【#ブルース・スプリングスティーン】
12/24 発売
『明日なき暴走』
奇跡の日本独自企画 | 50周年記念盤!https://t.co/ozhm9vGHF2
完全生産限定
SACD-HYBRID+2CD (3枚組)
7インチ紙ジャケット仕様
高品質Blu-specCD2(Disc2&3)
40P日本版ブックレット
解説/歌詞/対訳付
BORN TO RUNポスター pic.twitter.com/8aZSxcB9EB— Legacy Recordings JP (@SonyMusicLegacy) December 1, 2025『明日なき暴走(50周年記念ジャパン・エディション)』紹介映像
『明日なき暴走(50周年記念ジャパン・エディション)』展開写真
「ロングアイランド大学C.W.ポスト校」公演について
映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』を観た人なら実感できたと思うが、ブルースはスタジオ録音においては決して妥協を許さない男。『明日なき暴走』のタイトル曲、「Born To Run」のレコーディングでも完璧主義の姿勢を貫いて、ストリングスからグロッケンシュピールまで延々とオーバーダブを続けた結果、フィル・スペクターの”ウォール・オブ・サウンド”に肉薄する決定的な名曲が誕生した。しかしその直後にピアニストのデヴィッド・サンシャスとドラマーのアーネスト・カーターがバンドから離脱。オーディションで選んだ新メンバー、ロイ・ビタン(ピアノ他)とマックス・ワインバーグ(ドラムス)……その後のEストリート・バンドを支える重要メンバーが加わり、新体制で完成まで漕ぎ着けたアルバムが『明日なき暴走』であった。
『明日なき暴走(50周年記念ジャパン・エディション)』のディスク2・3で、そうやってパズルのピースが揃ったばかりのEストリート・バンドがどんな演奏を繰り広げていたのか、具体的に知ることができる。当時の新作から披露される「Thunder Road」「Tenth Avenue Freeze-Out」「She's The One」「Born To Run」「Backstreets」のみずみずしさには誰もが息を飲むはず。一方、1stアルバムに収められていた「Lost In The Flood」や「It's Hard To Be A Saint In The City」は、新メンバーの加入が吉と出てスタジオバージョンを凌駕するドラマティックな楽曲へと進化を果たした。
この日のライヴはのちにコンピレーション『In Harmony 2』(1981年)に提供して有名になる「Santa Claus Is Comin' To Town」のカバーを含むことでよく知られているが、他にも気になるカバー曲が。これ以降ライヴで定番となるアニマルズのカバー「Its My Life」は、マックス・ワインバーグの証言によると、メンバー全員が知っている曲だったので、ほぼぶっつけ本番で演奏したというから驚きだ。ライヴ後半で歌う「Sha-La-La」はシュレルズがオリジナルだが、オルガンのアレンジは明らかにマンフレッド・マンのバージョンを踏まえたもの。
「Santa Claus Is Comin' To Town」1978年、米ヒューストンでのライヴ映像
「Sha-La-La」1975年12月12日公演のアンコールで披露されたライヴ音源。この曲は同日の公演のあと、2019年まで44年間ライヴ演奏されなかった
Eストリート・バンド・サウンドのルーツを示す重要なカバーとして、ミッチ・ライダー&デトロイト・ホイールズのレパートリーを連打する「Detroit Medley」は、もちろん必聴だが。ブルースの熱心なファンは、ラストに置かれた「Quarter To Three」のカバーにグッとくるはず。この曲を大ヒットさせたゲイリー・US・ボンズは、1981年にブルースが提供した「This Little Girl」が全米11位まで上昇、劇的カムバックを果たすことになるのだから。そうやって新たなドラマを巻き起こす予感に満ちた、膨大なエナジーがパンパンに詰まった状態のライヴ……この1975年12月、ブルースがまだ26歳の若者だったという事実に、改めて唸らされるばかりだ。
