これまでも提示してきたユニークなコラージュのセンスや実験性、多彩なボーカル表現が研ぎ澄まされつつも、ここにはフォークやカントリーの影響も強く感じるサウンドやメロディー、さらにはバンドとのセッションも瑞々しくパッケージされている。新たな領域へと足を踏み入れたサヤ・グレーに、本作『SAYA』について、きっかけとなった日本での旅も振り返ってもらいながら、その旅の際に実現した常田大希(King Gnu/MILLENNIUM PARADE)との交流の話や、ビートルズやレッド・ツェッペリン、ジョニ・ミッチェルからの影響など、たっぷりと語ってもらった。
─まずは過去の作品について教えてください。2022年に世界を驚かせた最初のプロジェクト『19 MASTERS』から、2023年と2024年の二部作のビジュアル面での表現を含むEP『QWERTY』『QWERTY II』と、毎年リリースを重ねてきました。デビューアルバム『SAYA』を完成させた今、それら3つの作品にはどのような意味があったと感じますか?
サヤ:以前の作品はどちらかと言うと実験的な感じで、ヒップホップをMPCでプロデュースしているようなものだったから、実体のある曲というよりビートの集まりというか。だから初めて”まともな”アルバムを作った、やりたいことをやったような気がしてるんです。曲をフルで書いて、スタジオに行って、スタジオでアルバムをまる1枚レコーディングして。『QWERTY』シリーズは私がMPCを使って、移動しながら作っていったような感じのミックステープに近い感覚の作品だったけど、今回は楽器も使っているし、バンドとも一緒にスタジオに入っているんです。
─『SAYA』はこれまでとは大きく異なる作品であると。
サヤ:今回は”レコードのプロデュースの仕方”を本格的に学ぶことができた気がしているんです。それまではヒップホップのサンプリングみたいな作り方をしていたけど、今作ではスタジオにもエンジニアと一緒に入っていて。通常は全部自分でやるんですけどね。
プロデューサーとしてはものすごい快挙を成し遂げたと思っています。曲を作って、書いて、楽器も全部実際に演奏したもので、プロデュースもして……というのは、少なくとも私にとってはものすごく大きな変化。かなりチャレンジングだったけれど(笑)。
─DIYの経験があると何をすべきかわかってくるでしょうから、スタジオ仕事もやりやすかったのではありませんか?
サヤ:その通り。もしかしたらこれまでの作品はフル・アルバムをプロデュースするための練習だったのかもしれませんね。
─『SAYA』の制作のプロセスについてもう少し詳しく教えてください。資料には「2023年に自身のルーツである日本を訪れ、まるで映画の主人公のように一人旅をすることで、精神的なしがらみから解き放たれた」とあります。つまり2023年の日本への旅が本作の起点になっているのでしょうか?
サヤ:ええ、間違いなく。
曲は3カ月の間に書いたんです。サイズがちょうど私の腕くらいの長さの、小さな日本製のフェンダーを使ってね。旅の道中ですべての曲を書いて、トロントに戻ってレコーディング、という流れです。
─これまでも日本を何度か訪れているあなたにとって、なぜその旅が本作のきっかけになったのでしょうか?
サヤ:悲しみや喪失、一つの恋愛関係の終わりについて書いて、アルバム(の曲作り)を完成させたいと思って。ギターを使って、曲をフルで書きたいってね。そう決めていたんです。昔からやりたかったことだったけど、いつもサンプリングをやって終わっていたから。
─旅にギターを持っていったんですね?
サヤ:そう。というか、渋谷で買ったんです(笑)。小型のやつをね。
─渋谷で! 日本では静岡以外にも滞在していたんですね。
サヤ:京都にも2週間くらい滞在しました。東京にも少し滞在して、それから日本を旅して、その後カリフォルニアに行って、サンフランシスコからカリフォルニア州南部までずーっと下りて。クリスマスまでの興味深い3カ月間だった。
─東京といえば作品の話から少し脱線しますが、NMEによるKing Gnuのインタビューで、常田大希さんがあなたを介してダニエル・シーザーと知り合った、と話していました。あなたも一緒にセッションしていたのかと思いますが、常田さんとの出会いやセッションの光景について聞かせてもらえますか?
