ビル・ブルーフォード(Bill Bruford)が75歳にして現役復帰。ギタリストのピート・ロス率いるジャズ・トリオの一員として、6月25日に東京26日に横浜27日に大阪のビルボードライブで来日公演を行う。
そんな彼の最新ロングインタビュー後編。イエス、キング・クリムゾン、ジェネシスを渡り歩いた「プログレ史上最高のドラマー」がカムバックを決心した理由を明かす。

【インタビュー前編】
『こわれもの』『危機』…プログレ黄金時代、イエスの傑作をビル・ブルーフォードが振り返る
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キング・クリムゾンへの参加、イエスとの再会

—(イエス脱退後の)キング・クリムゾンでは、充実した時間を過ごせましたか?

BB:また違った充実感だった。なぜかと言うと、最悪の状態になるまで我慢する必要がないからだ。自分の実績は把握していたし、どこでベストを尽くしたかもわかっていた。さらに、どこでアイデアが尽きたかも理解していたからね。

—70年代後半のパンク・ムーブメントについては、どう感じていましたか? 同世代の中でも賛否両論あったと思います。

BB:パンク・ムーブメントは、盛り上がったと思ったらあっという間に消え去った。当時はアメリカに滞在していることが多かったから、パンク・ブームについては記事で読んだり、セックス・ピストルズの3コードの演奏をたまに耳にする程度だった。パンクも悪くないと思ったが、特に僕自身が影響を受けることはなかった。それに、僕らの売上や経済状況に変化をもたらした訳でもない。だから、キング・クリムゾンのような巨大ロックグループがパンクの影響を受けることはなかったと思うが、ロバート・フリップなどは、巨大になり過ぎたバンドはもはや時代遅れだと指摘していた。
1974年に彼がキング・クリムゾンを解散したのは、懸命な判断だったと思う。

—亡くなる数年前にグレッグ・レイクと話しましたが、彼は「プログレのバンドは巨大になり過ぎてステージ上でふんぞり返っていた」と言っていました。プログレは70年代後半に自滅したという見方を、あなたはどう考えますか?

BB:正にその通りだと思う。ロバート・フリップの功績は、1980年に贅肉を削ぎ落としたキング・クリムゾンを復活させたことだ。最初のバンドとは、まったくの別物になった。勇気のある素晴らしい決断だったと思う。もはやプログレとは呼べない、まったく新しい音楽になった。過激さや極端なスローテンポといった要素を使わず、1974年に僕らが脱ぎ捨てたロングケープを再び身にまとうこともなかった。

—アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ(ABWH)について聞かせてください。数年間のブランクを置いてイエスの作品を演奏するのは、不思議な感覚ではなかったでしょうか。

BB:少しね。僕は当初、ジョン・アンダーソンのソロ・アルバムのレコーディングに参加するつもりでいた。
火山噴火のせいで今ではほとんどが立入禁止区域になってしまったモントセラト島へも、ジョンのレコーディングを手伝いに行くものだと思っていた。ところが空港には、リック(・ウェイクマン)、スティーヴ(・ハウ)、そしてイエスのマネージャーだったブライアン・レーンが集合していた。そこで突然「これは何かが違うぞ」と気づいた。その時点で僕も、メンバーの一員になっていたんだ。ジョンが既に楽曲を準備してくれていたから、レコーディング作業はとてもスムーズだった。リハーサル室に集まってベース・パートについてあれこれ議論する必要などなかったからね。

レコーディングは順調で、すごく新鮮だった。その頃僕は、電子ドラムも使っていた。サウンドがまったく違うんだ。「Birthright」という楽曲あたりで、ちょっとしたひらめきが生まれた。とてもクリエイティブな感覚だった。リック、ジョン、スティーヴと一緒にステージで演奏を続けるうちに、もしかしたら2ndアルバムも作れるのではないか、と思う瞬間もあった。
音楽に対して、新鮮でよりシンプルにアプローチできた気がする。ところが2ndアルバムは、大人の事情により実現しなかった。

—そしてツアーでついに「Close to the Edge」をライブ演奏することになりましたね。

BB:嬉しかった。ライブでやるのは初めてだったし、とても楽しかった。

アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウによる「Close to the Edge」(1989年のライブ映像)

90年代以降のイエスに思うこと

—アルバム『結晶(Union)』(1991年)は、全体的にいかがでしたか。

BB:よくなかった。

—なぜでしょうか?