”次のボブ・ディラン”という重い期待を背負わされ、コロムビア・レコードからデビューしたブルースだったが、1973年1月のデビュー・アルバム『アズベリー・パークからの挨拶 (Greetings From Asbury Park, N.J.)』、同年の2作目『青春の叫び (The Wild, The Innocent & The E Street Shuffle)』は、いずれも好評を得ながらもセールスが苦戦。今では信じられない話だが、次のアルバムがコケたら契約が解除される”リストラ予備軍”リストにブルースの名前が載っていたという。続く2005年のインタビューでは、そんな切羽詰まった状況でレコーディングに臨んだ『明日なき暴走』の舞台裏エピソード、失敗が許されない状況で難産に苦しんだ当時の心境が、極めて正直に語られている。(序文:荒野政寿)
【INTERVIEW】
ブルース・スプリングスティーン、『明日なき暴走』の制作過程を語る「俺たちは極限まで走り続けたんだ」
「あの時期に限って言えば俺たちは成功と見なされていなかった。だから『明日なき暴走』はかなり重大だったんだ」自身の名作について、スプリングスティーンはそう語っている。
成功を現実にする最後のチャンスだった。
―今日スティーヴン・ヴァン・ザントにもインタビューしたところ、『明日なき暴走』があなたのレコーディング・アーティストとして最後の作品になってもおかしくない切実感があったそうですね。あなたにとってはどれほど真実に感じられましたか。
ブルース:俺を(米コロンビア・レコーズ、現ソニー・ミュージックに)契約してくれたのはジョン・ハモンドとクライヴ・デイヴィスだったけど、1stアルバムの後でクライヴ・デイヴィスがいなくなってしまって、2ndアルバムが不評を買ってしまった。会社の雰囲気がガラッと変わってしまい、俺に思い入れのある人は誰もいなくて、俺たちは見過ごされるだけだった。確か『青春の叫び』が出たときは特にプロモーションされなくて、ラジオ局に行っても俺が2ndアルバムを出したことが知られていなかったことをいつも思い出すよ(笑)。みんな俺たちの前座を務める有望な若手バンドを観に来て、俺たちの出番になると帰ってしまっていたのを憶えている。(ニューヨーク州ロングアイランド地方のロスリンにある)マイ・ファーザーズ・プレイスでは(当時のマネージャーの)マイク・アペルが入り口で彼らの名前を記録していて、帰ってしまったやつを書いていた。
―「明日なき暴走」のシングルはアルバムにずっと先駆けて出ましたね。
ブルース:そう、『明日なき暴走』が出た時は、シングルがアルバムの6数カ月前に出ているという稀な状態だった。アルバムに時間がかかり過ぎたおかげで、曲をラジオ局に持っていったときはもうほとんどおしまいだと思っていたけれど、そうじゃなかった。つまり、アルバムが出る前に多くの時間が過ぎて、いくつかいいことが起こったということさ。ひとつは曲そのものがかなりラジオでかけられて、大いに評判になったこと。アルバムが評判になったのは、曲の「明日なき暴走」がFMラジオ局でかなり長い間かかっていたからだと思う。
―ブラウン大学だったと思います。
ブルース:ああ。そんな彼がショウを観にやってきて、翌日俺は大学新聞の取材で、レコード会社を酷評していた。確かその息子が家に帰ったときに父親に「なあ、あいつらどうなってるの?」と訊いたんだと思う。そうしたらアーウィン・シーゲルスタインから俺たちに連絡があって、会ったらこう言っていた。「何てこった。和解しようじゃないか」。そう言われても俺たちはずっと不安定な領域にいたから、次に何が起こるかわからなかった。あの時期に限って言えば俺たちは成功と見なされていなかった。
―なかなかの活の入れ方ですね。
ブルース:俺はこう言ったんだ。「心配するなよ、みんな。俺たちは行くところなんてないんだ。俺たちがいなくなることはない。
Photo by Michael Putland/Getty Images
―マスタリングが終わったアルバムを聴いたあなたは、それがひどく気に入らなくて、プールに投げ込んでしまいました。本当は怖かったのだとおっしゃっていましたね。何が怖かったのでしょうか。
ブルース:この作品に対しては、かねてからどっちつかずの姿勢があったんだ……何が怖かったかって? 変化かな。わからないけど(笑)。それに自分の音楽がアイデンティティの全てだったから、ものすごくのめり込み、全てを賭けていた。このアルバムがいいものになったのは、俺たちが構築・作曲・演奏のすべてを極端なまでにこだわり抜いたことだ。細部に至るまで狂気じみたほどにね。