サヤ:面白いことに、大希は母のお気に入りアーティストの一人なんです。彼に出会ったときに一緒に曲を作って、誰に参加してもらおうか話し合っていたときに「ダニエルなんてどう?」と私が提案して。ダニエルとは長い付き合いで、何年も彼のバンドでベースを弾いてきたから。
大希は東京のカルチャーのハブみたいな存在だと思っているし、西洋のアーティストとコラボするのは素晴らしいことですよね。そろそろ世界に知られるべき時が来ている。大希も完全な自己プロデュース型で、同じ「言語」を話す……何となく解るんです、彼の言いたいことが。彼もいろんな楽器を演奏するし、何でもやるから、出会ったときも「うわぁ、自分とすごく似ている」っていろんな意味で感じて。彼はすごく謙虚で、才能に溢れているから、いい意味で自分のケツを叩かれる気がするんです。
ダニエル・シーザー出演のTiny Desk Concertでベースを弾くサヤ(2018年)
─なるほど。話を戻しますね。その旅であなたはどのように過ごしていたんですか?
サヤ:孤立した状態で過ごすのがメインでした。物思いにふけることが多かった。プロデュースしないことを自分に強いていたからね。
─プロデュースせずに作り上げた作品なんですね。しかし、それにも関わらずストーリーを感じる作品に仕上がっています。ご自身から見て、プロデュースしないことを強いた今作はどのような作品になったと感じていますか?
サヤ:「終わり」についてのアルバム、と言えるかもしれません。いろんな「終わり」があった。恋愛が終わったり、自分の生活パターンの中で終わらせるべきものを終わらせたり。それに、アルバムを一つの旅のようにしたかった。一つのロード・トリップ。始まりのワクワクから悲しみ、ハートブレイク、怒り……感情を網羅したものにして、自分自身や他人との関係を断ち切るのはどんな風に見えるかを表現したかった。感情のサイクルを一巡する旅を。聴く人もその旅を感じて、車に乗り込んでロード・トリップに繰り出したくなるような。
兄とバンドメンバー、ツェッペリン、ジョニからの影響
─先ほどDIY的な過去の作品の話がでましたが、特に『19 MASTERS』はツアー中にGarageBandを使ってほとんど予算をかけずに作ったそうですね。
サヤ:『19 MASTERS』はほとんどボイスメモのような作品でした。iPhoneのアプリみたいなね。
─すると先ほど話にもあった、制作環境の変化の影響は大きいですよね。
サヤ:ええ。すごくハイテクになった(笑)。スチュには(エンジニアリングだけでなく)ミキシングもお願いしているんです。ファンタスティックな人だからね。そして実際、素晴らしい仕事をしてくれた。ステムデータの数も信じられないくらい多かったし。効果音もすべて書き出したから、ものすごいボリュームのセッションで! ギターだけでも200トラックあったりね(笑)。ボーカルも50トラックくらい。信じられない量でしょ(笑)。でも、レジェンドたちがやってきたように、私の大好きなアルバムと同じようにレコーディングしてみたかったから。レッド・ツェッペリンやジミ・ヘンドリックスみたいにね。音も生で録りたかったから、大半は生で録音して、オーバーダブを施しているんです。
─理想を現実にしていったんですね。
サヤ:そう。どんなサウンドになるか、既にわかっているような気がしました。フィーリングもエネルギーもサウンドも既に出来上がっているような。普段はカオスですごく忙しい状態で作っているけど、今回の制作期間は私にとって全く違う時間になった気がする。落ち着いて、物思いにふけりながら、アルバムを作る必要があって。すごくエネルギッシュな人間だから、それは私にとってものすごく難しいことなんです(笑)。普段は何でもシュレッド・ベースを足したくなりがちだけど、「シュレッド・ベースはやらない!」と自分に言い聞かせて(笑)。「アルバムの曲を書くんだから」ってね。

Photo by Jennifer Cheng
─録音はトロントのRevolution Recordingで行われたそうですね。「EXHAUST THE TOPIC」のアウトロなどにも顕著ですが、本作のアレンジにはバンドとしてのセッション的な要素も大きいように感じます。
サヤ:バンドメンバーは子供の頃から一緒に遊んでいた人たちで、それはすごくラッキーなことでした。ジョン・マヴロ(John Mavro)とは本当に5歳くらいの頃からの付き合いだし、兄もいるし、兄の大親友のアダム(Adam Arruda)もいて。みんなびっくりするくらい素晴らしいミュージシャンで、すごく付き合いも長いから、信頼も大きいんです。
スタジオに入った時点で、曲は8割方、ものによっては100%出来上がっていたから、ひたすらジャムることが多くて。すごくクールなものにしてくれたから、それをそのままトラックに組み込んでいったんです。(ボツにするには)あまりにもクールだったからね。
