2015年に、『Layla Revisited』と同じくロックン・フェスティバルで収録された『Mad Dogs & Englishmen Revisited』は、テデスキ・トラックス・バンドの12人編成のアンサンブルだけでなく、レオン自身とクリス・ステイントン、リタ・クーリッジ、クラウディア・レニア、パメラ・ポランドといった「マッド・ドッグス」のオリジナル・メンバーたちが参加。さらにブラック・クロウズのクリス・ロビンソン、ウォーレン・ヘインズ、アンダース・オズボーン、デイヴ・メイスンなど豪華ゲストを迎え、折衷的な音楽性とアレンジの妙が絶賛された『Mad Dogs & Englishmen』の世界を見事にアップデートしている。この翌年、2016年11月にレオン・ラッセルが他界してしまったことを考えると歴史的な意義も大きい、秀逸な名盤再訪企画だ。
それにしても、いったいどうして『Mad Dogs & Englishmen』をレオン・ラッセルと共に再訪するという、いかにも苦労が多そうなライブをやろうと決意したのか。このプロジェクトの内幕について、バンマスであるデレクにたっぷり語ってもらった。
─以前、東京でデレクとスーザンにインタビューした際、あなた方が「大所帯のテデスキ・トラックス・バンドを始める頃、ジョー・コッカーの『Mad Dogs & Englishmen』をよく聴いた」と言っていたことが印象に残っていました。どんな風にしてあのアルバムと出会ったのか教えてもらえますか?
デレク・トラックス(以下D):確かエンジニアのボビー・ティスに、「Space Captain」を聴いたりカバーしてみたりするといいよって言われたんだよね。その時はまだテデスキ・トラックス・バンド結成の話が出ていたぐらいの時期だった。その頃ハービー・ハンコックから連絡をもらって、彼のアルバム『The Imagine Project』に参加することになった。という訳で、僕たちがバンドを組んで最初にやったのは、僕とスーザン、コフィ&オテイル・バーブリッジ兄弟、マイク・マティソンと、ハービー・ハンコックとヴィニー・カリウタでやった「Space Captain」だったんだ。なかなかワイルドなスタートだよね(笑)。
でもその前から、自分自身のギアチェンジについては考えていたんだ。オールマン・ブラザーズを辞めてソロのバンドをやろうかなとか、少し活動休止してフレッシュな状態になってからにしようとか。スー(スーザン・テデスキ)にそういう話をしたりもしていた。ちょうどその頃僕たちは『Mad Dogs & Englishmen』の映画を観て、もし一緒にビッグ・バンド…ビッグなロック・バンドを組むとしたら今しかない、と思ったんだ。まだまあまあ若かったし、それを実行するのに十分なキャリアもあったし(笑)、何とかうまくやっていけるんじゃないかって。と言っても、人生の先の方になってからやるものでもない。エネルギーが要るし(笑)、労力もパーソナリティも要るからね。そして金もかかる(苦笑)。マネージャーもブッキング・エージェントも口を揃えて「何で? 君はいったい何をやろうとしているんだ?」なんて言っていたけど(笑)。あの手のサウンドには何かすごくパワフルなものが宿っているんだ。ドラムがふたりいたり、ミニ合唱団がいたり、ホーン・セクションもある。そういう編成でうまくやれたら、本当にスペシャルなことだよ。
─それまで、ジョー・コッカーやレオン・ラッセルのアルバムはどの程度聴いていましたか?
