中国では「教育は最もコストの安い国防である」、「子どもが優れていれば、国の将来も安泰だ」と言われることがある。確かに「教育の質」は国の将来を左右するものであり、教育がそれだけ重要であることを示した言葉だと言えるだろう。
中国メディアの騰訊は18日、第2次世界大戦で焼け野原になった日本は、学校がなくなってしまっても、「青空教室」として野外で授業を行っていたと紹介し、当時のこうした姿勢からも日本が戦後の奇跡的な復興を遂げることができた要因が見て取れると論じる記事を掲載した。
記事は、日本は戦後に多くの都市が焼け野原になったが、8月15日のポツダム宣言受諾および投降から8日目に当たる8月23日には文部省が各地の学校に対して授業を再開するよう通知を出したと紹介。そして、敗戦によって日本は街だけでなく、心も焼け野原になってしまったと主張する一方、各地の教師たちは机も椅子もないなか、子どもたちを地面に座らせたままで授業を再開したと伝え、こうした授業は「青空教室」と呼ばれたと紹介した。
続けて、当時の新聞に日本人読者からの手紙として掲載された「日本を復興させるには教育しかない」といった論調からも、日本人がいかに子どもたちへの教育を重視していたかが分かると主張。そして、青空教室が始まっただけでなく、1946年には東京で学校給食が始まり、1954年には子どもたちの身体的成長を支えるために学校給食法が定められたと紹介した。
その後も義務教育の制度を整備し、限られた予算のなかで全国に学校を建設したことを紹介したほか、復興が進み、経済が成長するにしたがって日本は教育に投下する予算も増やしていったことを紹介。そして、日本が戦後から十数年で復興を遂げ、1968年には世界第2位の経済大国となることができたのは、終戦後すぐに教育の再開に力を入れたことの賜物であると指摘した。
また記事は、清朝末期に外交使節関係者の夫人という立場で日本に留学した単士厘は著書「癸卯旅行記」で、「日本が強国としての立場にあるのはひとえに教育の賜物」だと綴っていたことを紹介し、日本が今日の経済大国としての地位があるのは「教育大国」だからであり、その教育大国は「青空教室」から始まったのだと論じた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)