BB:関わった人間が多過ぎた。手を入れ過ぎた。ハリウッド的な発想だ。7人や8人が同時に演奏するなんて、正気とは思えない。レコード会社のお偉いさんが思い描きそうなファンタジーさ。
だから居心地がよくなかった。でも一方で、かつての僕のように、たいした仕事もせずに多額の報酬を得ることができれば、他のプロジェクトにその資金をつぎ込むこともできる。例えば僕が20年間続けたバンドのようにね。おかげでアースワークス(ビル・ブルーフォードが率いたバンド)は上手く回った。

—ツアーでは、アラン・ホワイトとドラム・パートをどのように振り分けたのでしょうか?

BB:とにかく酷かった。僕はほとんど電子ドラム担当で、アランのヘヴィなロック・ドラムに合わせてパーカッションを叩いていた。確か「Heart of the Sunrise」か何かは、一人で担当した記憶がある。あるところで「ビル・ブルーフォードは、アラン・ホワイトという肉料理とポテトの皿に添えられたオランデーズ・ソースだった」と批評されたが、正にその通りだった。

—リック・ウェイクマンは、『結晶(Union)』を”Onion”(玉ねぎ)と表現しました。聴くと涙が出るからだそうです。

BB:言い得て妙だな。

—あなたも同感ですか?

BB:そもそもアルバムを聴いていない。


—でも、レコーディングには参加しましたよね?

BB:確かに参加したけれど、徹底的にコンピューター処理をされて、まったく別物に変えられてしまった。言うなればオリジナルの『危機』ではなく、新たに作ったデラックス・エディションの方に近い。いろいろ付け加えてリミックスして、あちらこちらをパッチワークされているのだろう。僕は昔かたぎの人間だから、『危機』も、スタジオでのレコーディング直後にプレイバックして確認した時のバージョンが好きなんだ。あれこれいじくり回す前の曲の方がいいね。

楽しかったし、誰が何を演奏しているかわかるし、生身の人間による温かみがある。たぶんミスもあっただろう。上手く弾けなかった自分に顔をしかめる部分もあるが、それがありのままの姿なんだ。僕はそんな作品が大好きなのさ。だから、レコード会社の販売戦略などにはまったく興味がない。

スーパー・デラックス・エディションはまだ聴いていないが、リミックスは嫌いだから、たぶん今後も聴くことはないだろう。まず僕はオーディオマニアではないし、コレクターでもない。
オーディエンス側ではなく、パフォーマーの側の人間だ。僕が認めているのは1972年のパフォーマンスだから、他のバージョンを聴く必要などない。

イエス、1991年のライブ映像

—『危機』をプログレ全盛期の最高傑作だと考えるファンも多いですが、ご自身ではどう思っていますか?

BB:僕は比較やランキングは苦手なんだ。プログレのアルバムはさまざまあるし、最高傑作だっていろいろあるだろう。そういう中でも『危機』は上位にランク入りして、人々の心に響いた人気の作品だったと思う。僕自身も同じく感動を受けたお気に入りの作品だ。素晴らしいアルバムだったと思う。

—あなたはイエスの内紛中だった時期に、ロックの殿堂入りの式典に出席しました。どのような心境でしたか?

BB:バンドの内紛など日常茶飯事だ。だから僕は、ひとつのバンドに長居をしたくないのさ。よくある話だと思う。僕はただ、「式典のステージではアランがドラムを叩けばいい。僕はやりたくない」と宣言した。後のことはうろ覚えだ。でも殿堂入りの式典に参加することで、自分なりの熱意を示せたのはよかったよ。

ジョンとスティーヴとの仲は悪化していたと思うし、今でも微妙だ。何があったのかはわからない。でも何かあったのだろう。とにかく今の僕は部外者だからね。

—式典であなたはスピーチを行いませんでした。スピーチの予定はなかったのでしょうか?