D:そうだなぁ……ジョー・コッカーの音楽は常に身近にあったもののひとつだったと思うね。彼とグレッグ・オールマンは似た音楽的スピリットの持ち主だって前から思っていたんだ。英米それぞれの国の、史上最高のシンガーのひとりだよね。本当にパワフルだし、彼らみたいに歌える人はいない。
僕はすごく幼い頃……10、11歳くらいの頃に、デイトナビーチ(フロリダ州)でレオン・ラッセルの前座をやったことがあるんだ。彼の存在感が大きかったのを憶えているよ。まるでファーザー・タイム(訳注:時間や歴史の流れを擬人化したもの。長老のような威厳のある風格をもって描かれる)みたいで、最高にクールな佇まいだった。そのとき面と向かっては会わなかったような気がするけど、何年も経ってから、今度は彼が僕たちのバンドと一緒にやってくれた。ニューヨークのビーコン・シアターで、レオンのバンドがオープニング・アクトを務めてくれてね。僕たちのサウンドチェックのとき、彼が舞台袖で観ているのを見て「気に入ってくれるといいけどなぁ」と思ったのを憶えているよ(笑)。でも、本当に優しい人だった。

1970年3月27日、『Mad Dogs & Englishmen』の収録中の写真。写真左がジョー・コッカー、右でギターを弾くのがレオン・ラッセル(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)
─あらゆるジャンルの要素がギュッと詰まった『Mad Dogs & Englishmen』の内容は、テデスキ・トラックス・バンドのコンセプトにかなり影響を与えていますよね。あのアルバムのどんなところに魅了されましたか?
D:あのバンドにデレク&ザ・ドミノスとのコネクションがあったこともあって、自分にとってはすごく身近なものに感じられたんだよね。オールマン・ブラザーズ、デラニー&ボニー、そして『Mad Dogs & Englishmen』……ただ、僕が『Mad Dogs』を知ったのは、他のコネクションを知ってからずっと後のことだった。
あのショウの話が出た時は、まさに青天の霹靂だった。僕たちはヴァージニア州でロックン・フェスティバルに出ることになった。
そうしたらある人が「じゃあ『Mad Dogs & Englishmen』をやるのはどうだ?」と提案してくれた。
ということで取り組み始めたんだけど……あの音楽とあのプロジェクトを引き受けるというのは、なかなか手ごわいタスクなんだ。ジョーへのトリビュートで、しかもレオンと一緒にやるなんてさ。だって相手はマエストロだよ? レオンはすべてを見てきたし、すべてを聴いてきた人だからね。でも、本当に魔法のような数日間だった。バンドとの音合わせ、リハーサル、ショウ……あんなにうまくいったなんて本当に信じられないよ。僕は色んなショウや色んなコラボレーションに参加してきたけど、あんな風になったのは初めてだった。本当にスペシャルなことが起こったんだ。リハーサルが始まったその瞬間から、何かマジカルなことが起こるだろうって確信できたからね。
あの頃は今ほど歴史をよくわかっていなかったけど、その後、あの時の様子を映画にして、『Mad Dogs』やそれにまつわる様々なことを学んだんだ。リハーサルの時は……参加者の多くが40年ぶりの再会を果たしていた。まさに同窓会だったよ。あのツアーが終わった頃は「セックス、ドラッグ、ロックンロール」な時代の全盛期という最高な時代だったけど、その後あらゆることが手に負えなくなって、当時の人の多くは隅に追いやられ、傷を舐めていた。そしてまた一からやり直していたけど、その過程の中でコネクトしていなかったんだよね。みんな、『Mad Dogs』のことを人生最高の出来事として捉えていたみたいだった。部屋の中にたくさんの感情が沸き起こっているのを感じることができた。自分が何を感じていたかはっきりとはわからなかったけど、みんながレオンのところにやってきて……例えばクリス・ステイントン……僕と彼はエリック・クラプトンのバンドで一緒にやっていて、彼は今もエリックと一緒にやっている。デイヴ・メイスンもいた。みんなレオンのことを「マエストロ」と呼んでいたよ。最高に素晴らしい光景だった。本当にスペシャルな出来事だった。その後リハーサルが始まると、色んな思いを雰囲気に感じ取ることができた。すごくパワフルだった。映画(『Learning To Live Together』)もすごく素晴らしいから、もし観る機会があったらぜひ。あの一部になれたことを光栄に思っているよ。
『Learning To Live Together: The Return of Mad Dogs & Englishmen』トレイラー映像
奇跡のような瞬間の連続
─さっき言っていた通り、『Mad Dogs & Englishmen』のリズムセクションにはデレク&ザ・ドミノスのジム・ゴードンとカール・レイドルが参加していましたね。あの2人のプレイについては、どこに特徴があると思っていますか?