─実りあるレコーディング・セッションだったんですね。
サヤ:そう、すごくクレイジーで。レコーディングしながらプロデュース、編集作業を進めていったんです。すると次のパートが聞こえてくる。プレイしたものを、ほぼ同時進行でその場でプロデュースして、それをエンジニアに送って。スタジオとコントロール・ルームを行き来して、みんなに指示も出して。まるでタコみたいというか、手が20本くらいあるような(笑)。その辺りは兄がすごく助けてくれていたんです。代理でやってくれた部分も多くて。
「LINE BACK 22」のエンディング辺りでドラムのアダムがいきなりソロを始めたときはクールすぎて絶対に録っておかないといけないと思った……。トラックの上にひたすらジャムをかぶせていったんだけど、そのときのアダムってば本当にクレイジーで、タガが外れた感じで(笑)。インスピレーションになったのはレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムだった。アダムのサウンドはジョン・ボーナムにすごく似ていて、キックもそっくり。レコーディングも似たような形で、すごく大きな部屋で、レッド・ツェッペリンみたいにやったんです。ギターのレコーディングの仕方も含め、今回のレコーディング手法はかなり彼らに影響を受けていると思う。サウンドは全然違うんだけど(笑)。あと、すごくビートルズ的でもある。大半をハーフ・スピードでレコーディングしているし、ピッチの調整もしていて、ビートルズやレッド・ツェッペリンの手法と似ているんです。すごくオールド・スクールなスタイル。
─ちなみに影響源として挙げていたビートルズやレッド・ツェッペリンは時期、作品ごとに変化していますよね。彼らのどの作品が特に気に入っていますか?
サヤ:うーん……。ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は、それを聴いて育ったと言ってもいいくらいの作品なんです。人生で最初に持っていたCDの一つでもあったから。レッド・ツェッペリンはディスコグラフィ全体を聴いてきた感じ。『Led Zeppelin III』のリマスター盤も気に入ってる。ロバート・プラントが大好きでよくYouTubeで検索しているし、彼が今アリソン・クラウスとやっていることもすごく良い。彼のキャリア、息の長さには驚きますよね。『Houses Of The Holy』が私にとってのナンバーワン。「The Ocean」だったかな、ジョン・ボーナムがライブで、すごく長いソロをやるんです。今回の曲もライブでやったらきっとすごく楽しいと思う! ドラマーにクレイジーになってもらってね(笑)。そうやってライブを想定していたことが多かったのも今回の作品がいつもと違うポイントですね。
─あなたの実の兄のルシアン・グレイは本作でもギターをはじめ様々な楽器で参加しています。先ほどの話だと、子供の頃から気心知れた相手と仕事をすることを、あなたはとても大切にしているのだと思います。あなたにとってルシアンはどのような存在ですか?
サヤ:私とルシアンは『ピンキー&ブレイン』みたいな関係なんです。私がピンキーであっちがブレイン。まったく構造が違う。あっちはすごく聡明で分析的で、私はすごく助けられている。私は風に乗った羽根みたいな人だからね(笑)。私は何でも水みたいに流していくタイプだけど、兄は正反対。そういうところが私に必要になってくることがあるんです。素晴らしいプロデューサーだし、素晴らしいマインドの持ち主で、すごく面白くて、複雑さとインテリジェンスをもたらしてくれる人。私はすごく直感的で感情的だけど、兄はすごく知的だから、本当に助かっています。
─お互い補い合っているのでしょうね。
サヤ:まったくその通り! 正反対だから、それがすごく助かるんです。私たちならではのエネルギーがあって、周りの人はそれに慣れるのに時間が掛かるみたいだけど(笑)。兄が様々なことで私と関わってくれるのは最高。兄の影響を信頼しているから。しかも楽器や機材の知識が文字通り百科事典級で。ギターや他の楽器、マシンの話を、まとめたり噛み砕いたりして説明してくれる。50、60、70年代のものについても詳しくて、情報が詰まった辞書みたいな人だから、スタジオにいるときも、参考にするものとして「60年代のあのライブ盤に入っているジョン・レノンのボーカルを聴いてみるといいよ」なんて言うんです。私は「何それ?」という感じだけど(笑)、本当に素晴らしい。
2024年のライブ映像。兄ルシアンや上述のバンドメンバーも参加
─もしかしてお兄さんの影響もあるかもしれませんが、資料にはジョニ・ミッチェルからも影響を受けたと書かれていて、実際に『SAYA』にはフォークの要素が非常に洗練された形で混ぜ込まれています。彼女はカナダの言わずと知れたフォークシンガーですが、魅力はどのようなところにありますか?