BB:リック・ウェイクマンがあんなに長く話さなければ、僕も一言くらい話せたけれどね。彼が喋りだすと、誰かが「そろそろ締めてください」と言うまで止まらない。それよりも、幼い娘を連れたスコットランド・スクワイアが気の毒だった。彼女は、亡き夫クリスに捧げる言葉を、僕の前に話す予定だったはずだ。彼女はスピーチの準備をしていたのだと思うが、リックが延々と時間を独り占めしてしまったからね。でもそれがロックンロールなのかな。

ピート・ロス・トリオへの参加と「現役復帰」の真意

—あなたは2009年に引退を宣言してドラム・セットから離れました。何が原因だったのでしょうか?

BB:いわゆる燃え尽き症候群だよ。見た目ではわからなかったかもしれないが、実は疲れ切っていた。退屈だったという訳ではない。ドラム・スティックを握っても、何を演奏したらいいか浮かばないような有り様さ。ましてや新しいプレイのアイデアなど、まったく浮かぶ状態ではなかった。

オーバーワークのせいさ。つまりジャズのせいだ。ジャズを演奏しようとすると、苦労が伴う。お金がなければ、全部自分でやるしかない。自分で運んだり、郵送したり、何でも自分でやるんだ。バンを借りて、来るかどうかもわからない観客のためにチケットを手配する。本当に大変な仕事だ。それはいいんだが、アースワークスで20年もそんな生活を続けたら、疲れ果ててしまった。

そんな中で、何かまったく別のことをしたいと思うようになった。大学で博士号を取ろうと思い立ち、5年かけて実現した。その後7年間は、学術論文も執筆した。

—それから音楽活動へと復帰したきっかけは何でしょうか?

BB:ある日、ドラム・セットを見かけた時に、それがまるでアイスクリームを前にした子どものように、突然ウキウキした気分になったのさ。昔は毎日その楽器と触れ合っていたのにね。それで「まだ何か覚えているかな」と思って、ドラム・セットの前に座ってみた。13年のブランクは長いからね。僕のような演奏者がドラム・スティックの細かい動きまで思い出すには、しばらく時間がかかるんだ。それで結局、2022年かそこらまで、また練習に励んだのさ。

—その後の展開はどうなりましたか?

BB:ピート・ロスというギターの名手がいて、地元のスタジオで一緒にリハーサルしながら勘を戻していった。しばらくするといい感じになってきて、「いいベース・プレイヤーがいる」と誰かが紹介してくれたので、一緒にやることになった。地元のパブで演奏したりして、そこからはトントン拍子にライブまで話が進んだ。でも言っておきたいのは、これはイエスで演奏するのとはまったく異なるということ。同じではないんだ。

スタジアムでのコンサートなんて、まったく考えていない。そういうのとは違う。僕が参加しているピート・ロス・トリオというグループは、イギリスやヨーロッパのジャズ・フェスティバルや、小さな劇場、クラブ、パブなんかで演奏しているんだ。

ピート・ロス・トリオのパフォーマンス映像

—久しぶりにステージに立った時の感覚はいかがでしたか?

BB:上手くできたかどうかわからないが、とにかくドラムを再開できて嬉しい。「僕は本当に演奏できるのか? 1967年に演奏を始めた75歳になる人間が、2025年のドラム・スタイルに挑戦するのは馬鹿げていることだろうか? 恥をかかないだろうか? 見苦しくはないだろうか? 僕でもまだ通用するだろうか?」と自問したよ。

「自分にできることは何か? よりよいものを提供できるか? 新しい何かを持ち込めるか?」を達成するのが、僕の役割だ。期待を裏切って若い世代を幻滅させたくないんだ。

—ドラム・セットの前に座りたいという願望が再び蘇ったことに、驚きを感じますか?

BB:もちろんだ。この13年のうち12年間は、まさかこうなるなんて思ってもみなかった。自分のドラムを売却したぐらいだからね。慌ててドラム・セットを揃えたよ。もちろん自宅には、シンバル1枚すらない状態だった。狭い家だし、こんな展開は予想外だった。本当に突然のことだったが、自分の気持ちには逆らえなかった。一度決めたら、突き進むしかなかった。それで「もう一度挑戦してみよう」ということになったのさ。

もしイエスからオファーが来たら?

—スケールアップしてアースワークスのようなグループを新たに組む予定はありませんか?