D:ロックンロール界きってのリズムセクションのひとつだよね。これ以上ないくらいバッド(最高)だ。他にも何人か名前を挙げることはできるかもしれないけど、あの2人を超えるのは至難の業だよ。カールとジムのサウンドが決定版って感じだ。『Mad Dogs』のオリジナル盤を聴いてもらえればわかると思う。あんなプレイはもう誰もやらないよね(笑)。本当に素晴らしいよ。
僕が今やっているツアーはタルサ(オクラホマ州、レオン・ラッセルの地元)から始まったんだけど、その時レオンのシェルター・レコーズのスタジオで『Mad Dogs』の上映会をやったんだ。彼の古いスタジオで昔の映画を観て、終わりにちょっとしたQ&Aセッションをやってね。スーザンがゲイブ・ディクソンのグランドピアノに合わせて「The Letter(あの娘のレター)」を歌ったりもしたんだ。そのすぐ近くにヴィンテージのギター・ショップがあって、そこにカール・レイドルがこのアルバムで弾いたベースを売っていたんだ! すごいことだよね。ケースには「エリック・クラプトン・グループ オクラホマ州タルサ」なんて書いてあった(笑)。素晴らしいツアーの始まりだったよ。本当にスペシャルだった。
─何だか色んなことが巡り巡ってひとつになっている感じですね。
D:いやぁ、本当だよ。
テデスキ・トラックス・バンド&レオン・ラッセル「The Letter」パフォーマンス映像
─先ほど”コネクション”の話が出ましたが、歴史的なことを言うと、まずデラニー&ボニーのツアーにエリック・クラプトンやジョージ・ハリスンが参加して、そこのメンバーの一部がやがて『Mad Dogs & Englishmen』に参加する、という流れでしたよね。イギリスとアメリカのミュージシャンが交流することで、ああいうマジカルなサウンドが成立したのでは、と思うのですが。あなたの見解は?
D:そうだね、あの音楽の大きな一部だったと思う。イギリス人アーティストがデルタ・ブルースやシカゴ・ブルースのレコードを聴いていたことから始まって、それが一大ブームになった。そこに僕のおじ(ブッチ・トラックス)やデュアン・オールマンがクリームを聴き始めて、「何てこった! すごい!」と衝撃を受けて(笑)……その後彼らがアメリカにやってきてオールマン・ブラザーズを観て……エリックはフロリダ州南部でオールマン・ブラザーズを観たんだ。デュアンが(クラプトンのいた)スタジオにやってきて「Layla」が生まれた。という訳で、音楽が衝撃というフィルターを通って故郷に戻ってきたような感じだったんだ。素晴らしいことだよね。音楽の美しさは、カルチャーがぶつかり合ったり、共有されたり、色々な形で解釈されたりすることにあるんだと思う。そうして生まれるものは、時として本当に美しい魔法そのものになる。そういうものを聴く機会に恵まれて、その一部になれて、僕たちはラッキーだと思うよ。しかも僕は、その歴史を作ってきた張本人たち、僕のヒーローたちと出会ったり、共有したり、友だちになることができて、さらにラッキーだ。自分たちがいかに幸運に恵まれているかを、忘れてはいないよ。その流れの一部になれているんだからね。
……で、その立役者たちが今はあまり残っていないことに気づく。この福音的なものを次の世代に繋げていくのは自分の仕事だって気づくんだ。それでいて成長も変化もしなければならない。ただコピーするんじゃなくて、ちゃんと生きて呼吸している、エキサイティングで新しいものにしないといけない。
僕たちのバンドがこのプロジェクトを引き受けたとき、レオンが参加に合意してくれると、色んな人から声がかかるようになってね。「僕はマッド・ドッグスにいたんだ」「僕も」みたいな感じで(笑)。いた人は全員ウェルカムだ、一緒にやろう!なんて感じだったよ。でも僕は誰がプレイしていたのか、その人がどのくらい長い間関わっていたのかわかっていなかった。今でもプレイできるのか、曲を憶えているのかも知らなかった。各メンバーのバックグラウンドを何も知らなかったんだ。何しろ総勢40人だからね。それで、僕たちのバンドと何回かリハーサルをやった。レパートリーを内から外から、上から下から、左から右から、学び尽くさなければという感じだったな。オリジナル・メンバーたちがもたらしてくれるものは、少なくとも基盤になる。
