2018年12月24日(月)ROCK CAFE LOFT is your room 【講師】牧村憲一 【ゲスト】黒田義之(元『DOLL』編集部) 「渋谷系」という言葉に、四半世紀追っかけられてきました。一言で言えば、様々な解釈がつきまとうかなり面倒なものでした。
黒田:最初に話した通り、僕は音楽よりもデザイン、アートのほうに関心があったので、ラフ・トレードのスタンスには余計に共鳴を覚えます。 牧村:当時はレコードの真ん中の穴を自分で空けなくちゃいけなかったみたいです。
牧村:80年代の後半は『イカ天』に出て『ホコ天』にいる人たちだけがバンド活動をやっていると思われる時代になってしまったんですが、こうしたペニー・アーケードのように洋楽の影響下にあったバンドも地道に活動していたんです。言わばこのペニー・アーケードが活動をしていたことでフォロワーを生みやすくなったんですね。黒ちゃんは80年代の中頃から後半にかけてどんな仕事をしていたんですか。 黒田:その頃は森脇美貴夫とケンカ別れして『DOLL』を離れて、新宿のUKエジソンというレコード屋に入りました。音楽の原稿を書くのも締切に追われるのももうイヤだったし、レコードの制作をやろうと思ったんです。それでUKエジソンという会社でプロダクション兼レーベルをやり始めたんですね。 牧村:どういうアーティストを手掛けていたんですか。 黒田:ガスタンクやケンヂ&ザ・トリップスといったバンドがメインでした。彼らはのちにメジャーへ進出することになるんですけど。あと、ガスタンクのタツというギタリストがのちにジャクスン・ジョーカーというメタル・バンドを結成して、それがジュディ・アンド・マリーに発展していったんです。のちにジュディマリのミニ・アルバムを1枚作って、それは爆発的に売れました。 牧村:なるほど。僕はノン・スタンダードという細野晴臣さんが主宰するレーベル活動の終了後、一度やめたのですが、戻ってきた時にバッファロー・ドーターというバンド、それとペニー・アーケードに影響を受けたと公言していたロリポップ・ソニックというバンドを知りました。 黒田:それがのちに渋谷系と呼ばれる人たちですか? 牧村:いや、最初は渋谷系なんて言葉は一切なかったです。当時の僕は、前の時代に影響を受けて引き継いだような音楽ではなく、新しく始まる音楽に携わりたかったんです。 ──ロリポップ・ソニック「Hello」
佐鳥:じゃあ、ザ・ジストというマーブル・ジャイアンツのスチュワート・モクサムがやっていたバンドの曲をお願いします。A面の4曲目です。 牧村:いいですね。では最後に、ラフ・トレードの日本編集盤『クリア・カット』からザ・ジストの「This Is Love」を聴いてください。 ──ザ・ジスト「This is Love」 *文中敬称を略させていただきました。
しかしそこに「ラフ・トレード」「英国音楽」「パンク」を掛け合わせると、ある断面が見えてきます。70年代から、音楽界を並走してきた黒ちゃんを迎えてのパンク談義。その後編です。(文責・牧村憲一)
コステロの初来日は、今日会場にいらしている麻田浩さんのトムス・キャビンが招聘したんですが、麻田さんにパンク/ニューウェイヴ系を呼びたいと相談されて、一緒にタイアップして『ZOO』が主導で初来日のプログラムを作ったんです。 牧村:今日は徳間ジャパン時代のラフ・トレードの資料を、友人の沢田さんから大量にお借りしています。そのなかの1枚なんですが、スリッツとポップ・グループの両A面のスプリット・シングルです。この盤のスリッツの曲を聴いてみましょう。 ──ザ・スリッツ「In The Beginning There Was Rhythm」 黒田:ラフ・トレードのなかにはYレコードというスリッツとポップ・グループのレーベルがあって、いま聴いてもらったのはそのなかの1枚です。聴いてもらってわかるように、かなり実験的な音楽をやっています。
スティッフがパブ・ロックなら、ラフ・トレードはプログレ絡みの人が意外と多いんです。僕もパンクを知る以前はプログレ、特にジャーマン・プログレをよく聴いていたので、パンクとプログレは方法論的に非常に理解がしやすかった。いま聴いてもらったスリッツにもそういう要素があるし、ポップ・グループはレゲエをかなり大胆に採り入れた最高のバンドだったんじゃないかと思います。イギリスはレゲエのシーンがロックと同時進行でありました。スリッツのメンバーにアリ・アップというボーカリストがいて、そのお母さんがのちにジョン・ライドンの奥さんになったんですよ。アリは残念ながら8年前(2010年)に癌で亡くなってしまったんですが、亡くなる前日にアリとジョン・ライドンが病院でデュエットをしたという話もあります。
よくよく考えてみれば、PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)とスリッツには音楽的な接点があるような気がしますけどね。ラフ・トレードはかなり特色のあるレーベルなんですが、レーベルでディストリビューションを兼ねていたのは、ラフ・トレード含めて限られていたんです。ラフトレードはのちの牧村さんの仕事にもつながる、ネオアコ系のバンドを数多く輩出しています。アズテック・カメラやギャラクシー500といったバンドですね。これからかけるのはメインどころではないのですが、スクリッティ・ポリッティというエレクトロ・ポップのバンドです。 ──スクリッティ・ポリッティ「Sweetest Girl」
レコードのラベルにしても、他のレーベルはただロゴを載せるだけなのに、ラフ・トレードはアーティストによってデザインが全部違うんです。 牧村:ラフ・トレードのスタンスからは大きな影響をもらいました。レーベルが一番ではなく、アーティストが一番なんだというスタンスです。まずアーティストありきという姿勢がありましたね。
日本盤の音の良さ、質の良さがイギリスでも評判で、日本編集盤は人気だったそうです。素晴らしいアーティスティックなレーベルがアートワークでも秀逸なことをやっていて、それに感銘を受けた日本のレコード会社が編集盤を独自に作り、その編集盤が向こうで評価される。理想的な循環ですね。今やそのアートワークが二番手になってしまって、ネットで音を聴く時に一番欠落しているのはその部分だと思うんです。 黒田:同感です。僕もアナログで育った世代だし、いわゆるジャケ買いもよくしていましたから。
──ウィークエンド「The End Of The Affair」
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