昨年11月、ドナルド・トランプの当選をきっかけに、音楽ジャーナリズム一筋だった筆者は、これまで無視してきたヘヴィメタルの世界に飛び込んだ。そしてもう、後戻りするつもりはない。


時代の思想や出来事というのは、まるで天気のように音楽に影を落としたり、光を差し込んだりする。1967年の夏の盛り――サンフランシスコのHaight-Ashburyでは”サマー・オブ・ラブ”が花開き、ビートルズは『Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band』でサイケデリック文化を総括し、ほとんど神のような位置にまで押し上げていた。

まさにその頃、私は一枚のアルバムに出会った。『The Velvet Underground & Nico』。今でもおそらく、私の人生でいちばん好きなレコードだ。悲惨な喪失、凍てついた心、ハードドラッグ、荒々しいセックス。そんなテーマが次々と飛び出してくる。私はそんなアルバムに、犬が水たまりを見つけたときのように夢中になった。それは後に、私がロックンロールについて友人たちと果てしなく交わすことになる論争の、記念すべき第一ラウンドだった。

ローリングストーン誌で記事を書き続けるうちに、私の担当は少しずつ変化していった。次第に、歴史上の人物や出来事について掘り下げる仕事が回ってくるようになった。いつの間にか、それが”私の持ち場”になっていた。
つまり、死んだ人々や、過ぎ去った出来事について書くことだ。

けれど、そうした歴史は、本当の意味で”死んで”いたわけではなかった。過去は、気づけば私にとっての新たな通貨のようなものになっていた。そこから私は、思いがけない発見や理解を、静かに、そして確実に引き出していた。ウィリアム・フォークナーが『尼僧へのレクイエム』の中で書いたように、「過去は死んではいない。過去ですらない」のだ。その言葉には、今でも心のどこかを射抜かれる。

そうやって音楽の過去を掘り返すうちに、私は思いもよらないかたちで、メタル・ミュージックと正面から向き合うことになった。そして、その余波は今でも静かに、私のなかで続いている。

10月のある日、私はRidingEasy Recordsから出ている『Brown Acid』というシリーズを聴いていた。現在までに19作が出ていて、どれも素晴らしく、目を開かせてくれるようなコンピレーションだ。私がこのシリーズに惹かれたのは、タイトルに”acid”という言葉が入っていたから。
つまり、そこに何らかのサイケデリックな要素を期待したのだ。けれど、それは少なくとも、私が知っているようなサイケではなかった。『Brown Acid』は、サイケデリック・ミュージックそのものではなく、その余波のなかで生まれた音楽を集めたものだった。RidingEasyの言葉を借りるなら、「アメリカの(60年代の理想主義を経て70年代初頭の政治不安へとシフトしていく)カムダウン期におけるヘヴィ・ロック」だ。

音の質感はシンプルだった。ギター、ベース、ドラム、そしてボーカル、それだけ。どのバンドも”高尚”といった言葉からは遠く離れている。むしろ、荒削りな衝動のようなものが、むき出しで鳴っていた。要するに『Brown Acid』は、サイケという幻想が終わったあとに残された現実の音、そこから派生したハードロックの記録だった。それは私にとって、どうしようもなく魅力的だった。音楽的にはポスト・ガレージであり、プロト・メタルとも言えるものだ。その多くが、私の心を強く揺さぶった。
ほとんどのバンドは知られていない。というより、ほぼ無視されてきた存在たちだった。でも、RidingEasyが彼らの楽曲から選び抜いたものを聴くと、それがいかに惜しいことだったかが、手に取るようにわかる。ちなみに、同じくらい素晴らしく、そしてもっと幅広い視点を持ったコレクションとしては、1981年から1986年にかけて出版された『Mindrocker』シリーズがある。全13作で、現在もSpotifyでその音楽を聴くことはできる。

『Brown Acid』シリーズを聴き終えたとき、ふと考えた。「それで、ヘヴィ・メタルって、そのあとどうなったんだろう?」と。正直に言うと――ちょっと恥ずかしい話なのだけれど――私はこれまでの人生で、メタル・ミュージックというものをほとんど無視してきた。わざと避けていたわけじゃない。ただ、どこか心の中に偏見があったのだ。あのジャンルの持つ派手さや、あまりに露骨な女性蔑視、人間嫌いのようなテーマに気が進まなかったし、そういうものに心酔するリスナーの熱量に、どうしても馴染めなかった。