……で、リハーサルが始まった。全員が同じマインドセットで集まった。思うにそこがマジックだったんじゃないかな。全員がリハに来てくれて、まるでスーパーボウルやワールドカップみたいだった。みんながベストの状態を持ち寄ってくれたんだ。本当にスペシャルだったよ。最初に「With A Little Help From My Friends」から始めたんだ。ふと振り返ると、オリジナルのリズム・パーカッショニストのボビー・トーレスの姿が見えた。苛立っているのかな?と思ったよ。もしかしたら僕たちは間違ったことをしているのかもしれない……とかね。でもそのうち、いや、感情を表に出しているだけなんだってわかった。彼は嬉し涙を流していたんだ。多分メンバーの多くが、もう二度とああいうサウンドを耳にすることはないと思っていたんだろうね。このバンドにはドラマーが2人いて、コフィ・バーブリッジがいて、クリス・ステイントンがいて、レオン・ラッセルがいた。それにティム・ルフェーヴルもいて、さらには歌がめちゃめちゃうまい人が20人いて、しかもフロントマンもいた。狭い部屋にパワーがあふれていたよ。今でもあの時感じたものを憶えている。終わった後、「うわぁ、これはすごくいいものになりそうだ」と実感がわいた。A地点からB地点までうまくまとまったまま行くことができれば、スペシャルなものができるぞ、と。
ショウが始まったときもそんな感覚だった。1曲目をプレイしながら「いいスタートが切れたぞ」と思ったのを憶えているよ。ステージで演奏するときって、最初の数音くらいでなんとなくその先が見えてくることがあるんだ(笑)。緊張感が走っているときもあるけど、この時はとにかく心地良かったし、パワーを感じた。その後も曲が進むごとに脱線するんじゃないかって思ったけど(笑)、でも結局そうならなくて、どれもこれ以上ないくらい素晴らしい形にまとまっていた。
それから……映画の中で、メンバーがみんなで輪になって手を繋いでいるシーンがあるんだ。すごく70年代的でヒッピーな瞬間なんだけど(笑)、ショウの始まる前に、メンバーの1人が「みんなで輪になろうよ!」と言い出してさ。40人で、「よし、やろう!」ということになって、みんなで大きな輪になって、それが終わってからステージに向かっていった。
で、ステージに向かおうとすると、クリス・ロビンソンがこう話しかけてきたんだ。「あのさあ、言い忘れてたけど、俺はレオンを1、2年前に観たことがあってさ。彼は『The Ballad Of Mad Dogs And Englishmen』を独りでプレイしていて、本当にパワフルなひとときだった」って。僕は「えええ……早く言ってよ!」と思ったよ(苦笑)。でも「レオンにちょっと訊いてみる」と言ったんだ。レオンはステージに向かおうとしていた。もし彼がその気だったら、やってくれるんじゃないかと思ってね。その曲でセットを終わらせるのもいいんじゃないかと。誰もいないマイクにスポットライトを当てて、ジョー・コッカーがいるような感じに演出して、それから「With A Little Help」をアンコールでやったらどうかなと。それでレオンのところに走っていって、ステージに向かいがてら訊いてみた。「クリスがこんなことを言っていたんだけど」「ああ、できるよ。いいんじゃないか」……そんな訳で、リハーサルも何もなく、思いつきだけで、急遽照明や音響担当の人にもプランが変わったことを伝えた。でもバンドは知らなかったんだ。30人に伝える時間なんてなかったからね!(笑)。実際に彼の演奏が始まったときは本当にスペシャルな瞬間だったよ。2万人が観ている大規模なロック・ショウから、いきなりものすごく親密な時間になったんだ。レオンがいて、ライトがあって、誰もいないマイクと、ジョー……そんな中、彼は音楽を滴らせていたよ。素晴らしかった。

