エル(Elle:Vo, Gt)とエッセ(Esse:Dr)は、2020年、偶然同じ日本行きの飛行機に乗り合わせ、互いに音楽的な共鳴を感じ取った。ザ・ホワイト・ストライプスを彷彿とさせるミニマルな編成は、二人が追い求める「引き算の美学」を反映したもの。彼らが鳴らすエクスペリメンタルなブルース・ロックには、イタリアならではの情熱と官能性、日本文化への鋭い感受性──シンプルな音像のなかに、幾重もの文脈が交錯している。
今年1月にリリースされた最新EP『TOKYO ADDICTED』には、東京の虚無感と都市のパラドックスを鮮やかに切り取った楽曲「Izakaya」も収録。稲葉浩志や藤井 風のギタリストとしても知られる盟友・DURANが作品にさらなる広がりをもたらしている。
この5月、3度目の来日ツアー「KYŌKI NO TANE」を実施するエルとエッセ。知られざる結成秘話から、HYDEからエイフェックス・ツインまで越境する音楽ルーツ、日本という文化圏への深いリスペクトまで。バンドのすべてに迫った決定版インタビューをお届けする。
*The Italian version follows after the Japanese version.(La versione italiana segue quella giapponese.)

左からエッセ、エル
日本行きの飛行機で交差した二つの魂
―まずはお二人の音楽遍歴を教えてください。
エル:私は、”まだ存在していなかった環境”の中で育ちました。つまり、自分で一から世界を作り上げたんです。まるでパラレルワールドのように。
最初に恋をしたのは、音楽ではなく”書くこと”でした。6歳の頃には、授業中に詩や思索を書き綴り、なぜか先生たちにも高く評価されていました。成長するにつれ、自分の言葉が予期せぬ形で現実に影響を与える経験もしました。4歳の少女が虐待され、高層階から投げ落とされた事件に触発されて書いた曲が、全国紙に掲載されたんです。そのとき私は二つのことを知りました。言葉は現実を動かせるということ、真実を語ることには代償が伴うということ。実際、その曲をきっかけに脅迫を受けたりもしました。
私の歩みをひとことで言えば、アウトサイダー的な声、精神的な緊張感、不完全さに潜む崇高さを探し求めながら、自分の居場所を作ってきました。イタリアのカンタウトーレ(シンガーソングライター)たちと同じく、私の原点も”言葉”にあります。
エッセ:僕の家族は、特別音楽に親しんでいたわけではありません。でも、兄がいなければ、きっとミュージシャンにはなっていなかったと思います。
当時はアメリカのオルタナティブ・ロックが流行していて、僕もそのバンドたちを真似していました。みんな、彼らのようになりたくて、年に数回イタリアにやってくる”モンスター級”のバンドのライブも絶対に見逃さなかった。あの頃からずっと、今も変わらず、僕は音楽とともに夢を見続けています。
「Una rivale」MV 来日ツアーのライブ映像や日本のファンと交流する様子などが収められている
―Little Boys結成以前のキャリアについて教えてください。他のバンドでの活動や、著名なイタリア人アーティストとのコラボレーションなどを経験されてきたそうですね。
エル:Little Boysにたどり着くまで、私はいくつもの段階を経てきました。最初はシンガーソングライターとして活動し、次に「社会派トラップ」とでも言うべきスタイルに進みました。現代的なビートに、哲学的なひねりを加えた歌詞を乗せるアプローチです。
その後に結成したエレクトロ・ロックバンドAbsurdaでは、「ビジョン」と「歪み」をテーマに音楽を追求しました。この活動を通じて出会った、90年代イタリア・オルタナティブシーンを代表するBluvertigoのギタリスト、リヴィオ・マニーニは今も私たちにとって重要な存在で、私たちの次作のプロデュースとミックスも担当しています。さらに、スティーヴ・アルビニとも仕事をしたエンジニア、ルカ・タッコーニとも協力し、より実験的なサウンドに挑戦しました。
でも、Absurdaでの活動は「自分の予測がついてしまう音楽」になりそうだと感じ、一度すべてをリセットすることにしました。そして、ギターを逆さまに持つところから再出発し、意図的に自分を混乱させるような音や学びを求めたんです。
エッセ:10代の頃からさまざまなバンドで演奏して、Tiqqun~Absurdaでの活動を経てエレクトロニック・ミュージックと出会いました。ドラムマシンとPCで制作に没頭する「暗黒の静けさ」のような時期を経て、再び身体と手で生の演奏を求めるようになり、Little Boysにたどり着きました。
―お二人は2020年の冬、日本行きの飛行機のなかで出会ったそうですね。でも、お互いの第一印象は「なんとなく気に入らない」という感じだったとか。
エル:ええ、そのとおりです。最初は「礼儀正しく距離を置いていた」という感じで、お互いについて少しだけ知ってはいましたが、それ以上の関係ではありませんでした。2020年の冬、日本行きのあの飛行機の中で、私たちはまったく異なる世界観を持つふたりの他人でした。でも、心の奥では共通する願いがありました──傷ついた心を癒す”何か”を求めて、逃げ出したいという思い。それこそが、私たちの共鳴の根源だったのだと思います。昼と夜のように正反対だったからこそ、引き合ったのかもしれません。
日本に到着してからは、それぞれ別々の道を歩みました。旅の間を一緒に過ごすこともできたけど、私はあえてそれを選びませんでした。でも運命は不思議なもので、イタリアで開かれたあるイベントで再会しました。そこから、Little Boysの構想が生まれたのです。
エッセ:今でも僕たちの関係は「愛憎半ば」といった感じです。あのとき、ひと目見ただけで強く惹かれました。ほんの数言交わしただけで、「この人は普通じゃない」と直感でわかったんです。僕が日本へ向かっていたのは、ただの好奇心からでした。特に目的があったわけではなく、ふらふらと旅をしていただけだったんです。
―お二人のパーソナリティについても伺います。お互いをどう見ていて、どんな部分に才能を感じていますか?
エル:私にとってエッセは、理性が曇り、不道徳になりそうなとき、必ず正しい道へ引き戻してくれる存在。もし彼がいなかったら、私はまったく違う人間になっていたかもしれません。
彼の最大の魅力は、人間らしさと誠実さ。それは私たちの音楽の中にも表れているはずです。エッセは、私の中にある意図や衝動を、多くの人と共有できる形に変えてくれる。私の内なる火を広げ、方向づける「接着剤」であり、同時に「風」のような存在です。そういう意味でも、完璧なパートナーだと思っています。
エッセ:エルは僕のベイビーであり、遊び仲間。わがままで、怒りっぽくて、おしゃべりで、疲れ知らず。彼女の詩や思索に恋をしました。常に限界を越えようとし、多くの天才がそうであるように、誰にも見えないターゲットを見抜く力を持っています。彼女のおかげで”退屈”とお別れすることができました。
―Little Boysを結成するとき、どんなバンドを目指していたのでしょう?
エル:Little Boysを始めると決めたとき、私の中ではすでに方向性がはっきりしていました。クラシックピアノの世界にいた私が目指したのは、その真逆。
二人でやることは、制約ではなく、むしろ選択。その分、音と音の間に空間が生まれ、緊張感も、真実味も増す。だからこそ、一音一音が必然になる。そして、あえて残された無音は、どんな音よりも雄弁なんです。
エッセ:エルがギターを手に取ったとき、正直、僕は猛反対しました。「ピアノを続けてほしい」と思ったから。でも彼女の意志の強さは岩のようで、そして結果的に、彼女が正しかった。このクレイジーな決断が、僕たちを想像以上に遠くまで連れてきたんです。
安物のエレキギターと壊れかけのドラムセット──その2つで何をやるか? スーパー・ロック・デュオしかないでしょう。制限があるからこそ、創造力は解き放たれる。アイデアはスピーディーに生まれ、口論もすぐに解決し、トラブルも最小限で済む。現代の音楽はアレンジが装飾過多すぎるなか、僕たちは音楽の本質を見極め、さらに削ぎ落とし、ゲームのルールそのものを再発明するつもりです。Little Boysに他のメンバーを加えるなんて、絶対にあり得ません。
HYDEからWarpまで、二人の音楽ルーツ
―お二人の音楽的ルーツについても聞かせてください。まずはエルさんから。過去のインタビューで、ジョン・レノン、デヴィッド・ボウイ、ニルヴァーナといった名前を挙げていましたが、どんな部分に影響を受けてきたのでしょう?
