ビョークが音と視覚で描くユートピア
ギリシャ神話の”豊穣の角”に由来し、豊かさや多様性を示唆する言葉をタイトルに掲げた今回のツアーは、アルバム名を冠していないことが物語るように変則的なツアーだった。
ここに辿り着くまでの道のりも長かった。2018年4月に『Utopia Tour』を始めたビョークだったが、仕上がりに納得がいかなかったのか11公演を終えた時点で早々と終了。これを下敷きに、彼女が自らサウンド&ビジュアル・クリエイティヴ・ディレクターを務め、アルゼンチン人の映画作家ルクレシア・マルテルをステージ・ディレクターに起用して飛躍的に進化させたのが、『Cornucopia』だった。翌年5月にニューヨークでツアーをローンチしてからもパンデミックで2年間休止を余儀なくされ、さらに『Fossora』のリリースを受けてセットをアップデートしながら、2023年12月まで計45公演を敢行。『ビョーク:コーニュコピア』はこのうち、同年9月1日のポルトガルはリスボンでの公演を、アイスランド人の映像作家イーソルド・ウッガドッティルの監督のもとに収録したコンサート・フィルムだ。

Photo by Santiago Felipe
『Utopia Tour』から引き継いだ参加ミュージシャンは、同郷の音楽監督兼マルチ・インストゥルメンタリストのベルグル・ソルリソン、長年コラボを重ねているオーストリア出身のパーカッショニスト=マヌ・デラーゴ、アメリカ人のハープ奏者=ケイティ・バックリー、フルートとクラリネットを演奏し、事実上ダンサーも務める7人のアイスランド人女性のアンサンブル=ヴィーブラ(Viibra)、同じくアイスランドの合唱団ハムラリッドの5組。『Biophilia Tour』の時と同様にカスタムメイドの楽器──磁力で独特の音色を醸すマグネティック・ハープ、アルミ製の打楽器アルフォン、4本のフルートを円形に接続したサーキュラー・フルート──も用意し、ステージにはリヴァーブ・チェンバーを設えた。ビョークが地元の野山を独りで歩きながら歌っている時の声の響き方を再現するために誂えたという、繭に似た形状の装置だ。

Photo by Santiago Felipe
以上のサウンドを構成する要素の面白さもさることながら、今回のビョークが何よりもこだわったのは、「21世紀のVRのために作り上げたものを19世紀の劇場に落とし込む」試みである。映画の冒頭で言及している通りここ10年間の彼女は、7作目『Biophilia』(2011年)ではインタラクティブなアプリ・バージョンを制作し、『Vulnicura』ではVRで全収録曲のミュージック・ビデオを撮影し、ヘッドセットで体験してもらうイベント『Bjork Digital』(2016~20年)を各地で企画するなど、その時々の最新テクノロジーを駆使し、世界中のイノベーターと組んで没入型のデジタル表現を追求してきたわけだが、『Cornucopia』ではこうした体験で得た学びをライブ・パフォーマンスに昇華。『Fossora』の主要なヴィジュアル・モチーフである菌類をイメージしてデザインしたステージに、素材や形状や解像度が異なる27の可動式スクリーンを曲ごとに様々なコンビネーションで配置し、ドイツ人のデジタル・アーティスト=トビアス・グレムラーが自然界をインスピレーション源に作り上げたアニメーションを投影することで、ヘッドセット無しに3D効果を生み出した。
境をぼかすと言えば、彼女とミュージシャンたちがまとう衣装(複数のデザイナーが提供しており、リスボン公演でのビョークはnoir kei ninomiyaのドレスを着用。ミュージシャンたちの衣装はバルマンが手掛けた)と、共同クリエイティブ・ディレクターのジェイムス・メリー作の幻想的なマスクも、このユートピアに人間を溶け込ませる媒介役を担っている。