とはいえ、すべてを遠ざけていたわけじゃない。
たとえばローリングストーン誌で、ヴァン・ヘイレンやレッド・ツェッペリンについての記事を書いたことはある。とても楽しかったし、いま思い出してもいい経験だった。レッド・ツェッペリンは、たしかにメタルというジャンルの形成において決定的な存在だった。でも、私は彼らの音楽を「メタル」とは呼ばない。少なくとも、厳密な意味では。もっと複雑で、もっと詩的だった。とはいえ、彼らが”メタル的なもの”を解き放った瞬間の爆発力は、やはり圧倒的だったと思う。

私がローリングストーン誌で書いた記事の中でも、特に印象に残っているのが、1991年の『Clash of the Titans』ツアーについてのレポートだった。出演していたのはスレイヤー、メガデス、アンスラックス。彼らはただ速くて、うるさくて、暴力的だったわけじゃない。バンドのメンバーたちはみな誠実で、知的で、情熱的だった。彼らが語ってくれた「闘争」や「憎しみ」、「愛」や「希望」、音楽についての哲学や政治、そして観客との関係――そういう話の一つひとつが、妙に私の心に響いた。


それからしばらくして、昨年11月初旬のある午後、私は少しまとまった時間を取って、メタルの過去と現在について、もっとちゃんと知ろうと決めた。『Clash of the Titans』ツアーの続きというだけではなく、ブラック・サバスの時代から始まるその大きな流れを、遡って追いかけてみようと思った。ブラック・サバス――彼らの音楽には昔から不思議な親近感があった。そして、レッド・ツェッペリンよりもずっと決定的に、メタルというジャンルの方向性を定めたバンドだったと思う。

そして、そこで私は何を見つけたか? 人生が変わってしまったのだ。本当に。ちょっとした気まぐれから始めた探求だったけれど、それはいまだに続いていて、おそらくこの先も終わることはないだろう。冗談抜きで、ハンマーで頭を殴られたみたいな衝撃だった。

デスメタルとブラックメタルの多様性

まず私が手を伸ばしたのは、メタルのなかでも比較的よく知られた、基本的なサブジャンルだった。つまり、ブラックメタルとデスメタル。で、どうだったかというと――これが、びっくりするくらいの衝撃だった。文字通り、世界がひっくり返るような発見の連続だった。
音楽そのものだけじゃなくて、そこにある歴史とか、テーマとか、音が生まれてきた土地や文化、さらにはサブカルチャーにいたるまで。いろいろなものが、いっぺんに流れ込んできた。あらゆる種類のメタル・ミュージックが、もはやアメリカやイギリスだけのものではなくなっている――その事実だけでも十分に驚くべきことだった。

デスメタルにはたしかにアメリカ生まれのルーツがある。とくにフロリダが重要だった。でもその後、ノルウェーやスウェーデンでより深く掘り下げられて、どんどん濃く、重くなっていった。そしていつのまにか、世界中に広がっていた。ブラックメタルも似たような流れをたどっている。こちらはイングランドやスイス、そしてスカンジナビアが出発点だったが、やがて世界中に枝を伸ばしていった。

デスメタルのほうが、より宿命論的で、抑圧的な気配をまとっている。とはいえ、必ずしも虚無主義的というわけではない。ブラックメタルはというと、少なくとも初期の段階では、もっと積極的に「悪」というものに目を凝らしていたように思う。そして特定の価値観を、あっさり否定してしまう勇気(あるいは無謀さ)を持っていた。デスメタルが録音技術や演奏技術に重きを置いていたのに対して、ブラックメタルはその洗練を拒んだ。いや、拒んだなんて生易しいものじゃなかった。初期のブラックメタルは、ローファイという言葉でも追いつかないくらいの”徹底ぶり”だった。そして、宗教的な信仰――「神を敬う」という考え方そのものにも、激しく背を向けていた。ブラックメタルはある意味で、きわめて神学的な音楽だった。でもそれは、いわゆる教会の神学じゃない。むしろ、H・P・ラヴクラフトの物語に出てくるような、異形の神々の神学だ。そこでは、真の神々は人間を愛さず、崇拝する者さえも容赦なく破滅へと導いていく。そういう世界観においては、エミール・シオランの反出生主義的な哲学や、ユージン・サッカーの悲観主義――ラヴクラフトの神話体系を現代哲学に引き継いだような考え方――が、ごく自然に響き合ってくる。