エル:デヴィッド・ボウイは、「変身することの芸術」を体現する存在です。絶えず自己を再発明しながらも、本質を決して見失わない。そのカメレオンのような在り方に強く惹かれますし、私のなかにある”常に進化し続けたい”という欲求とも深く共鳴しています。
カート・コバーンは、限られた手段と純粋なヴィジョンだけで世界を変えられることを証明した人。単なるサウンドではなく感情そのもの。破壊的なまでにシンプルでありながら、あそこまで人の魂に触れられる──その完璧な例だと思います。
ジョン・レノンは、独自の詞の世界と鋭い眼差しで、知性と感受性を見事に融合させたアーティストです。普遍的なテーマを扱いながらも、時代を超えて輝く美しさを持つ。その在り方を尊敬しています。

―Japanのデヴィッド・シルヴィアンもお好きだとか。
エル:彼は音とビジュアルの両面で、希薄で知的でありながらも、深く感情に訴えかける美学を築き上げたアーティストです。その歌声は洗練されていて、どこか手の届かない存在感を放っている。沈黙や間(ま)を選び取る勇気、”不在”を喚起させる力に深い敬意を抱いています。虚空に漂うようなロマンティックな魂──Little Boysも、ある種そうした実存的な背景を抱えています。きっと私たちのライブでも、その気配を感じ取ってもらえるのではないかと思います。
―さらにエルさんはLArc~en~Ciel、特にHYDEさんの大ファンだとお聞きしました。
エル:私はずっとHYDEに魅了されてきました。彼の繊細で内省的な瞬間に滲み出る”哀しみの気配”には、デヴィッド・シルヴィアンにも通じるものを感じています。特に印象的なのが、『AWAKE』(2005年)に収録された「My Dear」。この曲での彼の歌唱には、シルヴィアンが『Secrets of the Beehive』(1987年)で描いた繊細なバラードと同じような、深い情感と静謐さが宿っています。HYDEの声には甘さと緊張感が同居していて、なおかつ独特の質感がある。聴く人を時間や空間からそっと切り離し、宙に浮かぶような浮遊感を生み出してくれるんです。
さらに私が強く惹かれるのは、HYDEが纏う圧倒的なカリスマ性です。彼の存在から放たれる磁場のようなエネルギー……言葉にするのは難しいけれど、ひと目見た瞬間に引き込まれてしまう、抗えない魅力があるように思います。
―次はエッセさんにお聞きします。ロックを聴く一方で、Warp Recordsをきっかけにエレクトロニック・ミュージックにも惹かれていったそうですね。
エッセ:Warp Recordsのカタログは、僕にとってまさに啓示でした。感情を表現するのに、空っぽな言葉を並べる必要なんてない──そう思える音楽に、ついに出会えたんです。当時の僕は、リズムの不条理さと音の魔法に満ちた、”深いブルー”のような世界にのめり込んでいきました。
なかでも心を奪われたのは、エイフェックス・ツイン(『Druqks』や『Analogue Bubblebath』シリーズ)と、オウテカ(特にライブ!)。彼らはリズムという概念についても、まったく新しい地平を開いてくれたんです。初めてその音楽を聴き終えたときは、長い明晰夢から目覚めたような感覚でした。その夢の中で、僕は多くを学んだのです。
―影響を受けたドラマーは誰ですか?
エッセ:マーズ・ヴォルタのジョン・セオドアは、狂気的で型破りなアレンジに惹かれます。TOOLのダニー・ケアリーは、信じられないほど独自のスタイルを持つドラマー。デイヴ・グロールは、あふれ出るエネルギーに圧倒されます。そしてマーク・ジュリアナには、僕と同じくエイフェックス・ツインを”非ドラマー的なドラマー”と捉えている点に共感を覚えます。もちろんテクニックを磨くことも大切ですが、僕はそれ以上に、身につけた技術を音楽という”魔法の狂気”のために操れる人たちに深い敬意を抱いています。

―ドラムへのこだわりについても教えてください。
エッセ:必要最低限に絞ったシンプルなドラムセットが好きです。踊るように手を伸ばして叩く高さにあるシンバル、まろやかに響く木の音。そして、僕の揺るぎない目的は、エルを解き放つことです。
─Little Boysの音楽性は、MC5からザ・ホワイト・ストライプスに連なる系譜からの影響を感じずにいられません。
エル:デトロイトのシーンは、私たちにとって大きな影響源です。もし、お手本と呼べる存在を挙げるなら、ホワイト・ストライプスが間違いなく中心的な影響源です。
エッセ:ホワイト・ストライプスが僕らを生み出してくれた──そのことを認めないわけにはいかないですよね。ジャック・ホワイトの歌い方、ソングライティング、ナイーブな感じも大好きです。
日本への憧憬、イタリアのアイデンティティ
―Little Boysの音楽には、J-POPや日本の音楽からの影響も感じられるような気がします。
エル:正直なところ、自分たちの音楽にJ-POPの要素があると考えたことはなかったです。私はどちらかというとヴィジュアル系に惹かれてきました。X JAPAN、LUNA SEA、MALICE MIZER、DIR EN GREYといったバンドの美学や、音楽が持つイメージ喚起力。最近の曲には、きっとそうした影響が自然とにじみ出ていると思います。
―日本のどんなところに魅力を感じていますか?
エル:私が日本に惹かれたのは、地理的にも文化的にも遠く、簡単には手の届かない場所だったからです。その距離感が私の好奇心を刺激し、挑戦したいという気持ちを生みました。”場違い”だと感じることで自分を再発見し、順応しようとする──そのプロセスが楽しくて、今も刺激を受け続けています。もちろん、精神性や観光地としての魅力も、西洋から来た人間にとっては大きなインパクトがあります。でも私にとって一番心を打たれたのは、やはり”手の届かなさ”だったかもしれません。
それから……とにかく日本の食事は驚異的に美味しい! イタリア人のほとんどは、日本での食体験がどれほど素晴らしいか想像すらできないと思う。またすぐにでも行って、すべての料理を味わいたいです!
エッセ:ヨーロッパ人にとって日本への入り口は、アニメか、伝統文化にまつわるステレオタイプのどちらか。僕たちはその両方を通して日本に出会いました。そして、心から日本を愛していなければ、こうして何度も日本を目指すことはなかったでしょう。
他者や命、選択、環境、静けさ、そして物事に最善を尽くすという価値観。日本にはそうした文化が根づいていて、もてなしの心や、調和の中に美を見出す感性が生きています。日本にいると、成熟した社会に身を置いていると感じるんです。少なくとも、腐敗した西洋の社会とはまったく違う。どうか、その素晴らしさを失わないでください!

―「SATSUGAI」という日本語詞の楽曲をリリースしていますよね。”殺害”をテーマに選んだ理由、この曲を日本語で歌うことにした背景を教えてください。
エル:いつものように、きっかけは好奇心でした。自分を試し、そのスリルに酔いしれるのが好きなんです。翻訳は、日本人の友人であり、文学と哲学を専門とする教授に手伝ってもらいました。長年の友人ですが、作業になると必ず”完全なすれ違い”が起きます(笑)。けれどそれは、細部への異様なこだわりから生まれる、”美しい誤訳”と言うべきものでした。
「SATSUGAI」も、そんなふたつの風変わりな脳がぶつかり合い、融合して生まれた曲です。もっとも、私たちにとっては”誤解”ではなく、むしろ理想的な言葉の選択だったと思っています。
「殺害」という言葉はたしかに強烈ですが、「自殺」などを選ぶより、もっと外に向かって解き放たれるイメージを表現したかった。単なる自己否定ではなく、いまの自分を形づくっている「偽りの自我」への”他者的な攻撃”。ランボーの言葉を借りるなら、「我とは他者である」という感覚です。これは「自殺」ではなく、”もはや自分とは呼べない何か”を壊す行為なんです。
この曲はとても抽象的で、理解しにくいかもしれません。でも結局のところ、人生という無限で多面的なサイクルを完全に理解し、支配できる人なんて、誰ひとりいないはずです。
「SATSUGAI」を収録した2023年の2ndアルバム『RICORDATI CHE DEVI MORIRE』
―Little Boysの音楽には、情熱や官能性といった要素が色濃く感じられます。それはイタリア的な感性とも言い換えられるものなのでしょうか?
