロデューサーとしてやってきた。ヒット作が欲しくなかったわけじゃない。僕だってヒットさせたかった。ところがラジオでかかってる曲を真似るたび、クソみたいなものになった。だから、そんなふうに考えるのをやめ、ただ真実を語らせようとしたらうまく行ったんだ。全然流行に沿ってなかったとしてもだ。

僕のプロデューサーとして初の大ヒットはボニー・レイットだ。彼女とは4枚作ったが、最初の『Nick of Time』はグラミーの最優秀アルバム賞を獲得した。1989年のことさ。40歳の女性がスライドギターを弾きながら歌うアルバム……ボニーは流行とは真逆だった。でも彼女は真実を歌っていた。ロックンロールのイディオムで「40歳になって、子供を産むにはもう自分は歳を取りすぎたかもしれない」と不安な本音を歌った初めての女性だった。それまで40歳の女性は18歳のふりをせねばならなかった。でも彼女はそうすることなく、すべての流行に逆らい、真実を語り、それに人々が応えた。800万枚の大ヒット作になり、誰もがああいうアルバムを真似て作り始めた。僕のところにも突然、女性ブルースのプロデュース依頼が舞い込んできた(笑)。

―ははは(笑)。

ドン:それはともかく、僕が言いたいのは、音楽の真実を見つけるだけの知性とセンスとオープンマインドさがリスナーにはある、と心から信じているということ。リスナーを見下し、レベルを下げたものを作る必要なんてどこにもない。アーティストは他人になろうとせず、自分そのものを表現すればそれでいい。他とは違う能力や資質があるからこそ、アーティストなんだ。その違いを大いに強調し、生かすべきだよ。

僕は個人的にテイラー・スウィフトをよく聴いてるわけじゃないが、彼女の音楽が世界中の、異文化の、英語も話さない人たちに共感を呼んでいる事実は認めている。ドイツかどこかのスタジアムのショーを(山に登ってタダで)見るために数万人が押しかけた写真、あんな光景は初めて見たよ。あそこまで共感を呼ぶアートを彼女が作って、それに人々が反応したというのは素晴らしいことだ。アーティストはそれを目標にすべきなんだ。

「音楽を愛する人間が最後に残る」ブルーノート創立85周年、社長ドン・ウォズに学ぶレーベル運営論

Photo by Myriam Santos

―あなたはプロデューサーを長くやってきて、今はレーベルオーナーで、音楽ビジネスの厳しさも熟知していますよね。でも、今の話もそうですが、あなたが話す様子は「高校生や大学生が夢を語ってる」みたいに見えるんですよ。どうしたら、そんなにピュアなままでいられるんでしょうか。

ドン:青臭く聞こえるかもしれないが、シニカルになってしまったらおしまいだよ。特にクリエイティブな人間はね。音楽業界も同じだ。僕が音楽を作り始めて45年ほど経つが、レコード業界の嫌な連中を大勢見てきた。でも彼らはみんな消えたよ。そういう奴らは長続きしないんだ。長く残っているのは音楽が好きで、音楽のために仕事している人間たちだ。

レコード会社に対してシニカルなことを言う人は多い。僕もブルーノートに雇われるまではそうだった。これが僕にとっては初めての「仕事」なんだ。音楽を作ったり、スタジオでレコーディングするのを「仕事」だと思ったことがない。あれは楽しくてやってたこと。なので、ブルーノートの社長になったのが最初の仕事だ。それまでハゲ頭のオッサンが葉巻を燻らしながら、人の金を盗んでるのがレコード会社だというイメージだったが、そうじゃない。ここにいるスタッフの大半は20代、30代の音楽が大好きな若者で、遅くまで仕事をしてるんだよ。今、東京は何時だ?

―朝の10時半ですね。

ドン:こっち(ニューヨーク)は18時半だが、僕以外の全員がまだオフィスにいるよ。23時くらいまでいるやつもいる。彼らはレコードを出すために仕事している。一度もアーティストに会わない連中だっている。ただ音楽が好きなだけだ。そういった若者たちがレコード会社を作っている。だから会社を経営する人間もそうであるべきだ。音楽を愛する人間が最後に残る。シニカルな連中は手っ取り早い成功を手にするかもしれないが、数十年後にはいなくなっているよ。

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