デスメタルとブラックメタルを比べてみると、ブラックメタルのほうがより複雑で、そしてはるかに”厄介な存在”だった。とくに北欧、なかでもノルウェーは、音楽と気候がぴたりと噛み合っていたのかもしれない。ブラックメタルはそこに根を張って、しばしば問題含みのかたちで、その存在を主張しはじめた。その時代、あるミュージシャンが同じシーンにいた別の音楽家を殺害するという事件があった。犯人は16年間の服役を経て、出所後に音楽活動に戻ってきた。一部の者たちは露骨な人種差別を語り、ファシズムとの親和性を誇示し、さらには教会に火をつけたりもした。ブラックメタルは昔からキリスト教や、その他の制度的宗教を激しく嫌っていたけれど、90年代のノルウェーでは、その嫌悪が現実の炎になって街を照らした。

でも、それで終わらなかったのが、ブラックメタルの面白いところだ。音楽は世界中へと広がり、その過程で姿を変えた。今では多くのアーティストが、ブラックメタルをファシズムや虚無主義に対抗する”レジスタンスの音楽”として捉えている。彼らの目に映る世界はいまだに暗くて、厳しくて、しばしば救いがない。でも、音楽をつくり、それを聴く仲間とつながることで、彼らはどこかで希望のようなものを手にしている。それは、誰かを殺すことでも、何かを燃やすことでもない。ブラックメタルは、いまやそれを愛する人々にとって、かけがえのない響きになっている。そしてその意味をめぐって、彼らは誇らしげに、そして熱心に議論を交わす。もちろん、今でも過激で醜い主張を掲げるバンドはいる。けれど、まったく逆の方向に向かっている者たちもいる。

たとえば、ブルックリンのバンド、Liturgy。リーダーのラヴェンナ・ハント=ヘンドリックスは、自らの音楽を”トランセンデンタル・ブラックメタル”と呼び、そのサウンドで天国のような世界を呼び起こそうとしている。グレン・ブランカ、リース・チャタム、ラ・モンテ・ヤングといった作曲家の影響も透けて見える。それは、言ってみれば――とても複雑で美しい、音による”天国の設計図”なのだ。

こうしたいくつもの背景を経て、ブラックメタルはずいぶんと複雑なジャンルになった。それでも、この音楽は「ブラック」でありながら、人生そのものの価値をまるごと否定するようなことはしていない。そこがいいと思う。破滅を歌いながらも、どこかで微かに希望を灯しているような感じがするのだ。反ファシズム、反人種差別、性的寛容をしっかり掲げながら、ブラックメタルの美学をきちんと保っているウェブサイトやコミュニティも存在していて、そのなかには、本当に誠実で、勇気づけられるような場所がある。とくにジャーナリストのキム・ケリーは、ヘイト系バンドを地道に見つけ出し、その実態を公にするという大切な仕事を長く続けている。これはつまり、ブラックメタルというジャンルにとって、その音が持っている創造的な可能性こそが本質であって、かつての誤った政治的メッセージは、もはや本流ではないということだ。そして実際、いま現在の”サタニスト”たちのあいだに、ファシズムを信奉しているような人物は、ほとんど存在しない。そういう意味で、ブラックメタルはいま、もっとも刺激的なロック、あるいはロック以後の音楽が生まれている場所のひとつになっている。少なくとも、私にはそう思える。そして実のところ、それはもう何年も前から、静かに、だけど確かに始まっていたのだ。

ブラックメタルを特別なものにしている理由のひとつは、その音楽や文化、存在そのものの核心に、絶えず何かしらの議論が渦巻いているという点にある。そこには常に問いかけがあって、答えのようなものがあって、でも次の瞬間にはまた別の問いがやってくる。そしてもうひとつ、このジャンルに深く関わっていたいと思わせるのは、何十年にもわたって途切れることなく生み出されてきた音楽のクオリティそのものだ。ブラックメタルは、メタルという巨大な傘の中でも中核的な存在であり、その中には、本当に見事な作品がたくさんある。新しい作品がリリースされない日はないと言っても、大げさではないと思う。そしてこのジャンルに足を踏み入れるときには、当然ながら最悪のコンテンツや、問題のある制作者に気をつける必要があるけれど(実際のところ、そういう人たちは最近あまり支持されなくなっている)、それでもブラックメタルが持つ意義や、そこに現れる天才たちの頻度を無視するのは、やっぱり無理がある。