エル:そのご指摘はまさに核心を突いていると思います。父がイタリアのカンタウトーレに深く傾倒していたこともあり、幼い頃から多くの楽曲に親しんできました。なかには、今ではイタリア人ですら知らないような曲もあり、それが少し寂しくも感じます。
私たちの国には、比類なき音楽の伝統があります。ファブリツィオ・デ・アンドレ、ルイジ・テンコ、ジーノ・パオリ、ウンベルト・ビンディ……。多くの詩人たちが、イタリア文化の深さと繊細さを音楽に昇華してきました。だからこそ、私たちの音楽から情熱や強い感情が自然ににじみ出るのは、ごく当然のことなのです。それは、私たち自身のアイデンティティに深く根づいているものだから。
エッセ:僕がイタリア音楽をきちんと聴くようになったのは、実はエルのおかげです。10代の頃、ラジオやテレビで流れていたのは英語圏の音楽ばかりで、イタリアの音楽にはあまり触れていませんでした。でも、実はイタリアのアンダーグラウンドには、宝石のような音楽がたくさん眠っているんです。イタリアン・ポップスの名曲ももちろん素晴らしいですが、ロックバンドにも詩のように美しい音を奏でる人たちがたくさんいます。
”歌の堕天使”を聴いてみたいなら、Edda(エッダ)の『Semper Biot』(2009年)をぜひ。少年のような歌声で、聴く人の心のどこかを引き裂くような感覚を与えてくれます。
―日本への関心が深まっていく中で、ご自身の「イタリア人としてのアイデンティティ」を新たに見つめ直した瞬間はありましたか?
エル:私と日本との関係は、長い時間をかけて育まれてきた”魅了の関係”です。あえて急いで触れすぎないようにしてきました。美的な憧れにとどめたり、思考のショートカットで日本を単純化してしまうのが嫌だったからです。
むしろ私は、”意図的な禁欲”とも言える距離感を保ちながら、日本を味わいたいと思いました。神聖なものを一口ずつ味わうように。その結果、逆説的な発見がありました。距離を取れば取るほど、むしろその奥へと引き込まれていったのです。距離そのものが、新しい視点を与えてくれたかのようでした。
今は日本語を勉強しています。そこで気づいたのは、言語は単なる記号ではなく、思考そのものだということ。日本語は、言葉を使う/使わないという選択によって文化的な習慣や考え方を形づくっているのです。
同時に、日本と向き合うことで、自分の「イタリア性」についても考えるようになりました。イタリアでは、”本物らしさ”は身体を通じて表現されます。声や感情のほとばしり、顔、手、そしてお腹──身体全体で感情を示す文化。それこそが、世界中から見たときに私たちイタリア人を魅力的に映している要素なのかもしれません。「情熱的」「演劇的」「本能的」という印象──いわゆるラテン・ラヴァー的ステレオタイプも、単なる常套句ではなく、「感情を恐れずに表現する文化」のシグナルなのだと思います。
エッセ:イタリア人は、裸で、貧しくても賢く生まれてくる。かつては誇り高くもあった。日本に出会ってから、初めて「なぜ自分は祖国を心から愛しきれないのか」という問いに向き合うようになった気がします。
東京への眼差し、DURANとの出会い、ツアーへの意気込み
―2024年のシングル「Greed」では、これまでのロックンロール的なイメージとは異なる一面が表現されていました。この曲はベルリン在住の日本人ビートメイカー・Steamaさんが作曲したそうですね。
エッセ:Steamaは、怒りと郷愁を抱えて日本を飛び出した青年です。「GREED」は、そんな彼に贈る”僕たちからの歓迎の曲”でもありました。たとえ遠く離れていても、彼のことはずっと心のなかにいます。
エル:私は、”惹かれる”相手と一緒に創作するのが好きです。ここで言う”惹かれる”とは、友情や職業的な尊敬を超えた、もっと内臓に響くようなエネルギー的な引力のこと。そういうつながりを感じたら、ジャンルの壁なんて関係ありません。Steamaは冷静で醒めた視点を持っている人。彼がビートを作り、私たちがそこに詞と声を乗せる──制作はとても直感的で即興的なものでした。
いま改めて「Greed」を聴くと、そこには催眠的で、感覚の深層に入り込んでくるような音の世界が広がっていると感じます。欲望、引力、支配――そういった感情が絡み合いながら揺れるブラックホールのような空間。「Greed」は、誘惑という力についての小さな音の儀式であり、”所有したい”という飢えを”ダンス”へと昇華させた曲なんです。
―最新シングル「IZAKAYA」は、日本の居酒屋における刹那的な人間関係、即時的な快楽、現実逃避への欲求、そして結局は何も満たされないことへの空虚さがコンセプトになっているそうですね。
エル:日本に来て、最初に衝撃を受けたのは、人間関係におけるパラドックスでした。親密になるのは難しい一方で、極めて形式化された一時的な出会いが簡単に消費されていく。居酒屋はその象徴的な場所ですし、ホストクラブのような空間もそう。形式や美学、そして”逃避の装置”としての機能が際立っていると感じました。
ぱっと見では、表層的なコミュニケーションに見えるかもしれません。軽いノリ、安っぽい感情のやり取り。でも、よく観察すると、これは日本という高度に感情的プレッシャーのかかる社会で生まれた、非常に精密な文化的コードだとわかります。空虚さが”構造”として存在していて、表層の軽さや薄さも、実は戦略的に使われている。そんなふうに私は感じたんです。
それ以来、私はものごとを別のアングルで見るようになりました。どんな文化にも「良い倫理」と「悪い倫理」が混在していて、単純に白黒では割り切れない。その土地の文脈が”親密さ”の言語そのものを変えていくのだと思います。日本で感じた冷たさの裏にも、圧縮され、スタイリングされた人間性があり、それは爆発を求めているように見えました。
「IZAKAYA」は、そんな観察から生まれた曲です。つながりたい衝動と、構造的な孤独が追いかけ合う感覚。私は、いかにも”空虚に見える”ものに惹かれます。その”軽さ”の下には、驚くほど深い内省や感情の建築物が隠れているから。刹那的な関係性には「孤独」や「抑圧された欲望」「社会的なコード」がぎゅっと詰まっている。それが私にはとても魅力的に映るのです。
―「IZAKAYA」のなかで使われている日本語のモノローグは、どなたによるものなのでしょうか?
エッセ:あのモノローグは、あなたたちの国のゴールデン・ボーイ、Duran! 彼は自分で台詞を書き、ほんの数分で録音してしまいました。
エル:スタジオでDuranと一緒にいて、先ほど説明したような、曖昧で魅力的な”関係性のメカニズム”について語り合っていたんです。それでふと「今の気分で何か即興で話してみない?」と声をかけたら、数分後には彼がブースに入り、あの声を録音してくれたんです。すべてが自然発生的で、完璧な瞬間でした。
―「IZAKAYA」も収録されている最新EP『TOKYO ADDICTED』には、DURANさんによるリミックスも含まれています。昨年10月には彼と一緒に日本ツアーを回っていましたが、そもそもどのように出会ったのでしょうか?
エル:最初の日本ツアーを終えてイタリアに帰国した1週間後、SNSを通じてDURANから連絡がありました。「道ばたの小石かと思ったら、実は宝石だった」というメッセージと共に、「ぜひ次のツアーに参加したい」と申し出てくれて。その言葉と、私たちを見る彼の視線に惹かれて、半年後の10月、彼と一緒に再び日本ツアーを行うことに決めたんです。そこから、とても自然な形で友情が生まれました。
リミックスを聴いたときの第一印象は、「私たちの音の世界をちゃんと受け止めてくれている」というものでした。音楽の趣味も近くて、たとえば私たちもDURANもジャック・ホワイトが大好きなんです。その共通点も、今回のコラボに自然に現れていたと思います。とても刺激的な出会いでした。
エッセ:ミックスの腕前も本当にすごい。なんであんなに上手くできるんだろう?(笑)DURANは僕たちと一緒に演奏した経験があるからこそ、僕らのサウンドが進もうとしている方向性を、誰よりも正確に掴んでくれました。彼とは、”汚れた質感”への美意識も共有できていて、今のところ、あそこまで僕たちの核心を捉えてくれた人はいません。僕たちは、互いの”匂い”を自然に感じ取って惹かれ合ったんです。
この投稿をInstagramで見るDURAN(@duranstagram)がシェアした投稿DURANとLittle Boys
―『TOKYO ADDICTED』(東京中毒)というタイトルとも関連した質問です。あなたたちの目に、東京という都市はどのように映っているのでしょうか?