Photo by Santiago Felipe
そして計20曲のセットは、『Utopia』のほぼ全ての収録曲と『Fossora』から選んだ3曲を中心に構成されているが、我々が最初に耳にするのは「Family」(『Vulnicura』より)。”家族の死”を悼むこの曲が響き渡る中、スクリーンにはビョークのアヴァターが映し出される。そう、『Vulnicura』のジャケットを飾った、胸に大きな裂け目があるポートレートだ。長年のパートナーとの別れで負ったこの傷が完全に癒えるまでの過程を、彼女は『Cornucopia』の伏線と位置付け、自身のアバターをトビアスのアニメーションの随所に織り込んでいるのである。
こうしたビョークのビジョンの全貌を、実際にライブを観た時にはステージから放たれる刺激と情報量に圧倒されて気付かなかった、細やかなこだわりを再確認させてくれるのが『ビョーク:コーニュコピア』であり、リヴァーブ・チェンバー内で「Show Me Forgiveness」(『Vespertine』より)を歌う彼女の表情から、「Blissing Me」でウォータードラムを操るマヌの手裁きや、まるで森の精霊のようなヴィーブラの面々の豊かな表情まで、マジカルなディテールのひとつひとつを堪能できる。
セットリストが物語るビョークのメッセージ
曲単位でもハイライトには枚挙に暇がない。フルートによるアレンジで生まれ変わった「Isobel」(『Post』より)、サーキュラー・フルートの中央にビョークが立って歌う人生のマニフェスト「Body Memory」(『Utopia』より)、マヌが刻むサンバのリズムでアップデートした「Mouth's Cradle」(『Medúlla』より)といった具合に。クラリネットで奏でられる『Fossora』からの3曲──「Victimhood」「Fossora」「Atopos」──は同作の音楽的アイデンティティをくっきりと印象付け、クライマックスで一気にテンションとアグレッションを上げる『Utopia』からの3曲──「Losss」「Sue Me」「Tabula Rasa」──もスリリング極まりない。「Losss」ではハートブレイクと改めて向き合い、「Sue Me」で娘の親権を巡って闘った末に、「Tabula Rasa」ではハムラリッドの女性シンガーたちと家父長制の支配からの解放を訴えて、本編を終えるのだ。
このあと、アンコール1曲目の「Notget」(『Vulnicura』より)に至ってビョークのアバターはまばゆい光を放ちながら再生を遂げ、オーディエンスがこれを祝福するようにしてケータイのライトを美しく点灯させる。そしてフィナーレを飾るのは、アルフォンの音に縁取られた「Future Forever」。『Utopia』のラストソングでもあり、”未来を切り開くための提言”とも総括できるだろう。ライブの中盤に流れる彼女のメッセージにも、この曲の歌詞が引用されている。ごくシンプルな言葉を用いながらも、そこには彼女が歌ってきた曲群のテーマ──喪失と再生、家族の絆、自然との共生、家父長制の解体、ラブとセクシュアリティなどなど──が包含されており、オプティミスティックな眼差しでユートピアへの道筋を指し示してパフォーマンスを締め括っていると言えよう。

Photo by Santiago Felipe
最後にツアーを終えてからのビョークの動向にも触れておくと、このところDJ活動に精力的に取り組む一方で、環境問題のアクティビストとしても引き続き様々な発信を行なっている。アイスランドの商業捕鯨再開や、東部の町セイジスフィヨルズルでの養殖施設建設の反対運動に関わり、3月に米ナショナル・ジオグラフィック誌が企画した”National Geographic 33”(世界が抱える問題解決に取り組む33人)のひとりに選ばれたのも、そうした取り組みを鑑みてのことだろう。昨年末にはパリのポンピドー・センターで行なわれた『Biodiversité(生物多様性)』と題された催しにも参加し、サウンド・インスタレーション『Natural Manifesto』を発表。フランス人アーティスト=アレフとの共作で、絶滅した動物の鳴き声をAIで再現した上で、サウンドや映像とミックスする試みだった。
そしてもちろん、新作の制作も進めているという。いつものようにその方向性については一切語っていないが、11月には60歳の誕生日を迎えるので、60代最初の作品になるのだろうか? 繰り返さない、立ち止まらない彼女のことだから、唯一確かなのは『Fossora』とは全く異なる作品になるという点だけ。『Cornucopia』のようなライブ・パフォーマンスも恐らく、今回が最初で最後なのではないかと思う。

映画『ビョーク:コーニュコピア』
本編上映時間: 約2時間弱(※未確定)
鑑賞料金: 一律 3,300円(税込)
【劇場一覧・上映日程】
北海道・TOHOシネマズ すすきの
石川・ユナイテッド・シネマ金沢
新潟・ユナイテッド・シネマ新潟
★東京・TOHOシネマズ 日比谷:5月7日(水)~11日(日)
東京・TOHOシネマズ 日本橋
東京・TOHOシネマズ 新宿
神奈川・ムービル
愛知・109シネマズ名古屋
★大阪・TOHOシネマズ 梅田:5月7日(水)~11日(日)
兵庫・109シネマズHAT神戸
京都・TOHOシネマズ 二条
福岡・ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13
※★以外の劇場は5月7日(水)のみ上映
日本公式サイト: https://www.culture-ville.jp/bjork
世界公式サイト(英語): https://bjorkcornucopia.com/
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