メタルとは「巨大な傘」

デスメタルと同様に、ブラックメタルも世界中に広がっていて、アメリカや北欧だけじゃなく、フランスやイタリア、ブラジル、イスラエル、エジプト、日本、中国といった国々にも、魅力的なアーティストや熱心な支持者がいる。実際、私がこのジャンルを聴けば聴くほど、最も優れた表現者たちの多くは、英語圏の外から生まれてきていることに気づかされる。そしてそういった異なる文化が、この音楽にまったく新しい視点や質感をもたらしている。私は今、ほとんど毎日のように、その多様な変奏に心を打たれ、ときには圧倒されている。

これこそが、私がメタル・ミュージックにおいてとりわけ注目すべきだと感じた点のひとつでもある。メタルは、気づけば世界中のどこにでも存在している。そしてその広がり方は、まるで海のように果てしない。私はこれまで長いあいだ音楽を聴いてきたけれど、ここまで多くの人々が関わり、しかも創造性にあふれたジャンルに出会ったことは、正直言ってジャズを除けば一度もなかった。オルタナティブとかインディーの音楽シーンは、ある種の”良識ある耳”を持った人たちにとって自然に賞賛の対象になるけれど、でも本当の意味でオルタナティブで、心底インディペンデントな音楽が息づいているのは、むしろメタルの世界なのだと思う。世界中に何千、いや何万という数のメタル・バンドが存在していて、そのほとんどは音楽メディアで取り上げられることもなく、ラジオでオンエアされることなんてまずない。というか、実際のところ全くないと言ってもいいくらいだ。(ちなみにオンラインのメタル系メディアというのは、おおざっぱに言って二種類ある。ひとつは気が遠くなるほど膨大な情報を収集し、体系的に保存している百科事典のようなアーカイブサイト。そしてもうひとつは、熱意とユーモアを持ち合わせた筆者たちが、鋭く、それでいて愛のあるレビューを書く批評系サイトだ。私がいま、ほとんど毎日のように訪れているのはAngry Metal Guyというサイトで、ここにはその両方の要素がうまく混ざり合っている)。

音楽そのものはQobuzやApple Music、Spotify、Tidalといったストリーミングで聴けるけれど、私が本当に素晴らしいと思っているのは、Bandcampというオンラインの販売サイトだ。ここは、大げさに聞こえるかもしれないけど、地球上でいちばん優れた音楽ストアなんじゃないかと本気で思っている。Bandcampでは、作品全体をちゃんと試聴できるし、気に入ったら良心的な価格で購入できる。実際、私がそこで出会った最も創造的で、抗いがたい魅力を持ったメタル・アルバムのいくつかは、たったの1ドルで売られていた。昨夜なんて、あるレーベルの全140枚分のディスコグラフィを、50セントで手に入れたばかりだ。でも、これはその音楽が「安い」とか「価値がない」という意味ではない。むしろ逆で、それはこの音楽が”愛の労働”として作られていて、作っている人にとっては”生き方そのもの”であるということの証なのだ。

73歳、ヘヴィメタル沼にハマる「もう後戻りできない」人生終盤に始まった音楽の冒険

Bandcampの「Metal」ページ

こうしたアーティストやレーベルの人たちは、決してお金のためにメタルをやっているわけじゃないし、それを大きなビジネスにしようなんて、そもそも思っていない。彼らはただ、自分たちにしか作れない音楽のために、その音楽にしか持ちえない意味や目的のために、メタルというものに深く関わっている。メタル――そして、その無数の変奏や枝分かれ――は、私がこれまでに出会ってきた音楽シーンのなかでも、間違いなくいちばん魅力的で、いちばん刺激に満ちた世界だ。私はさっき、ポピュラー・ミュージックが持つ”通貨価値”について少し触れたけれど、実際のところ、ここまで広く、多面的に機能する”通貨”としての音楽は他にない。でも残念ながら、オルタナティブ系の音楽メディアでさえ、そういうメタルの本当の価値をちゃんと見ようとはしていない。主流のメディアにいたってはなおさらだ。