エル:東京という街は、私にとって「自己が溶けて再構築される舞台」です。その本質には、パラドックスに満ちた都市のあり方があります。ただの大都市ではなく、人間の欲望が巨大に屈折し、反射する場所。夢のように歪んだ風景が、私たちの野心を増幅させ、同時に試してくる。「何だって可能だ」と信じさせながら、その夢を崩れさせる場でもある。
東京は抗いがたい磁力を持っている。私はあの街を「すべての希望と満たされなかった願いを無条件に受け入れる巨大な神殿」と捉えています。だからこそ、”自分を探してさまよう魂たち”にとっての避難所でもある。
街のあらゆる角には、自分の意味を探し続ける私たち自身が映し出されています。秩序と混沌、無限への欲望と有限の認識──その交差点。深く考えるほど、東京の奥には存在論的な痛みが潜んでいるように思えます。欠如のなかに宿る、メランコリックな美しさ。東京で感じた”空虚”は、物理的なものではなく、心理的な深淵でした。人々の飽くなき欲望が生み出した、自己を飲み込むスパイラル。その真ん中で、私は”倒錯的な快楽”を感じました。探し続けること自体に、喜びがある。
東京は、無限のエネルギーと動きを持つ都市。そして、決して手の届かない何かを求め続ける人間の”記念碑”そのものだと思います。
─5月から始まるジャパンツアーでは、どんなライブが期待できそうですか?
エル:どんなライブになるかは、正直に言うとわかりません。でも、それこそが大事なんです。もし最初から「こうなる」とわかってしまったら、きっとすべて台無しになると思う。私はいつも、あらかじめ”期待”を持たずに臨みます。大まかな枠は決めますが、必ず即興の余白を残しておきたい。あえて迷子になることで、その瞬間にしか生まれない何かと出会いたいんです。
今回の「KYŌKI NO TANE」(狂喜の種)ツアーでは、各地のライブがそれぞれ儀式のようなものになるでしょう。生々しく、混沌としながらも、不可欠な体験。私は観客にショウを見せたいのではありません。ある種の”喚起”を体験してほしいんです。アドレナリンを感じ、その瞬間だけ存在する”むき出しのエネルギー”を共有したい。それが爆発するかしないかわからない、でもだからこそ価値がある。
私たちは、火の中に飛び込むような覚悟で準備をしています。その炎から生まれる一つひとつのライブこそが、私たちが人々の心に残していく「狂喜」であり、「種」なんです。
エッセ:今回のツアーでは、これまでライブで一度も演奏したことのない楽曲や、できたてホヤホヤの”爆弾”も披露します! もうすぐ出発なので、テンションも最高潮です!

─最後の質問です。このインタビューで初めてLittle Boysを知った読者のために、ライブをより楽しむためにおすすめの楽曲を教えていただけますか?
エル:初めて私たちを聴く人におすすめするなら、「Buona Fortuna」ですね。予測不能な展開、強いエネルギー、そして大胆さ――まさに私たちのライブの本質をそのまま映し出している曲です。できれば歌詞も訳して、言葉にも触れてもらえたら嬉しいです。
エッセ:僕のおすすめは「Simile a me」。EP『TOKYO ADDICTED』に収録された最新曲のひとつで、演奏していてすごく楽しいんです。初期のアルバムからなら、「La sua stanza」と「Il profumo che rimane」も挙げたいですね。ライブではあまり演奏しませんが、どちらも軽やかで、聴く人の内側に余韻を残すような曲です。
Little Boys「KYŌKI NO TANE TOUR」
2025年5月3日(金)京都 NANO >>>詳細
2025年5月7日(火)京都 GATTACA >>>詳細
2025年5月8日(水)大阪 梅田 HARDRAIN >>>詳細
2025年5月11日(土)大阪 戦国大統領 >>>詳細
2025年5月13日(月)神戸 VARIT. >>>詳細
2025年5月15日(水)東京 Ruby Room >>>詳細
2025年5月16日(木)東京 Rathole >>>詳細
2025年5月17日(金)VIP Lavish Event(スペシャルゲスト出演)
2025年5月18日(土)東京 WALL >>>詳細
2025年5月24日(金)東京 Red Shoes
Little Boys:https://linktr.ee/Littleboys

INTERVIEW: Little Boys
L'estetica del duo rock italiano affascinato dal Giappone
Il duo rock italiano Little Boys, innamorato di Tokyo, torna in Giappone con la sua esplosiva energia, sprigionata attraverso una formazione minimale composta da chitarra e batteria.
Elle (Vo, Gt) ed Esse (Dr) si sono incontrati per caso nel 2020, sullo stesso volo diretto in Giappone, riconoscendo subito una profonda affinità musicale tra loro. La loro formazione essenziale, che ricorda i White Stripes, riflette la "filosofia della sottrazione" che entrambi perseguono. Il loro blues rock sperimentale intreccia passione e sensualità tipicamente italiane con una sensibilità acuta verso la cultura giapponese, creando un sound semplice ma ricco di stratificazioni concettuali.
Nel loro ultimo EP, TOKYO ADDICTED, pubblicato a gennaio, è inclusa anche "Izakaya", una traccia che cattura in modo vivido il senso di vuoto e i paradossi urbani di Tokyo. Il progetto vede anche la partecipazione di DURAN, chitarrista noto per il suo lavoro con Hiroshi Inaba e Fujii Kaze, nonché compagno di tour nella loro precedente tournée giapponese.
A maggio, Elle ed Esse torneranno per il loro terzo tour in Giappone, KYŌKI NO TANE. In questa intervista definitiva, raccontano storie inedite sulla nascita della band, le loro radici musicali che attraversano i generi e il profondo rispetto che nutrono per il Giappone come spazio culturale.
Due anime che si sono incrociate su un volo per il Giappone
– Per cominciare, potete raccontarci il percorso musicale di Elle ed Esse? In che tipo di ambiente siete cresciuti e in che modo avete iniziato ad avvicinarvi alla musica?
Elle: Sono cresciuta in un ambiente che non esisteva ancora — me lo sono costruita da zero, come un mondo parallelo. Lesperimento è sempre stato la mia casa.
Il mio primo amore non è stata la musica, ma la scrittura. A sei anni scrivevo poesie e riflessioni durante le lezioni, In modo inspiegabile, gli insegnanti le adoravano.
Alcune delle cose che ho scritto, crescendo, hanno lasciato il segno in modi imprevisti: una mia canzone su un terribile fatto di cronaca — una bambina di quattro anni, abusata e gettata da un palazzo — fu pubblicata su un giornale nazionale. Da lì ho capito due cose: la prima, che scrivere può spostare qualcosa nel mondo. La seconda, che dire la verità ha un prezzo. Ho ricevuto minacce per quella canzone, qui ho capito limportanza delle parole.
Ho iniziato come cantautrice e studiato pianoforte per sfida, forse per emulazione o forse solo perché mi piace lottare con ciò che sembra fuori portata. Poi ho messo su un gruppo rock elettronico, ma a un certo punto ho sentito che stavo diventando prevedibile. Così ho ricominciato da capo con una chitarra al rovescio, cercando nuovo apprendimento e suoni che mi disorientassero.
Se dovessi definire il mio percorso, direi che non sono cresciuta in un ambiente musicale: ho creato un habitat fatto di voci fuori campo, tensioni psichiche e ricerca del sublime nellimperfezione. Come molti cantautori italiani del passato, vengo dalla scrittura.
Esse: La mia famiglia non è molto incline alla musica ma senza mio fratello non sarei mai diventato musicista. Aveva bisogno di un bassista ed è così che ho cominciato, imitando le band di rock alternativo degli USA che erano in voga durante gli anni 90, allora tutti lo facevano e sognavano di prendere il posto di quei mostri che qualche volta lanno venivano in Italia a suonare. Non ci perdevamo un concerto. Da allora non ho piu smesso di sognare con la musica.
– Ho saputo che prima di formare i Little Boys, entrambi avete avuto esperienze con altri gruppi e collaborazioni con artisti italiani affermati. Potete parlarci delle vostre carriere musicali prima di dare vita ai Little Boys?
Elle: Prima dei Little Boys ho attraversato varie fasi. Ho iniziato con un progetto di cantautorato e poi ho lanciato una fase che ho chiamato ”trap impegnata” — beat contemporanei ma testi spiazzanti, quasi filosofici.
Poi ho formato una band rock elettronico chiamata Absurda, dove tutto era visione e distorsione. Ed è proprio grazie a questa band che è avvenuto un incontro determinante: abbiamo collaborato con Livio Magnini, storico chitarrista dei Bluvertigo — una delle band italiane più influenti dellalternative degli anni 90, tuttora nostro punto di riferimento come produttore e mix engineer del nostro prossimo album.