サヤ:彼女の音楽は”ジョニ・ミッチェル”というジャンルになっていますよね。適応することを求めて翻弄してくる世界の中で、ジョニ・ミッチェルは決してブレない。そしてだからこそこそ息が長い。そこが私にとって一番大きい。迎合せず、彼女はやりたいことをやってきた。しかも『Hejira』はジャコ・パストリアスを起用したように、最高のミュージシャンを雇ってね。そして、一般論としてのフォークミュージックの限界を押し広げた。人間としてもアイコンとしても大好き。私にとっては変わらないことを教えてくれる”面識のないメンター”のような人なんです。
声をひとつの楽器のように
─2曲目の「SHELL ( OF A MAN )」ではカントリーが取り入れられているのも驚きました。これにはどういう意図があったのでしょう?
サヤ:「SHELL ( OF A MAN )」は、アルバムの全体像が見える前に、最初に作った曲だったのが興味深くて。とんとん拍子にできた曲で、「SHELL ( OF A MAN )」(=抜け殻)というタイトルも、曲が出来上がる前にこれだって確信があった。文字通り、人の遺していったもの。魂が肉体を離れた時に何が起こるか。その人となりを表す面影。だからアルバムのジャケットも、面影が私の顔を覆っているんです。特に祖父母のトラウマ……。例えば母は日本からやってきてとても苦労したから、すべてをなげうって(移住して)きた人々の面影に敬意を表するようにしたかった。
「SHELL ( OF A MAN )」でいうと……私はグレン・キャンベル、ドリー・パートン、エミルー・ハリス、アリソン・クラウスといった人たちの作るカントリー・ミュージックが大好きで小さい頃から聴いていて。トロントで素晴らしいペダル・スティールのプレイヤーと出会って、私は頭の中でどんな風に楽器を使いたいかがすごくはっきりしていたんだけど、まさにその音を手に入れてスタジオを出ることができたんです。
─他にもインスピレーションを受けたアーティストや作品はありますか?
サヤ:このアルバムが面白いのは、今まで受けてきた影響が全方位的に入っていて、あらゆるジャンルが強烈な形で網羅されているところだと思うんです。それが私の礎というか、ソングライティングの基礎。今回の作品ではそのストーリーを語りたかった。例えばボブ・ディランやジョニにも明らかに影響を受けているし、アリソン・クラウスとロバート・プラントの『Raising Sand』(2007年)の影響もすごく大きい。
別の方向性だとリアーナの『Anti』(2016年)も大好き。本当に素晴らしいアルバムで、あれは彼女のカルチャーや時代に対する意思表示だったんだと思います。誰もがファサード(建物の外面)に覆われているような時代に、カルチャーのストーリーをアイコニックに表現する必要があった。そうすることで、聴いた人がそれぞれの形で自分のこととして捉えてることができて、それぞれの人生の旅であまり孤独を感じずに済むと思うから。
今は誤解がはびこっていると思うんです。SNSでも人々が傷ついていて、自己表現ができなくなっている。だからこそ1曲だけでなく、アルバム全体でストーリーを身近に感じてもらえるようなアルバムを作りたかった。
─リリックにもそういった意図を感じますし、胸を打たれます。
サヤ:今回は全部の曲をその場で書いていて。「LIE DOWN..」と「SHELL ( OF A MAN )」はあらかじめ考えていた部分が少しあったけど、歌詞を作り出すというよりは自分の心にあるものを正直に出せたと思う。これまではヒップホップのプロダクションみたいな感じでトラックの上にポエトリーを乗せていたけど、今回は本当に曲を”書いた”んです。だからどの曲も意図があって作っている。ある感情があって、その感情を伝えるために曲を書いているんです。そのストーリーをフルで伝えて、みんなに感情移入してもらえるようにね。ただ、曲を作り終えるという意図以外には、ものすごく歌詞的な意図、ストーリーを作るという意図はなかったような気がしていて。それぞれの曲にそれぞれのストーリーがあるから、どんな日だったか、どんなムードだったかも違っているんです。
─例えば、旅しながらふと思ったことを書き留めておいたりはしましたか?