それからもうひとつ、ここ数カ月のあいだに私が驚きとともに発見したことを挙げておきたい。デスメタルとブラックメタルというふたつの柱のようなジャンルには、それぞれが枝を伸ばすように、いくつもの新しいサブジャンルが生まれている。アトモスフェリック・ブラックメタル、アトモスフェリック・ポスト・ブラックメタル、トランセンデンタル・ブラックメタル、ブラック・デスメタル、プログレッシヴ・ブラックメタル、ブラックゲイズ及びデスゲイズ(シューゲイザーとメタルが混ざり合ったようなもので、個人的にもかなり気に入っている)、シンフォニック・ブラックメタル、デス・ドゥーム・メタル、テクニカル・デスメタル、デスコア、そしてクリスチャン・デスメタルまで。これらはすべて、より大きな括りの中で枝分かれしていったもので、ここに挙げたのはほんの一部にすぎない。

当然ながら、それぞれの違いを音だけで判別するのは簡単じゃない。私の耳もまだそこまで鍛えられていないし、これはたとえばビバップとポスト・バップを聴き分けるような話とも少し違う。でも、その微妙な違いを聴き取り、探っていく過程そのものが楽しく、魅力的なのだ。考えてみれば、メタルというのはひとつのジャンルというより、むしろ巨大な「傘」みたいなものだと言ったほうが正確かもしれない。そしてその傘の下では、世界中のそれぞれの土地で、独自のサブジャンルがゆっくりと、でも確実に育っている。中には「モルモン・メタル」なんてものまであるらしい(ちなみに、私の地元のバンドたちも、そこそこがんばっている)。

73歳の筆者が抱く「メタルへの不満」

とはいえ、正直に言えば、私が多くのメタルに対していまだに距離を感じてしまう理由もいくつかある。なかでも大きいのは、やはりボーカル・スタイルの問題だ。政治的に過激すぎるバンドの姿勢ももちろん気になるが(以前よりは目立たなくなっているにせよ、見過ごせないケースはまだある)、それ以上に気になってしまうのは、喉の奥から絞り出すような、あのグロウル――唸るような歌唱法だ。少なくとも私には、歌詞がまったく聞き取れない。このスタイルはずいぶん長いあいだ使われ続けていて、今もなお多くのバンドがそれを採用している。一部のグループはそこから脱却しようと試みているけれど、私の好みからすると、まだ少し物足りない。個人的には、これはかなり大きな”脱落ポイント”になってしまっていて、正直な話、デス・グロウルに疲れてしまったら、そのアルバムを途中で止めることもある。ただし、そういう声を”ひとつの不協和音”として、ある種の音響的な効果として受け入れられることもあるにはある。でもまあ、実際には、それはちょっと違う。フェアな視点から見れば、グロウルにもそれなりの訓練と技術が必要で、場合によってはモンゴルやトゥバの喉歌と同じくらい精緻に仕上がっているものもある。ありがたいことに、最近はインストゥルメンタルを中心に活動するバンドがどんどん増えていて、少なくとも私の耳には、その中でもとびきり優れたグループの演奏が、とても魅力的に響いてくる。

もうひとつ、私がメタルに対してしばしば感じる問題がある。それは歌詞のクオリティについてだ。これは前に触れたボーカル・スタイルの話とも無関係ではない。デスメタルやブラックメタルの多くは、憂鬱だったり、悲観的だったり、とにかくネガティブなトーンに強く依存している。そしてそこには、どこかで買ってきたような、安直な”テンプレ的サタニズム”が混ざっていることも多い。その結果として、歌詞がどうにも定型的に感じられることがある。もちろん、それにはそれなりの背景があるのだと思う。なにしろ、気が滅入るような時代だ。そういうムードに寄り添った言葉が求められるのも無理はない。でも、それにしても「またこの話か」と思ってしまう瞬間がある。「この世は苦しみに満ちている」「世界は呪われている」「運命は冷酷だ」「闇と冷気が我を覆う」――そんな類のフレーズが何十年にもわたって繰り返されてきたとすれば、それがいかに切実な表現であったとしても、どこかで「これは様式美に過ぎないのでは」と興醒めしてしまう自分がいる。深みを掘り下げているというより、ただ決まりきった型に沿っているように見えてしまうのだ。