Abbiamo anche lavorato con ingegneri del suono sperimentali, come Luca Tacconi, che hanno collaborato con Steve Albini , per cercare ispirazione e dare vita a un suono che fosse diverso, meno standard.
Esse: Ho suonato con diverse band durante ladolescenza, con i Tiqqun ho girato lItalia e con gli Absurda abbiamo inciso un disco in cui ho messo tutto e creduto tanto.
Quando ho scoperto la musica elettronica ho comprato una drum machine, un pc e mi sono chiuso al buio ad inventare e ho passato anni di oscura serenità. Al risveglio, con la voglia di usare anche il corpo e le mani, ho trovato i Little Boys.
– La storia del vostro incontro su un volo per il Giappone nell'inverno del 2020 è molto toccante ed emozionante. Ma sembra che, allinizio, vi foste reciprocamente antipatici. Perché stavate andando in Giappone? Cosa è successo su quellaereo? In quale momento avete sentito una certa affinità? E come siete arrivati infine a formare i Little Boys? Raccontateci nel dettaglio, se possibile.
Elle: Sì, è vero: inizialmente ci stavamo cordialmente antipatici. Ci conoscevamo parzialmente, ma nulla di più. Su quel volo per il Giappone, nellinverno del 2020, eravamo due estranei con visioni completamente diverse, ma accomunati da un desiderio profondo: fuggire per cercare qualcosa che potesse lenire le nostre ferite interiori. La nostra affinità sta proprio lì — nellessere giorno e notte.
Durante il volo, abbiamo parlato molto e ci siamo fatti una promessa. Non posso rivelarla, perché deve ancora realizzarsi, e parlarne potrebbe influire sui suoi sviluppi futuri.
Una volta arrivati in Giappone, le nostre strade si sono separate, così ho voluto io, potevamo godere della compagnia reciproca durante quel viaggio ma non ho voluto farlo, così ognuno ha seguito il proprio percorso e goduto delle proprie avventure, ma il destino ha voluto che ci ritrovassimo ad un evento in Italia. Da lì, è nata lidea dei Little Boys. Il nostro progetto ha avuto la prima scintilla su quel volo, ma si è concretizzato dopo tempo ed esperienze..
Esse: Tuttora viviamo il nostro rapporto come una situazione di amore/odio reciproco. Allora è bastato uno sguardo a farmi curioso. Son bastate poche parole per capire che avevo incontrato unessere al di fuori dal comune. Andavo in Giappone per curiosità senza prefiggermi nessun obbiettivo, vagabondavo.
– Vorremmo anche sapere di più sulle vostre personalità. Come vedete luno laltro? In quali aspetti vi riconoscete talento a vicenda? In questa occasione, vi chiederei di presentarvi a vicenda: Elle, chi è Esse per te? Esse, chi è Elle per te? Ci piacerebbe conoscere ”laltro” dal vostro punto di vista.
Elle: Sergio per me è una guida nei momenti in cui la ragione diventa nebbiosa, immorale o fallace. Riesce sempre a riportarmi sulla retta via e, se non ci fosse lui, non so come sarei, forse una persona completamente diversa. Penso che la sua qualità più alta sia lumanità e la genuinità che traspaiono, non solo nelle sue parole, ma anche attraverso la nostra musica. Esse ha il potere di rendere i miei intenti più accessibili, di farli diventare qualcosa di collettivo, piuttosto che solo miei. Lui è il collante della nostra musica, il vento che modella, amplifica e direziona il fuoco che ho dentro. In un certo senso, è il partner perfetto. Con lui, la mia visione diventa più concreta e tangibile.
Esse: Elle è la mia bebè compagna di giochi. Capricciosa, iraconda, chiacchierona, instancabile e geniale. Ha sempre le parole che non riesco a dire e il pugno pronto che non riesco a dare. Mi sono innamorato delle sue poesie e riflessioni, sempre oltre il limite di ciò che si possa dire. Come un genio vede il bersaglio che gli altri non possono vedere.
Inoltre grazie a lei ho definitivamente chiuso con la noia.
– Quando avete deciso di formare i Little Boys, che tipo di band e che tipo di musica volevate fare? E cè un motivo specifico per cui avete scelto di restare in due, senza aggiungere altri membri?
Elle: Quando abbiamo deciso di creare i Little Boys, avevo già chiara la direzione. Venendo dal pianoforte classico, volevo fare lopposto: togliere tutto il superfluo, ridurre al minimo armonie e arrangiamenti, lasciare solo lessenziale. Quella sottrazione mi ha elettrizzato. È diventata un modo di pensare, e lho estesa anche ad altre sfere della vita. Restare in due non è stato un limite, ma una scelta precisa: più spazio, più tensione, più verità. Così ogni nota è lì perché deve esserci. E ogni vuoto… parla più forte di qualsiasi riempimento.
Esse: Elle ho imbracciato la chitarra e io lho fustigata per questo, volevo continuasse con il piano. Ma la sua testa è più dura della roccia e devo ammettere che aveva ragione e questa follia ci ha portato più lontano di quello che avrei mai pensato.Con una chitarra elettrica scadente ed una batteria sfondata cosa volevi fare? Un super duo rock ovviamente.
La formula del duo chitarra e batteria è il massimo, il limite che libera la creatività. Le idee nascono veloci, le discussioni si risolvono rapidamente, gli intoppi ridotti al minimo. Non mi importa molto delle poche possibilità di avere solo due suoni, la musica moderna è così piena negli arrangiamenti e nei colori che ha perso di vista il senso stesso della sua esistenza.Riduciamo allessenza, riduciamo ancora di più e reinventiamo il gioco della musica.Un altro membro nei Little Boys è impensabile.
Dalle radici musicali di HYDE a Warp: il viaggio dei due
– Da qui in poi, vorremmo farvi alcune domande sulle vostre radici musicali. Cominciamo con Elle. In alcune interviste precedenti, hai citato nomi come John Lennon, David Bowie e Nirvana. Quali ”rockstar” ti hanno influenzata nel tuo percorso? E cosa ti ha colpito in particolare di questi artisti? In che modo pensi che abbiano lasciato un segno nella tua musica?
Elle: David Bowie rappresenta larte della metamorfosi, labilità di reinventarsi continuamente senza mai perdere la propria essenza. La sua camaleonticità è ciò che più mi affascina, perché risuona con la mia voglia di costante evoluzione, sia artistica che personale. È lidea di non essere mai statici, ma di vivere in un flusso continuo, sfidando ogni convenzione.
Kurt Cobain è lesempio perfetto di come con pochi mezzi, una visione pura e sincera, si possa cambiare il mondo. La sua musica non è solo suono, è emozione, è la vibrazione di una verità cruda che arriva dritta al cuore. Non cè nulla di più affascinante che essere in grado di toccare così profondamente lanima delle persone, partendo da una semplicità devastante.
John Lennon, con la sua scrittura unica e la sua visione del mondo, ha sempre saputo unire intelligenza e sensibilità. La sua capacità di affrontare temi universali, pur mantenendo una bellezza senza tempo, è qualcosa che ammiro profondamente.
Tutto questo mi ha influenzato in qualche modo traghettando la mia musica, le mie scelte ed esperienze.

– Hai anche menzionato David Sylvian in passato. Il suo gruppo Japan ha avuto grande popolarità anche in Giappone, ed è una band che personalmente amo molto. Cosa ti affascina di lui come artista? Mi piacerebbe sapere in che modo ti ha ispirata.
Elle: David Sylvian mi affascina per la sua capacità di creare unestetica sonora e visiva rarefatta, intellettuale e profondamente emotiva. La sua voce, sofisticata e inarrivabile, sfugge alle mode e alle convenzioni, mentre il suo coraggio nel scegliere il silenzio e la sospensione, nellattendere e nellevocare lassenza, è qualcosa che ammiro profondamente. Questa sua anima romantica e sospesa nel vuoto è qualcosa che sento di condividere i Little Boys vengono anche da questo background esistenziale che credo si possa scorgere o percepire nei nostri live.
– So anche che sei una grandissima fan dei L'Arc-en-Ciel, in particolare di HYDE. Cosa ti colpisce di lui? E se hai una canzone o un album dei LArc che ami in modo speciale, ti va di condividerlo con noi?