サヤ:自分が感じたことをストーリーとして書き留めて、それを中心に書いていきました。昔書いた詩をプロダクションにフィットさせるわけではなく、ギターを使って曲を書きながら曲と歌詞を書いていった。それは初めての経験でしたね。
─これまでの作品でも言えることですが、あなたはボーカルをメッセージを伝える媒体として扱いながらも、同時に音楽とも見事に調和していますよね。
サヤ:私はミックス前の段階の、誰の手も入っていない状態で、音の完成予想図にものすごくこだわるタイプだと思うんです。だからミキシングに入る前のプロダクションが既にミックスされた状態とも言える。それが私のプロデュースのやり方で。スチュとは初めて仕事をしたけど、通常はエンジニア作業の後でプロデュースすることが多いけど、レコーディングしながらプロダクションも同時進行でやっているから、感触が全然違うはずなのに、私が今まで組んだ中で一番仕事が早いエンジニアでした。
彼は着手した時点で既に私が求めているフィーリングがわかっていたし、私の昔の作品も聴いた後だったから、私の狙いがわかっていて。ディレイやフィードバックなどのプロダクション面も含め、私のボーカルへの強いこだわりも理解してくれていた。プロダクションはボーカルの部屋のようなもので、リスナーにどのくらい遠く、または近くにボーカルを感じてもらいたいのか、距離感を見極める必要がある。私はそういうところにすごくこだわりがあるんです。例えばリヴァーブやトランジション、どこにハーモニーを入れるかだったり、激しいこだわりがね(笑)。だからめちゃめちゃ多大な要求をしたんだけど、スチュは本当に素晴らしい仕事をしてくれた。(にっこり笑いながら)壮大なプロセスでした。
─ということはその時点で、声をひとつの楽器のように扱っているのですね。
サヤ:そう。ちょっと不穏な雰囲気を醸し出したいときには声にディストーションをかけたり、ボーカルを希薄にして、イリュージョンのように常に耳のどこかに鳴っているようにしてみたり。プロダクション面ですごく手を加えているから、聴いている間、潜在意識に訴える感じで声が聞こえる。でもプロデューサーとしては意識的にやっているという(笑)。言ってしまえば、ボーカルの振付師です。
─そういった声の扱い方の面で影響を受けたアーティストはいますか?
サヤ:あまりいないけど、フィオナ・アップルやアラニス・モリセットは大好きです。歌じゃなくてトークを織り交ぜるところとかもね。ケイト・ブッシュは間違いなくアイコニック。女性ボーカルの使われ方には特定の方向性があって、ものすごくインスピレーションになっています。他にもスティーナ・ノルデンスタムというシンガーは、すごく興味深い、ドライなボーカルの持ち主。それから昔のレコード……特にビートルズは私のボーカルのプロダクションやボーカルの使い方に大きな影響を与えています。一時はアナログしか使わなかった時期があって。兄と一緒に完全にオタクになって、様々なマイクやテクニックを使って、どうレコーディングすべきかにこだわっていたこともあります。
映画音楽、ジャズ…今後のビジョン
─出来上がった本作にあなたはセルフタイトルとも言える『SAYA』というタイトルを付けました。先ほどから話に上がっていますが、ジャケットもあなたのアイデンティティを表現したかのようなスタイリングをしたセルフポートレイトになっています。
サヤ:”サヤ”という言葉にはいろんな意味があると聞いています。そのうちの一つが”明瞭さ(clarity)”で、それがまさに私の感じていたことでした。それにヒンドゥー語では”影”の意味があるらしくて。本当に私を正確に表していると思う。私が悲しみに対して”クリア”になっていったときに作ったアルバムで、悲しみのサイクルからどう癒えていくのか、その旅路について歌っている作品でもあり……だからこそこのタイトルにしたんです。これからの自分の基盤になるような気がしています。これからは自分のタイムスタンプを自分で作る。これからも常にプロデュースをして、実験して、『QWERTY』シリーズのような作品を作っていくと思うけれど、今までやっていなかった、そのタイムスタンプ的なアルバムの作り方を今回は学んだんだと思います。
─過去のインタビューで三宅一生、森万里子、伊丹十三、川久保玲などの影響について「彼らが仕事を始めた時から今に至るまで、真正性を貫く姿勢であったり、長いキャリアの中でもコンスタントに成長を遂げたりしていること」と答えていて、あなたは成長や変化を重視しているのだと感じました。だからこそ、この先どんな音楽を作っていくのか想像しにくいです。今後どのような音楽を模索していくのか、現時点で考えていることはありますか?