20年くらい聴いていなかったけど、最近リマスタリングしたから聴いてみたら、「すげえな」という感じだったよ。実にしっかりしていたね。とにかく、タンクみたいに頑丈に作られている。壊れようがない。それは俺たちがかけた膨大な時間と、不健康なくらい強迫観念に取りつかれていたことからきていた。怖かった理由の一つは、俺はアルバムをリリースして「ほら、これが俺という人間だ」と言うのが怖かったんだ。人々が露出や人前に出ることを嫌うあらゆる明らかな理由からだよ。これが俺だ、これが俺の知っていることだ。これが俺の最高の状態で、これが俺の今できる最高のものだ、とさらけ出すことの恐怖だ。
―その時点で、あなたはこの作品の全体像を見失ってしまってもいたのですよね。
ブルース:制作の終盤に向かって、クリアな状態で聴けなくなっていたのは確かだね。長い期間をかけて作ったら、その間違っている点や、弱点に思えるものしか聞こえなくなってしまっていたんだ。しかも、俺たちがマスターを聴いたのは、ヴァージニア州リッチモンドの街中の地元のオーディオ店で、店内のステレオで何かかけさせてもらえないかと頼んで、奥の棚の上にあった安いターンテープルで再生した。店のど真ん中でアルバム全体を聴きながら、自分たちの考えを判断しようとしていた。これを納品したくない、これが自分のできる最高のことで、自分はもう終わりだと認めたくなかったのは俺だけだったんだけどね。これが何であれ、良くも悪くも、自分たちの命運がこれにかかっていることを受け容れるのは、当時は大きな責任を伴うものだった。そして俺たちは持っていたものすべてをこの作品に注ぎ込んでいたんだ。だからとにかくトラウマだったね。それに24、5歳と若かったから、どんな形であれ、状況を客観的にみる安定性も歴史も自分にはなかった。そこにあるものがすべてで、これからもそれがすべてだった。このアルバムの後にアルバムを出すことはないだろう(という気がしていた)。自分的には、翌日には俺たちみんな崖から落ちてしまうような感じだった。とにかく「これでおしまいだ」という感じだったんだ。
最高のロック・アルバムを作りたかった
―〈君は恐れている。もしかしたらもうそんなに若くないのかもしれないと考えてしまう〉(Youre scared and youre thinking that maybe you aint that young anymore)という歌詞を書いたとき、あなたは24、5歳でまだ若かった。あれは何について書いていたのでしょう?
ブルース:曲はベトナム戦争の直後に書いたものだったんだ。あの頃は誰もがそう感じていたことを忘れてしまうよね。いくつであろうと関係なく、誰もが自分たちの国や自分たち自身に持っていたイメージが激変する体験をしていた。前の世代とは全く違うタイプのアメリカ人になろうとしているのだと。大きく異なるタイプにね。という訳で、そのフレーズはその事実を認めているだけさ。あのアルバムは俺のヒーローたちの多くから影響を受けている。だけど俺は彼らじゃないって気づいたんだ。俺は俺だった。俺は自分たちを唯一無二で独特の存在にならしめるものを受け容れた。それは過去のスタイルの寄せ集めじゃなかった。俺たちが愛していた音楽に由来するもので大いに気に入っていたものはたくさんあったけれど、他のものもあったんだ。その「他のもの」とは、かなりの恐怖感だったり、未来や自分が何者なのか、自分がどこに向かっているのか、国全体がどこに向かっているのかに関する不確実性だったりする。それがアルバムに入り込んでいったんだ。
―その「涙のサンダー・ロード」や「裏通り(Backstreets)」といった、アルバムのピアノ・パートの叙情的なメジャー・キーのスタイルは、あなたのサウンドの象徴として人々が連想するものの大きな部分を占めるようになりました。あれはどこから来たのでしょうか。あの部分であなたにとって音楽的な試金石となったものは何だったのでしょう。