Elle: Mi ha sempre colpito il modo in cui Hyde, soprattutto nei suoi momenti più delicati e introspettivi, riesce a evocare una malinconia che richiama lo stile di artisti come David Sylvian. La sua capacità di mescolare dolcezza e tensione emotiva nella voce mi affascina profondamente. Una traccia che trovo particolarmente significativa è My Dear dallalbum AWAKE (2005), dove la profondità emotiva della sua interpretazione mi fa pensare alle ballate più riflessive e delicate di Sylvian, come in Secrets of the Beehive (1987). La sua voce ha una qualità unica, capace di trasportarti in unatmosfera sospesa e carica di emozione.
Quello che mi affascina ancora di più è il carisma che Hyde riesce a trasmettere attraverso la sua presenza. È un magnetismo difficile da spiegare, ma che riesce a catturarti subito, non appena lo guardi. Questo tipo di energia è innegabile.
– Passiamo ora a Esse. So che ti piacciono molti gruppi rock, ma anche che ti sei avvicinato alla musica elettronica grazie alla Warp Records (anchio amo molto quel tipo di sonorità). Quali artisti o dischi ti hanno influenzato di più in quel mondo? E quali elementi di quella musica ti hanno ispirato maggiormente?
Esse: Il catalogo della warp records è stata una rivelazione per me. Finalmente della musica che non aveva bisogno di continue parole vuote per esprimere sensazioni, in quel momento della mia vita sono affondato in un profondo blu fatto di assurdità ritmiche e magie sonore.
Tra i tanti amo Aphex Twin (Druqks e tutti i dischi ”analogue”) e il duo Autechre (rigorosamente dal vivo!), che mi hanno insegnato che la musica è già in ciò che ci circonda, se sei in grado di notarlo. Entrambi mi hanno aperto un mondo, ritmicamente parlando.
Ricordo il momento che ho smesso di ascoltare quella musica come il risveglio da un lungo sonno lucido, in cui ho imparato tanto. E quanto ho amato quella musica che mi ha fatto anche soffrire, senza nemmeno dirmi il perché.
– Ci puoi dire anche quali sono i tuoi batteristi preferiti o che ti hanno più influenzato? Cosa ti affascina in particolare di ognuno di loro? E infine, cè qualcosa che consideri fondamentale nella tua tecnica o nel tuo modo di suonare la batteria? Quali sono i tuoi punti fermi quando ti esprimi attraverso lo strumento?
Esse: John Theodore nei Mars Volta per la sua follia e gli arrangiamenti fuori dallordinario. Danny Carey dei Tool per lo stile pazzesco. Dave Grohl per lenergia che sprigiona e Mark Giuliana perché come me pensa che Aphex Twin sia uno splendido batterista non batterista. Apprezzo chi sviluppa la tecnica ma ancora di più stimo chi pone ciò che sa fa fare al servizio della magica follia che è la musica. Per quel che mi riguarda amo il kit ridotto all essenziale, i piatti alti da raggiungere ballando e i legni che suonano belli rotondi. Il punto fermo è quello di liberare Elle.

– La musica dei Little Boys ricorda in modo evidente le influenze di band come gli MC5 o i White Stripes. Quali gruppi avete considerato come modelli di riferimento?
Elle: La scena di Detroit è stata una grande fonte di ispirazione per noi, ma se dobbiamo parlare di modelli di riferimento, i White Stripes sono senza dubbio uninfluenza centrale.
Esse: I The White Stripes ci hanno messo al mondo, posso non riconoscerlo? Amo il modo di cantare di Jack White ed amo il suo modo naïf di scrivere la musica
Ammirazione per il Giappone, identità italiana
– Parlando dei Little Boys, si percepisce anche una certa influenza dal J-POP e dalla musica giapponese. Ci sono artisti o brani giapponesi che vi hanno colpito in particolare? E cosa vi affascina del J-POP: i testi, il suono, la struttura dei brani? I lettori giapponesi sarebbero sicuramente curiosi di saperne di più, quindi se potete, raccontatecelo in dettaglio.
Elle: Onestamente, non avevo mai fatto questa connessione, ma è interessante che ci sia questa percezione. Non siamo molto esperti nel campo del J-pop, ma posso dire che sono stata più attratta dal Visual Kei. Band come X JAPAN, LUNA SEA, Malice Mizer, e Dir en grey ci hanno colpito per la loro estetica e la forza evocativa della loro musica. Probabilmente, alcune di queste influenze sono emerse nelle nostre ultime canzoni. Non credo che Esse abbia ancora capito la differenza tra J-pop e Visual Kei… ahaha!
Esse: I giapponesi suonano il rock più cool del pianeta. Per uno straniero che arriva in Giappone è folgorante la scoperta di tanta dedizione che porta al perfezionismo. Tanto rispetto di fronte a tanta maestria.
Vorrei indagare di più in quel che succede sottobanco, al di fuori del circuito mainstream non posso immaginare quanti tesori sono nascosti. Comunque mi piacciono le linee melodiche infinite, le strutture al limite e il ”tiro” che non cessa mai.
– In generale, cosa vi attrae del Giappone? Qual è stato il primo contatto o la scintilla che ha acceso il vostro interesse? Avete luoghi, opere o elementi della cultura giapponese che amate in modo particolare?
Elle: Il Giappone mi ha sempre affascinato per la sua distanza inaccessibile, sia geografica che culturale. Questa lontananza ha stimolato la mia curiosità e la voglia di affrontare sfide. La sensazione di trovarmi fuori posto mi ha spinto a reinventarmi e ad adattarmi, un processo che mi ha divertito e che continua a stimolarmi. Ovviamente, laspetto spirituale e le meraviglie turistiche colpiscono chi arriva dallOccidente, ma per me la cosa che più mi ha affascinato è stata proprio quella inaccessibilità. E poi, la cosa che mi ha sbalordito è il cibo, di una bontà surreale. La maggior parte degli italiani nemmeno si immagina quanto sia incredibile mangiare in Giappone. Non vedo lora di tornare e assaporare ogni piatto!
Esse: Per un europeo le porte di ingresso al Giappone si aprono con le anime e con i luoghi comuni sulla vostra affascinante e storica cultura. Noi le abbiamo attraversate entrambe e non saremmo di nuovo in partenza per il vostro paese se non lo adorassimo così come lo adoriamo. La cultura del rispetto dellaltro, della vita, delle proprie scelte, dellambiente, della calma, del fare una cosa al meglio, dellospitalità, della bellezza nellarmonia. Questo fa sì che in Giappone ci si sente sempre al cospetto di una società matura e non marcia come quella in Occidente. Vi prego di resistere!

– Vorremmo chiedervi anche del brano in giapponese ”SATSUGAI”. Perché avete scelto un termine così forte come ”uccidere (殺害)” come tema? Cosa vi ha spinto a scrivere e cantare questo pezzo in giapponese? E se ci sono state difficoltà o accorgimenti particolari nel processo di scrittura e interpretazione in giapponese, ci piacerebbe saperlo.
Elle: Come sempre, la curiosità mi ha spinto a scrivere in giapponese. Mi piace mettermi alla prova e lasciarmi prendere dallebrezza.
Mi sono affidata a un amico giapponese, un professore di lettere e filosofia, che mi ha aiutato con le traduzioni. È unesperienza bizzarra, perché ho tanti amici giapponesi, ma quando lavoro con lui, cè sempre unincomprensione totale. Ma non è una vera incomprensione, è più una sorta di attenzione al particolare che sfocia sempre in fraintendimenti deliziosi.
Satsugai è uno di questi deliziosi fraintendimenti. Ma, a dire il vero, non è neanche troppo un fraintendimento, perché quando leggo il testo, trovo che sia perfetto per quello che volevamo creare. Il termine satsugai (殺害) è forte, significa uccidere. Avremmo potuto scegliere altre parole, come suicidio, ma io volevo qualcosa di più diretto, che riflettesse non tanto lidea di uccidere se stessi e basta, quanto piuttosto un atto di uccisione che sembrasse rivolto verso lesterno verso lestrema visione distorta di noi stessi, del tipo ” Io è un altro” per citare Rimbaud, Non si tratta di suicidio, ma di un assassinio dellidentità che non ci rappresenta più, unidea completamente differente.
La canzone è astratta, difficile da comprendere. In sostanza Nessuno può affermare di essere davvero padrone di questo ciclo infinito e multiforme che è la vita. In definitiva, questa canzone è la fusione di due menti un po strampalate.
Esse: Lascio a Elle la parola.
– È passato circa un anno e mezzo dalluscita dellalbum ”Ricordati che devi morire”, in cui è incluso ”SATSUGAI”. Come vedete oggi questo lavoro, ripensandoci? E che tipo di album volevate realizzare in quel momento? Qual era la visione o il tema che avevate in mente?