─そんな風に、突然の奇跡が起こったりしたのですね…。あのような大編成のアレンジは至難の業だったと思いますが、いったいどんな風にまとめて行ったんですか? レオンもアレンジを担当した当時を振り返って、「かなり骨が折れた」とこぼしていたそうですが。
D:まずラッキーなことに、オリジナルのアレンジが素晴らしかったんだ。僕たちも少しは手を入れたけど、大半は『Mad Dogs』のオリジナルを使った。素晴らしかったよ。彼らのやったバージョンのいくつかはその曲の典型的なアレンジと見なされるようになったよね。という訳で取り組んだテンプレートが良かった。あと、ラッキーなことにこのバンドはツアーをたくさんやっているから、リハーサルが始まって仕事モードになると、気楽とまではいかないけど、結構早く音がまとまるんだ。みんな宿題をやってきているからね。一番大変だったのは人の動きかな。リハーサルに出られなくて、ぶっつけ本番だったメンバーもいた。確かウォーレン・ヘインズとクリス・ロビンソンとドイル・ブラムホールはリハーサルに出られなかったから、あるはずのパートがない状態でリハーサルを進めないといけなかった。でもノートにメモをたくさんとっておけば(笑)、臨戦態勢になることができるんだ。そういう感じで進んでいった。みんなすごく真面目に取り組んでくれたと思う。うまくいった大きな理由のひとつはそれだね。それに……世界でもベストの部類に入るミュージシャンたちだらけだったから。本当に素晴らしいミュージシャンのセレクションだったよ。リタ・クーリッジもいるし、クラウディア・レニアもいるし、チャック・ブラックウェルもドラムを叩いてくれた。
「She Came In Through the Bathroom Window」にはウォーレン・ヘインズがリードボーカル&ギター、アンダース・オズボーンがギターで参加
─ジョー・コッカーの驚異的なボーカルに挑もうとする人は男性でもなかなかいないと思いますが、さすがスーザン、見事にやってのけましたね。並のシンガーには到底無理だと思います。
D:それは疑いの余地もないね!(きっぱり)。リハーサルでやらなかった曲がいくつかあってね。「With A Little Help」はスーザンが独りでリハーサルしたんだ。クリスがいなかったから。でも本当に……うまかったよ(笑)。リハーサル初日に彼女がやったあのバージョンがベストだったんじゃないかと思うくらい。あんなバージョンは聴いたことがなかったからね。あまりに良かったから、リタ・クーリッジが感想を言いに来たよ。もちろん本番でクリスが最高の形で歌ってくれて、スーザンとの相性もバッチリだったけど、リタ・クーリッジは多分クリスのボーカルをあまり知らなかったんだろうね。「スーザン……この曲はあなたが歌わなくちゃ!」なんて言っていたよ(笑)。そのくらいパワフルだったんだ。
もうひとつ印象に残っているのは、リタ・クーリッジ、僕たちのバンドのアリシア・シャコール、スーザン、クラウディア・レニアというレディースのコネクションの美しさだった。スーザンはその時から現在までリタとの友情が続いているよ。今も連絡をくれているんだ。リタがスーに対して、女性として音楽業界を渡り歩くことについて話をしてくれているのがありがたいね。クソみたいなことにも山ほど対処しないといけないこととか、歳を重ねるにつれて状況が変わっていくこととか。あのコラボがきっかけで、ふたりはとても大切な友情を築いたんだ。僕たちにとって極めて重要な時期だったよ。あのショウを経て僕たちのバンドは変わった。自信の種類も変わったしね。「うわぁ、僕たちこんなことをやってのけたのか」と思った。本当にパワフルなことだったよ。あのリハーサル部屋に入っていったとき、誰もが平等で同じ時代を生きていた。自分たちのヒーローと、だよ? そして終わったときには、このバンドが何なのか、自分が何になれるのか、何であるべきなのか……意識がすっかり変わっていたんだ。
レオン・ラッセルとの記憶、日本へのメッセージ
─レオン・ラッセルとの共演が、こうしてレコードになって残ったことを心からうれしく思います。彼と交わした会話で、特に印象に残っていることは?