ブルース:ああいった曲のイントロが凝っていたり、メロディックなパートがあったり、様々な展開があったのは、ロイ・オービソンのアルバムの作風へと遡る。同時に、ただ俺が好きだったからというのもある。うちの居間の前に古いエイオリアン社製の小さなピアノが置いてあってね。あの頃ピアノで曲を書くことに興味を持っていたのは確かだった。ああいうテーマのある楽章に興味を持っていたからというのもある。思うに、いいイントロといいアウトロは、その曲を何かから生まれて何かへと進化していく感触を作ってくれるんじゃないかな。何か連続性のあるものの一部みたいにね。ドラマティックで、物語の幕開けを告げるんだ。俺たちが作ったちょっとした動画の中でもこの曲について訊かれた気がする。情景をお膳立てしてくれるんだ。「涙のサンダー・ロード」のメロディには”新しい1日”を何故か感じさせるものがある。朝の陽の光ですべてが開けていくような。だからこそあの曲はアルバムの1曲目になった。「明日なき暴走」じゃなくてね。普通なら「明日なき暴走」をアルバムの1曲目にするところだけどね。サイド2の1曲目にはしたけれど。でも「涙のサンダー・ロード」はそのイントロがあったから、どう見てもオープニング曲にふさわしかったんだ。それにこういうものは進化していくしね。確か『明日なき暴走』には8曲しか入っていなかった。35分を少し超えたくらいじゃないかな[訳注:実際は39分22秒]。でも聴き込んでいくと、ひとつひとつの曲が出てくる順番がとても理に適っているんだ。俺たちは考えていなかったけどね。あの時は直感的に動いていたから。
―「明日なき暴走」の録音に入る前には、どのような図を思い描いていましたか。
ブルース:とにかくスカッとするような、オーガズムを感じるような(笑)。リフが頭に浮かんだ時のことを憶えているよ。俺はずっとデュアン・エディの「Because Theyre Young」というレコードを聴いていたんだ。当時はトゥワンギー・ギターのサウンドに夢中だったから、デュアン・エディをかなりよく聞いていた。ただ、完全にそれに遡ることはできないもののひとつではあるね。というか、俺には巨大な野心があったんだ。俺は今まで聴いたこともない、最高のロック・アルバムを作りたかった。巨大な音にしたかったし、聴き手の首根っこを掴んで、あのアルバムという旅に身を委ねるように訴えかけたかった。音楽だけじゃなくて、人生に、生きている実感に、生きていることに耳を傾けてほしいと訴えたかったんだ。あの曲が訴えかけていたのはそんな感じのことだった。そして、未知の領域に1歩踏み出してもいた。そこが、例えば「明日なき暴走」と「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」との大きな違いなんだ。「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」には明らかにどこかの立ち位置があった。「明日なき暴走」はそうじゃなかった。その場所を探しているという内容だったんだ。自分が若くて、それこそが自分のやっていることだった頃。まったく縛られていなくて、大まかな地図があって、個人的にも、感情的にも、自分の地平線を探しに出ようとしていた。そしてすべてが非常に、非常に、大きく開かれていたんだ。それがあのアルバムの感触だった。とにかく大きく開かれていて、可能性に満ちていて、恐怖に満ちていてね。まぁそれが人生ってものだよ(笑)。
―今「明日なき暴走」をコンサートで演奏すると、落ち着いた、どこに走っていくでもない人たちが、同じように興奮して、今も自分たちの賛歌であるかのようにシンガロングしていますよね。そしてあなたももうどこに走っていく訳でもありません。あの曲はもはや当時とは違う意味合いがあると思いますが、今はどんな意味合いがあるのでしょうか。
ブルース:思うに、ああいう感情や欲望は……あれは絶大な切望感、ものすごい切望感のアルバムだったけど、一生離れないものじゃないかな。離れるときは死んだときだ。あれはひとえに「なあ、おまえは次の日に向けてあの一歩を踏み出すんだぞ。明日何が起こるかなんて誰もわからないんだから」という内容なんだ。それは誰も知りえやしない。という訳で、あの曲は、人のその部分に今も話しかけているんだ。年齢を超えて、明日何が起こるのか、胸が高鳴るのと同時に恐怖も感じている、自分のそんな部分に話しかけている。これからもずっとね。あの曲はそういう風に作られているんだ。
―「ミーティング・アクロス・ザ・リバー」は、私にとっては『ネブラスカ』や、あなたの削ぎ落としたストーリー・ソングの多くの予兆になっています。あの起源は何だったのでしょうか。