たとえ現代の最高峰とされるメタル・バンドであっても、この問題から完全に解き放たれているわけではない。たとえばストックホルム出身のプログレッシヴ・デスメタル・バンド、オーペス。1990年の結成以来、彼らは死や愛、喪失、悲しみといった主題を荘厳なサウンドで描き出し、批評家やMetal Archiveのような専門サイトからも高く評価されている。あるいは、2010年にミネソタで生まれたプログレッシヴ・ブラックメタル・グループ、Amiensus。哲学や神学、心理学、神話といった領域をテーマに掲げていて、2024年の2枚組アルバム『Reclamation Part 1』『Part 2』は、メタル史における壮大な叙事詩のひとつと目されている。さらに、チャールズ・ミンガスとメタルが正面衝突したような、アヴァン・ジャズ・メタル・オーケストラ、Neptunian Maximalismの名前も挙げておきたい。彼らの2020年作『Éon』は、3枚組・2時間超という圧巻のスケールを誇るアルバムで、まさにツアー・ド・フォース(圧倒的技巧の傑作)という言葉がふさわしい。そして、デンバー発のデスメタル・バンド、Blood Incantation。啓示や人間性、形而上学や神秘思想といった主題に取り組みながら、メタルとしてはめずらしくポップ・メインストリームでも注目を集めている。どのバンドもたしかに素晴らしいし、音楽的には並外れた創造力を持っているけれど、歌詞の課題を乗り越えているかと言われれば、私にはいささか疑問が残る。

メタル界におけるボブ・ディラン的な存在――音楽の強度に見合うだけの言葉を持ち、真実を突きつけるように語り、魂の奥をそのまま差し出すような詩人――がいるのかもしれないが、少なくとも私はまだ出会ったことがない。でも、だからといって悲観するわけじゃない。ボブ・ディランには彼らのような演奏力はないし、ジャズ・ミュージシャンを除けば誰も遠く及ばないだろう。メタルという音楽の核心にあるのは、あくまで”サウンド”そのものだ。私にとっては、それが騒がしくて、不協和で、混沌としているほど、逆に心がすっと落ち着く。それはたぶん、静けさのかたちのひとつなんだと思う。

妻は「冗談でしょ?」と言うけど…冒険は始まったばかり

これは、私の人生のなかでも、最も驚きに満ちていて、しかも心から報われた音楽的な”宝探し”のひとつだった。まさかこの年齢になって、こんなふうに新しい冒険を始めるとは夢にも思っていなかった。73歳になってからこの旅に出たことで、私はどこかに軽い”贖罪”のような気持ちを抱えている。20年前の自分に、もう少しだけ広い視野を持てと、偏見を手放してちゃんと耳を傾けろと、そう言ってやりたくなる。いまも聴くべき音楽は無限にあって、学ぶべきことも山のようにある。私なんて、ブラック・デスメタルの深い水たまりの表面に、ようやく指先をちょっと浸したくらいにすぎないのだ。

昨年11月から今日までに、私は4000を超えるバンドから7300枚以上のアルバムをリストに書き出してきた。メタルというのは圧倒的に”バンド”のためのメディアで、ソロ・アーティストが”Best Metal”系のリストに載ることはめったにない。載るとしても、たいていは自分たちを”バンド”とか”プロジェクト”と呼んでいる。午後はサイケデリック・ミュージックをかけ、夜になるとメタルを聴く――それがいまの私の日課だ。ときどきイヤホンが耳から滑り落ちると、妻が低くうなりながらテレビの音量を上げる。私は彼女にこの音楽のことを話したことがある。でも、実際に聴かせたことは一度もない。「シンフォニック・メタル? カウボーイ・メタル? モルモン・メタル? 冗談でしょ?」と彼女は言う。

なぜ私は70代になって、突然、それも1時間足らずのあいだに、メタルに対する強い渇望――いや、ほとんど執着のようなもの――を持つようになったのか。その理由のひとつには、11月の選挙が関係していたのかもしれない。たぶんそうだ。今というのは、確かにもっと苛烈な音と感情が求められる時代なのだと思う。でも、もしかしたら私の生まれつき”明るすぎる性格”が、逆に私をメタルへと導いたのかもしれない。憂鬱な水は、自分と同じ水位の場所へと流れていく――そういう可能性もある。

ともかく、私は今、メタルの世界にいる。そしておそらく、残された人生の多くの時間を、この場所で過ごすことになるのだろう。

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From Rolling Stone US.
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