Elle: Non mi soffermo troppo a riflettere sul passato, perché ciò che faccio è sempre frutto di un esperimento del momento. Con Ricordati che devi morire, non avevamo unidea chiara allinizio o forse lho dimenticata sarebbe solo una Dismorfia del ricordo. Abbiamo creato seguendo il flusso, senza un progetto prestabilito, un approccio totalmente libero e caotico. Con il lavoro che stiamo portando avanti ora, invece, sto cercando un approccio diverso,limportante è non perdere mai quella tensione tra il controllo e la libertà, tra lidea chiara e limprevisto.
Esse: Ricordati che devi morire è un invito alla riflessione più banale della vita: è il tuo turno per il giro sulla giostra, gira e gira ancora finché puoi, godi della vita, delle tue passioni, della compagnia e della tua curiosità.
Lalbum è frutto della nostra incontenibile e maledetta fretta. A posteriori è difficile non riconoscere i propri errori, ma questa è una cosa che lascio fare agli adulti che hanno perso la voglia di creare qualcosa di sempre nuovo.
– Allo stesso tempo, nella musica dei Little Boys si percepiscono fortemente passione e sensualità, elementi che la rendono molto ”italiana”. È una sensazione personale, ma ascoltandovi ho pensato che appartenete allo stesso Paese dei Måneskin, molto amati anche in Giappone. In che modo pensate di essere stati influenzati dalla musica e dalla cultura italiane, le vostre radici?
Elle: Credo che tu abbia colto nel segno. La musica italiana ha avuto un impatto enorme su di me, forse più che su Sergio, ma ci ha influenzato entrambi. Mio padre, grande appassionato di cantautori italiani, mi ha trasmesso fin da piccola questa passione. Ho sempre ascoltato e amato tantissime canzoni italiane, alcune delle quali ormai sconosciute anche alla maggior parte degli italiani, e questo mi rattrista. Si sta perdendo una tradizione musicale ineguagliabile, quella che va da De André, Tenco, Paoli, Bindi, a tanti altri poeti e musicisti che hanno saputo tradurre la nostra cultura in musica con una profondità e una sensibilità straordinarie. È naturale, quindi, che la passione e lintensità della nostra musica emerga nel nostro lavoro, perché è qualcosa che fa parte della nostra identità più profonda e del nostro contesto culturale.
Sono felice che i Måneskin siano stati apprezzati così tanto dal pubblico giapponese. Penso che abbiano saputo portare un pezzo di Italia nel mondo, e questo è qualcosa di davvero speciale.
Esse: Mi vien da ridere perché da italiano ho iniziato ad ascoltare la musica italiana grazie ad Elle. La radio e la tv della mi adolescenza passava solo roba inglese e americana, eppure abbiamo dei gioielli nel nostro circuito underground che tutti dovrebbero conoscere. A parte i classici della canzone leggera italiana ci sono molte band rock che sono pura poesia. Vuoi ascoltare un dio caduto del canto? Si chiama Edda (Album ”Semper Biöt”) e canta con la voce di un bimbo e ti strappa qualcosa dentro mentre cerchi di capire cosa stia facendo.
– Man mano che cresce il vostro interesse per il Giappone, ci sono stati momenti in cui avete riscoperto o riflettuto in modo nuovo sulla vostra identità come italiani? Se sì, vi va di raccontarcelo?
Elle: Il mio rapporto con il Giappone è una lunga fascinazione che ho scelto di non consumare in fretta. Non ho mai voluto ridurlo a una semplice infatuazione estetica, né seguirne le scorciatoie mentali che spesso lo banalizzano. Al contrario, ho preferito restare in una sorta di ”astinenza intenzionale”, assaporandolo come si fa con qualcosa di sacro—un sorso alla volta. E in questo rallentamento ho scoperto il paradosso più potente: più mi tenevo a distanza, più finivo per sprofondarci dentro. Come se il mio stesso distacco mi avesse fatto vedere tutto con occhi nuovi.
Sto studiando la lingua, ovviamente. E lì si svela la chiave di tutto: il giapponese non è solo un codice, è un modo di pensare. Ti insegna come ogni abitudine culturale sia figlia delle parole che scegli di usare o di non usare.
Allo stesso tempo, però, il Giappone mi ha anche costretto a riconsiderare la mia italianità. Una cosa che forse prima davo per scontata. Ho capito che da noi lautenticità passa attraverso il corpo, la voce, lo slancio emotivo. Ci esprimiamo in faccia, nelle mani, nella pancia. È ciò che ci rende magnetici, anche nellimmaginario internazionale: passionali, teatrali, istintivi. Il nostro essere ”Latin lover” non è solo uno stereotipo pop—è anche un segnale chiaro di una cultura che non ha mai avuto paura di sentire, e di farlo vedere.
Esse: Litaliano nasce nudo, povero ma furbo. Un tempo nasceva anche orgoglioso. Il Giappone mi ha fatto riflettere su cosa non mi fa amare la mia terra come potrei.

Sguardo su Tokyo, incontro con DURAN, entusiasmo per il tour
– Il singolo del 2024 ”GREED” ha mostrato un lato diverso rispetto allimmagine più rocknroll che vi contraddistingue. Ho saputo che il brano è stato composto da Steama. Che tipo di rapporto avete con lui, e quale mondo sonoro o immaginario avete cercato di creare con questa canzone?
Elle: A me piace collaborare con persone che mi attraggono. Non parlo solo di amicizia o stima professionale—intendo unattrattiva sottile, viscerale, quasi energetica. Quando sento quella connessione, non esiste genere che mi blocchi: posso lavorare su qualsiasi tipo di suono. Per me conta solo ciò che si crea nellincontro, nello scambio.
Con Steama—un ragazzo giapponese che stimo molto per il suo approccio lucido e disilluso, segnato da una certa consapevolezza profonda della sua esperienza artistica passata—ci è piaciuto questo incontro. Lui ha composto il beat, noi ci abbiamo costruito sopra testo e voce. È stato un processo molto istintivo, unespressione pura del momento, senza alcun intento predefinito.
Ascoltandola ora, GREED mi sembra evocare uno spazio mentale e sensoriale quasi ipnotico: un buco nero che attrae e confonde, dove desiderio, attrazione e potere giocano una partita ambigua. È una riflessione, quasi un rituale, sulla seduzione come forza che può elevare o distruggere.Alla fine, GREED è questo: un piccolo rito sonoro in cui la fame di possesso si fa danza.
Esse: Steama è un ragazzo che è scappato con un po di rabbia e tanta nostalgia dal vostro paese. Greed era un lavoro di ”benvenuto da noi”. Lo porto nel cuore anche se è lontano.
– Parliamo ora dellultimo singolo, ”IZAKAYA”. Ho letto che il brano si ispira ai rapporti umani fugaci e privi di significato allinterno dei locali giapponesi, al desiderio di piacere immediato, allevasione dalla realtà e al vuoto che ne deriva. Come giapponese, sono rimasto colpito dalla precisione dello sguardo. Come siete arrivati a un concept così specifico? Raccontateci il processo.
Elle: Quello che mi ha colpita subito, arrivando in Giappone, è stato questo strano paradosso nei rapporti umani: da una parte la difficoltà di approccio, dallaltra la facilità con cui si consumano incontri fugaci, quasi codificati. Lizakaya è solo un esempio, ma si potrebbe parlare anche degli host club — dove tutto si gioca su formalità, estetica e meccanismi di evasione.
A prima vista sembrano dinamiche superficiali. Comunicazione spiccia, emozioni low cost. Ma se ci metti una lente più attenta, capisci che quel modo di relazionarsi è frutto di una cultura precisa, di una società ad altissima pressione emotiva. E allora quel vuoto diventa codice. E la superficialità… può essere usata con astuzia.
È lì che ho iniziato a guardare tutto con occhi diversi. Perché ogni cultura offre spazi per una buona o cattiva etica, non cè bianco o nero. È solo il contesto che cambia la grammatica dellintimità. Anche nellapparente freddezza, si nasconde unumanità compressa, stilizzata, che però vuole esplodere da qualche parte.
”Izakaya” è il risultato di questa osservazione. È un modo per raccontare quel bisogno di connessione e quel vuoto strutturale che si rincorrono a vicenda. Mi affascina tutto ciò che sembra solo apparenza vacua. È lì che spesso si nasconde un edificio di introspezione, unintera architettura emotiva sotto la superficie. Le dinamiche effimere mi attraggono proprio perché sembrano leggere, ma parlano di solitudini, codici sociali, desideri compressi. IZAKAYA nasce da questa tensione: la leggerezza apparente che, se ascoltata bene, rivela tutto il contrario.