ブルース:あのちょっとしたピアノ・リフがあってね。歌詞がどこから来たかは定かでないけれど。わからないんだ。何かしらノース・ジャージー(ニュージャージー州北部)的なものがあったけど、うまく説明できなくてね……。ニューヨーク/ニュージャージーというか、一流/三流的なものがあったんだよな。おかしなもので、当時はニュージャージーに住んでいると、ニューヨーク・シティからものすごく遠く離れているようで、ニューヨークの存在感が常にあったんだ。その頃には俺たちはもう見限られていたと思う。おそらくそれは、俺が自分自身に感じていたことかもしれないけど、自分が過小評価されてきたという思いと関係があったんじゃないかな。俺の業界に入るやつらの大半は、誰かに見限られるか、過小評価される経験をしている。自分の人生が大きな価値を持たないものだと判断されてしまったりね。という訳であの曲は「なあ、あの男は三流のプレイヤーみたいなんだけど、それでもあの川の向こう側にあるものを見据えているぞ」という思いから生まれたんだ。思うに、あの曲の感情はそこから生まれているんじゃないかな。
―新しく公開された(※2005年の取材当時)ハマースミス・オデオン公演の映像を見て、どんなことが印象に残っていますか。
ブルース:まず驚いたのは、とにかくセットリストが素晴らしかったことじゃないかな。セットの真ん中に「明日なき暴走」が来るんだ。ほら、新曲だよという感じでね。プレイするのが大変だったのを憶えているよ。スタジオで作った曲だったし、最初の1、2年間コンサートを締めくくる曲になるほど十分に強力なバージョンだとは感じたことがなかったんだ。バンドも本当に素晴らしくて興味深いよ。比較的新しいバンドだったのにね。スティーヴンは加入したばかりだったし、マックス(・ワインバーグ)とロイ(・ビタン)もまだバンドの中では新顔だった。これが彼らにとって最初のツアーであり、最初のアルバムだったんだ。それに、その前のバンドのバージョンを見てみると、全く違うバンドなんだよね。あれは本当のカーニバル・バンドだった。と言う訳で新しいバンドが、自身を定義づける形へと姿を変えていったんだ。箱から飛び出したばかりのバンドを見るようで楽しかったよ。そして言わせてもらえば──俺たちはとにかくすごくいい状態だった。俺たちはすごくいい状態だったんだ。
From Rolling Stone US.
ブルース・スプリングスティーン
『明日なき暴走(50周年記念ジャパン・エディション)』
2025年12月24日リリース 税込価格:6,600円
完全生産限定盤/7インチ紙ジャケット仕様
購入:https://brucespringsteenjp.lnk.to/BTR50
特設サイト:https://www.110107.com/BTR50
●DISC1:アルバム『明日なき暴走』世界初SA-CD HYBRID化
●DISC2&3:「1975年12月12日NY州ロングアイランド大学C.W.ポスト校」ライヴ音源(全18曲2時間20分・高品質Blu-spec CD2仕様)
●特典:Born To Runポスター封入
●全40P日本版ブックレット(解説・歌詞・対訳付)
□50年間ずっと愛し続けてきた、僕らにとってかけがえのない友人のような名盤――― 五十嵐正
□ブルー・カラーの世界に生きる若者の怒りをパワーに変えた名曲「Born To Run」――― ジョージ・カックル
□Post Dome, C.W. Post College Greenvale, NY 12/12/1975――― エリック・フラニガン
□訳者ノート~アメリカの夢を追い求める『明日なき暴走』―――三浦久
□1975 BORN TO RUN TOUR DATEと主なセットリスト
□英詩対訳
□ライヴMC部分訳
【#ブルース・スプリングスティーン】
12/24 発売
『明日なき暴走』
奇跡の日本独自企画 | 50周年記念盤!https://t.co/ozhm9vGHF2
完全生産限定
SACD-HYBRID+2CD (3枚組)
7インチ紙ジャケット仕様
高品質Blu-specCD2(Disc2&3)
40P日本版ブックレット
解説/歌詞/対訳付
BORN TO RUNポスター pic.twitter.com/8aZSxcB9EB— Legacy Recordings JP (@SonyMusicLegacy) December 1, 2025『明日なき暴走(50周年記念ジャパン・エディション)』紹介映像
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