BB:ないね。アースワークスをリニューアルする気はない。今やっているのは、よりエレクトリックなもので、このまま継続したい。でも今後どうなるかはわからない。1年後には別の形になっているかもしれないな。とにかく今は、イギリス国内の小さな会場で演奏するのが本当に楽しいんだ。

—近年、イエスのステージを観ましたか?

BB:観たよ。ロンドンの大きな劇場でやったイエスの50周年コンサートのステージ上で、僕がバンドを紹介した。かつては深い結び付きがあったが、長い月日が流れて、もはや感情的なつながりを感じなくなった。自分とは関係のないバンドが演奏しているのをただ眺めている感じだ。でも、音楽的には感じるものがあった。

—何をどのように感じたのでしょうか?

BB:50歳に満たない若いメンバーは、クリックトラックに合わせて演奏することに慣れている。まるで何かの儀式のように、きっちりしたタイミングで演奏するんだ。若手メンバーが、ベテランと張り合っている感じだった。ベテランは、一定のリズムに合わせて演奏するというよりは、テンポに寄り添う感じだ。しかしステージが進むにつれて、若手とベテランの差が縮まっていくのがわかった。

—1968年に結成されたバンドが今でも現役でいることに感動しませんか?

BB:ある意味すごいと思う。でもこのまま続けるのもどうかと思うよ。僕は老いぼれロック・バンドに興味はないし、むしろ苦手だ。僕は自分自身をロック・ミュージシャンだとは思っていない。僕はただ本来の姿に戻っただけさ。そう、ジャズ・ミュージシャンにね。

ビル・ブルーフォード、プログレ史上最高のドラマーが明かす「現役復帰」の真意

ピート・ロス・トリオ

—あなたがドラマーとして復帰した今、イエスからコンサートのゲストとしてオファーが来たらどうしますか?

BB:この15年ほど、週に2回のペースでそんな話が来ていたよ。でも答えは決まっている。「ありがとう。でも僕はやらない」

—ジョン・アンダーソンとスティーヴ・ハウが仲直りして再び共演することを望みますか?

BB:いや、どうでもいいと思っている。でもジョンと僕には共通点がある。二人とも、いわば復活組だ。かなり前にイエスを離れたジョンは、ニューアルバムと共に新たな道を歩んでいる。素晴らしいことだ。僕も彼と同じような感覚だよ。

—今後数年間の目標を教えてください。

BB:とにかく優れたドラマーであり続けたい。どのような形であれ自分が参加したグループの中では上手くやりたいし、常に新鮮な風を吹き込めるドラマーでありたい。それができなくなったら終わりだ。音楽的に貢献できなくなったら、僕は退くよ。でも今後もより上を目指して、いつまでも音楽に関わっていたい。「歳を取ったからといってドラムを止める必要はない。ドラムを止めた途端に歳を取るのだ」と誰かが言っていた。まったくその通りだと思う。

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From Rolling Stone US.

Pete Roth Trio featuring Bill Bruford来日公演

■ ビルボードライブ東京(1日2回公演)
2025年6月25日(水)
・1stステージ 開場16:30/開演17:30
・2ndステージ 開場19:30/開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら

■ 追加公演:ビルボードライブ横浜(1日2回公演)
2025年6月26日(木)
・1stステージ 開場16:30/開演17:30
・2ndステージ 開場19:30/開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら

■ ビルボードライブ大阪(1日2回公演)
2025年6月27日(金)
・1stステージ 開場16:30/開演17:30
・2ndステージ 開場19:30/開演20:30
>>>詳細・チケット購入はこちら

メンバー:Pete Roth(Gt)、Bill Bruford(Dr)、Mike Pratt(Ba)

【Special】いよいよ今月ビルボードライブツアーを開催する、Pete Roth Trioからビデオメッセージが到着しました東京公演はソールドアウト!ビルボードライブ横浜で行われる追加公演も残席僅かなのでご予約はお早めに
▼6/26(木)ビルボードライブ横浜公演詳細はこちらhttps://t.co/FnaJjErStspic.twitter.com/yauOKooxP8— Billboard Live TOKYO【ビルボードライブ東京】 (@billboardlive_t) June 6, 2025



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