Esse: Parla Elle
– Infine, nel brano ”IZAKAYA” compare un monologo in giapponese davvero suggestivo. Chi ha prestato la voce per quella parte?
Elle: Ero in studio con Duran, stavamo parlando proprio di queste dinamiche relazionali, di quanto siano affascinanti e ambigue. Gli ho chiesto al volo: ”Ti va di improvvisare qualcosa su questo?” – e pochi minuti dopo era in sala a registrare la sua voce. È stato un momento spontaneo e perfetto.
Esse: È il vostro golden boy Duran! Ha scritto e inciso tutto in un paio di minuti, un ragazzo da un talento gigantesco.
この投稿をInstagramで見るDURAN(@duranstagram)がシェアした投稿– Il brano ”IZAKAYA” è incluso nellEP intitolato TOKYO ADDICTED. Come vedete voi due la città di Tokyo? Qual è il significato racchiuso in questo titolo, e cosa pensate dellattrattiva e delleffetto quasi ”dipendenza” che Tokyo può avere?
Elle: Tokyo, nella sua essenza, è un palcoscenico dove la nostra identità si dissolve e si reinventa, rispecchiando la natura paradossale della città stessa. Non è semplicemente una metropoli, ma una colossale rifrazione dei desideri umani, una distorsione onirica che amplifica e sfida ogni ambizione e fa credere che è possibile, si percepisce una tensione tra il reale e lirreale, come se la città fosse la materializzazione delle nostre più ardite utopie e al contempo il luogo dove queste utopie sono condannate a sfaldarsi. Tokyo non è invasiva, ma magnetica. Potremmo paragonarla ad un grande tempio che accoglie senza giudizio ogni speranza, ogni desiderio non realizzato, rendendola quasi un rifugio per le anime erranti in cerca di se stesse. Ogni angolo di questa città è una riflessione della nostra continua ricerca di significato, unintersezione tra il caos e lordine, tra il desiderio di infinito e il riconoscimento della nostra finitezza, se proprio devo rifletterci sempre più a fondo, credo che sotto la superficie di Tokyo si nasconda un dolore esistenziale, una bellezza melanconica che, paradossalmente, trova la sua forza nellassenza. Il vuoto che ho percepito in questa città non è solo un vuoto fisico, ma un abisso psicologico che si fa palpabile, dove il desiderio inesausto degli abitanti crea una spirale che divora se stessa. Lì, tra il frastuono e la frenesia, ho trovato una sorta di masochismo impensabile, un godimento nella ricerca incessante, come se il buco stesso che la città ha creato fosse la vera attrazione, il vero centro pulsante. Tokyo, con tutta la sua energia e il suo dinamismo, è in definitiva il monumento a una continua, irraggiungibile ricerca di qualcosa che, forse, non è mai destinato ad essere trovato e per fortuna.
Esse: Tokyo addicted parla chiaro e parla con la voce di Elle. Per me vale ”Traditional Japan addicted”.
Tokyo è un posto dellaltro mondo per me che vengo dalla campagna del nord Italia, mi piace moltissimo la proiezione verso il futuro ma sono sempre e comunque alla ricerca dei segni della vostra bellezza eterna, più o meno nascosti tra i giochi di specchi e luci che colorano la metropoli.
Cè tanta poesia per strada a Tokyo, in un cartello, in un incrocio, in un piccolo tempio, nel silenzio improvviso.
– NellEP TOKYO ADDICTED, è stato DURAN a occuparsi dei remix di due brani. So che avete condiviso con lui anche parte del tour. Come lo avete conosciuto e che tipo di rapporto avete costruito nel tempo? E quali sono state le vostre impressioni ascoltando i remix che ha realizzato per voi?
Elle: Dopo il nostro primo tour da soli, siamo tornati in Italia e, una settimana dopo, siamo stati contattati tramite social da Duran, che ha espresso la sua volontà di unirsi a noi nel tour, dicendo che è raro incontrare per strada dei sassolini che, in realtà, sono delle gemme. Ci è piaciuto molto il complimento e la sua visione verso di noi, quindi abbiamo deciso di tornare a ottobre, sei mesi dopo, per un altro tour, questa volta insieme a lui. Abbiamo costruito un rapporto di amicizia, è stato davvero molto divertente; Duran è una bravissima persona.
Ascoltando i remix, la nostra prima impressione è stata che abbia davvero accolto il nostro mondo. Credo che i nostri gusti musicali siano simili, entrambi amiamo Jack White, e questo si è riflesso nel lavoro che abbiamo fatto insieme. È stato un incontro davvero interessante.
Esse: Anche nel mix Duran è stato bravissimo, ma come è possibile?
Avendo suonato con noi ha capito meglio di chiunque altro la direzione che il nostro sound aveva bisogno. Condividiamo con Duran il gusto dello sporco, nessuno più di lui finora ha centrato lobiettivo del nostro sound. Allorigine del nostro incontro dunque cè stato questo. questa cosa…abbiamo sentito luno lodore dellaltro. E ci siamo avvicinati.
– Nei vostri precedenti lavori, avete collaborato con ingegneri del suono giapponesi come Shunichi Yoshioka, Kazunori Okamoto e Naoki Iwata. Qual è stato il motivo per cui avete deciso di lavorare proprio con loro? Ci potete raccontare il contesto e le intenzioni dietro questa scelta?
Elle: Beh, le scelte sono frutto di troppi caffè, davvero! Non sto scherzando, ogni decisione è stata presa in preda a un mix di caos creativo e una dose massiccia di caffeina.
Stimo Shunichi Yoshioka, Kazunori Okamoto e Naoki Iwata, quindi avevo unidea di chi fosse la giusta persona per il nostro progetto. Ma la cosa bella è che ogni collaborazione è sempre stata un viaggio un po imprevedibile sia nelle dinamiche che nella realizzazione, Un po come se stessimo navigando senza mappa, ma sempre con il vento a favore. E alla fine, è stato assolutamente interessante! Chi lavrebbe mai detto?
Esse: Lascio che Elle confessi il suo diabolico piano di invasione del Giappone.

– Il tour giapponese che inizierà a maggio: che tipo di spettacolo sarà? Quali sono le vostre aspettative, e che tipo di live vorreste offrire al pubblico giapponese? Raccontateci anche con quale spirito vi state preparando.
Elle: Che tipo di spettacolo sarà? Onestamente? Non lo so. E questo è esattamente il punto.
Se sapessi che tipo di show sarà, lo avrei già rovinato.
Io non parto mai con aspettative, ho dei piani generali ma aperti allimprovvisazione, preferisco perdermi e trovare qualcosa di irripetibile. Ogni tappa del Kioki no Tane Tour sarà un rito a sé: viscerale, disordinato, necessario. Voglio che chi ci guarda non assista a uno spettacolo, ma a unevocazione.
Voglio sentire ladrenalina. Voglio che il pubblico senta lenergia grezza di ogni momento, è unesplosione che succede, o non succede, ed è quella la sua forza, tengo Esse alloscuro di tutto per ora perché deve essere sempre in allerta sul palco.
Ci stiamo preparando con lo spirito di chi si butta nel fuoco per vedere che sensazione da ed è sempre la cosa più difficile. Ogni live sarà la memoria che lasciamo, il seme (tane) che piantiamo nel cuore della gente.
Esse: Per il nuovo tour proporremo dei brani mai eseguiti dal vivo e un paio di bombe fresche fresche.Siamo agli sgoccioli della partenza quindi lumore è altissimo.
– Infine, per i lettori che conoscono i Little Boys per la prima volta grazie a questa intervista, potreste ciascuno consigliare un brano (diverso da quelli già menzionati) che possa essere utile per apprezzare meglio i vostri concerti? E ci direste anche perché avete scelto proprio quella canzone?
Elle: Se dovessi consigliare un brano per chi ci conosce per la prima volta, direi ”Buona Fortuna”. È una canzone veramente strana, un po fuori dagli schemi. Ha quellinaspettato, quella potenza e laudacia che rappresentano esattamente lessenza dei nostri concerti. Vi consiglio di ascoltarla, ma soprattutto di tradurre il testo.
Esse: Direi ”Simile a me” da Tokyo addicted perché viene dal nostro ultimo periodo creativo e adoro suonarla. Poi ”La sua stanza” e ”il profumo che rimane” dal nostro primo disco perché non le eseguiamo mai dal vivo, ma sono canzoni leggere che vibrano.
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