D:僕にとっては、レオンが一緒にやることに合意してくれた事実そのものだよ(笑)。あの頃は何も知らなかったからね……。今は、あのツアーが彼にとってどれほど意味を持つものなのか、少しはわかるようになったけど。あれは彼にとってとても大きな出来事だったんだ。彼が一緒にやることに合意してくれたこと、そして僕と僕たちのバンドに対してとても心を開いてくれて、僕を信頼して陣頭指揮を執るのを任せてくれたこと自体が、本当にスペシャルなことだった。
全員が揃ったリハーサルが丸1日あったとき、彼のみんなとのやりとりの仕方とか、さりげない気遣いとかを見ていた。レオンが何か音楽的アイデアを持っているときは、僕が音楽監督ではあったけど、みんな「レオンがマエストロなんだから、レオンの言うとおりにやろう」という感じだったよ(笑)。即興的に起こったものも……突然ゴスペルの曲が始まった箇所があったんだよね。スーザンが歌い出したらレオンも歌い出して、みんなで大合唱になってさ。僕はもう「YES!!!」という感じだったよ!(笑)。そういう瞬間がいくつかあったんだ。
他にも「Girl From the North Country(北国の少女)」をやったときは、クラウディア・レニアが「私、ずっとレオンとこれを歌ってみたかったの」と言ってきたから、「やりたいなら、ぜひ」と言ったんだ。それでバンドとして取り組んだんだけど、クラウディアがマイクの調整で歌っている時にレオンが突然プレイし始めて、ふたりきりになった。まだリハーサルの段階だったけど、ふたりとも感情移入してね。バンドが途中から入ろうしたから、僕が「ダメ」と止めたんだ。ふたりだけで本当に素晴らしかったから。終わったときは、本当にパワフルな瞬間だった。部屋にいた人全員が「これはこうあるべきだ」と言っていたね。レオンとクラウディア、ふたりだけにさせようって。というのも、オリジナルのツアーでは多分実現しなかったと思うんだ。あまりにカオスだったから、多分生まれるはずだったけど生まれなかった音楽がいっぱいあっただろうね。あまりにもたくさんのことが起こっていたらしいから。エネルギーがすごくて、色んなことが流動的で、繊細さが失われてしまった場面も多かったと思う。あれもスペシャルなひとときだった。
それから、レオンがとても気さくな人だったことも言っておきたいね。彼のところに歩いていって「あなたとクラウディアだけでやるっていうのはどう思う?」と訊いたら「いいね、やろう。それが君の望むことならね」なんて言ってくれてさ(笑)。こっちとしてはレオン・ラッセルに何かお願いするだけでも申し訳ないのに。「責任者は君さ、Mr.トラックス」なんて言うもんだから、「わかりました。できる限りのことをやります!」という感じだったよ。レオン・ラッセルに指図するなんて気後れしてしまう、とんでもないことだと思っていたけどね(笑)。それに付き合ってくれたという事実が、もう凄いことだった。
でもあの企画のスピリチュアルなリーダーは彼だった。それは疑いの余地もない。誰もが、彼がいたからこそ『Mad Dogs』の1回目も2回目も実現したとわかっていたよ。その一部になれて、僕たちは本当に光栄だった。彼が僕たちに品位とリスペクトを持って一緒にやってくれたことが本当にありがたかったし、スペシャルなことだったと思う。