サヤ:今は多くの映画音楽に取り組んでいます。だから映画のスコアをもっと手がけるようになると思うし、ファッションやアートももっと手がけていきたい。おそらくどこかの時点で本……詩集も作ることになるだろうし、やりたいことが本当にたくさんあるんです。音楽はその一面に過ぎない。スポーツをやっているし、クリエイティビティを発揮する必要があるモードがたくさんあって。将来的には間違いなくいろんなことをやっているだろうけど、現時点で……次はジャズ・アルバムを作る可能性がありそうです。ストレート・アヘッドなジャズ。パーカッショニストを入れずにやってみたり、その道筋も色んな選択肢があると思う。演奏の感覚を取り戻さなくちゃ。プレイも歌も自分に試練を課さないと。新しい楽器もいくつか始めてみたいし、ベースにも立ち戻って、最近アップライトベースを買ったから、また始めてみようとも思っていて。チェロも手元にあるから……うーん、もういろんなことに手を出し過ぎてる(笑)。
─今聞かせてくださったアイデアだけでも、既にサプライズ要素満載ですね。
サヤ:本当に。次のアルバムも今から楽しみです。このアルバムを作った今はまた実験的なことに戻れるような気がしていて。それから他の人たちのプロデュースも。実験段階でまだ自分と言えるものを出していなかった気がして、ずっと保留にしていた人たちのプロデュースをやっとやれそうでワクワクしています。今度は他の人たちのビジョンに息吹を吹き込めるのがとても楽しみ。

Photo by Jennifer Cheng
─ちなみに、あなたのキャリアの初期においてInstagramの存在は大きかったのではないかと思います。しかし、近年はオンラインとはほどよく距離を置いているように感じます。現在もアーティストがキャリアを作る上でSNSは重要かもしれませんが、今のあなたにとってSNSはどのような価値がありますか?
サヤ:SNSが強力すぎるからこそ、自分の限界を認識しておくことがとても大切になってきます。実のところ今は、私はやっていなくて、マネージャーがやってくれているんです。ファンとのコミュニケートに必要だし、そのためにベストなプラットフォームだから。でもその良さは使い方次第。時間を取られてしまって、実生活でやっていることにネガティブに作用してしまう場合もある。でもものすごくポジティブなものでもあると思う。誰かが教えてくれなかったら、(LAの)山火事のことだって気づかなかった。ある人から「大丈夫?」とメッセージをもらうまでは、ニュースをチェックすらしなかったかもしれない。だから使い方によると思います。
若い人たちへアドバイスするなら「自分の限界を知っておくこと」です。自分自身の人間関係をちゃんと知っておくこと。自分のSNSや自分の持っている不安、自分自身のSNSとの接触について。いつスマホから離れて楽器を手に取るべきかを知っておくこと。SNSとの接触時間の長さに自分が消費されてしまわないように。私自身も影響されすぎるような気がしているから、距離を置いています。みんなが何をやっているかをずっと見ているのは気が散るからね(笑)。他の人がやっていることを見るのは大好きだけど、自分のアートには邪魔なものになってしまうから。感受性が強すぎて(苦笑)。
─影響を受けすぎてしまうことによって、アーティスティックな自由が脅かされることもありますよね。
サヤ:そう、だから距離感が大事。ちょうどいい具合。
─つい数時間前(※取材日は1月17日)にツアーが発表されました。ライブではどのようなパフォーマンスを行う予定か教えていただけますか?
サヤ:すごくいいものになると思います。アルバムを全曲通しで演奏する予定で。『QWERTY』のときはすごくクレイジーだったから、全然違うやり方。うまくいけば東京公演の日程も近いうちに決まると思うから、情報を随時更新しますね。みんな絶対来て欲しい。いつものバンド、いつものメンバーでやるから、いつものようにきっと楽しいものになると思う。

サヤ・グレー
『SAYA』
発売中
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