そして、彼にとっても大きな意味を持つものだったんだ。彼はあの経験を経てエネルギーとスピリットがリニューアルされた。僕は彼のツアー・マネージャーとその後も連絡を取り合っていたんだけど、彼はショウから何カ月も経っても、「あれは彼(レオン)がずっと抱えていた重荷を外してくれた」と言ってくれたんだ。その「重荷」なしにプレイできたのは、彼にとってカタルシスを感じるひとときだったんだろうね。「重荷」にまつわるクソみたいなものから解放されて、ひたすら祝福することに専念できたんだ。あの観衆もあの夜も文字通りロックインされていたし、何かスペシャルなことが起こっているって全員がわかっていたからね。全員からそういう感触を得られることはなかなかないよ。フェスで働いていた人たち、出演していた他のバンド、ステージ上の全員、観衆…みんな、「これは毎日あることじゃない」って思っていたんだ(笑)。僕たちにとってはハイライトだし、いつまでも忘れない出来事だよ。
─貴重なエピソードの数々、ありがとうございました。最後に、テデスキ・トラックス・バンドの最新情報も教えてください。今はどんなプロジェクトに取り組んでいるところなのでしょう?
D:実はスタジオ・アルバムを完成させたところなんだ。来年の初めにはリリースできるんじゃないかな。本当に楽しみだよ。マイク・エリゾンド(ドクター・ドレー関連からフィオナ・アップル、レジーナ・スペクターまで幅広いアーティストを手掛けてきたプロデューサー/エンジニア)と作ったんだ。彼とはもう25年くらいの付き合いで、前から一緒に何かやりたいとは言っていた。今回は彼が僕たちのスタジオに来てくれて、17曲くらい録ったのかな? アルバムとEPを出すことになると思う。ミキシングも終わったから、多分来年の初めくらいに出せると思うよ。すごく楽しいアルバムだ。今まで僕たちがバンドとして書いた中でも最高の楽曲群じゃないかな。すごく楽しみなんだ。前よりちょっとアグレッシブになっている曲もあれば、バラードもあるし、スーザンの現時点で最高のボーカルも入っている。すごくエキサイティングな内容なんだ。何曲か既にライブでやっているけど、ちゃんと解釈できている。新しい曲をやるのはいつも楽しいよ。みんな、まるで前から知っているかのように新曲を歌ってくれるんだ(笑)。そういうのも楽しいよね。
という訳で、来年も忙しい1年になりそうだよ。このまま年末までみっちり働いて、来年もたくさんツアーすることになるだろう。願わくば、日本にも早く行きたいな。実はうちの息子と奥さんが……そうそう、8カ月くらい前に息子のチャーリーが結婚してね。遅ればせの新婚旅行で日本に行っていたんだよ。
─それはおめでとうございます!
D:ちょうど帰ってきたばかりでね。すごく楽しかったって。僕らの日本の友だちとも会っていたみたいで、嫉妬してしまうよ!(笑)。でも、息子が日本に行けたことが本当に嬉しいんだ。あいつは「奥さんに日本を見せたい、現地の友だちに会わせたい」ってずっと言っていたからね。東京、大阪、京都をまわってきたらしいよ。息子が行ったから今度は僕たちの番にしないとね(笑)。もう日本へ行く心づもりはできているよ!

テデスキ・トラックス・バンド&レオン・ラッセル
『Mad Dogs & Englishmen Revisited』
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日本盤:UHQ-CD、解説、歌詞対訳付き
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